大切な人を戦うことでしか守れないのかどうかのひとつの答え「政治家のみなさんへのメッセージ」をご覧のみなさん、はじめまして。僕は、坂本龍一さん(以下、教授)のネット中継をお手伝いしてる平野と言います。昨日、僕がずっと以前から疑問に思っていたことを教授にストレートに聞いてみました。「もちろん僕は戦争なんか絶対反対です。でも、いざ攻め込まれたら家族を守れないぞって言われると、平和だけを叫ぶのも理想主義で現実を見ていないような気持ちにもなる。ねえ教授、どう考えてます?これって答えがあるんですか?」こんな僕の曖昧な問いに対して、しっかり答えてもらいました。ありがとう、教授。なので今日はその答えを紹介したいと思います。みなさんがこれからについて考えるひとつの素材になればなによりです。ちなみに僕は、ここ最近のわずかな間で突如として<戦争の是非を議論する>という風潮が生まれてしまったことに、とても驚いています。そもそも戦争なんか<非>でしかないはずなのに、<是>か<非>かを話し合っている。そしてそれが今回の選挙のひとつの争点になっている。・・・被災地の救済は? 福島は? え?? 何馬鹿なこと言ってんですか、ちょっと待ってよ!と。戦争を<是>とする人はこう言います。「我々も戦争はしたくないけど、向こうがやる気なんだから仕方ない(よって国防軍を創設し、核武装も視野に入れるべきである)」。憲法9条があったから国が守れないのだ。これこそが、平和を守るということなのだ!という政治家もいます。
・・・彼らは自分が好戦的ではないと主張しますが、僕には十分に好戦的であるように思えます。だから僕は彼らに賛同することは絶対にできません。一方の戦争を<非>とする人はこう言います。「何が何でも絶対戦争反対!日本がその一歩を踏み出しましょう。平和が一番です!」。そうです。僕もそう思います。だから僕はこちらの立場です。しかし戦争を<是>とする人たちは言います。
「平和を語るだけでは理想論だ。いざという有事の際はどうするんだ?だから国防軍を持つべきである。戦争を仕掛けても勝てないという国家づくりと、何かされたら毅然と報復することが肝要なのだ。これは愛する国と人を守るためなのだ。」と。・・・現実のリスクを想像すると、戦争を<是>とする人のほうが現実の対処として「マシ」なのでは?という<自分に対しての疑念>が一瞬頭をよぎります。確かに僕は、平和や非武装を語るだけで、理想論なのかも。弱々しく思えてなりません。戦争は絶対反対だけど、反対しているだけでは駄目なのでは?と、深く考えれば考えるほどに、自分の考えに自信が持てなくなってきます。どうやら<守る>ということに目を向けた途端、『戦わなければ守れない』という考えが僕の心の中に浮かんできて、何が正しいのか分からなくなってしまうのです。さて。ここでひとつの問いが。 質問:平和を心から望むだけの僕は、<無責任>なのでしょうか。「戦争は絶対反対だけど、じゃあ他国が戦争仕掛けてきたらどうしたらいいの?」っていう、謎。これ、よく考えれば考えるほど、謎。そこで、勇気を出して教授に聞いてみたわけです。「ねえ教授、平和だけを叫ぶだけだと理想主義で現実を見ていないような気持ちになる。これって教授はどう考えてます?これって答えがあるんですか?」そのとき教授と僕は、陸前高田のチャリティーライブを終えて、山間をバスで走っていました。横を走る川を縫って山を登る道には雪が降り始めていました。「ねえ、中国攻めてきたらどうします?っていうか、どうしたらいいと思います?」教授は一回息をゆっくりと吸うと、しっかりとバスの椅子に座り直し、僕のほうに乗り出して言った。「攻められないようにする。」と一言。きっぱりと。ん?分からない。どういうこと?ねえ、教授、もっと詳しく。「んー、あのね、、、攻める側には攻める理由があるから攻めるんです。だから攻めて来れないように、攻められない理由をつくるんです。」教授は説明を続けました。「僕は・・・えっと、地政学的にね、中国が強大化していくなかで、日本はアジアの広い地域の中で、各国の中国との関係を慎重に見極めながら、中国との絶妙なバランスをとっていくことがものすごく重要なことだと思うわけ。そのバランスが悪いほうに崩れたら、戦争は起きますよ。そりゃ。」地政学とは地理的な環境が国家に与える政治的、軍事的、経済的な影響を巨視的な視点で研究のことらしい。どうやら教授は、日本と中国の話ではなく、いきなりアジア全体、あるいは地球全体をイメージしながら話をしているようだ。もう一度椅子に座り直し、両手で丸い<地球>のようなものを空に地図を描きながら、身振り手振りを添えて話を続ける。「日本、韓国、台湾、フィリピン、ベトナム、、そしてグルっとインドにかけての地域でね、フィリピンもベトナムも、日本と同様に中国との領土問題をかかえている。みんなどの国も中国とどういう距離感で、どういう関係でやっていくかがさ、これからの東アジアでの最重要課題でしょ?だからアジアから見たら、この地域で中国に対峙できる勢力の中心に、日本がなってほしいと思う国もあるでしょう。その場合、例え過去に日本に侵略された記憶があるとはいえ、日本には軍備拡張してもらっても存在感を増してほしいと思うかもしれない。また、中国にもの申すには、日本と韓国が協力することが、すごく重要だと思う。」僕の質問は、「中国から攻められたらどうする」という<日本>と<中国>の内容だったのに、教授はアジア中のさまざまな国名を挙げて、そしてそれぞれの国の大まかな事情の説明を添えながら、ひとまずの結論にたどり着く。車内の熱気で曇ったバスのガラスに、アジア地域の地図のようなものを描きながら言う。「平野くんはさ、<日本>が<中国>に対してどうしたらいいのかって質問したよね?でもさ、世界というのはいろんな要素が複雑にかみ合って、様々なバランスの上に成り立っている訳だよね。そこには<攻められたら攻める>なんて単純な構図ではなく、もっと広く見るべきこと、調べるべきこと、常に備えておくこと、仲良くすべき人たちや国、勢力、そして地政学的なものも大きいよね、そういうものがあるわけ。」バスのガラスは、おそらく色々な要素を表現したのであろう、たくさんの重なる丸印の教授の落書きでいっぱいになっている。「当たり前だけど、単純じゃないんです。単純な対立軸にしたがる人は歴史の中で常にいるわけだけど、それで解決できるなら苦労しないですよ。はは。」少しだけ皮肉っぽく笑い、一息つくと教授は続けた。「・・・そりゃ平野くんが言うとおり、ただ何もせずに平和だけを叫んでも意味ないですよ。撃たれたら死ぬわけだから。でもね、戦争が起きるとしたら、それは<攻められる状況をつくってしまった>という外交の<失敗>の<結果>なんですよ。例えば平野くんは、ちゃんと「なぜ中国が攻めて来るか」っていう背景と理由について考えてみた?その背景と理由をなくせば攻めて来ないから、そここそをみんなで真剣に解消しようと努力したほうがいいとボクは思うワケ。」がんばるところはそこか!っていうか、なぜ攻めて来るかなんて、考えてなかった。「攻めて来る!ヤバい!」としか思ってなかった。なんてこった・・・。僕は自分が少し馬鹿みたいに思えてきた。教授のイメージの中では、一国と一国の単純な対立があるのではなく、地球上のある様々な地域で必死にバランスを取り合おうとする無数の対立軸や協調しあう輪、そして流れがあった。
そういう<渦>の中で、バランスが最大に崩れると(あるいはぴったりと嵌ってしまうと?)特定の地域で戦争が<発生>する。教授は、ただ平和を叫んでいるのではなく、様々な因子が最悪の配列になることを<現実的に防ぐべきである>と言っているのだ。僕は言った。「教授、ちょっと自分が恥ずかしいです。僕、中国から攻められたら攻め返さないといけないという2点でしか物事が見れてなかったかも・・・」すると教授は指を組み、目をきょろきょろさせながら、少し憤っているような感じで言った。「戦争という<結果>を生まないために、するべきことはまだまだいっぱいあるよね。でも今は、何もせずに、戦いに備えてただただ武器を磨こうとしている。すべきこと、やれるべきことは、どちらかというと一切手つかずのようなもんでしょ。それ、やらないと!それが、僕の『攻められないようにする』という意味。実際的に、現実的に、子供や大切な人や美しい山河を守りたいからこそ、僕は<非戦>であることが有効だと思うんです。<非戦>というのは、決して座して撃たれるのを待つ、ということとは全然違うよ。」僕は言う。「ねえ、教授、なんでだろう? なんで僕は、2点でしか考えられなかったんだろう? 今、教授に聞いてみれば当たり前のことばかりで、なんで俺、気づかないんだよ!って感じで・・・。」恥ずかしくて仕方なかった。ああ、馬鹿な質問しちゃったなぁ、と少し後悔もしていた。僕は話を続けた。「僕は、戦争になったらどうする、そのときの責任ある自分の行動はなんだ、ということばかり考えていた。でもこれって、例えるなら『事故にあったらどこの病院に行くべきか』と病院ばかりをいっぱいつくるようなもんですよね。そりゃ事故にあったら病院に行くけど、まず事故に合わないように必死で対策することが最優先なのに。なんで、僕はこんな恥ずかしい低レベルなところでぐるぐるしてたんだろう?」すると教授は、「もしかしたら、だけどさ・・・」と言ったあと、ちょっと間をあけて、怖いことを言った。「もしかしてさ、外交とか、バランスとか、この国の政治家や官僚は、やるべきことをずっと、アメリカの軍事力の傘の下にあるっていう一点で・・・サボってきたんじゃない?それは、国民にバレないようにしたいよね。気づいて欲しくない、よね?」・・・僕はその一言に、ぞっとした。確かに、地政学の視点や、パワーバランスを保つ<努力を怠る>と戦争が<発生する>という、<教育>や<教養>が多くの人に身に付いていたら、今の中国や韓国との情況を生み出した政治家や官僚たちは責められてしかるべきだろう。それに日本は既に世界でも有数の自衛隊を持っている。であるとすれば、今僕らに足りないのは、軍備ではなく、国際政治のバランスをきちんと取ること、外交、経済あらゆる面で、難しくも果てしなく重要な問題に日々取り組み、逆風の中も切り込んで<良いバランス>へと向かわせる国家、官僚、国民であるはずだ。・・・だが、そうはなっていない。中国と韓国は危険。だから備えよ、憲法変えよう、非常事態に備えて法整備、である。何もかもが間違っていないとは思うけど、本来やるべきことは山積みのまま、それらは無視されている。だから教授は言うのだ。もしかしたら、今までちゃんと外交をしてこなかったことを、あるいは外交に失敗しているということを、多くの国民に気づかれたくない人たちがいるかも知れない、と。僕はさらに自分の疑問を投げつける。今、憲法改正の議論では、<国家あっての国民>という順番になっていますよね?これってどう思います?教授は眉をしかめる。「う~ん、ファシズムは、経済的に貧窮した時代には、出てくることが多いよね。もちろんナチスが台頭した時もそうだった。国家に一番痛めつけられている人たちが、その国家を誇りと感じ、自らを犠牲として差し出すという構造が、悲しすぎる。だけど、そういうことが起こってしまう。それに支配層って、必ず上から下を見ているんだよね。それは絶対に間違ってるのにさ!」・・・絶対に間違ってる?僕はその一言が気になって、質問する。「そもそも、教授にとって、国ってどう見えてるんですか?」「国家って、貨幣と同じように幻想ですから」「それって国家というものを信頼していないということ?」「いやいや、国家を信頼している人も、そうでない人も、国家とは数字や貨幣などと同じ、人間の頭だけが作り出した幻想です。実際はもともと民の生活があって、そこに俺たちが統治してやると主張する人たちが現れた、という順番だよね。人類の歴史のなかで、国家が現れてくるのは、ずいぶん後になってですもん。」「じゃあ、教授が『日本』って言うとき、それって国家としての日本じゃない?」「少なくとも、国家の支配層が言うスタンスとは<逆>だよね、と思う。ぼくは人が暮らしている、この実際の列島という土地、風土のことをまず考える。彼らが言う『国』と僕の思う『国』が、どのくらいどこが違うのか、あまりに違い過ぎてよく分かんないや。」どうも教授は、世界を「国家があって国民が存在している」というイメージでは捉えていないようだ。おそらく日本に限らず、教授の頭の中での世界の捉え方は、「人々」がただそこにいて、そこに「国家」という人工的な線や枠組みが乗っかっていて、人が生きるための絶対条件ではないと思っているような感じがした。これはなかなか島国日本だけに住んでいると分かりにくい感覚だ。日本だと国家と領土と言語が通じるところが完全に一致しているので、国っていうものがまるで「しっかりしたもの」のように思いがちになる。でも移民の街ニューヨークに住み、日頃からざまざまな国の人たちと触れ合っている教授には、<世界中のニュースがご近所のニュース>なのだ。これは別にニューヨークにいると国際的な感覚が身に付くからではない。もっと現実的に、実際的に、隣の人が、スーパーで仲良くなった人が、いつも行っている大好きなレストランのボーイが、いろいろな国から来ていて、それが故に地球のどこかの悲しいニュースが、いつも会う<あの人の悲しみ>に直結しているのだ。だからこそ、教授は世界中のニュースに悲しみ、心を痛める。ご近所の友達が悲しんでいるから。それが時に、人からは理想主義に見えてしまうこともある。教授と僕らを乗せたバスは、震災のニュースで何度も見た陸前高田を流れる大きな川を登り続ける。雪が強く降ってきて、バスは何度もギアを変えながら、新幹線の駅を目指す。もう川は細くなり、透明に透き通った水の奇麗さに感動する。これが1年半前には逆流して、この先の海岸沿いには荒野が広がっているとは想像すらできない。ほんの1時間ほど前に、そこにいたのに。僕らは、ものすごく忘れやすい。ちなみに、教授が言っていることも、すべてが正しさに満ちているわけではない。少し間違えると戦前のアジアと同じことになる危険性も秘めている。理想がいつの間にかとんでもない悲劇になっていることも、歴史上ではままある。でも少なくとも、<本来やるべきこと>がもっとあるのならば、そちらを重点的に解決したほうが、より現実的だ。平和を願うことと、戦争を<発生>させないようにパワーバランスを保つ努力を日々続けることが、まったく繋がっていなかった僕。この感覚に、僕は見覚えがある! と思った。これは、社会構造の問題と原発の問題が繋がっていなかったときに感じたのと、同じ匂いだ。今ではひとつの<繋がったもの>として見えるようになったけど、311前には気づきもしなかった。多分、戦争や国防の話も、同じなのだ。本来繋がってはいけないものたちが繋がり、因果関係に見えてしまっている。誇りを持ち、国を守れ、と。守り方は、本当に戦いに備えることなのか?その裏で、一番大切なものが損なわれようとしている・・・。誇りについて、考える。日本が持つものは、他国から見ると羨ましがるほど、素晴らしい。経済規模だって、ヨーロッパまるごと足したぐらいの規模がたった一国の中に詰まっている。郷土としても美しい。水も豊かだ(それが故に狙われてもいる)。そこにさらに、政治的にも様々な国々と(簡単なことではないだろうが)バランスを保ち、理性を働かせ、具体的なお互いのメリットや利益も生み出し、<平和>のために現実的、実際的な努力をする国であったら、それこそが本当の誇れる国であろう。過去の大戦では、広島、長崎。そして去年の福島で、核の被害にあった国であるからこそできる覚悟もあるはずだ。もしも次世代の再生可能エネルギーの実用化に成功するとしたら、この日本しかないだろう。それと共に、安全なエネルギーと、平和のための具体的な行動を伴う政治を展開できるとしたら、そこにこそ人生をかけてもいいと思うのは、僕だけだろうか。それを、同じことなのに、違うようにも言える。日本は豊かだ。だから狙われる。守らないと。戦わないと。なぜ、僕らはこんなに短絡的なんだろう。なぜ、攻められたら戦うという単純なものしかイメージできなくなっているのだろうか。誇れるとは、何なのか。いろんな国と協調したほうが誇れる。戦いを回避する強い意志と行動があったら誇れる。やみくもに平和を信じる甘えではなく、具体的な政治バランス、交渉。ただ銃を向けるより、よほど誇れて、現実的な解決策だと僕は思う。さて。今回は、311の被災地支援、福島第一も煙と放射線をモクモク出している中での、初の選挙です。だからこそ少なくとも僕の目には、かつてなかったレベルで多くの人が強い興味と関心と、そして決意を持って投票に臨もうとしているように映っています。でもその決意の割には、政党がぐちゃぐちゃで、しっかり考える時間もなく、もう投票日。静かな絶望がひっそりと忍び寄ってくる感じがする。いよいよヤバい感じがする日本(だと僕は感じています)。でも、そうじゃない未来があります。教授、大貫さんが言ってましたね。「音楽は、希望よ」って。これからも、心が折れそうになる現実の中で、僕らに音楽で希望を感じさせてください。そして、たまにこういう話もいっぱいしてくださいね!(平野友康)追伸。最後に、政治家のみなさんへ。政治家のみなさんも、すべての方が、国を守ること、正義と善意から政治家を目指したと思います。そうでなくては、こんな批判を受けて大変な仕事、続けられるわけがないと思います。(ちょっと世間ズレしたところもありそうだけど)大変な仕事です。どんなに右寄りの政治家の方でも、本当に戦争を望んでいる人はいないはずだし、軍拡や核保有を主張している方すらも、平和を望み、大切な人を守ろうという気持ちを持っていて、今現在もその志を持ち続け、そのためにそういう結論に達したのだと思います。まず国家の体制をしっかりしなければならないと思い、憲法改正や軍拡への考えへと至ったのでしょう。そして今も、郷土や大切な人を守るという理想の、そのまっただ中でがんばっているのだと思います。しかし、考えていただきたい。ご自分が歩いて来られた道を、少しだけ振り返って、これから歩む道を少し微調整されることも大切かと思います。人間は、想いは同じでも、行動しているうちに、いつの間にか別の道を歩んでしまっていることもあると思います。一番良い道を見つけたいです。誰もがそう思っているはずです。僕は、右でも左でもなく、中道を行きたいです。もっとも現実的で、もっとも実際的な方法を見つけたいです。感情論でも極論でもなく、幅広く検討し、現実と戦い続け、改善を続けたいです。政治家のみなさんならば当然ご存知の通り、これから想像を絶する困難の時代がやってきます。震災、福島第一、高齢化に伴う医療や社会保障などの様々な国内問題に加え、中国の脅威は衰えることなく、世界的な環境問題、人口問題、食料問題は、今後も解決の糸口は見つけられないことでしょう。ですが、そんな中においても、この世に奇跡の生を受けた私たちは、この短い一生の貴重な時間だからこそ、せめて大切な人と郷土を慈しみながら過ごしたいものです。それに勝る価値はこの世にはないと思います。すぐに選挙の結果は出ますけど、当選なさった議員のみなさんは、どうか良い政治を行なって頂けますよう、心よりお願いいたします。

大切な人を戦うことでしか守れないのか
どうかのひとつの答え


「政治家のみなさんへのメッセージ」をご覧のみなさん、はじめまして。
僕は、坂本龍一さん(以下、教授)のネット中継をお手伝いしてる平野と言います。

昨日、僕がずっと以前から疑問に思っていたことを教授にストレートに聞いてみました。

「もちろん僕は戦争なんか絶対反対です。
でも、いざ攻め込まれたら家族を守れないぞって言われると、平和だけを叫ぶのも理想主義で現実を見ていないような気持ちにもなる。
ねえ教授、どう考えてます?これって答えがあるんですか?」


こんな僕の曖昧な問いに対して、しっかり答えてもらいました。ありがとう、教授。
なので今日はその答えを紹介したいと思います。

みなさんがこれからについて考えるひとつの素材になればなによりです。


ちなみに僕は、ここ最近のわずかな間で突如として<戦争の是非を議論する>という風潮が生まれてしまったことに、とても驚いています。
そもそも戦争なんか<非>でしかないはずなのに、<是>か<非>かを話し合っている。
そしてそれが今回の選挙のひとつの争点になっている。
・・・被災地の救済は? 福島は? え?? 何馬鹿なこと言ってんですか、ちょっと待ってよ!と。

戦争を<是>とする人はこう言います。
「我々も戦争はしたくないけど、向こうがやる気なんだから仕方ない(よって国防軍を創設し、核武装も視野に入れるべきである)」
憲法9条があったから国が守れないのだ。これこそが、平和を守るということなのだ!という政治家もいます。

・・・彼らは自分が好戦的ではないと主張しますが、僕には十分に好戦的であるように思えます。
だから僕は彼らに賛同することは絶対にできません。

一方の戦争を<非>とする人はこう言います。
「何が何でも絶対戦争反対!日本がその一歩を踏み出しましょう。平和が一番です!」。
そうです。僕もそう思います。だから僕はこちらの立場です。

しかし戦争を<是>とする人たちは言います。

「平和を語るだけでは理想論だ。いざという有事の際はどうするんだ?だから国防軍を持つべきである。戦争を仕掛けても勝てないという国家づくりと、何かされたら毅然と報復することが肝要なのだ。これは愛する国と人を守るためなのだ。」と。

・・・現実のリスクを想像すると、戦争を<是>とする人のほうが現実の対処として「マシ」なのでは?という<自分に対しての疑念>が一瞬頭をよぎります。
確かに僕は、平和や非武装を語るだけで、理想論なのかも。弱々しく思えてなりません。
戦争は絶対反対だけど、反対しているだけでは駄目なのでは?と、深く考えれば考えるほどに、自分の考えに自信が持てなくなってきます。

どうやら<守る>ということに目を向けた途端、『戦わなければ守れない』という考えが僕の心の中に浮かんできて、何が正しいのか分からなくなってしまうのです。

さて。ここでひとつの問いが。

 質問:
平和を心から望むだけの僕は、
<無責任>なのでしょうか。


「戦争は絶対反対だけど、じゃあ他国が戦争仕掛けてきたらどうしたらいいの?」っていう、謎。
これ、よく考えれば考えるほど、謎。

そこで、勇気を出して教授に聞いてみたわけです。

「ねえ教授、平和だけを叫ぶだけだと理想主義で現実を見ていないような気持ちになる。これって教授はどう考えてます?これって答えがあるんですか?」

そのとき教授と僕は、陸前高田のチャリティーライブを終えて、山間をバスで走っていました。
横を走る川を縫って山を登る道には雪が降り始めていました。

「ねえ、中国攻めてきたらどうします?っていうか、どうしたらいいと思います?」

教授は一回息をゆっくりと吸うと、しっかりとバスの椅子に座り直し、僕のほうに乗り出して言った。
「攻められないようにする。」と一言。きっぱりと。

ん?分からない。どういうこと?
ねえ、教授、もっと詳しく。

「んー、あのね、、、攻める側には攻める理由があるから攻めるんです。だから攻めて来れないように、攻められない理由をつくるんです。」

教授は説明を続けました。

「僕は・・・えっと、地政学的にね、中国が強大化していくなかで、日本はアジアの広い地域の中で、各国の中国との関係を慎重に見極めながら、中国との絶妙なバランスをとっていくことがものすごく重要なことだと思うわけ。そのバランスが悪いほうに崩れたら、戦争は起きますよ。そりゃ。」

地政学とは地理的な環境が国家に与える政治的、軍事的、経済的な影響を巨視的な視点で研究のことらしい。
どうやら教授は、日本と中国の話ではなく、いきなりアジア全体、あるいは地球全体をイメージしながら話をしているようだ。
もう一度椅子に座り直し、両手で丸い<地球>のようなものを空に地図を描きながら、身振り手振りを添えて話を続ける。

「日本、韓国、台湾、フィリピン、ベトナム、、そしてグルっとインドにかけての地域でね、フィリピンもベトナムも、日本と同様に中国との領土問題をかかえている。みんなどの国も中国とどういう距離感で、どういう関係でやっていくかがさ、これからの東アジアでの最重要課題でしょ?
だからアジアから見たら、この地域で中国に対峙できる勢力の中心に、日本がなってほしいと思う国もあるでしょう。その場合、例え過去に日本に侵略された記憶があるとはいえ、日本には軍備拡張してもらっても存在感を増してほしいと思うかもしれない。また、中国にもの申すには、日本と韓国が協力することが、すごく重要だと思う。」

僕の質問は、「中国から攻められたらどうする」という<日本>と<中国>の内容だったのに、教授はアジア中のさまざまな国名を挙げて、そしてそれぞれの国の大まかな事情の説明を添えながら、ひとまずの結論にたどり着く。
車内の熱気で曇ったバスのガラスに、アジア地域の地図のようなものを描きながら言う。

「平野くんはさ、<日本>が<中国>に対してどうしたらいいのかって質問したよね?
でもさ、世界というのはいろんな要素が複雑にかみ合って、様々なバランスの上に成り立っている訳だよね。そこには<攻められたら攻める>なんて単純な構図ではなく、もっと広く見るべきこと、調べるべきこと、常に備えておくこと、仲良くすべき人たちや国、勢力、そして地政学的なものも大きいよね、そういうものがあるわけ。」

バスのガラスは、おそらく色々な要素を表現したのであろう、たくさんの重なる丸印の教授の落書きでいっぱいになっている。

「当たり前だけど、単純じゃないんです。単純な対立軸にしたがる人は歴史の中で常にいるわけだけど、それで解決できるなら苦労しないですよ。はは。」

少しだけ皮肉っぽく笑い、一息つくと教授は続けた。

「・・・そりゃ平野くんが言うとおり、ただ何もせずに平和だけを叫んでも意味ないですよ。撃たれたら死ぬわけだから。でもね、戦争が起きるとしたら、それは<攻められる状況をつくってしまった>という外交の<失敗>の<結果>なんですよ。
例えば平野くんは、ちゃんと「なぜ中国が攻めて来るか」っていう背景と理由について考えてみた?その背景と理由をなくせば攻めて来ないから、そここそをみんなで真剣に解消しようと努力したほうがいいとボクは思うワケ。」

がんばるところはそこか!っていうか、なぜ攻めて来るかなんて、考えてなかった。「攻めて来る!ヤバい!」としか思ってなかった。なんてこった・・・。僕は自分が少し馬鹿みたいに思えてきた。

教授のイメージの中では、一国と一国の単純な対立があるのではなく、地球上のある様々な地域で必死にバランスを取り合おうとする無数の対立軸や協調しあう輪、そして流れがあった。

そういう<渦>の中で、バランスが最大に崩れると(あるいはぴったりと嵌ってしまうと?)特定の地域で戦争が<発生>する。
教授は、ただ平和を叫んでいるのではなく、様々な因子が最悪の配列になることを<現実的に防ぐべきである>と言っているのだ。

僕は言った。

「教授、ちょっと自分が恥ずかしいです。僕、中国から攻められたら攻め返さないといけないという2点でしか物事が見れてなかったかも・・・」

すると教授は指を組み、目をきょろきょろさせながら、少し憤っているような感じで言った。

「戦争という<結果>を生まないために、するべきことはまだまだいっぱいあるよね。でも今は、何もせずに、戦いに備えてただただ武器を磨こうとしている。すべきこと、やれるべきことは、どちらかというと一切手つかずのようなもんでしょ。それ、やらないと!
それが、僕の『攻められないようにする』という意味。

実際的に、現実的に、子供や大切な人や美しい山河を守りたいからこそ、僕は<非戦>であることが有効だと思うんです。
<非戦>というのは、決して座して撃たれるのを待つ、ということとは全然違うよ。」


僕は言う。

「ねえ、教授、なんでだろう? なんで僕は、2点でしか考えられなかったんだろう?
 今、教授に聞いてみれば当たり前のことばかりで、なんで俺、気づかないんだよ!って感じで・・・。」

恥ずかしくて仕方なかった。ああ、馬鹿な質問しちゃったなぁ、と少し後悔もしていた。
僕は話を続けた。

「僕は、戦争になったらどうする、そのときの責任ある自分の行動はなんだ、ということばかり考えていた。でもこれって、例えるなら『事故にあったらどこの病院に行くべきか』と病院ばかりをいっぱいつくるようなもんですよね。そりゃ事故にあったら病院に行くけど、まず事故に合わないように必死で対策することが最優先なのに。なんで、僕はこんな恥ずかしい低レベルなところでぐるぐるしてたんだろう?」

すると教授は、「もしかしたら、だけどさ・・・」と言ったあと、ちょっと間をあけて、怖いことを言った。

「もしかしてさ、外交とか、バランスとか、この国の政治家や官僚は、やるべきことをずっと、アメリカの軍事力の傘の下にあるっていう一点で・・・サボってきたんじゃない?それは、国民にバレないようにしたいよね。
気づいて欲しくない、よね?」


・・・僕はその一言に、ぞっとした。

確かに、地政学の視点や、パワーバランスを保つ<努力を怠る>と戦争が<発生する>という、<教育>や<教養>が多くの人に身に付いていたら、今の中国や韓国との情況を生み出した政治家や官僚たちは責められてしかるべきだろう。
それに日本は既に世界でも有数の自衛隊を持っている。であるとすれば、今僕らに足りないのは、軍備ではなく、国際政治のバランスをきちんと取ること、外交、経済あらゆる面で、難しくも果てしなく重要な問題に日々取り組み、逆風の中も切り込んで<良いバランス>へと向かわせる国家、官僚、国民であるはずだ。

・・・だが、そうはなっていない。
中国と韓国は危険。だから備えよ、憲法変えよう、非常事態に備えて法整備、である。
何もかもが間違っていないとは思うけど、本来やるべきことは山積みのまま、それらは無視されている。

だから教授は言うのだ。

もしかしたら、今までちゃんと外交をしてこなかったことを、あるいは外交に失敗しているということを、多くの国民に気づかれたくない人たちがいるかも知れない、と。

僕はさらに自分の疑問を投げつける。
今、憲法改正の議論では、<国家あっての国民>という順番になっていますよね?
これってどう思います?

教授は眉をしかめる。

「う~ん、ファシズムは、経済的に貧窮した時代には、出てくることが多いよね。もちろんナチスが台頭した時もそうだった。国家に一番痛めつけられている人たちが、その国家を誇りと感じ、自らを犠牲として差し出すという構造が、悲しすぎる。だけど、そういうことが起こってしまう。それに支配層って、必ず上から下を見ているんだよね。それは絶対に間違ってるのにさ!」

・・・絶対に間違ってる?
僕はその一言が気になって、質問する。

「そもそも、教授にとって、国ってどう見えてるんですか?」
「国家って、貨幣と同じように幻想ですから」
「それって国家というものを信頼していないということ?」
「いやいや、国家を信頼している人も、そうでない人も、国家とは数字や貨幣などと同じ、人間の頭だけが作り出した幻想です。実際はもともと民の生活があって、そこに俺たちが統治してやると主張する人たちが現れた、という順番だよね。人類の歴史のなかで、国家が現れてくるのは、ずいぶん後になってですもん。」
「じゃあ、教授が『日本』って言うとき、それって国家としての日本じゃない?」
「少なくとも、国家の支配層が言うスタンスとは<逆>だよね、と思う。ぼくは人が暮らしている、この実際の列島という土地、風土のことをまず考える。彼らが言う『国』と僕の思う『国』が、どのくらいどこが違うのか、あまりに違い過ぎてよく分かんないや。」

どうも教授は、世界を「国家があって国民が存在している」というイメージでは捉えていないようだ。
おそらく日本に限らず、教授の頭の中での世界の捉え方は、「人々」がただそこにいて、そこに「国家」という人工的な線や枠組みが乗っかっていて、人が生きるための絶対条件ではないと思っているような感じがした

これはなかなか島国日本だけに住んでいると分かりにくい感覚だ。
日本だと国家と領土と言語が通じるところが完全に一致しているので、国っていうものがまるで「しっかりしたもの」のように思いがちになる。

でも移民の街ニューヨークに住み、日頃からざまざまな国の人たちと触れ合っている教授には、<世界中のニュースがご近所のニュース>なのだ。
これは別にニューヨークにいると国際的な感覚が身に付くからではない。
もっと現実的に、実際的に、隣の人が、スーパーで仲良くなった人が、いつも行っている大好きなレストランのボーイが、いろいろな国から来ていて、それが故に地球のどこかの悲しいニュースが、いつも会う<あの人の悲しみ>に直結しているのだ。

だからこそ、教授は世界中のニュースに悲しみ、心を痛める。ご近所の友達が悲しんでいるから。
それが時に、人からは理想主義に見えてしまうこともある。


教授と僕らを乗せたバスは、震災のニュースで何度も見た陸前高田を流れる大きな川を登り続ける。
雪が強く降ってきて、バスは何度もギアを変えながら、新幹線の駅を目指す。
もう川は細くなり、透明に透き通った水の奇麗さに感動する。
これが1年半前には逆流して、この先の海岸沿いには荒野が広がっているとは想像すらできない。
ほんの1時間ほど前に、そこにいたのに。僕らは、ものすごく忘れやすい。


ちなみに、教授が言っていることも、すべてが正しさに満ちているわけではない。
少し間違えると戦前のアジアと同じことになる危険性も秘めている
理想がいつの間にかとんでもない悲劇になっていることも、歴史上ではままある。
でも少なくとも、<本来やるべきこと>がもっとあるのならば、そちらを重点的に解決したほうが、より現実的だ。
平和を願うことと、戦争を<発生>させないようにパワーバランスを保つ努力を日々続けることが、まったく繋がっていなかった僕。

この感覚に、僕は見覚えがある! と思った。
これは、社会構造の問題と原発の問題が繋がっていなかったときに感じたのと、同じ匂いだ。
今ではひとつの<繋がったもの>として見えるようになったけど、311前には気づきもしなかった。

多分、戦争や国防の話も、同じなのだ。
本来繋がってはいけないものたちが繋がり、因果関係に見えてしまっている。
誇りを持ち、国を守れ、と。
守り方は、本当に戦いに備えることなのか?
その裏で、一番大切なものが損なわれようとしている・・・。

誇りについて、考える。
日本が持つものは、他国から見ると羨ましがるほど、素晴らしい。
経済規模だって、ヨーロッパまるごと足したぐらいの規模がたった一国の中に詰まっている。
郷土としても美しい。水も豊かだ(それが故に狙われてもいる)。
そこにさらに、政治的にも様々な国々と(簡単なことではないだろうが)バランスを保ち、理性を働かせ、具体的なお互いのメリットや利益も生み出し、<平和>のために現実的、実際的な努力をする国であったら、それこそが本当の誇れる国であろう。

過去の大戦では、広島、長崎。
そして去年の福島で、核の被害にあった国であるからこそできる覚悟もあるはずだ。
もしも次世代の再生可能エネルギーの実用化に成功するとしたら、この日本しかないだろう。
それと共に、安全なエネルギーと、平和のための具体的な行動を伴う政治を展開できるとしたら、そこにこそ人生をかけてもいいと思うのは、僕だけだろうか。

それを、同じことなのに、違うようにも言える。

日本は豊かだ。
だから狙われる。
守らないと。戦わないと。

なぜ、僕らはこんなに短絡的なんだろう。
なぜ、攻められたら戦うという単純なものしかイメージできなくなっているのだろうか。

誇れるとは、何なのか。
いろんな国と協調したほうが誇れる。
戦いを回避する強い意志と行動があったら誇れる。
やみくもに平和を信じる甘えではなく、具体的な政治バランス、交渉。
ただ銃を向けるより、よほど誇れて、現実的な解決策だと僕は思う。

さて。

今回は、311の被災地支援、福島第一も煙と放射線をモクモク出している中での、初の選挙です。
だからこそ少なくとも僕の目には、かつてなかったレベルで多くの人が強い興味と関心と、そして決意を持って投票に臨もうとしているように映っています。
でもその決意の割には、政党がぐちゃぐちゃで、しっかり考える時間もなく、もう投票日。
静かな絶望がひっそりと忍び寄ってくる感じがする。
いよいよヤバい感じがする日本(だと僕は感じています)。

でも、そうじゃない未来があります。

教授、大貫さんが言ってましたね。「音楽は、希望よ」って。
これからも、心が折れそうになる現実の中で、僕らに音楽で希望を感じさせてください。
そして、たまにこういう話もいっぱいしてくださいね!

平野友康)


追伸。
最後に、政治家のみなさんへ。

政治家のみなさんも、すべての方が、国を守ること、正義と善意から政治家を目指したと思います。そうでなくては、こんな批判を受けて大変な仕事、続けられるわけがないと思います。(ちょっと世間ズレしたところもありそうだけど)大変な仕事です。

どんなに右寄りの政治家の方でも、本当に戦争を望んでいる人はいないはずだし、軍拡や核保有を主張している方すらも、平和を望み、大切な人を守ろうという気持ちを持っていて、今現在もその志を持ち続け、そのためにそういう結論に達したのだと思います。

まず国家の体制をしっかりしなければならないと思い、憲法改正や軍拡への考えへと至ったのでしょう。そして今も、郷土や大切な人を守るという理想の、そのまっただ中でがんばっているのだと思います。

しかし、考えていただきたい。

ご自分が歩いて来られた道を、少しだけ振り返って、これから歩む道を少し微調整されることも大切かと思います。人間は、想いは同じでも、行動しているうちに、いつの間にか別の道を歩んでしまっていることもあると思います。

一番良い道を見つけたいです。誰もがそう思っているはずです。
僕は、右でも左でもなく、中道を行きたいです。もっとも現実的で、もっとも実際的な方法を見つけたいです。感情論でも極論でもなく、幅広く検討し、現実と戦い続け、改善を続けたいです。

政治家のみなさんならば当然ご存知の通り、これから想像を絶する困難の時代がやってきます。

震災、福島第一、高齢化に伴う医療や社会保障などの様々な国内問題に加え、中国の脅威は衰えることなく、世界的な環境問題、人口問題、食料問題は、今後も解決の糸口は見つけられないことでしょう。

ですが、そんな中においても、この世に奇跡の生を受けた私たちは、この短い一生の貴重な時間だからこそ、せめて大切な人と郷土を慈しみながら過ごしたいものです。それに勝る価値はこの世にはないと思います。

すぐに選挙の結果は出ますけど、当選なさった議員のみなさんは、どうか良い政治を行なって頂けますよう、心よりお願いいたします。