こちらの写真で、川をはさんで上が神奈川・相模原市、下が東京・町田市です。
隣接している2つの市は図書館を相互利用できるようにするなど交流も盛んです。
ところが、境界線の近くでは、一部の住民にとって頭の痛い問題が続いているんです。
東京・町田市と接する神奈川県相模原市の住宅です。
ここで暮らして40年以上になる時田ひささん(86歳)は、長年、生活に不便を感じてきました。
例えば水道です。
周辺の住宅は水道水ですが、時田さんの家で使っているのは井戸水です。
また、自宅のすぐ前には小学校がありますが、子どもたちを通わせることはできませんでした。
ゴミの回収も周りの住宅は家の前まで来てくれますが、時田さんは川をはさんだ対岸まで持っていかねばなりません。
時田さんは「足が弱いから大変だよ。私が対岸までゴミを持っていけないから、子どもに頼んでやってもらっています」と話します。
こうした違いは住んでいる場所によります。
実は、川を境に手前側は東京・町田市ですが、時田さんの家だけが神奈川県の相模原市です。
自治体が違うため、目と鼻の先の近所でも受けられるサービスが異なっているのです。
近所に住む人も「不便だなあ。よく生活しているよ」と同情を寄せ、時田さんは「離れ島だよ、本当に離れ島」とぼやきます。
こうした事態に至るきっかけになったのは、自治体の境となる川の改修工事です。
時田さんの自宅の裏を流れる境川は、もともと東京と神奈川の境界線でした。
境川はかつては大きく蛇行していたため、昭和40年代に氾らんを防ぐため改修工事を行いました。
青色で示したのが、改修前の境川です。
改修後、川に分断される形で東京寄りに相模原市、神奈川よりに町田市が点在するいわゆる「飛び地」のような状態が出来てしまいました。
改修によってできた飛び地は200か所以上、住民はおよそ1000人に上ります。
町田市では飛び地の解消に取り組んでいます。
12月21日の市議会では、相模原市との境界線の変更に向けた議案が可決されました。
今後、都や国に認められれば、時田さんら4世帯7人の住所が来年12月から相模原市から町田市に移ります。
しかし解消されるまでには長い時間かかってしまうのが実情です。
町田市は相模原市と共同で、住民の意向を聞きながら調査を進めています。
現地を歩いて境界を確認しながら一軒一軒訪ね歩き、住民の理解が得られた土地だけ境界を変えていきますが、大きな課題は点在する設備です。
こちらは東京寄りの飛び地にあるマンホール。
下には相模原市の下水管があります。
こちらには飛び地の住宅に水道を通すため住民が橋に沿って設置した水道管があります。
こうした自治体や個人の管理する設備などを境界線の変更により別の自治体に移す際は、権利などを巡って調整が必要になります。
さらに飛び地に複数の世帯が暮らす場合、境界線の変更にはすべての住宅の同意が必要となるため、全員の意見がそろうまで時間がかかるケースもあります。
境川に沿った境界線はおよそ22キロあり、下流から境界線の変更を進めてきましたが、17年かかって終わったのは全体の半分程度です。
すべての飛び地を解消できる見通しはまだ立っていません。
町田市総務課の田中久雄課長は「住まい、住所に愛着があるから、引っ越しと同じで理解していただくには時間がかかります。丁寧に説明しながら、やっていく必要があります」と話しています。
見えない境界線に翻弄される住民たち。
その不便さをいかに解消していくのか、きめ細かな対応が求められています。
取材にあたった首都圏放送センターの成田大輔記者は「対岸から水道管を引いた家の方に話をうかがったところ、およそ150万円、費用がかかったということです。また、時田さんのように庭に井戸を掘るなどした人も少なくありません。
そもそも境川の改修工事が行われた昭和40年代当時、川沿いにはほとんど住宅がありませんでした。
行政は開発が落ち着いた段階で、境界線をまとめて変更しようとしたため、取りかかりが遅れてしまったというのが実情です。
町田市と相模原市は、境川を9つの区間に区切って下流から段階的に住民の意向調査を行っていて、ようやく川の中流まできました。
しかし、飛び地に不便を感じる人がいる一方で、子どもの通学や進学、地域への愛着などから境界を変える必要はないという住民も少なくありません。
境界線の変更は時間がかかる問題ですが、住民の不便を解消するためにも、実情にあった柔軟な対応が求められるのではないかと感じました」と話しています。