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maobadi
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30.青年


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 世界はきみたちのものであり、また、われわれのものでもある。しかし、結局はきみたちのものである。きみたち青年は、午前8時、9時の太陽のように、生気はつらつとしており、まさに、旺盛な時期にある。希望はきみたちにかけらわている。
 …………
 世界はきみたちのものである。中国の前途はきみたちのものである。

モスクワでわが国の留学生、実習生と会見したときの談話(1957年11月17日)


 わが国はいまなおひじょうに貧しい国であり、しかも、短期間ではこの状態を根本的に改めることができないこと、もっぱら青年と全人民が数十年にわたって団結して奮闘し、自分たちの両手で富みさかえた、強大な国をつくりあげるのにたよるほかはないこと、このことをすべての青年たちに理解させなければならない。社会主義制度がうちたてられたことは、われわれに、理想境への道をきり開いてくれたが、理想境を実現するには、やはりわれわれの勤勉な労働にたよらなければならない。

「人民内部の矛盾を正しく処理する問題について」(1957年2月27日)


 すくなからぬ青年は、政治的経験と社会生活の経験が不足しているため、ふるい中国と新しい中国をよく比較することができず、わが国の人民が帝国主義と国民党反動派の抑圧からぬけだすために、いかにかずかずの苦しいたたかいを経てきたか、また、すばらしい社会主義社会をつくりあげるために、いかに長期の苦しい労働を経なければならないかを深く理解することがなかなかできない。したがって、大衆のあいだで、いきいきとした、実際に即した政治教育を恒常的におこなうとともに、発生する困難をたえずかれらにありのまま説明し、どのようにして困難を解決するかの方法をかれらといっしょに研究するようにしなければならない。

「人民内部の矛盾を正しく処理する問題について」(1957年2月27日)


 青年は社会のすべての力のなかで、もっとも積極的で、もっともいきいきとした力である。かれらは学習にいちばん積極的で、保守的な思想がいちばんすくなく、社会主義の時代にはとくにそうである。各地の党紀織が青年団の組織と協力して、とくに若ものの力をどのように発揮させるかを研究し、かれらを一般並みにあつかって、かれらの特徴をまっ殺しないように注意するよう希望する。もちろん、若ものは、かならず年寄りや大人に学び、できるだけかれらの賛同を得て、いろいろの有益な活動をやるようにしなければならない。

「中山県新平郷第9農業生産協同組合の青年突撃隊」という文章にたいする評語(1955年)、
『中国農村における社会主義の高まり』下巻

 青年が革命的かどうかをみるには、なにを基準にするか。なにによってその人をみわけるか。それは、その人が広範な労農大衆と結びつくことをのぞみ、しかも、それを実行するかどうかをみるというたった1つの基準しかない。労農大衆と結びつくことをのぞみ、しかもそれを実行する人は革命的であり、そうでないものは非革命的か、あるいは反革命的である。きょう、労農大衆と結びつけば、きょうは革命的であるが、もし翌日結びつかなくなるか、あるいは逆に民衆を圧迫するなら、非革命的か、もしくは反革命的となる。

「青年運動の方向」(1939年5月4日)、『毛沢東選集』第2巻


 知識人が、まだ大衆の革命闘争と一体にならず、まだ大衆の利益に奉仕し大衆と結合する決意をかためないうちは、とかく主観主義と個人主義の傾向をおび、かれらの思想はとかく空虚で、行動もとかく動揺的である。したがって、中国の広範な革命的知識人は、前衛的な、かけ橋的な役割をはたしてはいるが、これら知識人のすべてが最後まで革命をやりぬけるわけではない。そのうち一部のものは、革命の重大な瀬戸ぎわになると、革命の隊列から離れて消極的な態度をとるようになり、そのうち少数のものは、革命の敵になってしまう。知識人のこのような欠点は、長期の大衆闘争のなかでしか克服できない。

「中国革命と中国共産党」(1939年12月)、『毛沢東選集』第2巻


 青年団は、ひきつづき党の中心工作と呼応していくほか、青年の特徴にあった独自の工作もしなければならない。新中国は青年たちのことを考え、若い世代の成長に関心をはらわなければならない。青年たちは学習をし、仕事をしなければならないが、青年期は、身体が発育する時期である。したがって、青年たちの仕事、学習と娯楽、スポーツ、休息との両方にじゅうぶん配慮をはらわなければならない。

青年団第2回全国代表大会議長団と会見したときの指示(1953年6月30日)

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31.婦人


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 中国の男子は、ふつう3つの体系的な権力(政権、族権、神権をさす=編集者)の支配をうけている。……婦人となると、以上のべた3つの権力の支配のほかに、なお男子からの支配(夫権)をうけている。この四つの種類の権力――政権、族権、神権、夫権は、封建的同族支配体系の思想と制度のすべてを代表しており、中国人民、とくに農民をしばりつけているふとい四本の綱である。農民が農村でどのように地主の政権をくつがえしたかについては、まえにのべたとおりである。地主の政権はすべての権力の根幹である。地主の政権がうちたおされたので、族権、神権、夫権もみなそれにつれてぐらつきだした。……夫権というものは、もともと貧農のあいだでは、わりあい弱かった。貧農の婦人は、経済的な必要から裕福な階級の婦人よりもよけいに労働に参加しなければならないので、家事にたいする発言権ないし決定権をもつものがわりに多かった。近年になって、農村経済がますます破産するにつれて、男子が女子を支配する基本的な条件はくずれた。最近では、農民運動がおこると、それにともなって多くのところで、婦人たちが農村婦人連合会を組織し、婦人たちが頭をもたげる機会がやっ てきたので、夫権は日1日とぐらつきだした。要するに、ありとあらゆる封建的同族支配体系の思想と制度は、農民の権力がつよまるにつれてぐらついている。

「湖南省農民運動の視察報告」(1927年3月)、『毛沢東選集』第1巻


 団結して、生産と政治活動に参加し、婦人の経済的地位と政治的・地位を改善しよう。

雑誌『新中国婦人』のために書いた題辞、1949年7月20日づけ『新中国婦人』創刊号


 青年、婦人、児童の利益を保護し、勉学の道を失った青年を救済するとともに、青年、婦人を組織して、抗日戦争と社会の進歩に有益な諸活動に平等な立場で参加させ、婚姻の自由と男女平等を実現し、青年と児童に有益な教育をうけさせることを要求する……

「連合政府について」(1945年4月24日)、『毛沢東選集』第3巻


 労働力を組織的に調整することと、婦人にはたらきかけて生産に参加させることが、農業生産の面でのわれわれのもっとも基本的な任務である。

「われわれの経済政策」(1934年1月23日)、『毛沢東選集』第1巻


 偉大な社会主義社会を建設するために、広範な婦人大衆を動員して生産に参加させることは、きわめて大きな意義をもっている。生産をするなかで、男性と女性の同一労働・同一報酬を実現しなければならない。真の男女平等は、社会全体の社会主義的改造の過程ではじめて実現できるのである。

「婦人が労働戦線におもむいた」という文章にたいする評語(1955年)、
『中国農村における社会主義の高まり』上巻


 協同化ののち、多くの協同組合は労働力の不足を感じており、これまで畑仕事に参加したことがなかった広範な婦人大衆を労働戦線に参加するよう動員する必要がある。……中国の婦人は偉大な人的資源である。この資源をほりおこして、偉大な社会主義国を建設するために奮闘しなければならない。

「婦人を動員して生産に参加させ、労働力不足の困難を解決した」という文章にたいする評語(1955年)、
『中国農村における社会主義の高まり』中巻



 すべての婦人労働力を同一労働・同一報酬の原則のもとで一律に労働戦線に参加させるという要求は、できるだけ短い期間に実現しなければならない。

「ィキ[xing2]台県民主婦人連合会の農業協同化運動を発展させるなかでの婦人活動についての計画」という文章にたいする評語(1955年)、
『中国農村における社会主義の高まり』上巻

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32.文化・芸術


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 現在の世界では、文化あるいは文学・芸術はすべて、一定の階級、一定の政治路線にぞくしている。芸術のための芸術、超階級的な芸術、政治と並行するか相互に独立した芸術というものは、実際には存在しない。プロレタリアートの文学・芸術は「プロレタリアートの革命事業全体の一部であり、レーニンがのべているように、革命という機械全体のなかの「歯車とねじくぎ」である。

「延安の文学・芸術座談会における講話」(1942年5月)、『毛沢東選集』第3巻



 革命文化は、人民大衆にとっては革命の有力な武器である。革命文化は、革命のまえにあっては革命の思想的準備であり、革命のさなかにあっては革命の全戦線での必要なまた重要な戦線である。

「新民主主義論」(1940年1月)、『毛沢東選集』第2巻


 われわれの文学・芸術は、いずれも人民大衆のためのもの、なによりもまず、労働者、農民、兵士のためのものであり、労働者、農民、兵士のために創作され、労働者、農民、兵士によって利用されるものである。

「延安の文学・芸術座談会における講話」(1942年5月)、『毛沢東選集』第3巻


 わが文学・芸術活動家は、かならずこの任務をなしとげ、立脚点をうつしかえねばならず、また、労働者、農民、兵士大衆のなかに深くはいり、実際闘争に深くはいる過程で、マルクス主義を学習し、社会を学習する過程で、この立脚点を労働者、農民、兵士の側、プロレタリアートの側にしだいにうつしかえなければならない。このようにしてこそ、われわれは真の労働者、農民、兵士のための文学・芸術、真のプロレタリアートの文学・芸術をもつことができるのである。

「延安の文学・芸術座談会における講話」(1942年5月)、『毛沢東選集』第3巻


 人民が一心同体となって敵とたたかうのをたすけるため、人民を結集し、人民を教育し、敵に打撃をあたえ、敵を消滅する有力な武器として、文学・芸術を適切に革命という機械全体の中の一構成部分たらしめるのである。

「延安の文学・芸術座談会における講話」(一九四二年五月)、『毛沢東選集』第三巻


 文芸批評には、政治的基準と芸術的基準の2つの基準がある……
 政治的基準といい、芸術的基準というが、この両者の関係はどのようなものか。政治は芸術そのものではなく、一般的な世界観も、芸術創作や芸術批評の方法そのものではない。われわれは、抽象的な絶対不変の政治的基準を否定するばかりでなく、抽象的な絶対不変の芸術的基準をも否定するのであって、それぞれの階級社会のそれぞれの階級には、すべて異なった政治的基準と芸術的基準がある。だが、いかなる階級社会のいかなる階級も、つねに、政治的基準を第1の地位におき、芸術的基準を第2の地位におく。……われわれが要求するのは、政治と芸術の統一、内容と形式の統一、革命的な政治的内容と可能なかぎり完全な芸術的な形式との統一である。芸術性のとぼしい芸術作品は、政治的にいかに進歩したものでも、無力である。したがって、われわれは、政治的観点があやまっている芸術作品にも反対するし、また、正しい政治的観点をもつだけで芸術的な力をもたないいわゆる「スローガン式」の傾向にも反対する。われわれは文学・芸術問題における二つの戦線の闘争をおこなうべきである。

「延安の文学・芸術座談会における講話」(1942年5月)、『毛沢東選集』第3巻



 百花斉放・百家争鳴の方針は、芸術の発展と科学の進歩をうながす方針であり、わが国の社会主義文化の繁栄をうながす方針である。芸術上の異なった形式や風格は自由に発展させてよいし、科学上の異なった学派は自由に論争させてよい。行政的な力を利用して、強制的に一種類の風格や一種類の学派をおしひろめ、他の種類の風格や他の種類の学派を禁止することは、芸術と科学の発展にとって有害である、とわれわれは考える。芸術と科学における是非の問題は、芸術界と科学界の自由な討論によって解決し、芸術と科学の実践をつうじて解決すべきであって、単純な方法によって解決すべきでない。

「人民内部の矛盾を正しく処理する問題について」(1957年2月27日)



 文化をもたない軍隊はおろかな軍隊であり、おろかな軍隊では敵にうち勝つことはできない。

「文化活動における統一戦線」(1944年10月30日)、『毛沢東選集』第3巻

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33.学習


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 おくれた農業国である中国を先進的な工業化された中国にかえるには、われわれの前におかれた仕事はなみなみならぬものであり、われわれの経験はひじょうに不足している。だから、よく学ばなければならない。

「中国共産党第8回全国代表大会の開会の辞」(1956年9月15日)


 状況はたえず変化しており、自分の思想を新しい状況に適応させるには、学習をしなくてはならない。マルクス主義を比較的多く知っている人でも、プロレタリアートの立場が比較的しっかりしている人でも、やはりさらに学習をし、新しい事物をうけいれ、新しい問題を研究しなければならない。

「中国共産党全国宣伝工作会議における講話」(1957年3月12日)


 われわれは、以前知らなかったものを身につけることができる。われわれはふるい世界を破壊することができるだけでなく、さらに、新しい世界を建設することもできる。

「中国共産党第7期中央委員会第2回総会での報告」(1949年3月5日)、『毛沢東選集』第4巻


 学習には2つの態度がある。1つは教条主義的な態度であり、わが国の事情にはおかまいなしに、適用できるものも適用できないものも、いっしょくたにもちこんでくる。こうした態度はよくない。もう1つの態度は、学ぶときに頭をつかって考え、わが国の事情に適したものを学ぶ、すなわら、われわれにとって有益な経験をくみとるのである。われわれに必要なのはこうした態度である。

「人民内部の矛盾を正しく処理する問題について」(1957年2月27日)


 マルクス、エンゲルス、レーニン、スターリンの理論は「世界のどこにも適用できる」理論である。その理論を教条としてあつかうべきではなく、行動の指針とすべきである。マルクス・レーニン主義の語句だけを学ぶのではなくて、それを革命の科学として学ぶべきである。マルクス、エンゲルス、レーニン、スターリンが広範な現実の生活と革命の経験の研究によってえた一般法則についての結論を理解するだけでなく、さらに、かれらが問題を観察し、問題を解決した立場と方法を学ぶべきである。

「民族戦争における中国共産党の地位」(1938年10月)、『毛沢東選集』第2巻



 たとえ、正しい理論があっても、ただそれについておしゃべりするだけで、たな上げしてしまって実行しないならば、その理論がどんなによくてもなんら意義はない。

「実践論」(1937年7月)、『毛沢東選集』第1巻


 マルクス主義の理論については、それに精通し、これを応用できなければならないのであって、精通の目的はまったく応用にある。もしマルクス・レーニン主義の観点を応用して、実際の問題を1つでも2つでも説明できたなら、それは称賛されるべきであり、いくらかの成果をえたことになる。説明できたものが多ければ多いほど、広ければ広いほど、深ければ深いほど、その成果はますます大きいことになる。

「党の作風を整えよう」(1942年2月1日)、『毛沢東選集』第3巻


 マルクス・レーニン主義の理論と中国革命の実際は、どのようにして結びつけるのか。わかりやすいことばでいえば、それは、「的があって矢をはなつ」ことである。「矢」とは弓矢の矢であり、「的」とは標的であって、矢をはなつには的をねらわなければならない。マルクス・レーニン主義と中国革命との関係は矢と的との関係である。ところが、一部の同志は、「的がなくて矢をはなち」、乱射するので、このような人は革命をぶちこわしやすい。

「党の作風を整えよう」(1942年2月1日)、『毛沢東選集』第3巻


 活動の経験をもっている人は、理論の面へ学習をすすめ、まじめに本を読むことによって、経験に系統性、総合性をもたせ、これを理論にまでひきあげることができ、こうして局部的な経験を普遍的な真理だと誤認せずにすみ、経験主義のあやまりをおかさずにすむのである。

「党の作風を整えよう」(1942年2月1日)、『毛沢東選集』第3巻


 書物をよむことは学習であるが、使うことも学習であり、しかも、それはいっそう重要な学習である。戦争によって戦争を学ぶ――これがわれわれの主要な方法である。学校にゆく機会のなかった人でも、やはり戦争を学ぶことができる、つまり戦争のなかで学ぶのである。革命戦争は民衆のやることであって、先に学んでからやるのではなく、やり始めてから学ぶのが常であり、やることが学ぶことなのである。

「中国革命戦争の戦略問題」(1936年12月)、『毛沢東選集』第1巻


 「民間人」から軍人までのあいだには1つのへだたりがあるが、それは急速になくせるものであって、万里の長城ではない。革命をやり、戦争をやることが、そのへだたりをなくす方法である。学ぶことと使うことが容易でないというのは、徹底的に学び、それを使いこなすことが容易でないということである。民間人がすぐに軍人になれるというのは、入門がむずかしくないということである。この2つのことを総合するならば、中国の昔からのことわざにあるように「世の中にむずかしいことはない、ただ心がけ次第だ」ということになる。入門がむずかしくないならば、深くきわめることもできるわけで、ただ心がけ次第であり、よく学びさえすればよいのである。

「中国革命戦争の戦略問題」(1936年12月)、『毛沢東選集』第1巻


 われわれは、すべてのその道の人(どんな人であろうと)から経済工作を学ばなければならない。かれらを先生として、敬虔な気持ちで、まじめに学ばなければならない。わからないことはわからないのであって、わかったふりをしてはならない。

「人民民主主義独裁について」(1949年6月30日)、『毛沢東選集』第4巻


 知識の問題は科学の問題で、いささかの虚偽も傲慢さもあってはならない。決定的に必要なのは、まさにその反対のこと――誠実さと謙虚な態度である。

「実践論」(1937年7月)、『毛沢東選集』第1巻


 学習の敵は自己満足である。なにかを真剣に学習しようとするには、自己満足しないことからはじめなければならない。自分にたいしては「学びて厭わず」、他人にたいしては「人を誨えて倦まず」、これが、われわれのとるべき態度である。

「民族戦争における中国共産党の地位」(1938年10月)、『毛沢東選集』第2巻


 一部の人はマルクス主義の書物をいくらか読むと、もう自分には学問があると考えるが、けっして深くつっこんで読んではおらず、頭のなかに根をおろしてはおろす、それを応用することができず、階級的感情があいかわらずふるくさいのである。また、一部の人はひじょうにうぬぼれが強く、少しばかりの書物を読むと、もう自分は大したものだと鼻を高くする。だが、ひとたびあらしに出あうと、かれらの立場は労働者や大多数の勤労農民とくらべて、大いに違いのあることがめだってくる。前者は動揺するが、後者は確固としており、前者はあいまいだが、後者ははっきりしている。

「中国共産党全国宣伝工作会議における講話」(1957年3月12日)


 マルクス主義を学習するばあい、たんに書物から学習するだけでなく、主として階級闘争、活動の実践、労農大衆への接近を通じるのでなければ、ほんとうに身につけることはできない。もしもわれわれの知識人がマルクス主義の書物をいくらか読み、また、労農大衆との接近や自分の活動の実践のなかでなにかを理解するなら、われわれのあいだには共通の言葉が生まれ、愛国主義の面での共通の言葉や社会主義制度の面での共通の言葉が生まれるだけでなく、さらに共産主義的世界観の面での共通の言葉も生まれることになる。このようになれば、みんなの活動はずっとすばらしくなるにちがいない。

「中国共産党全国宣伝工作会議における講話」(1957年3月12日)

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毛沢東語録

再版の前書き(林彪著)

 

 毛沢東同志は、当代最も偉大なマルクス・レーニン主義者である。毛沢東同志は天才的に、創造的に、全面的にマルクス・レーニン主義を遵守し、かつ発展させ、マルクス・レーニン主義を斬新なものに昇華させたのである。

 毛沢東思想は帝国主義の全面的な崩壊、社会主義の世界的勝利に向けての時代に現れたマルクス・レーニン主義である。毛沢東思想は帝国主義に反対する強力な思想的武器であり、修正主義と教条主義に反対する強力な思想的武器でもある。毛沢東思想は全党、全軍、及び全国全ての工作の指導方針でもあるのだ。

 よって、毛沢東思想の偉大なる紅旗を永遠に高々と掲げ、毛沢東思想で全人民の頭脳を武装し、一切の工作において毛沢東思想を中心とすることが、我が党の政治思想工作の最も根本的な任務である。広範な工農兵群衆、広範な革命幹部、広範な知識分子、皆真に毛沢東思想を学び取らなくてはならず、人間として毛主席の書を読み、毛主席の話を聞き、毛主席の指示に従い、毛主席の好き戦士となろう。

 毛主席の著作を学び、問題意識を持って学び、活用を学び、先学を急用し、すぐ効果が現れるよう、“用”の字に持てる力の全てを注ぎ込め。毛沢東思想を真に学び取るため、多くの毛主席の基本観点を反復学習し、重要な語句は暗記し、反復運用すること。新聞では実際の役に立つよう、毛主席の語録を掲載し、学習と運用に供している。数年に渡って広範な群衆が毛主席著作の経験を活用し、問題意識を持って毛主席の語録を学ぶのは、毛沢東思想を学ぶ良い方法であり、すぐに成果が現れるであろう。

 この『毛主席語録』を編集したのは、広範な群衆に更に毛沢東思想を学びやすいものとさせるためである。各組織で学習する際には、情勢、任務、群衆の思想状況、及び工作状況を斟酌し、該当する内容を選んで学ぶべきである。

 今、我々の偉大な祖国は、工農兵によるマルクス・レーニン主義、毛沢東思想の新しき時代を迎えつつある。毛沢東思想が広範な大衆の会得するところとなれば、無限なる力に変わり、強力無比の精神的な原爆となる。『毛主席語録』の大量出版は、大衆に毛沢東思想を学び取らせ、我が国の人民思想革命化を押し進める上で、極めて重要な措置である。一人一人の同志が真面目に、刻苦勉励し、全国において毛主席の著作を学ぶ新しき潮流を巻き起こし、偉大なる毛沢東思想の紅旗のもとに、現代的農業、現代的工業、現代的科学文化、現代的国防の備わった偉大なる社会主義国家を建設するために、奮闘して欲しい!                       

 林彪

1966年12月16日



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毛沢東語録

前書き(中国人民解放軍総政治部)

 

 毛沢東同志は、当代最も偉大なマルクス・レーニン主義者である。毛沢東思想は帝国主義の崩壊、社会主義の勝利に向けての時代、中国革命の具体的な実践、党と人民の一致奮闘において、マルクス・レーニン主義を応用した普遍的真理であり、マルクス・レーニン主義を発展的に応用したものである。毛沢東思想は中国人民革命と社会主義建設の指針であり、帝国主義に反対する強力な思想的武器であり、修正主義と教条主義に反対する強力な思想的武器でもある。毛沢東同志は我が軍の堅固な政治的方向を定めたのみならず、軍建設の唯一正確な路線をも規定した。我が党の指導思想、我が党の闘争経験、我が党の理論は毛沢東思想の中に終極されている。よって、毛沢東思想の偉大なる紅旗を永遠に高々と掲げ、毛沢東思想で全人民の頭脳を武装し、一切の工作において毛沢東思想を中心とすることが、我が軍の政治思想工作の最も根本的な任務である。我が軍全ての同志は真に毛沢東思想を学び取らなくてはならず、人間として毛主席の書を読み、毛主席の話を聞き、毛主席の指示に従い、毛主席の好き戦士とならなくてはならない。

 林彪同志はこう指示されている。毛沢東思想を真に学び取るためには、毛主席の多くの基本的観点を何度も学ばなくてはならず、重要な語句は暗記し、反復運用すること;並びに『解放軍報』紙上で実際と兼ね合わせた毛主席の語録を掲載し、幹部や戦士の学習に供している。数年来、部隊において毛主席の著作を学習活用した経験は、問題意識を持って毛主席の語録を学ぶことが、毛沢東思想を学ぶ良い方法であり、すぐに効果が現れることを証明している。基層幹部と戦士たち毛沢東思想学習をより良くできるように、『解放軍報』に掲載した語録に補充を加え、この『毛主席語録』を編集し、加えて少数精鋭の原則にのっとり、基層幹部及び戦士の需要水準にできるだけ適合させた。各部隊ごとの学習において、総合的な形勢、任務、部隊思想の情況、そして工作情況に応じて、内容を取捨選択して学ぶこともできる。この語録は1964年5月に出版されたものであるが、この度の再版では、少量の増減、及び部分的な調整を行っている。

 林彪同志の指示に従い、『毛沢東著作全集』及び『毛主席語録』を武器と同じように全軍の全ての戦士に支給した。全ての同志が真剣にこれを学び、全軍において一段と毛主席著作学習の新しき風潮を起こし、我が軍の革命家、及び現代化の建設のために奮闘して欲しい。

総政治部

1965年8月1日
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日本語訳

訳者不明 『毛主席語録』 (外文出版社 北京 1966年)
和田武司他訳 『毛沢東語録』 (河出書房新社 1966年)
社会主義研究所毛沢東語録研究会訳 『毛沢東語録』 (宮川書房 1966年)
竹内実訳 『毛沢東語録』 (角川文庫 1971年・平凡社ライブラリー 1995年)
中嶋嶺雄訳 『毛沢東語録』 (講談社文庫 1973年)
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