「ブッダにならう 苦しまない練習」小池龍之介/著 より抜粋
ブッダにならう 苦しまない練習/小池 龍之介

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★無条件の愛を求めるから苦しくなる
 先日もある精神科医の方と対談をしていて意見が一致したのが、人が求めているのは結局の所「無条件で自我を肯定される」ことではないかということでした。
 患者としてやってくる方達は、幼児がひたすら無条件に愛されようとするように「無条件の愛」を求めているようだと。
 この「無条件の愛」を叶えるため、キリスト教では「アガペー」という無条件の愛で救われる、という物語を作って満足を得ようとしました。
 物語ではない現実の世界では、他人に無条件に愛してもらえるということは滅多にないにもかかわらず、うっかりそれを望んでしまうと痛い目に遭います。
 例えば、いわゆるキャバクラやホストクラブでは、お金を払うから相手が優しくしてくれるのが前提のはずなのに、その現実を忘れてしまうことがあります。
 優しく接してくれる。話を聞いてくれる。褒めてくれる。それはお金を払っているから。そう分かった上で楽しむのではなく、本物の愛情を求めたくなってしまう。
 しかしながら、私達は誰だってそういう愛情中毒。だって、嬉しいでしょう。本物の愛情があるかのように優しくしてくれたら。 
 とりわけホストクラブで身の丈以上に貢いでしまう女性がいるのは、ホストが「愛情をあげる」という行為で相手の核心「コア」に迫っているからです。いかにも親切そうに相談に乗ってくれるとか、叱ってくれるとか、自分だけに本音をさらけ出してくれるとか、とにかく相手の心の内部にまで踏み込むことによって、自分に依存させてしまうのです。
 それによって、そこに「打算ではない愛情があるに違いない」と錯覚してしまうのかもしれませんけれども、それはすなわち大人になれていないということです。
 どんなに鈍い人でも、どこかで「自分に優しくしてくれるのはお金の為でしょ」ということを知っているのに、他方で無条件の愛を求めているがゆえに苦しむのです。
 無条件の愛を欲する欲望があまりに強いと、相手が自分のことをお金抜きで愛してくれたら良いのに、という欲望による妄想が強くなり、「お金の為でしょ」がだんだん見えなくなってきてしまいます。 
 そして、相手の行為が実際はお金の為だったということが改めて分かると、「愛してくれてたんじゃなかったの!?」と逆上したり、激しく落ち込むことになります。