私はテレビを持っていないし、実家や彼氏の家に行ってテレビがついていても、誰も見ていなければわざわざスイッチを切ってしまいます。私はあれをダラダラ見るという事ができなくて、見るなら真剣に「創作物」として鑑賞し、研究しますし、その気力が無い時はあの薄っぺらな箱には黙っていて欲しいのです。
「はるかぜちゃん」…春名風花さんは一度だけテレビで見たことがあったような気がしますが、確か、「早泣きが売りの子役に、意味不明な設定で泣いてもらう」というVTRでした。面白い才能を持った子がいるな、という認識でした。
その後しばらくしてから、彼女がTwitterで絶大な影響力を持っているらしいと知り、何度か彼女の発言をまとめたTogetterや、特集記事を読みました。
少し思った事を書きます。
まず、もはや何も信用ならない時代であるという事です。「はるかぜちゃん」のTwitterアカウントを春名さん本人が一人で運営しているという確証はどこにもありません。彼女が発言したとされているツイートの多くが、壮大なステマである可能性は決して低くないと考えられます。彼女のキャラクタはある種の商売人たちにとって非常に美味しいビジネスチャンス、金のなる木でしかありません。こんな金脈を放っておくほど、芸能の世界はのんきではありません。「はるかぜちゃん」のツイートが100%やらせであるという意見は極論に過ぎますが、逆に、あれらが100%春名さんの生の声だという盲信も、また、極論に過ぎると私は思います。
「はるかぜちゃん」のツイート(のまとめ)を読んでいて思うのは、話が上手くできすぎているという点です。どう考えても、読んでいて小気味よい。彼女の主張は、ブレが無いというよりは、当たり前の事を冷静に繰り返しているだけなのですが、なかなか一人の力でそれを継続するという事はできないものです。また、論理的でありながら、理屈にこだわらず時にはおどけてみせる。そのタイミングも絶妙です。落ち込む、傷付くといった「感情」の発露を重要視している事も特徴的で、しかし、自分の感情に振り回される事は決してない。全てが、うますぎる、その事を、私は不気味だと思います。「はるかぜちゃん」には、欠点が無いという欠点すら無いのです。
率直に言えば「はるかぜちゃんがこんな素晴らしいツイートをしている」という記事を読む事は非常に中毒性のある快楽です。そして私は、その快楽がどこで生産され、誰によって配信され、いかにしてコントロールされているか、非常に興味があります。私はパック詰めされた霜降り肉を見てその美味しさを評価する人間ではありません。その肉がどこでどうやって誰によって生産され、どのような経路を経て商品として店頭に並んだかを想像する人間です。その経路に携わった全ての人の普段の生活や、その経路に関わったおかげで得た利益を知りたいと思いますし、それを知る権利(または、知りたくなければ知らないでいる権利)が消費者にはあると考えています。
すでに「はるかぜちゃん」のツイートはエンターテインメントとして消費されています。どういう経緯で生まれたにせよ、もはや商品としてパッケージングされてしまっています。たとえ、春名さんがそんなつもりはなく本当に生の声を発信しているだけだとしても、です。「消費者」がいる以上、どこかに「売り手」がおり、誰かが「儲けて」いるという事は間違いの無い事なのです。
そして、その構図で美味い汁を吸っている者たちは、未来永劫に渡ってその儲けを確保しようと奔走します。
具体的に言えば、「はるかぜちゃん」が時代の変化とともに飽きられ、話題にされなくなり、その木になる金の果実の数が減り始めたら、「彼ら」はどんな汚い手を使ってでも最後の一滴まで搾り取ろうとし、自作自演もするでしょうし、ステマもします。春名さんの人権を踏みにじってでも、取れるだけのものを取りつくそうとするという事です。なぜなら、彼女にはそれだけの市場価値があるからです。
これは春名さんに限った事ではないし、また、子役に限った事でもないのですが、こうした「売れっ子」=金のなる木に群がる大人たちは、じつに醜く浅ましいです。大人はお金に目がくらむとどんな汚い事でもやります。そして、売り手も買い手も感覚が麻痺して、快楽をやりとりするという遊戯に明け暮れます。「はるかぜちゃん」を叩いている人も、心酔している人も、売っている側も買っている側も、本質的にやっている事は同じです。一人の何も持たない少女を芸能というヤクザの世界に放り込んで、もてあそび、その人生を滅茶苦茶にして、先のことなど何も責任は取らず、美味い汁を絞れるだけ搾り取って、枯れたら捨ててしまうのです。
はるかぜちゃんという「商品」が現在、どのフェーズにあるかは、想像するしかありません。現在も次から次へと金貨を吐き出している真っ最中かも知れませんし、そろそろ泉が枯れかけていて、周りの商売人たちが必死で最後の一滴を絞ろうとしているという段階かも知れません。いずれにしろ枯れない油田は無いわけで、その事を周りの商売人たちも知っていますから、早め早めに対策を打っているのは間違いありません。何が言いたいかというと、はるかぜちゃんというキャラクタ造形には既に周りの大人の手がかなり加えられているという事なのです。
春名さんだって人間です。ブチ切れる事だってあり得るし、自分で自分のキャラクタを壊すような発言をする事だってあり得るのです。本来なら。でも、「はるかぜちゃん」にそれは許されません。もし、「はるかぜちゃん」が切れる事があるとしたら、それは、周りの商売人たちが「その方が儲かる」と判断し、そのように取り計らった時だけでしょう。(おそらくそれは、「はるかぜちゃん」の売り方としては最後の手段、枯れた油田から最後の一滴を絞るための延命治療のようなフェーズと想像されますが。)
私はすでに古い時代の人間になりました。私が生まれた頃、Twitterは無かったし、そもそもインターネットは無かったのです。物心ついた時からパソコンがネットに繋がっていた世代の人たちと価値観を共有する事に、最近は多少の無理を感じています。いずれは時代とずれた事しか言えなくなって、「老害」と哂われるようになっていきます。ですがそのような世代の人間として、あえて言わせてもらうなら、春名さんという人格を本当に思いやるなら彼女からTwitterを取り上げるべきだと思うのです。なぜなら、今、春名さんにTwitterをやらせている大人たちは、金儲けのためにそうしているからです。欲に目がくらんで、金のなる木を揺すっているのです。
「はるかぜちゃん」のツイートを読むのは楽しいです。テレビを見るのと同じように、それは娯楽です。でも、私たちはテレビが娯楽に過ぎず、所詮は全てが作り事だという事を知っています。見たくない時は消します。それに、間接的にしろ何にしろお金を払って見ています。
Twitterだって同じではないのでしょうか。少なくとも私は、はるかぜちゃんのツイートを読みながら、真剣にそれを鑑賞し研究してしまうのです。そして、その裏に必ずあるはずの「お金の流れ」を想像して少し不安になります。それは私が生まれた頃には無かったエンターテインメントの形態であり、私には理解の及ばないものだからです。
……よく分からないけれど、せめて春名さんにTwitterをやらせるなら、ひとつツイートをするごとにギャラを払ってもいいんじゃないでしょうか?(このやり方は一番サイテーな資本主義的解決かも知れませんが)