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定   款
財務諸表

 
協 会 案 内
 

公益財団法人日本卓球協会のホームページ(H.P)に、ようこそ!


 ようこそ、日本卓球協会のホームページへ!会長の大林剛郎(おおばやしたけお)です。
この度、内閣総理大臣より公益財団法人としての認定を受け、本年4月1日を以て、「財団法人 日本卓球協会」は「公益財団法人 日本卓球協会」へと生まれ変わりましたことをここにご報告致します。
 日本を震撼させた未曾有の東日本大震災から一年余りが経ちました。この間、本会からの呼びかけに対して、多くの方々から、被災地に思いを寄せた様々なご支援を頂きましたことを、ここに深く感謝申し上げます。被災地では、これらのご支援に応えるべく、多くの卓球関係者が、自らが被災したにも拘わらず、卓球を通して選手、愛好家の方々らを元気付けるため、用具の手配、練習場探し、試合会場の確保等、“卓球プレイの場”を用意すべく奔走し、懸命な努力を続けてきておりますが、まだまだ困難な状況にあります。復興には時間がかかり、支援も必要とします。本会としては、引き続き“WASURENAI 3.11”の気持ちで、本会事業に支援活動を結び付けていくつもりでおります。
 さて、会長を仰せつかってから8年が経ち、この間、2009年に横浜で開催された世界選手権大会、また毎年開催される全日本選手権他多くの試合に携わってきたことで、卓球競技の面白さを以前にも増して感じています。
 また、卓球はオリンピックの競技種目としてだけではなく、若年者から高齢者に至るまで、幅広い愛好者に支えられ普及している誰もが楽しめるスポーツでもあります。私は、この卓球という素晴らしいスポーツを、「選手の育成」と「更なる普及拡大」という二つの面でリーダーシップがとれるようにしていくつもりです。
 平成21年度には日本卓球協会に登録した会員数は、登録制度が始まって以来30万人を超えました。私たちにはこれらの多くの会員の皆様はもとより、卓球を愛する皆様が必要とする情報を正確且つ迅速に伝える使命があります。これら多くの皆様方に対し、電話・FAXなどで直接意志疎通を図ることには限界がありますので、本会H.P.の活用によりパソコンを通じて手軽にどなたでも情報が得られるようにしております。
 本会のH.P.は他のスポーツ競技団体に先駆けて1996年に産声をあげました。以来16年もの間、幾度かH.P.の構成を変更してまいりました。これからも内容の見直しを行い、一層親しみやすく、本会の活動を誰にでも理解して頂けるよう、更に充実したH.P.運営を目指していきたいと思います。そして、この輝かしい伝統のある卓球ニッポンのリーダーとして、“誰にでも愛される日本卓球協会”を旗印に、皆様と共に歩んで参ります。
 皆さん、どうぞ仲間を誘ってH.P.をのぞきに来て下さい。より多くの皆様が、このH.P.に情報を求めてアクセスしてくれることこそ、私たちにとって最高の刺激剤となります。
 非常に限られたスタッフと予算ではありますが、皆様に親しまれ、価値ある情報を提供できるよう日夜努力して参ります。まだまだ不十分な点も多々あるかと思いますが、本ホームページを通じて、皆様の活動が広がり、更にお互いの交流が深まることへのお役に立てることを私共一同、願ってやみません。
平成24年4月1日
公益財団法人日本卓球協会 会長 大林 剛郎



Now and then

1.卓球ニッポンの黎明期・・・そして現在
各種事業・卓球愛好家拡大


●明治35年(1902年)
日本の卓球の歴史は、ヨーロッパの体育視察から帰国された東京高等師範学校教授の
坪井玄道氏が、ネット、ラケット、ボールなど持ち帰り、日本で用具の試作に成功したところ
から始まる。
●大正10年(1921年)
我が国最初の統轄卓球組織が創設、公式試合が行われるようになった。
●昭和6年(1931年)
現日本卓球協会(昭和12年改称)の前身「日本卓球会」が発足、全日本選手権をはじめ、
各種競技会が開催されるようになり、卓球の発展に拍車を掛けた。
●昭和21年(1946年)
戦後間もなく日本卓球協会の再建が行われ、その秋に復活第1回の全日本選手権を開催。
●昭和24年(1949年)
アメリカの強い後押しもあって、「国際卓球連盟」への再加盟を果たす。
●昭和26年(1951年)
企業の卓球の奨励のために「全日本実業団選手権大会」をスタートさせた。
この企業チームの発展は、昭和52年(1977年)日本のトップ選手を擁する日本リーグ(現在
の日本卓球リーグ実業団連盟)の発足に結びついた。
●昭和27年(1952年)
ボンベイで開催された「世界卓球選手権大会」に初出場し、
いきなり7種目中4種目に優勝という偉業を成し遂げ、世界を驚かせた。
●昭和47年(1972年)
旧アジア卓球連盟を脱退し、中国他協会と共に、新しく「アジア卓球連合」を創設。
●昭和51年(1976年)
創立45周年を機に財団法人化を達成。
●昭和52年(1977年)
競技歴、役員歴、指導歴を考慮した段級制を導入し、普及と活性化を図る(段級制:10級〜
1級、初段〜10段)。
その後は、時代の要請をいち早く読み取り、女性のためのレディース大会、愛好者のため
のクラブチーム大会やカデット(14歳以下)、ホープス(12歳以下)、カブ(10歳以下)、バンビ
(8歳以下)という年少者の大会、年齢別大会(最高齢種目は80歳以上の部)を順次導入。
また、初心者でも楽しめるラージボール(44mm直径)を導入し、特別なルールも採用した
全国大会を昭和63年(1988年)から引き続き実施している。
平成11年(1999年)からは、このラージボールで温泉と卓球を共に楽しんでもらう「温泉卓球
大会」をスタート。
●昭和61年(1986年)
他の競技団体に先駆けて、プロプレーヤーヘの道を開く、競技者規程を作成・施行。
平成12年(2000年)現在、30名を超えるレジスタード・プロプレーヤーが登録している。
●昭和62年(1987年)
卓球のイメージ調査を実施。卓球競技のプレゼンテーションを向上させるために、色彩・
デザイン豊かなユニフォーム、オレンジ色のボール、ブルーの卓球台、濃い赤色の卓球専
用フロアマットの採用等を実施。日本がイニシアチブを取るかたちで国際ルールも変更され
た。
●昭和63年(1988年)
ソウルオリンピックより卓球はオリンピック種目となる。シドニーオリンピックまでの4大会全て
に日本はフルエントリー。
(シドニーオリンピックの参加資格を得た48の国と地域のうち、ホスト国オーストラリア以外の
フルエントリーは、中華人民共和国・大韓民国と日本の3か国のみ。)
●平成12年(2000年)
肢体不自由者・知的障害者の卓球組織を支援するために夫々の組織を統括、新設された
「日本障害者卓球連盟」が加盟団体となった。
●平成15年(2003年)4月
日本ろうあ者卓球協会が加盟団体となった。
●平成17年(2005年)
国内での卓球実施状況調査を実施。月1回以上の卓球実施者は推計約300万人という結果
だった。
また、テレビ東京系列6局ネットにて世界選手権大会の放送が開始され、ゴールデンタイム
を含め大会期間中は連日放映され、現在まで毎年放映されている。
●平成20年(2008年)
「日本障害者卓球連盟」が脱退。改めて日本知的障害者卓球連盟と日本肢体不自由者卓
球協会が加盟団体となった。
●平成22年(2010年)3月現在、登録会員は初めて30万人を突破した。



Global

2.国際舞台への展開
世界に目を向けた活動 〜グローバル・コミュニケーション〜


 日本における卓球ボールは、当初日本独特の軟式ボールのみでしたが、
昭和9年(1934年)国際ルールを採用し、
昭和11年(1936年)には硬式ボールを採用。日本は国際交流への扉を開きました。
また、昭和13年(1938年)、世界のトップ、ハンガリーのサバドス・ケレン両選手を招聘し、各地で試合を行い、日本選手が大健闘。互角の実績を残しました。
昭和15年(1940年)、東亜大会、汎太平洋大会を開催し、日本勢が圧勝。
昭和24年(1949年)、「国際卓球連盟」に加盟してからは、苦しい台所事情でありながら、
常に世界での活躍を視野に入れた施策と活動を行っています。


Stages

3.卓球王国/ニッポンの活躍
世界の舞台での選手達
昭和27年(1952年)
日本は第19回世界選手権大会(ボンベイ)に初出場、7種目中4種目に優勝して、
世界を驚嘆させました。
昭和29年(1954年)以降は、
継続して世界選手権大会に参加し、多くのメダルを獲得すると共に、新しい技術・戦術を
示し、世界の卓球競技の発展へ大きく貢献しています。

●平成 8年(1996年)
アトランタオリンピック。4種目で3つの入賞(ベスト8)。
●平成 8年(1996年)
アジア卓球選手権大会
〈女子シングルス〉で小山ちれが金メダル。
〈男子タブルス〉で出場した2組が共に銅メダル(松下雄二/仲村綿治郎、
高志 亮/森本洋治)を獲得。
●平成 9年(1997年)
世界選手権〈男子タブルス〉で銅メダル(松下浩二/渋谷 浩)。
●平成10年(1998年)
アジア卓球選手権大阪大会で〈女子シングルス〉で小山ちれが、
〈女子タブルス〉で武田明子/川越真由ペアが銅メダル。
〈男子シングルス〉では偉関晴光がアトランタ金メダリストを破り銀メダルに輝いた。
●平成10年(1998年)
アジア競技大会卓球競技(バンコク)で〈男子団体〉で銅メダル。
〈混合タブルス〉で銅メダル(遊澤 亮/岡崎恵子)。
●平成12年(2000年)
世界選手権〈団体〉で男子チームが19年ぶりに3位銅メダル。
●平成13年(2001年)
世界選手権大阪大会で〈女子団体〉と、
〈女子タブルス〉の武田明子/川越真由ペアが銅メダルを獲得した。
●平成14年(2002年)
アジア競技大会(釜山)で〈女子団体〉3位。
●平成15年(2003年)
アジア選手権バンコク大会で女子団体3位、
〈女子タブルス〉で29年ぶりの銀メダル(小西 杏/福原 愛)、
〈混合タブルス〉で25年ぶりの決勝進出で銀メダル(鬼頭 明/小西 杏)。
●平成16年(2004年)3月
世界選手権〈団体・カタール ドーハ〉で〈女子団体〉が、中国に2対3と肉薄、
敗れたものの銅メダル獲得。
●平成18年(2006年)
世界選手権(団体・ドイツ ブレーメン)で女子団体が3大会連続となる銅メダルを獲得
●平成20年(2008年)
世界選手権(団体・中国 広州)で男女団体アベックで銅メダル獲得(男子は8年ぶり、
女子は4大会連続)
●平成21年(2009年)
世界選手権(個人・日本 横浜)で男子ダブルスの水谷隼・岸川聖也ペアが12年ぶり
となる銅メダル獲得
●平成22年(2010年)
世界選手権(団体・ロシア モスクワ)で2大会連続の〈男子団体〉〈女子団体〉アベック
で銅メダル獲得
●平成24年(2012年)
世界選手権(団体・ドルトムント ドイツ)で〈男子団体〉が、3大会連続の銅メダル獲得



To The World

4.世界をリードする日本
国際卓球連盟の会長として
 昭和62年(1987年)、荻村伊智朗氏が「国際卓球連盟」の第3代の会長に就任、外来スポーツで日本人が世界のスポーツ連盟の会長になったのは初めてのことです。
荻村氏は、平成6年(1994年)逝去されるまで、7年間会長として精力的に世界を巡り、特に卓球発展途上国の組織作りやトップ選手の派遣による技術向 上、卓球用具の支援等に尽力し、その果実として、今日、世界の卓球地図は技術向上を伴い大きな成長をとげております。
また、世界のトップ選手による競技機会を増加させ、ハイレベルの試合を世界の卓球愛好家やマスメディアに提供。政治では交流に困難さがある国(協会)間の 卓球交流を実現させる等、卓球を通じた世界の平和推進への大きな役割を果たしました。



World Peace

5.ラリーが結ぶ世界平和
世界の卓球発展・国際交流・平和に目を向けた活動


ビッグイベントの開催・実施
●世界卓球選手権大会
昭和31年(1956年)東京
昭和46年(1971年)名古屋市
昭和58年(1983年)東京
平成 3年(1991年)千葉市
平成13年(2001年)大阪市
平成21年(2009年)横浜市
●アジア卓球選手権大会
昭和49年(1974年)横浜市
昭和63年(1988年)新潟市
平成10年(1998年)大阪市
●世界ジュニア選手権大会
平成16年(2004年)神戸市
●アジア・アフリカ・ラテンアメリカ卓球友好招待大会
昭和55年(1980年)東京
●ワールドカツプ卓球大会
平成 2年(1990年)千葉市
●lOC会長杯国際卓球大会
平成 3年(1991年)松本市
●アジアジュニア卓球選手権大会
昭和61年(1986年)名古屋市
平成 6年(1994年)上越市
平成18年(2006年)北九州市
●アジアカップ
平成15年(2003年)北九州市(女子)
平成17年(2005年)北九州市(女子)
平成18年(2006年)神戸市
平成20年(2008年)札幌市
●ジャパンオープン国際卓球選手権大会
平成元年(1989年)鳥取市
平成 2年(1990年)東京
平成 3年(1991年)札幌市
平成 4年(1992年)富士市
平成 5年(1993年)岡山市
平成 6年(1994年)旭川市
平成 7年(1995年)沖縄市
平成 8年(1996年)福岡市
平成 9年(1997年)千葉市
平成10年(1998年)和歌山市
平成11年(1999年)神戸市
平成12年(2000年)神戸市
平成13年(2001年)神戸市
平成14年(2002年)神戸市
平成15年(2003年)神戸市
平成16年(2004年)神戸市
平成17年(2005年)横浜市
平成18年(2006年)横浜市
平成19年(2007年)千葉市
平成20年(2008年)横浜市
平成21年(2009年)和歌山市
平成22年(2010年)神戸市
平成23年(2010年)神戸市
●地球ユース卓球選手権大会
平成 5年(1993年)東京
平成 6年(1994年)東京
平成 7年(1995年)東京
平成 9年(1997年)千葉市
●世界ベテラン卓球選手権大会
平成16年(2004年)横浜市
●国際大会
昭和37年(1962年)以降毎年各種大会・交流を開催。
●コーチセミナーの開催
昭和50年(1975年)アジア(大津)、
昭和56年(1981年)アジア・アフリカ・ラテンアメリカ(東京)のコーチ
    セミナーを開催。
昭和58年(1983年)/昭和60年(1985年)中東地区(バーレーン、シリア)で
    セミナーを開催。
中国との交流
昭和36年(1961年)北京で「第26回世界卓球選手権」が開催されました。
大会後に中国数都市で交流試合が行われ、昭和37年(1962年)以降は、毎年交互に訪問しての日中交歓卓球大会が行われ、卓球技術の向上が図られると共 に、両国協会・選手間の交流が深まりました。
また、昭和47年(1972年)日中国交回復時には、日本の卓球OB選手団が特別招待されました。

米中交流の橋渡し“ピンポン外交”日中国交回復の流れに結びつく昭和46年(1971年)名古屋で開催された「世界卓球選手権」に、文化大革命後の中国 チームが、日本卓球協会後藤ナ二会長(当時)の努力で参加。大会期間中に中国がアメリカの選手団を、大会後中国へ招待することを決め、アメリカがそれを受 け入れたことで、“ビッグニュース”が名古屋から世界に発信されました。


ベトナム解放前のインドシナ各協会との交流
昭和49年(1974年)、横浜で開催したアジア卓球選手権に、日本と国交のない数協会が参加し、交流を行いました。
大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国の両卓球協会が、国際卓球連盟荻村会長の強い後押しもあって、統一チームを結成。
平成3年(1991年)千葉市で開催された「第41回世界卓球選手権」に、両協会はコリアとして1つのチームで参加し、卓球を通じた平和交流が実践されました。


パレスチナ、イスラエルの選手が握手
平成6年(1994年)20歳以下の選手による地球ユース卓球大会に両協会が参加し、共にプレーし、にこやかに握手を交わすことで、“平和”に貢献。


日本・大韓民国のレディースの試合と交流
毎年開催の全国レディースフェスティバル大会に、平成10年(1998年)より大韓民国のレディース数チームが参加、交流を深めています。


東アジアの子供達を招待した試合と交流
平成3年(1991年)より毎年、中華人民共和国、中国香港、チャイニーズ・タイペイ、大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国、中国マカオ、モンゴル等の 7〜8協会から12歳以下の選手を招き、東アジアホープス卓球大会を開催。
子供達にとっては、技術向上のステップとなり、また日本および参加協会との交流は「思い出の1ページ」になっています。



Future

6.共に未来へ
将来に向けた目標と活動 〜継続する想いと実践〜

●国際競争力に打ち勝つために、日本のトップ選手の競技力向上を実現する施策と
実践を継続。
(現時点の目標は、平成24年(2012年)ロンドンオリンピックでのメダル獲得)
●実績や成果を挙げ、卓球界や社会に好ましいインパクトを与えた選手が報酬を得る
環境を用意。
●子供達の向上・上達への意欲に応えるため、現在の大会を充実させ、強化や国際
交流の機会を増大していく。
●生涯スポーツ、健康つくりスポーツとしての卓球推進。
現在の諸大会を充実させ、高齢者を含む多くの卓球愛好家に精神的にも、肉体的にも
健康を維持してもらうと共に、環境、状況に合わせたイベントや新ルールも提供。
●地域の行政、企業、卓球愛好家が一体となった卓球クラブチーム設立への研究と支
援。
●卓球に理解の深い医師、スポーツ科学者とも連携し、リハビリテーションに結びつく、
身近な優しい卓球プレーを紹介する。
●身障者の卓球活動を支援。
加盟団体になった日本障害者卓球連盟・日本ろうあ者卓球協会と連携し、障害者問
の試合、健常者との交流プレーを各地に広げる。
●現在の登録会員30万人をさらに増加させる。
登録していない卓球愛好家は100万人近くいる。その5〜10%をまず会員にしたい。
●コンピューターを駆使した登録会員、卓球愛好家、加盟団体、協賛会社とのコミュニ
ケーションの充実。
●T∨による卓球試合の放映化機会の拡大を図る。
●リーターシップを発揮できるポジションヘの女性役員の登用機会の拡大を図る。
●卓球愛好家への専門情報や、楽しいプログラムの提供・充実を図る。



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