■中国との交流■
昭和36年(1961年)北京で「第26回世界卓球選手権」が開催されました。
大会後に中国数都市で交流試合が行われ、昭和37年(1962年)以降は、毎年交互に訪問しての日中交歓卓球大会が行われ、卓球技術の向上が図られると共
に、両国協会・選手間の交流が深まりました。
また、昭和47年(1972年)日中国交回復時には、日本の卓球OB選手団が特別招待されました。
米中交流の橋渡し“ピンポン外交”日中国交回復の流れに結びつく昭和46年(1971年)名古屋で開催された「世界卓球選手権」に、文化大革命後の中国
チームが、日本卓球協会後藤ナ二会長(当時)の努力で参加。大会期間中に中国がアメリカの選手団を、大会後中国へ招待することを決め、アメリカがそれを受
け入れたことで、“ビッグニュース”が名古屋から世界に発信されました。
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■ベトナム解放前のインドシナ各協会との交流■
昭和49年(1974年)、横浜で開催したアジア卓球選手権に、日本と国交のない数協会が参加し、交流を行いました。
大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国の両卓球協会が、国際卓球連盟荻村会長の強い後押しもあって、統一チームを結成。
平成3年(1991年)千葉市で開催された「第41回世界卓球選手権」に、両協会はコリアとして1つのチームで参加し、卓球を通じた平和交流が実践されました。
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■パレスチナ、イスラエルの選手が握手■
平成6年(1994年)20歳以下の選手による地球ユース卓球大会に両協会が参加し、共にプレーし、にこやかに握手を交わすことで、“平和”に貢献。
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■日本・大韓民国のレディースの試合と交流■
毎年開催の全国レディースフェスティバル大会に、平成10年(1998年)より大韓民国のレディース数チームが参加、交流を深めています。
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■東アジアの子供達を招待した試合と交流■
平成3年(1991年)より毎年、中華人民共和国、中国香港、チャイニーズ・タイペイ、大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国、中国マカオ、モンゴル等の
7〜8協会から12歳以下の選手を招き、東アジアホープス卓球大会を開催。
子供達にとっては、技術向上のステップとなり、また日本および参加協会との交流は「思い出の1ページ」になっています。
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