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2012-01-26

市バスの運転手は無能か?

「すぅっと出てぴたっと止まる。いや、たいしたもんじゃ」
 施設の宿直をしているご老人がそう言った。
 なんの話かというと、久し振りに乗ったという大型バスの運転についてである。
 そのご老人はかつてタクシードライバーであったり、自動車教習所の教官だったりしたいわば“運転のプロ”とでも言える方で、そこいらに関してはまったくのど素人である僕としては「へえ、そんなもんなのか」と思う程度であったが、よくよく考えてみたらこれは大事なことかもしれない。

 僕もバスにはめったに乗らないのだけど、慣れないせいか立ち乗りでブレーキをかけられたりすると簡単につんのめってしまう。足腰の弱い高齢者などにとっては大怪我に繋がりかねない。
 そう言えば先日の上京の際にはタクシーに乗ることがあって、このドライバーが愛想は悪いわ道を知らないわこちらの説明を理解しないわでえらい目にあった。
 車なんて免許を持ってれば誰でも運転出来る、くらいに思うのは、間違ってはいないけど本質をとらえているとも言いがたい。


 そこで頭に浮かぶのが橋下大阪知事の改革による大阪市バス運転手の退職の話題である。ネット上の反応を見ているとこの件に関して「無能はクビにしろ」だの「誰にでも出来る」といった意味の書き込みが散見されるが、個人的にはそれは違うんじゃないかと思うのだ。
 もちろん平均800万という年収は高すぎるし、雇用者の数が多すぎることもおかしいとは思う。が、それは賃金体系や雇用方法の問題であって、どこをどうやったら「バスの運転手は無能で誰にでも出来る仕事」だという認識につながるのかもうひとつ分からない。

 こういったおかしな論理のすり替えは、どうも小泉改革の頃に始まったように感じている。
 小泉にしろ橋下にしろ、国民市民の不満を煽ることで自らの掲げる“改革”を断行してきたが、その中身はと言えば人材の切り捨てと使い捨てである。
 人間を“捨てる”にはそれなりの大義名分が必要なのでとりあえず「こいつら無能だから捨てちゃえ」ということにしておきたかったのだろう。最近はめっきり見なくなったテレビだけど、当時はそういった風潮で郵政や行政を報じる番組をいくらも見かけた。

 それで世の中が良くなるのなら止むを得んなとも思うのだけど、ちっとも良くなった気はしないし、今度の橋下改革で良くなるのかどうかも分からない。
 ただ間違いなく分かるのは、経験豊富な熟練ドライバーが一挙に失われるということだけだ。これは太平洋戦争における日本軍の敗戦によく似ていると思う。
 国土も資源も乏しい日本にとって国力とはすなわち人材であり、人材とはすなわち経験であると言っていいだろう。いくらかの人たちが言うように彼らが仮に無能だとしても、その知識経験は侮れないのだ。
 事実、戦闘によって多くの熟練パイロットを失った我が国の軍が、どのような末路をたどったかは言うまでもないだろう。

 僕は公務員給与は民間のレベルに追いつかせる形で上がってきたものなのだから、今度は民間にあわせて減らせばいいと思っているくちだ。それに伴って起きるであろう消極的なリストラもやむをえないと思う。
 ただ、賃金や待遇に関する不満と個人の能力の評価とを混同すると、目も当てられない状況になるだろうと懸念している。
 今度そのあたり気にしながらバスに乗ってみようか。彼らが無能かどうかは、そうでもしなければ分からない。

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