《騎士》

§1  騎士道(中世の騎士と叙事詩

騎士とは本来「騎馬」に乗って戦う戦士の意味であったが、中世以降貴族階級の一種として定着していった。その「騎士」にはいろいろな伝説や「騎士道」たる規範がある。ここではその辺りを、順を追って考えていこうと思います。

 騎士として求められるもの、理想的な騎士像とはなんだろうか?実際に伝えられている「騎士道」たるものを全うした騎士はどれほどいたか?という疑問や反論は後述として、この章では理想の騎士像を文献に従い書いてみたいと思う。

 【騎士道十戒】なるものが、1世紀ほど前にフランスの歴史学者レオン・ゴーティエにより発表されている。彼は騎士をキリスト教の戦士として、戒律を、正義を守るべく「戒」を持っていたものとしている。考えるに、日本の武士が儒教的な考え方を持っていたのと同じような背景であったと推測する。

【騎士道十戒】

  1. 不動の信仰と教会の教えへの服従。 
  2. 教会擁護の気構え。
  3. 弱者への敬意と憐れみ、弱者を擁護する確固たる気構え。
  4. 愛国心。
  5. 敵前からの退却の拒否。
  6. 封主に対する厳格な服従。ただし神に対する義務に反しない限り。
  7. 異教徒に対する休み無き、慈悲無き戦い。
  8. 真実と誓いに忠実であること。
  9. 惜しみなく与えること。
  10. 悪の力に対抗して、何時いかなる時も、どんな場所でも正義を守ること。

 これらのことは実際に行われてきた騎士の行動によって示されているが、特に5、などはよく小説やマンガなどで「騎士は退かぬぅぅぅ!」などと揶揄されているが、一部の敬虔な騎士達間では無私な「戒」が実行されていた。敵前から退却せずに無駄死にすることもあったという。また、7、の異教徒に対する行為も十字軍の行動をみれば納得がいくでしょう。

 権威、名誉によって決められる、無私な行動こそが騎士道の根底であり、戦士としての権威のために勇敢で無くてはならず、その為「退却」「撤退」という行動は理念に反していた。また、戦士の権威=強さを表すために自らをアピールする必要があった。
 「ドイツ騎士団Krazyzacy」(シェンキェヴィチ著)の主人公ズブィシェクも素手で木の汁を搾ることが出来る、怪力の持ち主として伝えられている。アーサー王での突き刺さった剣を抜く話は有名だ。

 身分と名誉。日本での剣士と武士(もののふ)と違う様に、騎士は戦士としての部分だけでなく、貴族としての一面を兼ね備えていなければならなかった。当然、生まれもよくなければならなかったが、一部例外として戦功を立てることにより、騎士に抜擢される者もいた。しかし騎士には貴族の一員としての「貴族らしい」行動を求められ、外見的にも美しくなければならなかった。実際に外見が醜いことから騎士になれなかった者もいた。後期になると当然「身分(=貴族)としての騎士」が定着し、騎士道は敗退していったが、その後「紳士」という言葉に代わり後世に伝わることとなる。

 馬上トーナメントや決闘などにより、第一人者の地位をめぐり常に争っていた騎士ではあるが。騎士同士での「同じエリート」としての身分意識があった。アーサー王と円卓の騎士が同じテーブルにつくのも彼らの意識が「平等」と判断していたから。そして敵同士であってもこの原則は同じで、捕虜に対する扱いも相手が騎士階級の者なら、それ相当な対応をしている。
 敵の立派な騎士を殺したことを自慢した兵士(騎士ではない)を、指揮官である貴族が処刑したという話もあるくらいだ。

 こと名誉に関して言えば、戦争で勝つことよりも「立派に戦うこと」がより大切とされていた。このことは、相手の背後から不意打ちをしないこと〜「ドイツ騎士団」のマチコは「もし、戦闘で敵を背後から攻撃するような状況になったときに、敵に声をかけて正面を向かせることをしなかっらそれこそ恥だろう」と言っている〜そして、武器を落とした者には拾わせてから、落馬した騎士に対しては自分も馬から降りて戦うなど、相手の弱みに突けこむことも「不名誉」な行動とされていた。
 このことは現在にも「紳士的」という形で伝わっており、アメリカのガンマン映画を見ると顕著に表れている事がわかる。背後から撃つ者は「卑怯者」という考えである。

 一騎打ちは騎士の名誉と名声を高めるために絶大な効果があった。一騎打ちの間、他の騎士たちは戦闘に干渉することは許されなかった。また、一騎打ちの中止は本人達にしか出来なかったのである。そして勝利を収めた騎士は「丸1日その戦場に留まる義務」があったとされている。これは、戦場の支配者が自分であるという誇示と、負けて死んだ騎士の血縁者や親友の挑戦をうける用意があることを示している。

 これらの慣習や規範を教会や王族はいろいろな形で具体的に定めていった。
1020年にシャトルの司教フュルベールは主君に対する騎士の義務として

  1. 主君の身を守る義務
  2. 主君の財産を守る義務
  3. 主君の名誉を守る義務
  4. 主君の自由と行動を守る義務
  5. 主君の利益を守る義務
  6. 主君に助言によって助ける義務

 を揚げている。また、12Cから13Cに作られた「封建法consuetudines feudorum」には「騎士の誓約違反」を例示している。戦場で主君を見捨てたり、主君の妻や娘に不貞を働いたり、主君の秘密を漏らすことなどである。もっとも、叙事詩に出てくる騎士は「不貞」という観点において必ずと言っていいほど違反している。また民衆も容認しているところがあったようだ。

 主君に対する忠誠は絶大なものだったが、同時に2人の主君を持ったために、その2人の主君が争いを起こしたときに、自分の部下の兵士達を半分に分けて両方の陣営に参加させたという事象もあったという。

 騎士道の中に「女性庇護」ひいては「女性崇拝」の考え方があるが、この点は武士道との大きな相違点である。武士社会では女性蔑視の考え方が強かったからであるが、ヨーロッパの騎士にしても「平等」という感覚ではなく、当然女性の立場は弱かった。「弱者」を守るというキリスト教思想からきている物だったと推測される。(しかし、レディーファースト(お先にどうぞ)という考え方は、騎士が城内において他の部屋に入る時に、暗殺者などに不意を突かれない様に、女性を先に行かせる知恵だったとも言われている。)
 騎士がある女性の為に命を賭けることは美しいこととされていた。また、いちど貴婦人に愛を誓った騎士は他の女性からの全ての愛を拒絶しなければならなかった。騎士たちの愛の物語は吟遊詩人によって各地域に語り継がれるものとなり、当然「美化」されていった。また、吟遊詩人とはRPGなどのゲームでよく出てくる職業だが、遍歴騎士がほとんどであったといわれる。領地をもたず、騎士団にも属さずに名声を求めて旅をする騎士(大抵は浪人だったが)である。

 結局、騎士は主君や貴婦人を守るために無私の精神で名誉を守り、戦う(実際の戦闘や行動)ことが誇りとされてきたことがわかる。それは、騎士という貴族階級を生み、独自の社会を形成していたことがわかる。

 ここまで読まれてきて気がついていると思うが、実際の騎士は上記の様に「騎士道」を全うしていたわけではないのです。大半の特に後期の騎士になるほど、不貞で不埒で無秩序な行動をしていたのです。そのへんは別の章(何時書くのって聞かないで)で・・・ここでは、最後に騎士道を後世に伝えた物語を紹介してまとめます。

《アーサー王物語》 またはアーサー王と円卓の騎士 (Arthurian Legends)

12C頃作られたもので、ケルト英王アーサーと円卓の騎士の武勇や恋愛の物語。よく、アーサー王が実在かどうかが問題となるが、定説では王ではなかったが高名な将軍であったとされている。また、ネンニウスの「ブルトン史」に拠ればアングロシウス=アウレリアヌスといわれている。アーサー王の妻と不貞の関係をもつランスロット卿は、初期段階では登場せず、フランス人によって後から付け加えられたとされている。

《ローランの歌》Chanson De Roland

11〜12世紀に作られたフランス最古の武勲詩です。778年のシャルルマーニュ(カール大帝)のスペイン(ムーア人征伐)遠征中にピレネー山脈で起きた小さな戦いのことを取り上げた作品。シャルルマーニュの甥のローラン(モデルがいたらしい)を取り巻く、異教徒との戦いにおいての裏切り、名誉、騎士的行動をシャルルマーニュの偉業や十字軍的なキリスト教の勝利をたたえる話として伝えられた。日本でいう「平家物語」のような物で琵琶法師ならぬ吟遊詩人達によって語り継がれたものである。

《ニーベルングの歌》 Nibelugelied

13世紀に完成したドイツの叙事詩。ニーベルングの財宝を奪った英雄ジークフリートを発端とした恋愛劇や復讐劇の数々が収められている。神話的な色が濃い作品。史実としてブルグント王国の滅亡、アッティラ王の死、メロヴィング王朝の内乱等を題材としている。