仲間たちの流派 (1)
まずは、これから学ばれる方々のために「鎌倉の居合道の仲間達」のルーツを辿ることとしよう。
武芸十八般と流派の発生
「武道に卑怯はない」 と教えられた。戦場は、工夫を凝らし、あらゆる技を使う総合武術の場なのだ。武芸十八般は、そうした総合武術を細分化したものだが、「水滸伝」以来、時代等によりさまざまに変化してきた。
1.剣術、2.居合術(抜刀術)、3.据物斬、4.馬術、5.槍術、6.薙刀術、7.棒術、8.柔術、9.弓術、10.十手術、11.捕手術、12.水泳術、13.短刀術、14.鎖鎌術、15.忍術、16.手裏剣術、17.砲術、18.含針術
古代には銅製武器の流派と鉄製の流派の戦いがあったろう。また平安期の鬼一法眼を祖とする京八流や坂東の七流などがあった。
(中国を統一した秦は鋳造銅器を他にない鋭利なハイテク武器に仕上げたことでも有名)
しかし、武術の流派が現在に影響を持つほど体系を整え分化して行くのは室町期とされている。各流派は様々な武芸を同時に修め、特に剣術の各流派は当初はともかく居合を一緒に学ぶことが多かった。その剣術を現在からさかのぼると以下の三流に辿りつくといわれる。
(1) 香取神道流 (天真正伝新当流) 〜 飯篠長威斎家直(1488年102才歿)、塚原ト伝、
(2) 陰流 〜 愛洲移香斎 (あいす いこうさい、1538年歿)、(新陰流等へ展開)
(3) 念流 〜 念阿弥慈音 (相馬忠重、1351年生まれ、没年不詳)、(中条流から一刀流等へ展開)
江戸期に入り徳川家の剣術指南となったのが柳生新陰流と小野派一刀流で、おおいに地位を高めた。
その後も、続々と剣客が登場し流派が生まれ、幕末・維新時には700流、武芸十八般で1000流を超えると云われた。中でも注目すべきは直心影流の長沼四郎左衛門国郷(明和4年歿)が防具を工夫したこと。更に、中西派一刀流では中西忠蔵が宝暦年間に竹刀剣道を積極的に導入した。それまでの形稽古はすでに形骸化の弊害が見られたが、安全性が増した打ち込み稽古は修行者の人気を集め、更に他流へと広がっていった。幕末にかけて江戸では下記のような大道場が多くの門弟を集め維新後も大きな役割を果たした。
| 北辰一刀流 | 神道無念流 | 鏡新明智流 | 心形刀流 (しんぎょうとうりゅう) |
直心影流 | 中西派一刀流 |
| 千葉周作 | 斎藤弥九郎 | 桃井春蔵直正 | 伊庭軍兵衛 | 男谷清一郎 | 中西忠蔵子武 |
| 1855年(62) | 1871年(74) | 1885年(60) | 1848年(48) | 1864年(67) | |
| 神田 お玉が池 玄武館 |
飯田町俎板橋 麹町練兵館 |
京橋 浅蜊河岸 士学館 |
下谷 御徒町道場 |
麻布狸穴 本所道場 |
防具と 竹刀稽古で 門人を集める |
| 清河八郎 藤堂平助 坂本龍馬 山岡鉄舟 伊藤甲子太郎 内藤高治 門奈正 水戸・小沢武 小澤喜代子 |
芹沢鴨 永倉新八 桂小五郎 高杉晋作 品川弥二郎 渡辺昇 根岸信五郎 中山博道 中山善道 佐伯宗一郎 |
武市半平太 岡田以蔵 梶川義正 上田馬之助 阪部大作 逸見宗助 |
松浦静山 坪内主馬 中條金之助 三橋虎蔵 湊信八郎 辻真平 |
島田虎之助 勝海舟義邦 榊原健吉 野見てい次郎 山田次郎吉 得能関四郎 阿部守衛 左山捨吉 |
寺田五右衛門 高柳又四郎 白井亨 浅利又七郎 (千葉周作) 高野佐三郎 高野弘正 高野友枝 |
さすがに現在では流派の数も減ったようで、武芸十八般で500ともいう。道統を継ぐ継承者が居られて積極的に活動している流派は、その数分の一であろうか。