2013年の民主主義(上)ミドルクラスの「報われない」という感覚
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――多くの国で重要な選挙が行なわれた2012年。中道左派的なものがかろうじて踏みとどまった米仏に対して、日本では中道左派が壊滅し、しばらくは「右」中心の政治が続く状況が出現した。審判は下った。しかし、人々の民意は選挙によって汲み取られたのだろうか。また、もし、それがなされていないとすれば、民主主義を実現するための別の方策はあるのか。新たな年の政治の行方を、政治学と文化人類学の視点から、2人の論客が占う。
宇野重規 2012年には世界の主要な国で選挙があって、リーダーが交代しました。世界的に見ると、右派・保守が勢力を伸ばし、中道左派が苦境にあるというのが基本的趨勢ですが、それでも5月のフランス大統領選では社会党のオランドが勝ち、11月の米大統領選でも苦戦の末に民主党のオバマが再選された。そういう意味で、2012年は中道左派的なものが、首の皮一枚でかろうじて踏みとどまる、そういう1年になるのかと思っていました。
ところが日本では、中道左派が踏みとどまるどころか、壊滅的に後退してしまった。今回の選挙で民主党が政権を失うことは分かっていましたが、議席が50台まで落ちるとは思わなかったし、自民党がここまで圧勝するとも思わなかった。
自民党が勝利して民主党が敗北したというだけではなくて、日本維新の会は、事前に言われたほどではないにしろ躍進し、みんなの党も議席を増やした。一方、日本未来の党は惨敗で、社民党はほとんど存亡の危機。共産党もそれなりに維持したが趨勢としてはよくない。民主党内でも中道左派系の議員は壊滅的な状態です。
そうするとこれからは「右」中心の時代になるわけで、しかもそれがしばらく続く可能性が高い。それはいったいどういう時代になるのだろうというのが今の関心です。
ミドルクラスの苦境とナショナリズム
渡辺靖(わたなべ・やすし)慶應義塾大学SFC教授。1967年生れ。専門は文化人類学、文化政策論、アメリカ研究。著書に『アフター・アメリカ―ボストニアンの軌跡と〈文化の政治学〉』(慶應義塾大学出版会、サントリー学芸賞)、『アメリカン・コミュニティ』(新潮社)、『文化と外交』(中公新書)などがある。(以下、写真はすべて新潮社)
渡辺靖 韓国では保守派のセヌリ党の朴槿恵(パク・クネ)が勝利し、中国でも保守派や軍を主な支持基盤とする習近平が共産党総書記に就任しました。金正日の後継者となった北朝鮮の金正恩第1書記はミサイル発射実験を強行しました。中道左派が辛うじて踏みとどまった米仏とは異なる政治環境が出現したのが2012年の北東アジアでした。
また、この1年に限らず、近年世界各地でデモが相次いでいます。その背景には、いわゆる「ミドルクラスの苦境」があります。グローバル競争が進むなか、多くの国が構造改革を余儀なくされ、雇用や社会保障の不安が広がっている。人々のなかに「報われない」という感覚があります。そうした現状に対する異議申し立てとしてデモが起きている。
具体的には、国内では、税金を上げるか否か、また年金や医療を削るか否かという問題について、いま宇野さんがおっしゃったような左派的な政策、いわゆる社会民主主義的な考え方でいくのか、それとも右派的な新自由主義でいくのかということをめぐって多くの国が揉めた。
一方、グローバル競争の進展によって、対外的にはエネルギーや領土問題に関して比較的タカ派というか、ナショナリズムが強まったというのがこの1年だったという気がします。グローバル化というのは不可避の流れなので、この傾向はしばらく続くのではないでしょうか。つまり対外的にはタカ派的な傾向、国内においてはガバナンスをめぐる混沌。これは欧米や北東アジアのみならず、多くの国で基本的に一緒だと思います。
宇野重規(うの・しげき)東京大学教授。1967年生れ。専攻は政治思想史、政治哲学。著書に『トクヴィル 平等と不平等の理論家』(講談社、サントリー学芸賞)、『〈私〉時代のデモクラシー』(岩波新書)などがある。
宇野 私もミドルクラスの苦境が、政治的に分離した方向へ向かっている印象を受けます。一方では、下層に落ちる恐怖から、社会保障の拡大や格差の是正を求めて、国家の役割を期待する。他方では「納税者の論理」が強まる。つまり自分たちが何とか踏みとどまっているのに、税金をとられて他のところに使われてしまうことに不満を持ち、小さな政府を志向する。同じ悩みから来ているのに、矛盾した方向へ向かっているんですね。
民主党はじつはこの両方のグループの論理を抱え込んでいた。都市型政党としてスタートしたときは「納税者の論理」が強かったが、その後、格差是正や平等も志向するようになった。この分裂が日本型の中道左派を目指した民主党を股裂きにしてしまったという面があります。
ただこの2つの方向とも、結局「解」は見つかっていません。大きな政府になるには財源がないし、この苦しい状況を自己責任で、というのも厳しい。この2つしか選択肢がないとなると、慰めになるものが何もなくて、そういうときに一番魅力的なのがタカ派的な発想、ある種のナショナリズムなのではないでしょうか。それはかつての保守主義がもっていたようなタカ派志向、つまりリアリズムに基づいて国益の最大化を狙い、二枚腰、三枚腰の外交戦略を展開するというようなものではなくて、むしろ現状に対する不満を外国にぶつけるだけ。不満の捌け口としてのナショナリズムで、じつは外国を見ていないんですね。安倍晋三さんは、そういう「なんちゃってナショナリズム」に押し上げられたところがあると思います。
自民党はまだ宿題を果たしていない
渡辺 グローバル競争の荒波に晒されるなか、1つの国が取り得る選択肢はもともと多くありません。加えて選挙では、原則、真ん中を取りに行かねばならないので、スローガンはともかく、実際の政策の幅はさらに狭まります。アメリカでも民主党と共和党には「コークとペプシの差しかない」と言われることがあります。そうしたなかで差異化を図る道具として文化や価値をめぐる問題、たとえば人工妊娠中絶や同性婚の是非などが争点としてクローズアップされがちです。今回の衆院選では、ミサイルや領土をめぐる抜き差しならぬ状況が現存したこともあり、ナショナリズムを利用しやすい環境にあったと思います。
ただ、不可解なのは党としての原理原則です。「納税者の論理」を重視するのが保守ならば、本来、より小さな政府へ向かうはずです。しかし保守政治家を自任しているはずの安倍さんは「国土強靭化」を打ち出し、公共事業をやる、大型補正予算を通すという話をしますね。これはアメリカだとありえない。自己統治や自己責任を重んじるのが保守の論理ですから。日本の政治を見ていると、ある種の原理原則があって、そこから政策が導き出されるわけではないのですね。そうすると「保守」と「リベラル」というのが日本において何を意味するのかわからなくなってきます。
宇野 それは自民党が2009年に下野して以降の宿題をいまだに果たしてないことが大きいですね。本当は21世紀に入って、保守の再編成をしなくてはいけなかった。小泉純一郎内閣時代には民営化を軸に国際的競争力のある企業を育てるという方向を打ち出しました。これは民間を強化し、政府の役割を小さくするという新自由主義的な志向で、そのままいけば一貫したはずですが、安倍さんが首相になったときに、思想的ナショナリズム、「美しい国」に象徴されるような保守思想を前面に出した。保守思想と新自由主義的な経済政策の整合性をどう取るかという課題に、自民党はまだ答えを出せていない。
安倍さんは公共事業に前のめりですが、自民党がこれまで行なってきた公共事業を中心とした利益配分政治というのは実際にはもうできないし、早晩行き詰まるのはわかっている。ただ行き詰まった後に新自由主義を掲げても説得力はないですし、そういう意味で、みんなの党や維新など新自由主義を掲げる勢力が第3極という名の下に生き残る必然性があるんです。主張をより純化して明確な論理を主張する勢力が強くなりますから。今後、新自由主義的な勢力が裏から表から自民党に圧力をかけていき、それが保守政治を規定していくことになると思います。
純正保守を求める勢力
渡辺 少なくとも安倍さんに関しては、文化や価値の面では保守。対外的にはタカ派。つまり社会保守であり安保保守であることは明確ですが、経済に関してはリベラル色が強い。ただ、自民党全体となると混沌としていますし、民主党は混沌というか混乱しているようにさえ見受けられます。民主党にはもっと明確にリベラル、つまり中道左派政党であって欲しいと思います。政治的な多元性を担保するためにも、そうした存在は不可欠です。
みんなの党や維新などのように、純正保守を求める勢力が着実に力を増している点はアメリカでも同じです。今回の大統領選でも共和党では「誰が本物の保守か」という議論をやっていた。それで党全体がかなり右に引っ張られ本選で苦戦した面がある。その一方、アメリカでもかつてのような左派はかなり先細りましたね。オバマはビル・クリントン同様、中道派、せいぜい中道左派ですし、彼自身、「20年前だったら自分は穏健派の共和党員と見られていたかもしれない」と述べています。グローバル競争のなか、かつての福祉国家的な左派は政治アリーナそのものから退場の危機に瀕しています。その結果、社会全体は右に寄っていきます。
宇野さんは、日本政治がますます右に寄っていくと思いますか。それとも日本政治にはそもそも原理原則がないし、その場その場で判断していくから、イデオロギーで引っ張られて右にいくということはないとお考えですか。
宇野 そうですねえ。今回の選挙で、小選挙区制は怖いとみんなが言っていますよね。小泉さんの郵政選挙のときも、民主党の政権交代のときも、毎回ものすごいスイングが起きてしまう。私はそれも問題だと思うんですが、それ以上に問題なのは、これがもう1回、左に戻る可能性があるのかということ。
趨勢から見ると、中道左派的なものが衰退していく傾向が続いていて、しかも今回それがかなり決定的になってしまったのではないかという気がします。下手をすると、今後は穏健な保守と極端な保守の間で振幅が起きる。あるいは新自由主義的な小さな政府志向と、公共事業路線での振幅が起きる。そういう可能性もあるのかなと思っています。とはいえ、ナショナリズムか財政支出か小さな政府かという3択になってしまったら、やっぱりこぼれ落ちてしまうものがある。今の市民の生活の不安はどこへ持っていったらいいのか。
社会の一員として、社会で支え合う連帯の意識のようなものを模索している人たちはいるので、そういう人々の受け皿として、政治の場所としては残る。ただ政府の財政支出をあてにした大きな政府というモデルでは、中道左派的なものを復活させるのはなかなか難しい。そうすると、国家に頼らない形で、社会的再配分、社会的連帯の道をつけるようなモデルをつくらないといけないと思います。
争点なき選挙戦
渡辺 いわゆる「選挙の風」が吹いて一時的に左旋回するかもしれないが、大きなトレンドとしては保守が政治的潮流を成していく公算が強い。その潮流のなかでいかにセーフティネットを構築してゆけるかが問われる、というわけですね。今回の選挙を振り返ると、民自公の合意ができていて消費税は大きな争点にならなかった。それ以外にはTPP(環太平洋経済連携協定)、原発、憲法改正+集団的自衛権という感じでしょうか。ミドルクラスの苦境という現実はあるのに、セーフティネットの話は盛り上がらなかったですね。投票率が低かった一因はこのあたりにもあるかもしれません。政権交代がかかった大きな選挙なのに、多くの有権者にとっては何となくリアリティを感じにくいというか……。
宇野 民主党は「国民の生活が第一」を掲げて政権交代しましたが、鳩山由紀夫さんは外交で躓き、菅直人さんは震災対応に追われ、野田佳彦首相ができたのは消費税の増税だけ。本来は消費増税する代わりに、新しい社会保障の仕組みを示さなければいけなかった。しかし消費税の増税だけ決めて、国民会議に丸投げしてしまった。一番肝心な部分が抜け落ちてしまいました。
そして持ち出したのがTPP。重要な問題ではあるけれど、中道的なものと保守的なものの路線対立になるにはちょっと微妙な問題だったし、自民党もこれに対して曖昧な態度をとった。原発に関しても、3.11後の最初の大きな国政選挙ですから、今後の見通しと方針を国民に対してはもちろん世界に対して示すことは責務だったはず。それなのに自民は議論を先送りし、民主の方も原発ゼロといいながら、どうも腰が定まらなかった。結局、肝心な争点をすべて外して議論し、かつそれがかみ合わなかった。政策的な争点で選びようがない選挙でしたね。その結果、民主党への怒りだけが示された。
中道左派は復活できるのか
渡辺 何が決まったのかがよくわからない選挙でしたね。たとえば、TPPのお話がありましたが、自民党の政権公約は「聖域なき関税撤廃を前提にする限り交渉参加に反対」と玉虫色でした。その一方で「日米同盟の強化」は安倍さんの至上課題の1つです。この両者の連立方程式をどう解くのか。7月の参院選までに交渉参加が表明できないと10月のアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議で合意した通商ルールをそのまま容認することになりかねません。それまでに党内の意見集約ができるか。TPP交渉参加でオバマ大統領の期待に応えられなければ「安倍外交」は最初から躓きかねません。加えて、金融緩和と経済対策による景気浮揚効果が出なければ「逆風」が吹きかねない。
そもそも、振り子が大きく振れる小選挙区制のせいで自民党が圧勝したが、比例での得票率を見れば、自民党も確実な支持を得たわけではありません。そういう意味ではまた数年後に大きく振れる可能性はないのでしょうか。今は消えてしまったように見える中道左派がまた生まれる可能性というのは。
宇野 中道左派が立ち直るには、先ほど言ったような、社会的再分配の原資をどうやって生み出すかについて、一定の見通しを示す必要があると思います。そうしないと本当の意味での復活は難しい。ただ思想的な整合性のない政策パッケージをつくったのは保守・右派も同じなので、そういう意味では相対的な問題で、政権が戻ってくる可能性はある。
ただその最低限の条件として、民主党が中道左派とまでは言えなくても、中道政党を目指していることをきちんと打ち出す必要があると思います。前執行部は保守志向が強く、今回自民党がここまで勝たなければ連立に加わってもいいというようなところがあった。それだと中道左派の部分がすっぽり抜け落ちてしまう。民主党にばかり期待するわけではありませんが、現在の日本の政治システムでは政党を1からつくるのは難しいので、民主党がこの3年間をどう総括し、立て直していくかということは重要だと思います。
「政治の制度」と「政治の規範」
渡辺 以前、宇野先生があるところで述べていらっしゃいましたが、民主主義には「制度」と「規範」の両方が必要で、制度だけをいじっても、それを支える「心の習慣」がなければならないと。そうすると中道左派的なものをもう1回復元する、あるいは政治の基本的なあり方を問い直すとなった場合、小選挙区制をどうするかといった制度面での課題と、政治家と有権者の心構え、それを伝えるメディアの心構えをどう高めてゆくかといった規範面での課題の両方が大切になってきますね。
宇野 今は難しい岐路に立っていると思います。今回は10以上の政党が乱立したわけですが、小選挙区制では政党は2つか多くても3つになると、これまで政治学者は言ってきた(笑)。それなのにどういうことかとよく聞かれるのですが、それでも政治学者は、これは過渡期の混乱で、いずれ政党数は収斂されるという人が多いですね。
渡辺 いつでも過渡期なんですよね(笑)。
宇野 いつでも過渡期で変革期(笑)。ただその前提のもとに話を進めると、小選挙区制では政党が2つか3つに収斂する。結果として、そのなかにいろんな意見の人が入ってくるわけですね。そうすると、そのいろんな意見・立場の人たちがどうやって議論し、方向性を決めて、最終的に政策のパッケージをつくるかという党内の総合編集機能が重要になってくる。党内ガバナンスや党内民主主義が問われるようになるし、さらに言うと、政党の議員だけでやっても議論が浅くなってしまうわけで、政党自身が社会のなかに根を下ろし、市民社会の様々な利害や声を吸収する場所になる必要がある。そういう機能を持っていることが前提なんですよね。
ところが、民主党はこの総合編集機能がまるでなかったし、自民党も党内ガバナンスがうまくいっているとは思えない。しかも今回300議席近くをとってしまったが、どうやってガバナンスしていくのか。安倍さんの発言をみると、派閥の復活は否定していますが、ではどうするのかというと、何かアイデアがあるわけではない。人数の多さがかえって混乱を招くかもしれない。
社会に対する根の部分についても、民主党はそもそも根の浅い政党だったし、自民党も地域の組織がどんどん弱体化している。総裁選では地域から自民党を立て直そうという石破茂さんに票が集まったが、それが党の中枢には届かず、結局、安倍さんを選んでしまった。
渡辺 鳩山政権で私が唯一評価するのは「新しい公共」や「オープン・ガバメント」を志向していた点です。「新しい公共」円卓会議の座長を務めた金子郁容さんは私の大学の同僚で、一緒に大学院の授業を担当していました。彼が早くから『ボランタリー経済の誕生』や『コミュニティ・ソリューション』で指摘していたのは、まさに宇野さんが指摘した「総合編集機能」に関わる点なのです。その意味では民主党にとってはチャンスでした。しかし、「新しい公共」の議論も認定NPO法人制度や寄付税制の改正といったピンポイントの議論に矮小化してしまった気がします。「新しい公共」も菅政権では一気にトーンダウンし、野田政権では完全にフェードアウトしました。
自民党の党内ガバナンスは経験知のようなものはある気がしますが、理想的とはとても言えません。
多党制も選択肢
宇野 そうすると党内ガバナンスもできず、社会に根もない政党が2大政党となっているわけで、これは問題がある。では、2大政党にふさわしい政党に育ってくれるのを待つのか。それとも日本の政党は歴史的に見ても根が浅いし、政党にそこまで求めるのは難しいので、むしろ社会にある多様な声をいろんな形で組織化し、表現させるしくみを考えるのか。中選挙区復活はいかにも妥協的ですが、比例代表制を拡大して、そういう方向を目指すのも大いにありえる考えだと思います。ただ、その場合、今度は増えてしまった政党をどうやって束ねていくのかという問題が出てくる。
渡辺 そもそもなぜ小選挙区制にしたのか、原点をしっかり見つめ直す作業をする必要があります。本当に「日本の政治風土に小選挙区制は馴染まなかった」という日本人論や日本文化論で説明して良いのかも文化人類学徒としては疑問です。
あと、野田氏が突然解散発言をしたとき、テレビを見ていたら、キャスターの第一声は「輿石(輿石東・前民主党幹事長)さんは知っていたのでしょうか?」でした。結局、政局報道になるんですよね。だから仮に中選挙区制や比例代表制を中心に運用したところで、こういう政局を求める人たちはいますし、どんなに制度を変えても、抜本的な解決にはならないんじゃないかという気はします。
もう政党には期待できない?
宇野 これもまた政治学者の自己批判のタネになるのですが……前回の対談でもお話ししましたが、政治学者は戦後、思想・理念の重要性を強調し、民主社会に相応しい新しい人間形成を求めてきた。しかし理念を追いかけるにも近代の大きな物語は失われ、新しい人間形成もプラトン以来、成功したためしがない(笑)。そこで政治が追求すべきはむしろ制度であり、制度を変えることによって、人々の利害なり関心なりを一定の方向に向けるしか手がないのではないか、というように方向転換した。
その結果、選挙制度を中心に政党の仕組みを変え、政治のあり方を変えていくという路線で来たわけだけど、これにもやはり問題があることがわかってきた。つまり政治というのは社会のなかに組み込まれているわけで、政治の仕組みだけ変えても、期待した通りには動かないことが明らかになった。
ここで、もっと制度を変えるべきだ、参議院をふくめて制度を変えて、いい結果が出るまで頑張り続けるべきだという考え方がある一方、やはり政治というのは社会の一部でしかなく、政党あるいは政治家だけに期待するのは無理があるという考え方もある。むしろ社会の中に議論・熟議をする場所を設けて、それを政策化するシンクタンクのような組織をつくり、あるいは社会運動を活性化することで、政党に圧力をかける方が早いかもしれない。むしろ後者の路線の方がいま求められるのかもしれません。
もちろん人々のメンタリティも変わる必要があると思います。政治というのはわれわれの社会の目的を実現するための一手段。国政だけじゃなくて、都道府県や市町村などいろんなレベルのものがある。「政治が決める」のではなく、「政治で決める」。「政治を使いこなす」という方向へ意識を転換していったほうがいいと思います。
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左派不在での「中道」とは?
非常に興味深い記事でしたが、疑問点がいくつかあります。
「中道左派は復活できるのか」を論じていましたが、中道というのは思想や勢力の面で左右がそれなりにバランスよく併存している状況での相対的な呼称だと思います。冷戦がソ連崩壊によって20年以上も前に終わり、共産党や社民党といった左派政党が長期的に衰退している現在では、左右のバランスが取れていません。自民党に挑戦できる実力があって自民党よりも左な政党が登場ないし復活したら、中身はリベラルや穏健保守だとしても、中道ではなく「左派」と呼ぶべきではないのでしょうか?
また、リベラルの復活についてですが、そもそもマイノリティ(少数民族や少数宗教など)有権者の少ない日本においては、リベラル思想の支持者が二大政党レベルには届かないのではと危惧しています。日本でリベラル政党が二大政党の一翼を担えるのか、担えないのであれば二大政党制は成り立つのか(民主党は、遂にリベラル思想で党内を統一することができませんでした)。こうした点も気になっています。もっと見る
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