代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

ニューヨークタイムズ「癒着文化が原発事故につながった」

2011年05月02日 | 政治経済(日本)
   昨日アップしたブログ記事(ペンタゴンからヘキサゴンへ)で、「Culture of Complicity Tied to Stricken Nuclear Plant(癒着の文化が原発事故につながった)」というNYタイムズの記事について言及しました。検索すると、この記事は英語圏のブログやツイッターなどでえらい評判です。この記事のみではないですが、海外メディアがこうして日本の政・官・業・学の癒着の実態を批判的に報道していることが、世界の人々の「日本イメージ」の形成に影響を与えるでしょう。そこで、その記事の内容をもう少し紹介したいと思います。全訳する余裕がないので、かいつまんだ紹介+解説のみします。そのうち誰か全訳してくれるのでしょうが、とりあえず。
 なお、Culture of Complicity は直訳すれば、「共謀・共犯の文化」となりますが、日本語的に意訳して「癒着文化」と訳します。
 
 原文はNYタイムズの下記サイト参照。記事を書いたのはNorimitsu Onishi氏とKen Belson氏。大西記者は日本生まれカナダ国籍のジャーナリスなのだそうです。

 http://www.nytimes.com/2011/04/27/world/asia/27collusion.html?_r=3&mc=tnt&tntemail1=y

****以下、記事の内容紹介***********

癒着の文化

 記事はまず、2000年に米GE社の技術者であった日系アメリカ人のKei Sugiokaさんが、福島第一原発の原子炉からの配管に亀裂があるのに隠されているという事実を原子力安全保安院に告発した事件から始まる。あろうことか保安院はSugiokaさんから告発があったという事実を、東京電力に逆告発するとともに、亀裂を隠しながら運転を続けることを容認した。この事件に関して、Sugiokaさんは電話インタビューに答え「私は原発を支持するが、それには完璧な透明性が必要だ」と語る。

回転ドアと天下り

 続いて、日本の「amakudari」文化を解説。ちなみに、「天下り」は descent from heavenと訳されている。アメリカにも似たような文化があり、アメリカでは回転ドア(Revolving Door)と呼ばれていることからか、「回転ドア」という見出し語がついている。
 日本ではもうおなじみになった「原子力ムラ(nuclear power village)」の利権構造が解説される。日本では、会社と政治家と官僚と学者は利権のやり取りを通してつながっており、それに異議を唱える少数派は「村八分」の制裁を受けるのだと。ちなみに「村八分」は「village outcast(村から排斥された)」と訳されていた。うまい訳ですね。

 民主党の中にあって稀有な原発批判派議員である大島九州男議員の「最近まで原発に触れることは皆がタブーと考え、誰も触れたがらなかった。これもすべて金にかかわる問題だ」というコメントが紹介される。

 続いて、原子力安全保安院という規制当局が、原子力推進当局の経済産業省の中にあるという構造的な問題、そして「天下り amakudari」文化の解説と続く。
 ここで、「もっとも手厳しい原子力業界の批判者」として日本共産党が紹介され、共産党がまとめた天下りファイルが引用される。経済産業省の高官から日本の各電力会社への天下りは慣例になっていたこと、1959年以来、経産省の高官が4人東電の副社長に天下り、副社長ポストは元官僚の指定席であっこと、地位の低い官僚は東電以外の多くの原発関連会社に天下っていること・・・など。
 最近の例として、資源エネルギー庁長官の石田徹氏が昨年、東電の副社長(日本語では顧問、英語ではvice president)に天下っていたこと、菅直人政権もその人事を承認していたこと、そして共産党の追及などを受けて先月にようやく辞任したことが書かれている。

 ついで共産党の吉井英勝議員のコメントの引用。「この癒着関係があるから、原子力安全保安院は原発ムラの構成員になり、原発利権をあさるようになるのです」と。

 さらに「天下り」のみならず、重電メーカーなどの原子炉技術者などが原子力安全保安院に「天上がる(ascent to heaven)」という慣行の存在も指摘されている。

 記事は続いて、京都大学で原発を批判し続け、それゆえ学会では迫害を受けてきた「京大6人組」について言及。小出裕章さんは「37年間も助手として留め置かれ、若いころは研究費を申請しても却下され続けてきた」と紹介される。

 続いて、アメリカの原子力規制委員会と日本の原子力安全保安院を比較。米国の場合は、民間とつながっていない独立した研究機関や海軍などから技術者を集めるので、規制するにあたって業界からは独立性が保たれていると述べる。日米の両原子力業界にかかわってきた佐藤サトシさんが「(日本の)保安院は業界を規制する権限を有するが、業界の提案を独立して評価する技術的な能力に著しく欠ける」とコメント。

国会の支配

 続いて、自民党は原発関連会社と癒着し、民主党は電力会社の原発推進労働組合と癒着し、ともに原発を推進してきたという事実が指摘される。
 自民党の改革派と紹介された河野太郎議員は「(自民と民主の)双方の政党はそれぞれ電力会社にとりこまれており、電力会社のやりたいことを追認してきた」と述べる。元東電副社長の加納時男氏が比例区選出の自民党参議院議員となって同党の原発推進政策を一手に引き受けていたことが解説される。

 加納前議員はNYタイムズのインタビューに答え、「議員時代の政策は自分の信念に基づいてやったもので、東電から国会に送り込まれたパシリだったかのように思われるのは心外だ」というように語っている。
 
 続いて電機連合出身の民主党の政治家・大畠章宏氏(前経産大臣、現国交大臣)が批判のやり玉に。民主党の近藤洋介(前経済産業大臣政務官)のコメントが紹介される。近藤議員によれば、「政権獲得以来マニフェストにしたがって、原子力安全保安院の独立性を高めるように改革に取り組んだが、大畠氏が大臣になってからというもの、改革に失敗してしまった」とのこと。大畠氏は、日立の原子力部門の技術者で、経営側に近い労働組合の電機連合の支援を受けて国会議員になり、民主党内において最大の原発推進派である。彼は、党の政策を「原発は過渡期のエネルギー」という位置づけから、「エネルギーの主力」という位置づけに変更したと紹介されている。
 
 最後に、原子力ムラの最近の成果として、2030年までに日本に原発を14基増設し、国と電力会社が出資して「国際原子力開発」とう国策会社を設立し、海外に原発を輸出することを国家の輸出戦略の基幹に位置づけていたことが紹介されている。

*****以上で記事紹介終わり******************


解説

 ちなみに、記事の中にある資源エネルギー庁の長官から東電顧問へと天下った石田氏が先月辞任したということは、共産党のみならず各方面からの批判の結果でしょうが、NYタイムズは共産党の活躍の結果であるような書き方をしています。アメリカで「コミュニスト(共産主義者)」といえば、ほとんど「バカ、アホ」の代名詞のように用いられてきたことを考えると、この米国メディアの共産党への高い評価はちょっと驚きです。

 全体を通してNYタイムズの記事は今回の原発事故に関して、原子力発電の技術の問題というよりは、日本の政官業学の「癒着の文化」が問題であったのだというニュアンスです。
 アメリカやフランスなど原発を推進したい国々は、今後も「原子力技術の問題ではなく、癒着の問題だ」と、日本批判を強めることになるでしょう。

 私は、技術そのものも、癒着の文化も、それぞれ問題と思いますので、癒着のみが強調されることには違和感を覚えますが、これを機にせめて癒着の文化が少しでも是正されれば、それのみでも日本にとっては大きな前進だと思います。

 原発ムラとは違いますが、この間、私はダム村の利権構造を目の当たりにしてきました。政・官・業・マスコミ・学者、はては裁判所にまでつらなる驚くべき癒着ぶりに、唖然とすることばかりでした。せめてこの利権共同体を解体してくれと切実に願うばかりです。

 それだけに、NYタイムズの大畠国交大臣批判には拍手を送ります。大畠さん、NYタイムズでは民主党の原発政策を動かす大物政治家のように紹介しています。実際には、それほど大物には見えないですが、官僚にとっては大変に使いやすそうな方です。国交省官僚たちは、ダム推進に敵対した前原大臣、馬淵大臣を相次いで大臣ポストから追い落とし、自分たちの言いなりになる格好の傀儡大臣として大畠氏を経済産業省から迎え入れることに成功しました。大臣ポストも自由に操る日本の官僚支配たるや恐るべしです。

 河野太郎議員は、その大畠国交大臣を、ご自身のブログにおいて「くそったれ大臣」と名指して批判しています。私もまったく同感です。

 さてNYタイムズは米国の原子力規制委員会を擁護していましたが、この癒着構造は米国も同様です。
 アメリカのメディアも、日本の癒着文化を追及していけば、その批判がそのまま米国にもかえってくるであろうことに気づくでしょう。スリーマイル以降、米国は「原発ムラ」の機能が衰退していたので、原子力規制委員会の独立性は担保されていたのかもしれませんが、原子力ルネッサンスなどと言って、業界の力が盛り返されれば、規制委員会も業界に取り込まれていくことでしょう。

 一例をあげれば、アメリカで遺伝子組換作物の技術を独占的に支配するモンサント社など、会社の関係者を政府の農務省や環境保護局や食品医薬品局などへ「天上がり」させ、政権が代わると彼・彼女らは再びモンサントや関連会社に「天下る」ということを繰り返しています。それで米国においては、遺伝子組換食品への規制は完全に骨抜きにされてきました。

 アメリカの政治文化の中では、これは「回転ドア(revolving door)」と呼ばれます。日本の天下りの場合、官から民へと一回だけですが、アメリカの場合、民→政・官→民→政・官・・・・とグルグル繰り返すので、癒着の度合いは日本より一層ひどいといえます。

 昨年に発生したメキシコ湾におけるBP社の掘削事業による原油流出事故でも、まず問題になったのは、掘削する事業会社が、それを規制する基準も自ら作っていたという「癒着」の問題でした。

 このような政治文化を持つアメリカにおいて「日本とは違ってアメリカの原発は安全」などと主張すること自体、何かの冗談話だろうとしか思えません。

ジャンル:
政治
キーワード
原子力安全保安院 経済産業省 原子力規制委員会 原子力ムラ 原子力発電 日本の官僚 共産主義者 資源エネルギー庁 スリーマイル 原子力ルネッサンス
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