お前「俺にとっては六万なんて安いよw」って話と13歳に六万のスマフォを持たせる話ごっちゃにしてるだろ。
マスメディアの オトモダチ報道 を見て、悲しい気持ちになりました。
心を鬼にして ”千野容疑者” と呼ばなければフェアじゃないでしょう?
”千野さん” ってw
稲垣メンバーかよwwwwww
それってフェアじゃないよね?
そこらへんのフリーターや大学生が死亡事故を起こした時なんて、
みんな容疑者呼ばわりされてるんやで?
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え、逮捕されてないの?
死亡事故を起こしたのに逮捕されないってどんな裏ワザをつかったんだ?
そもそも、逮捕されてない人間の実名がどうしてTVで報道されるんだ。
それは逆の意味でフェアじゃないよね。
なんとなく、リアルとつながりのあるところで職業関係の話題を持ち出すと今後の転職に不利になりそうな気がするので
http://diamond.jp/articles/-/14919
①仕事を通じて知り合う人の人数(/年)
②扱う商品
④作った物がお客さんの手に渡るまでに関わる人の数
⑤結果が分かるまでの時間
最近、Facebookを眺めていて、発言の限定公開が多いことに気がついた。当然その限定範囲に含まれている場合と、公開をしている所での発言両方を見ることになるのだけれど、温度差にちょっとモヤモヤするものを感じている。
もちろん愚痴や不満などを吐くのは構わないのだけれども、常識ある発言を良くすると思っていた人が、裏で特定個人(友だちになってる人ね)をそれと分かるような形で揶揄していたり、議論は広く行われるべきという主張をしている人達が3~4人でお互いイイネを付け合って満足しているのを見て、しばしばなんだかなという感覚に陥る。
以前からネットでは同じ意見の人達を見つけやすいというのは言われていたけれども、Facebookでは特に空気の濃縮感が早い。別にこれは悪いとは一概に言えず、例えば議論の質を高めるためにはノイズが入るのを防ぎたいだろうし、愚痴や不満もフルオープンで公開する必要はない。
しかし、自分でノイズを除去していくのではなく、最初からノイズの除去された空間に入っていくのとでは大きな違いがあるように思う。ノイズの全くない状態で、自分の意見が全て肯定される空間で育った人達は、自分たちの意見の正しさを疑おうとしない。
自分のフィルタリング機能を破棄して、自分に都合の良い情報のみを集め続ける人達が、メディアの意見を鵜呑みする人達などを情弱呼ばわりしているのを見るたびにやるせない気持ちが募る。
これが示しているのってさ
「非正規雇用という待遇のせいでモテなくて女性と交際できない」じゃなくて
えーびっくり
それだけコツコツやってもだめってことあるんだね
感動はしないが、あれは、まあアリだと思う。子供の自由な領域って「親に隠れて何かやる」ことでしか得られないんだよ。
アレに対する拒否反応見てると、子供が勝ち取るべき自由な領域すら「やさしい」親が与えてくれることを望む甘ったれた子供ばっかりに見えた。
ルールはルール、運用は運用だ。ルールを破って、時には困ったことになったり叱られたりするのも大事な体験だと思うけどね。
家のルールがないと、直接社会のルールでそれを体験することになって、非常に危険だと思う。DQN層見ててそう思わない?
破りたくなるようなルールを作り、ゆるめに運用しておいて、片目つぶって逸脱しない程度に見ておくというのがあれくらいの年の親の努めのように思う。
あと、アメリカの子供って、あれに黙ってサインしたりしないんじゃないの?
「19:30に返却は早すぎる」とか「クラスのXX割は学校にiPhone持ってきていて、学校も特に禁止はしていないのに、どうしてうちは禁止をするのか」とか普通に議論になりそう。
日本では、特に毒親にとっては「親は絶対」で、「親が金を出してやってるんだから」というと、もう反論の余地はない世界だから、特にその手の親に育てられた人があれをみて閉口するのもわかる。
でも、親が提示する条件が、絶対的なものではない世界であれば、そう問題があるものではないと思った。
特にアメリカみたいな契約社会では、先方から不利な契約を押し付けられた時にどう対応するかまで含めて教育なのかも知れないし、むしろ、子供がどう反応するかが気になったな。
2chでよく話題になる『毒親』の典型例ですね。
まぁ普通だよね。
俺は多分それよりはやってると思うけど、俺の周りは俺より遥かに努力してる人だらけだよ。
(俺は遺伝的にショートスリーパーでないのでどうしようもないけど、平均睡眠時間3時間とか言ってる奴がゴロゴロいる)
その程度で「人の何倍も」とか言っちゃうのは他人をナメすぎ。
年上の熟女美人のAとは、引き続き月に一回の安定した付き合い。セックスに面白みはないけど、さっぱりした性格だし、仕事の悩みなどでも腹を割って話せる、希有なセフレだ。
同い年のBは、裸にするとお腹の肉が割とあるのが弱点だったが、美人で感度もいいしエッチだし、いろんなことしてくれる。途中からピルも飲みだしてくれた。彼女とも毎月一回ペースで年の前半まで続いていた。真面目に付き合ってくれそうな男ができたと相談を受けて、それなら幸せになって!と離れた。彼女は子持ちのバツイチだから。
4つ下のCは、春にドライブとキスだけして、翌月に朝から午後までホテルで過ごした。恥ずかしがり屋だったけど、しっかりクンニリングスしてあげる条件だよと剃毛を命じたら、自分で剃ってきて僕のもとにおとずれた。素敵なからだと脚と感度に魅了されたが、それから毎日とどくケータイメールにお付き合いしきれなくて、そのうち寂しがって離れていった。専業主婦さんに合わせるのは、会う時間もメールも難しい。
3つ下の専業主婦のD, 大学4年のE, 20下のニートのF, 1つ上のIT系事務員のGとは、デートしたりご飯食べたりしただけで、空振り。
1つ下の保育園の先生Hは、子なしのバツイチで、脱がせてみたら感度とボリュームが凄かった。責めながら頭を撫でてあげるだけで何度もいった。セックスは数年ぶりだったらしく、受け入れているインパクトだけでホルモンバランスが狂ってしまったといい、そのせいだという不正出血で、シーツが赤い海になった。さらに、Mだと告白し、ちょっと書きづらいようなことまで望んできたこのひととはその後二度と会うことはなかった。
ぎりぎり二十代のIは、性格もさっぱりしていて、感度もよくてエッチで、最初からいいセックス関係だった。ただ彼女のものは小さくて、痛がらないよう気を使った。お互いに次に会ってベッドを共にするのをすごく楽しみにしていたのだけれど、不思議なことにそこでばったり終わった。お互いにさっぱりしすぎていたのかもしれない。彼女のさっぱりの奥には何かしらの寂しさが漂っているような気もしたけど、そこまでは深入りはしない。
1つ下のJは、地方都市に住む専業主婦。ネットで話すうち、ずっとレスで秘めてきた思いや欲望をこれ以上溜め込むだけでは壊れてしまうという彼女に、何も起きなかった夏になってしまったら後悔するはず、と会う約束を結んだ。経験人数が非常に少ないまま、地方都市の保守的な暮らしを我慢しつづけてきた彼女の求めはホテルの一室で次第に広がり、道具や、縛りや、アナル開発を受け入れた。お互いの現実に戻ったはずのその後も、あの日の何を思い出してどうオナニーしたかを僕に毎晩報告しないと眠れないと訴えるようになった。そして数週間後、このままではもうだめになると、彼女から連絡を絶った。
2つ違いの企画系女性K。仕事が夜遅いことも多く、夫とは時間も生活もすれ違い。それが寂しくて、すこしやさぐれ。食事したりドライブしたり、そして車で軽いエッチまではしたが、やさぐれた気持ちが一気に僕を求める気持ちに変化してきている気配がするので、慎重に距離を置いている。
12下の既婚女性Lは、ビッチな振りをしてセフレ探しをしていたが、実は大人しく真面目な性格で、そんな彼女とは文化や趣味の話でも相性がよかった。複数回食事などしたあと、定期的にセックスする関係になった。経験はいろいろあると話す彼女だが、そうは全く開発されておらず、徐々に彼女のからだの新しい世界がどんどん開いていくのがわかる。が、性感と一緒に、彼女の気持ちも実ってきてしまっているのも感じる。頭のいい子だから余計に、悲しくさせないようにしないといけない。
ツイッターに悩みを書いたり、そこにエッチなリプをもらったりすると癒されて持ち直す女子大生のMは19。以前から話に付き合ったり悩みに乗ったりしていたが、セフレさんと会う予定がキャンセルになっちゃったという雨の日に代わりに僕が車で登場し、家まで送る途中にホテルへ。少し悲しげな顔をしていたが、しっかり感じさせた彼女のなかから垂れだした液体は白濁レベルだった。もののあはれ。
かなり素敵な感じの同い年のバツイチ看護師さんN。まだ食事したりなど、種まき中。
今年も宜しくお願いします。
http://anond.hatelabo.jp/20101122004732
元増田の気持ちがわかる。彼にぼくから付け加えることは何も無いし、何かを議論しようとも思わない。ただぼくは、彼と違って、「本当に人を大好きになってみたい、セックスしたいと思ってみたい(まあ、そうなれなくてもどっちでもいいけど)」とどこかで思っていたんだよね。同調圧力に屈したというのとは少し違っていて、むしろ同調圧力をかける側さえ実は手に入れていないような純粋な愛情のようなものがあるってことを信じる幼さが消えなかった感じ。そのことを少しだけ話したい。
ぼくは今年、「どっちでもいいこと」のうち、割合と簡単に実現できるものをいくつも試した。
高級な美容院に高いお金を払って通うとか、ミュージアムショップでアブストラクトな絵葉書やピンバッジを買うとか、カフェでメニューのアレンジを頼んで作ってもらうとか、そういう金さえ払えばどうにでもなるささやかなところから、友達数人と日本各地に旅行に行って、楽器を鳴らして歌を歌いながら歩くとか、山道や海沿いを交代でドライブするとかまで、やった。
試したときや、金を払ったときには、そこに価値なんてあるように思えなかった。でも、価値を保証してくれるものなんてどこにもないし、仮にそんなものあったってナンセンスだし、自分の見方を敷衍すれば、この世の全てのものは無価値だった。どうせ自分の好きなものなんてもうほとんどありはしないんだから、構わないといった感じで、試し続けた。
そういうことの一環で、知り合って3年くらいになる女友達と二人で工場見学のため、電車にごとごと揺られた。ちょうどいい陽気で、乗客は多くなく、緑と住宅がゆっくりと流れる景色に何が映ったかを二人で呟きながら、自分たちの仕事の話や専門の話、共通の友達のこと、読んだ本についておしゃべりをしていて、思った。こういうことがまたあればいいな。そして、彼女を助手席に乗せてドライブがしたいとも思った。運転が好きなんて感じたことは一度も無かったはずなのに。なんだかそれがちょっと嬉しくて、その日はいつもよりも楽しい話とか、思い出話とか、小さい頃に悩んでいたこととか結構濃い話が出来たような気がする。
その子と先日都内で食事をして、たっぷり5時間近くしゃべって、クリスマスの雰囲気が早くも出始めた街路を彼女の行き先の駅まで送り届けたときに、わけの分からないことが起こった。身体が勝手に動いたんだよ。本当に勝手に動いた。想像だにしないことだった。ぼくの身体が、勝手に、お別れの言葉とともに手を振る仕草をした彼女の手を、つかんで、そのまま引き寄せた。で、ぼくの口が勝手に動いて、言ったわけ。「帰らないで」って。いや、本当に。自分でも、なんだこれ、って思った。そんなことしようなんて本当に一瞬だって考えたこと無いのに、そうなっちゃった。びっくりしてたよ、彼女もぼくも。
そこからあとは、もう、まるで何もかも決められていたみたいに進んでしまった。駅を出てバス停を探して、別のイルミネーションを見に行って、そばのベンチに二人で腰掛けて、キスした。自分の頭や身体が自律的に動くのと、何者かによって動かされるのが半々くらいで、そうなった。自分事と他人事が一緒になったような感じ。なんかもう、圧倒的な感じ。それで、多分彼女の方も似たような感じになっていたんだろうなって、伝わってきて、なんかもうスケールがでかすぎるような満たされ方をした。たぶん、二人とも。キスするのやめて、最初に彼女の口から出てきた言葉が、「いま、なんかすごかったね」だったもん。駅のあたりからすごかったって伝えたら、彼女はそれのもう少し前からずっとすごかったって。
ぼくは今まで、好きっていうのは、意思や感情のことだと思ってたんだけど、違うんだなって悟った。あの、なんかすさまじくでかいものが、「好き」ってことなんだって考えることにした。ちょっと前のことだけど。全然上手く伝えられてないけど、誰かにいいたかった。あと蛇足だけど、彼女はぼくの彼女になってくれた。金曜日から。
この正月に帰省して父親と話をしたのだが、どうにも違和感を感じて仕方がなかったのだが、その理由にやっとわかった。
父親はとにかく他人の事しか話さない。話題がない。誰それが病気、死んだ、儲けた、損した、息子がどうの、結婚した、孫が、子供が、家を立てただの。徹頭徹尾、他人の話。テレビを見ていると、出演者の批判ばかりなのにも気づいた。テレビに出られるような、いわゆる成功者が憎いらしい、とも気づいた。
ネットでつまらないことを書き込んでいるにしても、それらは他人のことではなくて、自分の考えたことばかりだ。批判だってされる。私にとって父親との会話は接待と変わらない。批判しない。追従ばかりだ。父も昔と違い気の難しい人になった。我慢しなくなったといえばいいのか。
どうしてそんなに他人の話ばかりするのだろう。しかも批判ばかり。自分も同じようになるのだろうか。それともこの文章がもう老化しているのだろうか。