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土地収用制度の存在意義
(千葉県収用委員会の再建・同委員会不在の影響)
新聞報道によると、16年間もの間機能が停止していた千葉県収用委員会が、昨年12月8日委員の選任が行われて、再建されたそうである。
首都圏の一角をなす千葉県のようなところは、交通関連の施設を中心にして、インフラ整備の必要性が特に強い地域である。こうした地域で16年間もの長い間収用委員会が不在であったという事態は、誠に異常であったという外はない。
この事態がインフラ整備に与えた影響が具体的にどのようなものであったのか。各事業者は、自分の所管する事業については勿論把握しているのであろうが、千葉県の地域全体でどういう影響があったのかについては、公表された調査はなさそうで、影響の全貌は詳かでない。
しかし、次のようなことが生じたであろうことは、想像に難くない。
(補償額の高騰)
第1には、補償額の高騰である。
用地交渉の過程で、最後のところ収用制度が働かないとなると、土地所有者は、用地担当者の足元を見透かして、提示される補償額をなかなか了承しないという行動に出るであろう。土地所有者としては、それは合理的な行動である。このため、妥結額は勢い高くならざるを得ない。
公共事業の用地取得に伴う補償の適正を確保する目的で「公共用地の取得に伴う損失補償基準要綱」(昭和37年閣議決定)が制定されている。この16年間において千葉県内で実施された補償が果たしてこの要綱に照らして適正であったのか。調べてみると、適正でなかったといわざるを得ないケースが出て来るであろう。しかし、収用制度が働かないという事態の下では、事業の施行者にその責任を問うことはできないと思われる。
補償額が高騰するとどうなるかといえば、それは、事業費の高騰を招き、最終的には国民・住民の負担増加をもたらすことになる。また、鉄道事業、有料道路事業、電力事業のような料金徴収型の事業の場合には、事業の採算を確保することが困難になりかねない。そのため、料金が引き上げられたり、場合によっては事業の実施自体が断念されることにもなろう。
(事業の停滞)
第2には、事業の停滞である。
補償金を引き上げることで事業を実施することができるのなら、問題は当然あるけれども、収用委員会不在という異常事態の中なら、それもやむをえないとせざるを得ない。しかし、いくら補償金を引き上げても、どうしても計画どおりに事業を実施することができないケースがある。最も多いのは、事業そのものに反対する土地所有者がいる場合であるが、それ以外でも事業の実施が不可能となる場合がある。
そうした場合としては、例えば次のようなケースがある。
- 権利者の氏名又は住所が不明であるケース…・登記簿に権利者の氏名と住所が記載されていても、その記載が相当昔のもので、調査しても判明しない場合がその例である。
- 土地の境界争いがあるため用地交渉が決着しないケース
- 例えば土地所有者と借地権者との間で借地権の存否を巡って争いがあるため用地交渉が決着しないケース
- 相続人間で相続争いがあるため用地交渉が決着しないケース
- 相続人が極めて多数で相続人の氏名又は住所の全てを把握しきれないケース
都道府県の収用委員会の集まりである全国収用委員会連絡協議会により編集された『土地収用裁決例集』の各年版を繙くと、こうした事例が散見される。
いわゆる箱物事業については、実施箇所を変更すれば、事業を実施することができるかもしれない。しかし、道路事業、鉄道事業、河川の改修、送電線事業のような線的事業については、計画を変更することが困難な場合が多い。
すなわち、事業の施行者は、以上のようなケースに遭遇しても収用制度を活用することができないとなると、計画を変更するか、事業の実施そのものを見送らざるを得ないことになるのである。
かくして、事業は停滞する。
(補償交渉の長期化)
第3には、起工承諾後における補償交渉の長期化である。
公共事業は、用地の取得が終わってから着工するのが原則である。ただし、例外的に、事業の実施を急ぐため、用地取得が終了しない段階で、権利者から起工承諾を得て工事が実施されることがある。これ自体は許された方法であるが、後回しになった補償交渉が妥結しないまま長期間が経過する、といった、問題を残す事態が、起こらないとは限らない。
(財産権の保障と収用制度)
もともと、近代社会において財産権を保障する以上は、財産権の収用制度が合わせて用意されていなければならない。そうしないと、公益の実現は不可能になってしまい、社会が円滑に活動できなくなってしまう。
現に、我が国最初の土地収用法は、大日本帝国国憲法が公布された明治22年2月からわずか5か月後の同年7月に早々と公布されている。また、現行憲法でも、周知の通り、29条1項で「財産権は、これを侵してはならない。」とある一方で、同条3項では「私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。」と定められているところである。
以上から明らかなとおり、近代社会においては、財産権の保障と収用制度は表裏の関係にあるべきものなのである。
収用制度が機能しなかった千葉県の16年間には、公益が実現できない事態が様々に起こり、公共事業の施行者は、この事態に大変困っていたはずで、収用委員会の再建を強く望んでいたであろう。例えば、県下の野田市は、国に対して「都道府県に設置される土地収用委員会が欠員等で機能しない場合、土地収用委員会を市町村等に設置することにより、公共事業を円滑に推進できるようにする」ことを提案していたところである(平成16年7月6日構造改革特区第5次提案・内閣官房構造改革特区推進室)。
収用委員会の再建は、こうした事業施行者の期待に応えたものである。
いずれにしても、長年にわたる千葉県収用委員会の不在とこの度の再建は、改めて、収用制度の存在意義を認識させるものとなったといえよう。
(収用委員会に求められること)
全国を見渡すと、公共事業が全体として抑制される中にあっても、圏央道、川辺川ダム、静岡空港、小田急高架化工事、沖縄米軍基地用地など、社会的関心の高い収用案件が陸続としている。また、公共事業の執行を効率化する見地から積極的に土地収用法を活用しようとする事業施行者も見られるところである。
そうした中にあって、現在、各都道府県収用委員会には、起業者(事業施行者)・被収用者のどちらにも偏することのない公明正大で中立な法の運用、手続の透明性の確保、裁決理由の詳細化等による説明責任の遂行――そういったことが求められる時代になっており、再建された千葉県収用委員会にもこのことが強く求められる。
(小沢 道一)