何故「北が上」なのかについては、代表的な見方が既に示されていますので、ご質問の「歴史地図において」について。
本格的な世界地図としては最も古いものの一つとされる「プトレマイオスの地図」(紀元200年代)でも北が上になっています。
ルネッサンス後の近世ヨーロッパでは大判の地図帳が盛んに出版されました。代表的なものとして「地球の舞台」(オルテリウス)「アトラス」(メルカトル・ホンディウス)がありますが、確かにすべて北が上で、これは北極星とコンパスによる「大航海」と関係するのでしょう。
マテオ・リッチが制作したアジアで最初の世界地図「坤輿萬國全圖」(1602)も北が上ですが、それを日本で石川流宣が翻案出版した「萬國総界圖」(1688)は東が上の縦長になっています。(掛け軸にするためだった、とする説がありますが確かではありません。
勝海舟が英国版の地図から翻訳した「大日本沿海略図」(1867)という日本地図は、理由は不明ですが「南が上」になっています。
また、江戸時代後期に盛んに作られた「城下図」の類では、地図中の地名や大名屋敷名のすべてが地図の中心から周囲に向けて書かれ、四角い地図を4人で囲んで見るように描かれています。これは世界的にも大変珍しい表現で、「縦書き」だからこそ可能なことと言えます。
投稿日時 - 2010-03-12 23:19:53