「子どもを作らない」という選択を、夫婦で話し合って行なっていたから。
就職氷河期世代の私、地方はもっと就職難で、頑張っても頑張っても
正社員にはなれませんでした。結婚したらいよいよ
きちんと雇ってくれるところはなくなりました。当時の
夫の収入だけで家計をやりくりするのは、かなりたいへんで
「我が家の収入では、子どもを大学に行かせられない。
日本社会もどんどん貧乏になるばかり。こんな日本に生まれては
可哀想だから、子どもはつくらないことにしよう」
という決断だったのです。
ところが、出産のタイムリミットが近づくにつれ、私は子どもを
産みたくなりました。だけど、家計は先細っていくばかり。
「子はかすがい」
とは言ったもので、子どもがいなかった当時の夫婦は
あんなに愛しあって結婚したはずなのに
喧嘩ばかりになって、離婚。今でも心の大きな傷の一つです。
今の夫と結婚したら、運良くすぐに子どもを授かりました。
子どもがお腹にいることがわかった時、欲しくて欲しくて
産むこども。親の勝手で産む子どもなんだと思いました。
前の夫と結婚していた時より、日本社会の財政難はもっと
深刻になっています。苦労するのをわかっていて、それでも
親の勝手で、世に生み出そうとするのだから、親には
日本社会をよくする責任があるのだと思いました。
子どもを産んで二ヶ月、支部長に就任したのは、我が子のためであり
わが子への責任を果たすためです。
ポスター案その2ができました。前回の案より、私はとっても
気に入っているのですが、県議の先生方には大不評です。