私夜空空空
それから数時間。
掲示板に新たな書き込みがされた。
[駅で死体発見。レッドトレインの新しい被害者らしい]
[今回は誘拐された生存者の同級生が殺られたそうですよ]
[最も生存者と親しい仲ではなかったらしいですけど]
[誘拐された生存者がその場にあたって話]
[電車内で被害者が二人組と揉めていたのを目撃。白い男と小柄の人だった。被害者が絡んだようにしか見えなかったけど小柄の人が声を上げたのが原因だとか]
[小柄の人が誘拐された生存者で顔見知りに助けを求めた可能性が]
[あちこちの駅で警察が見回り]
レッドトレイン関連の事件。
山本椿さんと顔見知りだとは意外だ。
顔見知りだったから殺されたのだろう。
山本椿さんに気付いたので殺されたんだろうな、恐らく。
「フフフン♪」
回転椅子でくるくる回りながらご機嫌を表す鼻歌を歌う。別に誰かに聴かせるためじゃない。
歌いたいから歌っているだけだ。
何か今の気分に合う曲があれば歌うが生憎そんな曲は知らなかった。
「フフフン♪ルルルン、ルール♪見つけちゃった、あの子♪くりくりお目めの殺人鬼、フフフン♪」
気分に合う曲がなかったからあたしはそのメロディーに合わせて歌う。足を揺らしてくるくる回る。他人の家にも関わらず。
ガチャン。
持ち主が戻ってきた。慌ててあたしは起き上がり足を揃えてしゃんと座る。
「寛いでて構わない」
「あ、いえいえ」
飲み物を買いに行っていた狐月さんに首を振って答える。
「何か事件に進展はあった?」
「いえ。…犯人はまたもや逃げ切ったみたいですよ」
しゃんとしようと思った矢先ににやけてしまう。狐月さんに渡されたオレンジティーを両手に持ってまたくるくると回る。
「凄いですよねぇ……三回も警察から逃げ切ってる。あの白い人も捕まってないし山本椿さんは被害者だと思われてる。白昼堂々と殺戮。あの二人はただ者じゃないですよね」
くるくる回りながらそう感動に酔いしれる。
「凄い……慣れてるかなのか、頭がいいのか…完全なる殺人鬼。煙のように捕まらない。狐月組の人間もメディアも誰も彼女を疑ってない」
狐月さんはソファーに腰掛け、オレンジティーの蓋を開ける。
殺し屋のように二人は殺し、誰にも捕まることなく去っていた。
完全なる殺人鬼。
被害者と思われている山本椿さんは殺人鬼だなんて誰も気付いていない。
それを知ったあたしは愉快で愉快で仕方ない。
狐月組の事件について語るスレッドでも、山本椿さんが犯人だと推測する人間はいなかった。
[I・CHIP:面白いね?日本でこんなことやかす人間がいるなんて。ゾクゾクしちゃう♪皆犯人はどんな人だと思う?私は少女希望☆]
[パプキンジャックジャックリッパー:相変わらず変態ですね!まぁ俺もゾクゾクして愉快なんですけど…趣味が違いますからね。大男でしょ、流石に五十七人の中で殺人やるならそれなりの体力がいるでしょう]
[オパチョップ:二人とも相変わらず変人オープン!俺はグロすぎて失神しそうだよー。少女なんてあり得ないっしょ!Iさん!実はサイボーグなんだよ!改造人間なんだ!]
[改改:頭粉砕ですもんね。きっとあちこちを改造した人間なんでしょう…。時間があれば電車内の人間をミキサーでかけたようにミンチに………]
[オパチョップ:ギャーーーーっ!!!怖っ!怖っ!!改やめろ!その話し方はやめろ!]
[I・CHIP:おやおやおやぁあ?オパチョップさん、ビビリですかぁ?ニヤ]
[パプキンジャックジャックリッパー:ホラーが苦手ですね?オパチョップさん(笑)]
[改改:はい、オパチョップさんはホラーが大の苦手です。正直パプキンさんの趣味にはドン引きをしてガタガタ震わせています]
[オパチョップ:改っ!!てめーっ!!]
[パプキンジャックジャックリッパー:そうですか、そーうですかぁ♪オパチョップさん、次のオフ会楽しみに待ってますねvv]
[I・CHIP:オパチョップさん、お薦めの映画はジェーソンVSフレディです。眠ったらフレディが出てくるし起きていたらドアからジェーソンが出てくるその恐怖を味わえますよ。それから貴方の後ろに誰かいるけど誰ですかぁ?]
[オパチョップ:ぎゃあぁあああああっ!!!改のバカ野郎!!!退室します!!]
[改改:ごめんなさい…許してください。それにしても警察は目星ついたのでしょうか?流石に二日続けての事件発生、ただでさえ護衛していた被害者を横から拐われただけでも警察の大失態なのに]
[I・CHIP:警察は目星ぐらいはつけているらしいですよ。でもそれは捕まえられないと私は思うね。被害者ね……被害者。………女の子なんだよね!女子高生!しかも超可愛い!見た!?見た!?私ツボッたんだけど!あれはニーソが似合うね!ゴスロリが合う娘だ!]
[パプキンジャックジャックリッパー:わーあ、被害者を変態な眼で視てるIさんは立派な犯罪者ですね。てか犯人が少女って、単に血塗れの少女希望ってことですか?]
[I・CHIP:いや、流石に血塗れまでは求めてないよ。でも少女なら何でもこいっ!!世界中の人間が少女になればいい!!何故成長するんだ!?理解できない!?]
[吸血鬼の子孫:アハハ、Iさん知らないんですか?成長は必然的な現象なんですよ。脳味噌も変態なシワしかないんですかぁ?世界中の人間が少女になったら十年後には少女いなくなりますよ。貴方は十年のハーレムを味わってそれからどうするつもりですか?]
[改改:出た、吸血鬼の子孫さんの変態潰し。あなたのことは尊敬しています]
[I・CHIP:えー、吸血鬼の子孫さん?君はどんな犯人と予測しますか]
[パプキンジャックジャックリッパー:Iさんの興奮を静めちゃいましたね。もっと暴走しても良かったのに。Iさんの唯一の面白さなのに。Iさん、今日はさよならですね。おやすみなさい。変質者で捕まったら皆で貴方のことを忘れることを誓います]
[改改:出た、パプキンさんの寝返り。Iさんを裏切り吸血鬼の子孫さんにつく手口、あなたのことは尊敬しています。]
[I・CHIP:酷いよ皆!オパチョップさんがいなくなった途端、私をいじめるなんて!!私は嫌われてる!?]
[吸血鬼の子孫:聞き捨てなりませんね、Iさん。これはいじめではありません。愛あるいじりです。多分]
[パプキンジャックジャックリッパー:そうですよ、多分。日々の鬱憤を晴らしつついじり愛でてるんです。……まだいるんですか?Iさん]
[I・CHIP:ふえええ!!狐月組のボスに泣き付いてやるぅううっ!!]
[吸血鬼の子孫:俺はレッドトレインの犯人には興味ないですね。思うに理由なき殺人事件なんですよ、きっと]
[改改:理由なき殺人事件?メッセージ性のない無差別殺人ということですか?昼間の被害者が誘拐された生存者と繋がりがあったから理由があって殺害されたと思われるんですが…]
[I・CHIP:スルー!?ノーリアクションはやめて!!]
[吸血鬼の子孫:繋がりがあったのは偶然でしょう。絡んだらしいですね、それが悪くて殺されたんじゃないですか?]
[パプキンジャックジャックリッパー:偶然?それってかなり不運な偶然じゃないですか。彼らは殺人鬼に絡んだ、ってこと?]
[改改:吸血鬼の子孫さんが予測する犯人は人を殺すことをなんとも思わない殺人鬼ってことですか?]
[吸血鬼の子孫:あははっ、嫌だなぁ改改さんったら。なんとも思わない人間なんていません。まぁ、怪物ならば話は違ってきますがね。もしかしたら怪物かもしれませんね?頭を吹き飛ばす殺人鬼は化物ですよ。そう聞いてます]
[I・CHIP:そんなのどうでもいいじゃん。犯人が少女か少女じゃないかが重要なんだ!それにしても吸血鬼の子孫さんはまるで犯人がわかってるみたいに語りますね。実は犯人知ってるんじゃないんですかぁ?]
[パプキンジャックジャックリッパー:そうなんですか?吸血鬼の子孫さん]
[吸血鬼の子孫:そんなわけないでしょう?これはただの推測です。頭を吹き飛ばす殺人事件をちょっと知っているからです。海外と日本の被害者はざっと二百人という噂がありますよ]
長くなったがこれは一部の会話だ。
改改は幹部の一人。本名は中嶌改色。
それぞれ雑談しつつ推測を話すが、誰も誰一人山本椿さんが犯人だと語らなかった。
オパチョップさんとI・CHIPさんのいじりが面白い一部。
なかなか愉快な面々だ。
読みながら笑ってしまった。
「ねぇ、狐月さん。この吸血鬼の子孫って?」
「吸血鬼の子孫?…九城黒葉。東京に住むフリーターだ」
「フリーターですか、頭吹き飛ばし事件に詳しいから警察関係者なのかと思ってました」
一番気になったのは吸血鬼の子孫が話した頭吹き飛ばし事件の被害者二百人。
「非公開でもどこかしら漏れる。見られていないと思っていても見られているのと同じ。だから十五万人の情報がある」
狐月さんのいう通り。
掲示板に書かれたことの中には警察の知らない情報もあるだろう。
「関心を持たなければ人は人を視ないけれど、関心を持てば人は人を視る。すれ違った見知らぬ人間だったり街で見掛けた人間だったり。目に留まり関心を持てば覚えるし知りたがる。人間に限らず、テレビのニュースや芸能人、関心を持てば興味が湧いてそれを知ろうとする。十五万人の情報は十五万人の関心なんだ。それは一人でかき集めるよりも早くそして深い情報だったりする」
一人の目より十五万人の目ということか。
なんとなく狐月さんの言葉を理解してふと思い出す。
「それって、狐月さんがあたしを街で見掛けて覚えていたのは、関心を持ったからなんですか?」
くるりーと一回りして狐月さんを視る。狐月さんは目をギョッとさせて硬直していた。
「関心を持ってあたしの名前を調べたということですか?」
色んなインパクトを受けて忘れかけたが確か、腹ごしらえする前に話していたはずだ。
狐月さんがあたしを知っていた謎。
あの可愛い顔をして狐月さんは沈黙。それを堪能しながら彼の答えを待つ。
数秒。数十秒。一分。数分。
ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポン。
悪戯のように連打された呼び鈴が鳴り響いた。
反応して顔を向けたのと同時に鍵のかかってないドアが開けられる。
「狐月!開けっ放しはよくないぜ!?殺人鬼が彷徨いてるんだからよ!そこの駅でまた殺されたんだとよ!おーこわ……うおっ…」
大きな音量で喋りながら一人の青年が自分の家のように上がり込んだ。
彼は靴を脱いで漸くあたしの存在に気付き、軽く震え上がり小さな声を漏らす。
あたしと狐月さんは空気を読まずに突然現れた訪問者にポカンとする。
「ああ!ああ!最近よく狐月といる女の子じゃん!びっくしたー!この部屋に女の子がいるの初めてみたから幽霊かと思ったぜ。あははよろしく!名前なんつーの?ぶっちゃけどこまで進んだ?未成年?だよな、残念一緒に酒を飲みたかった。ダチの彼女を酔わして本性を探るのが俺達の中ではブームでさ」
「…爽助…」
「あ、よう!狐月!お邪魔すんぜ。んでさ、ダチの彼女の中で一番豹変したのは坪橋っていうダチの彼女で、清楚な格好の大人しい子がテーブルひっくり返して大暴れ!キンコングみたいだったんだ、コングと美女が合体みたいな!」
「…おい」
部屋の主に軽い挨拶だけしてあたしに向かいマシンガントークをする青年を狐月さんは爽助と呼んだ。
オパチョップこと直水爽助か。
「舞中よぞらさんは僕の彼女じゃない。失礼なことを言うな」
キリ、と目付きを変えてマシンガントークを止めさせた狐月さんはそう告げた。
そんな完全否定をするなんて…。失礼って、どっちの意味!?
こんな小娘がんなわけねぇだろ!?あたしに失礼だろ!?どっち!?
「え?」ときょとんとした直水爽助さんは少し混乱した様子だったがどうでもいいやといった感じにあたしに向き直った。
「初めて、よぞらちゃん。俺は直水爽助、よろしく!爽助さんと呼んでくれたまえ!」
フレンドリーに笑顔で手を差し出しす直水爽助さん。
あたしはその手を数秒見つめてから控えめな声を出す。彼が登場してからの第一声。
「…おの…初対面の人に…よぞらちゃんと呼ばれるのは、虫酸が走りますのでやめてください」
ニコッと明るくあたしは直水爽助さんを見上げて吐いてやった。
笑顔で手を差し出したままフリーズ。
やがてギギギ、と直水爽助さんは狐月さんに目を向けた。狐月さんは友人のフリーズをただただ見ているだけ。
「じゃあ…なんて呼べばいいのかな?」
「初対面の人なんかに呼ばれたくないです。そもそも貴方はあたしの名前を訊きつつも聞かなかった。いきなり始めたマシンガントークを聞く限り貴方は相手の名前を呼ばなくても苦労はないはずです。だからあたしの名前は呼ばすお話しして結構ですよ。あたしは人見知りをするので聞くふりをする側に徹します」
狐月さんが無言のSOSに応えてくれなかったため、直水爽助さんは自分で乗り切ろうとした。
あたしは満面な笑みでズバリと言い、乗り切るのを邪魔をする。
また直水爽助さんはフリーズした。
「…狐月、狐月狐月!何処でこの娘を見付けてきたの!?この可愛い顔したドS少女はなんだ!?ドッキリカメラですかパニックなんですけど!むしろテッテデーンと出してこの娘と打ち解けさせてくれませんか!?人見知りじゃないじゃん!何?最新のツンデレ!?初対面ツンのツンデレなの!?聞くふりをする側って、俺の聞き違い!?普通聞く側だよね!?聞かない前提で俺に話を振ってる!?どこまでツンなんだ!?ドSの初対面ツン!?流行ってるの!?狐月にもこんな感じだった!?ってもう既にケータイをいじくってるし!?」
「ちょっとボリューム落としてください、オパチョップさん」
「あ、はい。ごめんなさい」
「本当に人見知りをする娘なんだ。初対面に敵意を抱いているだけでドSではない。ドッキリでもないから」
「あ、そうなんだ……敵意!?ドSの攻撃より最悪じゃん!」
「煩いですって」
「はい、すみません…」
「ツンデレとドSは違います。そして訂正するならば敵意ではなく嫌悪感を抱いてます」
「え?そうなんですか………ってもっと最悪!?あっ、すみません、また声をあげちゃいました、すみません」
バッと動き出した直水爽助さんは混乱しながら狐月さんにマシンガントーク。
ふむ。初対面ツン。
そうかもしれないな。
正直すぐに信用せず警戒するから。
狐月さんには敵か味方かを訊いたしな。
そう思いながら、ケータイをいじる。自分のケータイから狐月組のサイトに書き込み。
一応狐月組に登録した。ハンドルネームは紅色愛名。
レッドトレインについての雑談にお邪魔させてもらう。
[紅色愛名:初めまして。新人の愛名です。レッドトレイン、凄いですね。あたしの推測を書いてもよろしいでしょうか]
[吸血鬼の子孫:初めまして、愛名さん。ようこそ、狐月組へ。ぜひあなたの推測を聞かせてください]
[パプキンジャックジャックリッパー:初めまして。動物は好きですか?愛名さん]
[改改:初めまして、愛名さん。狐月組にようこそ。どうぞ、推測を聞かせてください]
[紅色愛名:ありがとうございます。吸血鬼の子孫さん、改改さん。動物は好きです、パプキンさん。あたしが思うに犯人は唯一の生存者である彼女だと思います]
[I・CHIP:昨日入ったばかりでしょ?初めまして、紅色愛名さん。少女だね!!…でもまさかの被害者?彼女は殺人鬼に誘拐されたんだよ?]
[吸血鬼の子孫:その根拠は?愛名さん]
[紅色愛名:二通りの殺し方。それから誘拐されたからです。彼女はその場で殺されず誘拐された。生かされた。そして男と電車にいた目撃証言からして、殺人鬼は二人いて彼女がレッドトレインで首を切り裂き、男が刑事の頭を吹っ飛ばし誘拐ではなく救出した。…とあたしは推測しています]
誰とも被っていない推測。
書き込みした理由はただ絡みたかったのと、吸血鬼の子孫の意見が聞きたかったからだ。
さぁ、どんな発言をする?
否定か肯定か。ドキドキする。
こうゆうときは悪い方を考えれば見たときにショックを和らげる。
[改改:確かに二通りあります。でも小柄の女子高生に五十六人を切り裂くのは不可能では?]
[パプキンジャックジャックリッパー:改改さんの言う通り。だからといって頭を粉砕させるような凶器を振り回せるわけもない。どうなんですか?少女趣味さん]
[I・CHIP:辻褄が合うようで合わない。山本椿ちゃんにはハンマーを振り回す力はないはず。人間の頭を粉々なんてできないよ。彼女は普通の女子高生なんだ。小柄な分、凶器を持っていても男達が四人がかりで取り押さえれば多量殺人なんて防げたはずさ]
[吸血鬼の子孫:そうかな?俺は愛名さんの推測は正しいと思う。化物ならば、話が違ってきますよ。火事場のバカ力も存在しますし、不可能とは言い切れないと思います]
お、おお…。思わず声を漏らす。
思ったより否定されて沈んでいたが、一番意見を聞きたかった吸血鬼の子孫さんには肯定された。
ホッと安心する。
「なにかいいことがあったの?」
そんなあたしに気付いて狐月さんが訊いた。
「いえ、ちょっと…ちょっとね」
あたしはにまにまする。
「あ!狐月狐月、またI・CHIPが出没したせ!レッドトレインの雑談スレに。…あれ?新人が来てる……べにいろあいな?」
「紅色愛名…」
ハッとして直水爽助さんがケータイを開いて報告した。そのスレを見てあたしのハンドルネームに首を傾げる。それを聞いて狐月さんもケータイを開いて見て、納得したように頷いた。
「被害者が犯人?映画の見すぎじゃね?また変人がきたよー」
書き込みを呼んだオパチョップさんはそう本人の目の前で言うので睨み付ける。オパチョップさんは気付かない。
ドスッ。狐月さんがあたしの代わりに直水爽助さんの腹に拳を食い込ませた。
「ぐ…!?ダチに鉄拳を入れるなんて…おまえ…!」
腹を押さえて屈む直水爽助さん。大ダメージのようだ。
「ん?なにそれ?新しいロゴ?わっす」
「触らないで!」
起き上がって狐月さんにねめりつける眼を向ける直水爽助さんが急にあたしの肩越しに気付いて眼を向けた。
机に置いた紙。それに触れる前にあたしは声を上げて隠す。
「狐月さんに一番に見せたかったのに!」
「うっ…すみません」
ギ、と睨み付けると直水爽助さんはしょぼんと頭を下げた。
むすぅとしていれば、狐月さんが「なに?」と聞いてあたしの隠した紙に視線を送る。
「…………狐月組のイメージというか。バナーがなんかシンプルすぎてまるでヤーさんみたいだったから……その…描いたんです」
いち早く狐月さんに見せるべきだった。
ちょっと恥ずかしくなりつつ、あたしは狐月さんにそれを差し出す。
紙に描いたのは狐月組のロゴ。
斜め下向きの子狐を描き、それに対になるよう赤い月を描いた。
それから子狐の背中と尻尾に沿って狐月組の字を書いた。
出過ぎた真似かな。
俯いて狐月さんの反応を待つ。
直水爽助さんはよく見たくてあたしの許可を得てから覗いた。
どきどき。
「いい。いいセンスしてる。今のバナーより百倍いい。これに変えてもいいかな?」
「っはい!それでよれば!」
口を開いた狐月さんは柔らかい表情でそう褒めてくれた。バナーになるまで望んでいなかったがあたしはパッと笑顔になって頷く。
「すっごくいいよ!君が描いたの?いーねー!じゃあ改に渡しておけばキレイに載せてくれるんじゃね?」
「うん、それがいい」
「おお!今これからこれが狐月組のバナーかぁ」
腰に手を当てて胸を張る直水爽助さんは笑顔で数秒フリーズした。
よくフリーズする人だ。
「えっ!?狐月、狐月組のこと話したの!?だめじゃん!狐月組のことは彼女にも話しちゃだめだって言ったじゃん!狐月組のボスが不明ってのも狐月組な魅力だよ!?あれっ!?オパチョップって呼んだ!?幹部のことまで話したの!?だめじゃん!」
バッとあたしと狐月さんを交互に見て、今更気付く直水爽助さん。
ああ、この人ちょっと鈍い人なんだなぁ。と思った。
ああ、そういえば掲示板に返事を書かなきゃ。
「ちょっと!!よぞらちゃ…様!これ凄く大事な話だよ!?聞くフリでいいからせめてケイタイは閉じて!」
「聞くフリでいいんだ…」
「貴方がドMなんでしょ。はぁ…やれやれ、ちょっと待ってください。この書き込みをしてから………ごめんなさい、皆さん。目の前にいるオパチョップさんが変人と喋ってないで俺様の話を聞けと怒鳴るので失礼します…と」
あたしの呼び名に詰まってからビシッと言う直水爽助さん。
狐月組を大事にしている気持ちが伝わったのでとりあえず話を聞くことにする。
嫌がらせを残して。
「ってうお!?紅色愛名さんがよぞら様!?」
自分もケータイを閉じようとして気付く直水爽助さん。リアクションがでかい。
[吸血鬼の子孫:え?オパチョップさんのリア友?また絡みましょう、愛名さん]
[パプキンジャックジャックリッパー:オパチョップさん、退室しておいてなにしてんだ…?ああーオフ会が楽しみだなぁははは]
[改改:紅色愛名さん……尊敬する人が増えそうです。また絡みましょう。オパチョップさんは形振り構わず愚痴を漏らしてるみたいですね…紅色愛名さんが可哀想]
[I・CHIP:これはオパチョップさんと一度じっくり話し合う必要があるみたいだね!ていうか……なんか属性が被っていない?可愛い少女属性募集!!]
四人の反応は早かった。それをみたオパチョップこと直水爽助さんが青ざめる。
「NOーっ!!狐月!狐月狐月!いじめだ!ネーム上のいじめが発生するよぉ!なんとかして!」
声を上げて狐月さんに泣き付く姿を見て、情けないと呟く。
「あっ!舞中よぞらさん!学校の時間!」
「え?」
そんな友達を軽やかにスルーして時間に気付いてあたしに向く狐月さん。
時計を見れば五時五十分。夜間の学校があと五分で始まる。
「いいですよ、今日は金曜日ですし。休みます」
「駄目だ、昨日も休んだじゃないか」
「…はぁい」
意外に真面目なことを言われあたしはしぶしぶ学校に行くことにした。
「え?夜間の学校なんだ?…ってまだ狐月組の話を」
「狐月さんがボスだと言わない。裏切り行為もしない。それを約束をすればいいんでしょ?オパチョップさん」
「…あ…ああ、うん…?うん」
椅子から降りてリュックを背負い、あたしは直水爽助さんに告げる。
言いたかったことはそれだろう。
直水爽助さんは頭の理解が追い付けなかったらしく混乱気味。
「これは改色に渡すから、ちゃんと授業に出て勉強をしてきて」
「え…?送ってくれないんですか?」
直水爽助さんは置いておいて、狐月さんと行こうとしたのに驚く。
「僕は改色にこれを渡しに行くから」
「ん?それなら俺が渡しに行くよ。文句言うついでに」
「いや、僕が行く。用事もあるんだ」
「……でも………また誘拐されたら…」
友達がいるから、という理由じゃなかったのは幾分かましだったがショックだ。
一人で登校なんて寂しすぎる。
毎日送り迎えをしてくれたというのに。
あたしがまた誘拐されないためだったのに、一人で歩かせるつもりなのか。
誘拐されて怪我したらどうするんだと言おうとしたが口こもる。言えばきっと用事もすっ飛ばしてくれそうだが、そこまで我が儘にはなれず俯く。
「あ……そうだ。じゃあ…」
「あ、俺。俺が送るよ。一番近い高校に送ればいいんだろ?俺が送るから狐月は改色んとこいって用事すませとけよ」
「…いえ、一人で行きます。近いですので」
「それはだめだ、危ない」
「ははっ!狐月といたら危ない目に遭うのはオプションのように当然だもんな。俺がいれば大丈夫大丈夫!さぁ、いこうぜ」
狐月さんは迷ったが直水爽助さんが送ると言い出したのであたしは一人で行くと決めた。しかし二人に止められ、直水爽助さんに背中を押される。
「傷一つつけずに送ってくれ、爽助」
「りょーかぁいしやした、ボス」
「…。それから余計なことは言うな」
「はいはい」
余計なこと?
狐月さんより先にあたしと直水爽助さんは部屋を出た。
気が重い。狐月さんと違って好意を微塵も持っていない直水爽助さんと二人きりは気分が重い。
「あのぉ……狐月さんの言った余計なことって?」
「ん?んー、さぁ?君に知られたくないことじゃん?」
とりあえず会話。
知られたくないこと。
「どんなことですか?」
「例えば彼女はいなかったけど、セフレがいっぱいいたとか」
……………。
あれ?余計なことを話してるぞ、この人。
「まあ、これは俺が知ってる限り狐月には特定の女の子がいなかったってだけで、それでいてモテモテだったからそんな噂があっただけだけど。狐月とは高校からのダチでね。アイツのモテっぷりはアイドル並みだったな」
当時を思い出して直水爽助さんは笑いながら語る。
狐月さんがモテていたことは驚かないが、どうもセフレという言葉が彼と繋がらない。
「あっ、狐月が番長だって聞いた?」
「………え?」
「あ、聞いてない。じゃあ余計なことってこれのことかな」
さらりと言われあたしはきょとんとする。
なんか狐月さんに合わない単語がまたもや出てきたぞ。ワッツ?
「…あの、直水爽助さん。貴方口軽すぎです。狐月さんがボスだって言い触らしてないなんて信じられません」
「なんで!?俺口固いよ!?」
「今余計なことを話してるじゃないですか。狐月さんに口止めされたのに」
かなりお喋りだ。
自覚ないのか。
「あー、これくらいならセーフだって。狐月組のこと話したくらいなんだし、元番長だってこと話してもいいじゃん」
浅はかな奴だ。
「元番長って…番長って不良の頭ですよね?高校で…不良の番長?あの狐月さんが?」
あたしはせっかくだから訊いてみた。
このまま話を終わらせては気持ちが悪い。
「そ、七春高校で番長だったんだぜ。狐月は」
自慢気に寧ろ誇らしげに直水爽助さんは頷く。
「まぁうちの高校に不良なんてあんまりいなかったし、俺らも真面目な方だったから不良って感じじゃなかったけど。狐月もなろうとしてなったんじゃないと思う。喧嘩売られ、身を守るために返り討ちをしたら…敵が増え続けて仲間も集まって成り行きで狐月が番長になったんだ。アイツはすげぇよ。まじで!よぞ…あ、君はなんか誘拐されたみたいだけど、それって番長時代の敵?」
「え……ああ、そこまでは聞いてません。彼個人の恨みの犯行、としか」
「じゃあ高校時代の敵。七春高校は東京にあってさ、高卒して埼玉でのーんびり皆でライフを楽しんでるんだけどたまぁに番長時代の敵が目をつけてさ、絡まれんだよ。高校時代は色んなとこから喧嘩を吹っ掛けられたからさ、ちょこちょこいるんよー」
明るい笑顔で笑い事にする直水爽助さん。
なるほど。狐月組関連ではなく、狐月さん個人の恨みでそれが高校時代の敵。
確かに狐月さんと同じくらいの年齢層だった。
納得だ。
格闘技はやっていなかったが、喧嘩慣れしていたのは、高校時代に暴れていたから。
しかも番長をやるくらい強かった。
そういえば何故かリーダーの立場に昔からなっていたとかなんとか洩らしてたな…狐月さん。
つまり、狐月組の幹部達は高校の同級生で、同じく高校時代に暴れ、狐月さんの下についていた喧嘩慣れした人達。
至極納得。どうりで抗争もヤクザの返り討ちもするわけだ。
推理小説を読み終えたみたいな感じ。
だから狐月さんはあたしを送り迎えをしてくれたのか。
ん?でも、まだどうしてあたしだったかを聞いていない。
そうだ、オパチョップさんのせいで聞けずじまいだったんだ。
「誘拐されたんだ?」
「はい。それが狐月さんと知り合う前だったんですよ。なんであたしが拐われたかご存じですか?」
「え?全然!なにそれ、おかしくね?」
知り合う前だったのにあたしが人質で拐われたことに直水爽助さんは混乱して顔をしかめる。
存じ上げていない様子。
「………あー。もしかしたら、そうかもなぁ………」
と思えば何かわかったのか一人納得して頷く直水爽助さん。
「なんですか?」
もう少しで学校に着くことに焦りを感じつつ、直水爽助さんから情報を得ようと頑張る。
「ほら、狐月って高校時代は特定の女の子がいなかったって言ったじゃん」
「はい。でもセフレなんて、狐月さんの性格を見ると…ただの噂でしょ」
「まあ、完全否定はできないけど。狐月の性癖は知らねぇし。でも狐月に特定の女の子がいなかったのは確か」
直水爽助さんは何故かそこを強調した。
「それがなんですか?」
「特定の女の子がいなかった、つまり弱味がなかった。まぁ強いて言うなら、仲間の仕返しをすることかな。それを仲間に利用されて痛い目みたから、仲間がやられた事実を確認することにしてんだ」
ふぅん。最強番長で順調だったわけでもないのか。不良の喧嘩生活なんてわからないけど。
抗争での慎重さはそこにあるのか。
「でもほんと、番長でもモテて校門出るのがやっとだった狐月には、恋人がいなかった」
しつこいぐらい繰り返す。
「好きな子、いなかったからだって狐月は言ってた」
ふぅん。
「そんな狐月に拐われ人質になってしまった女の子が現れた」
あたしだね。
「君は狐月の特定の女の子だと思われたんだ」
ふぅん。それでか。
「…………はい?……ワンモア」
「狐月は君が好きなんだよ」
少し頭が停止したあたしが聞き返せば、言い方を変えて答えられた。
尚更混乱する返答に足を止める。
「ハイ?」
「余計なことかもだけど、まぁ言っておくよ。狐月は、君が好きだよ。きっと。特定の女の子もいず、逆ナンも避けて男と今までつるんでたアイツが……君と歩いてるのみて、超びっくした!多分誘拐した奴らは狐月が君に惚れてるってことどっかで知ったから誘拐したんだよ。それしかないね、うん」
「あの、あのあの。なんで?狐月さんはあたしを街で見掛けただけで───…好き──なんて…」
感情豊かに話し一人頷いて至極納得してる彼は間違いだと口を開いたが、思い返せばその方が辻褄が合う気がしてしまい口を閉じる。
うん。僕は前から貴女を知っていた。街で見掛けてて…知ってた。
見掛けていて、あたしを知っていた。存在だけじゃなく、名前もよく食べる物もそして飲み物も知っていたんだ。
それなら、あたしの望みを叶えると言ったのも理解できる。
あの真っ赤になる反応だって、あたしが好きだから。
そうなると、すごく、すごく、解るけど。
「狐月を見りゃわかる。君と一緒に歩いてて、狐月は楽しそうだったし。君のロゴすげぇ気に入ってたじゃん。狐月って滅多にほめないんだぜ?感情を顔にあんま出さねーし、嘘つけねぇタチだしさ」
「…………。爽助さん、いいんですか?そんなの、喋っちゃって」
はにかんで言う爽助さんを眺めながら、あたしはじとっと見上げる。
本当に余計なことだ。
口止めされたのに、どうして淀みなく話してしまうのだろう。信用できないやつだ。
「それは君も狐月が好きだと思ったから」
さらりと答えられて、あたしは目を丸める。
「好きっしょ?狐月のこと。いつも楽しそうに狐月に笑いかけてたじゃん」
「好き…というか………まぁ、爽助さんよりは大好きですけど」
「…………うん、かなり君が狐月が好きだということが解った」
軽く爽助さんを貶し、考えてみる。
最近の登校は本当に楽しくて、狐月さんに笑いかけながら歩いた。
狐月さんは、あたしにとってヒーローだったし。かっこよくって。目の保養で。もっと知りたくて。もっと話したくて。もっと一緒に居たかった。
これを恋愛感情と言っていいのか、迷ってしまうが─────好きだ。狐月さんのことは好き。
「………でも、あたしは恋人じゃないと完全否定をしたし、あたしと恋人になることは望まないと言いました……恋人候補したら」
「それは俺もびっくした。あれじゃん?狐月の照れ隠し。元々狐月って恋愛経験ないからさ、真面目なやつだし、出会ってすぐに付き合う、はないんじゃないのかなぁ。どちらにしろ、君が好きだってことは間違いない!」
爽助さんが歩き出したのであたしも歩き出す。とぼとぼと。
見込みないと思ったんだよね、フラれた時。
それでもウブな反応を見せてくれるから、それだけでも楽しんでおこうと思ってた。
「あれ!?爽助さんって呼んでくれた!?」
「遅…」
本当に鈍い人だ。
人の感情には敏感みたいだが。
狐月さんの言う通り。
人間は関心を持てば知るんだな。
何度か見掛けたあたしの表情まで爽助さんは覚えていた。
そうゆうことなんだ。
もしかして。
狐月さんも、あたしに関心を持って、好きになって、知りたくなったのかな。
「爽助さん、あたしのことはお好きなように呼んでください」
「…よぞらちゃん!」
「………やっぱり舞中と呼んでください」
「ナゼっ!?」
「日を改めてから」
「改めなきゃいけないこと!?」
「よぞらちゃん以外ならお好きなように」
「え!……じゃあ…よ、よぞら……とか言っちゃって!」
「この坂を転がり雪だるまになってください」
「どうして!?しかも雪ないから絶対不可能な要求だ!」
「え?雪さえあれば転がって雪だるまになれたんですか?じゃあ雪のないこの坂ならだるまになれるんですね!」
「うわっ!?超笑顔!?プレッシャー!」
「期待してません。下の名前で呼ばないでください」
学校の前の坂で立ち止まる。
冗談はおいておこう。長くなりそうだもん。
「舞中ちゃん……しっくりこないなぁ…。じゃあ中ちゃんはどう!?」
「突っ込みませんね。じゃあ送ってくださりありがとうございました」
あえての中ちゃんというニックネームをつけた爽助さんには突っ込みを入れずに一礼を校門をくぐる。
中ちゃんというニックネームは決定したらしく手を振り、あたしを見送る爽助さんをチラリと見て、思いに耽る。
夜間のある鴻野学校の不良生徒は狐月さんを知らないらしく、特に目をつけられていなく、今まで通り互いの存在を無視し続けていた。
遅刻でいつもの席に座り、友達に軽い挨拶をして頬杖をつく。
すぐに駅での事件の話を振られたが適当に相槌を打つ。
ずっと狐月さんのことを考えた。
確信があるわけじゃない。
現に爽助さんは恋愛感情の方の好き、だとは言っていない。
別に両想いだ!と浮かれてるわけじゃないけど、狐月さんと恋仲になることを期待しなかったと言ったら嘘になる。
もしも。
もしもだ。
狐月さんがあたしを好きだというなら、狐月さんはストーカー紛いになるけど。それは狐月さんだからストーカーとは言いがたいけど。
何処かであたしを見つめてたんだろうと思うと、どうしようもなく胸が温かくなる。
こんなあたしでも、見てくれた人がいたんだ。
頬がほんのり熱を帯びた。
あたしが人質になったと聞いて、バイクで飛び込んできた狐月さん。
自分の全てを差し出すと言った狐月さん。
かっこよくって、可愛いくて、あたしの特別な存在。
そうだな。
先ずは。
あたしは。
やることがあるよね。
狐月さんに言われた通り、あたしはしっかり三時間勉強をした。
「あれ?今日は迎えじゃないの?舞」
「うん」
帰り支度をして友人と校舎を出る。友人には舞と呼ばれている。
いつもなら狐月さんが待っているからと一足先に校舎を出ていたが、今日は一緒。
他愛ない話をして、校門に行けば。
予想通り、狐月さんがそこにいた。
あたしを待って校門の横に立っていた。
あたしは見付けるなり、駆け寄り─────勢い任せに抱き付く。
「狐月さんっ!」
「っ!?」
丁度胸に飛び込んだ形になる。狐月さんに拒否るという選択はなかったらしく、あたしにされるがまま。かなり驚いたご様子。
「迎えきた!」
「舞…彼氏?」
振り返り、唖然とした友人に言う。
当たり前のようにその質問がくる。
あたしはそれを狙っていた。
「ひーみぃーつぅ!」
にんまり、狐月さんに抱き付いたまま声を上げて答える。
「じゃあ先帰るね!バイバイ!」
左手を振り、右手で狐月さんの腕を引いて校門を過ぎた。
「ちゃんと勉強しましたよ!今日は生物と世界史と国総と数学!」
狐月さんの腕を掴んだまま歩いて、笑いかける。
狐月さんは表現しにくい顔をしてちらちらとあたしの掴んだ腕を見ていた。
「学校の友達も事件の話をしてました。友達は駅からくる人がいたんで、大変だったみたいです」
曖昧に聞いた友達の話を出して一方的に話す。腕を掴んでいるのを、気にさせないように。
「これから駅、利用しにくくなりますね」
「……」
「まあ、別に不便にならないでしょうけどね」
「……」
「血塗れ電車を見に行かなくてもすみましたし。まだ血がこびりついているんでしょうね、もしかしたらあたし吐いちゃうかもしれません。あの死体を遠くから見ただけでもギリギリだったですもの。助かりました、狐月さん」
「……いや」
狐月さんからやっと返答がきた。
うん。
振り払うことはしないみたい。寧ろ、諦めたようだ。
「狐月さんが抱き締めてくれなきゃ気を失っていたかもしれません」
「………そんなことは、ない」
「まぁ、確かに。ちょっとしたカルチャーショックだっただけで、失笑してましたけどね。あそこで笑うなんて…やっぱり不気味でしたか?」
「いや。凄く無邪気で可愛かった」
「………それなら、良かったです…はい」
まだ話しておこうと続ける。
そしたら無表情なままに「可愛い」なんて言ってきたので、あたしはどきまぎして一瞬フリーズ。
本当にドキドキと、心臓が高鳴り熱くなる。
それを急ブレーキするように冷静になろうと頷くが、用意していた話が消えていってしまい会話終了。
ああ、どうしよう。
狐月さんの腕を掴んだまま、坂を下り信号を渡る。とぼとぼと。とぼとぼと。
平然と言われた可愛いが、かなりの衝撃だった。
「貴女があんな風に笑えるようにする」
そう狐月さんから口を開く。
「あの笑顔が貴女の満足のようだから。僕はあんな風に笑えるようにする」
まただ。また言う。
あたしの為に。
あたしの幸せにする為に。
狐月さんは知っているだろうか?
その言葉だけでも、あたしは幸せを感じているってことを。
「はい」
それは言わず、あたしはただ微笑んで頷く。
狐月さんの腕を掴んだまま、合わせられた歩幅で並んで歩いた。
さっきとは違う沈黙を楽しんでいれば、狐月さんはあたしに掴まれていない方の手でポケットを探り出す。
「これ」
目の前に差し出されたのは、一つの鍵だった。
「…鍵?」
「僕の部屋に好きな時にいつでも入れるように。合鍵を作った」
目を丸める。
どうやら用事とは、合鍵作りだったようだ。
目を丸めたまま、鍵を受け取った。掌に置かれた、鍵を見つめる。
合鍵。
異性の部屋の鍵。
彼女になったと錯覚してしまう。
本当にドキドキと、心臓が高鳴り熱くなる。腕を掴む手が汗ばむ。
頬がほんのり熱を帯びたが、深呼吸して冷静になろうとした。
「ありがとうございますっ!狐月さん。わーい!早速使いたい!」
パッと笑い、あたしは狐月さんの腕を引っ張った。
多分狐月さんはあたしの家まで送るつもりだろうと思うが、あたしは狐月さんの家へと足を向ける。
狐月さんは何かを言いかけたがやめて、黙ってあたしについてきた。
早歩きですぐに狐月さんの部屋につく。
握っていた鍵で、あたしは開ける。
かち。
その音に物凄くドキドキとした。
「えへへ!ありがとうございますっ!」
「……帰らないの?時間…」
緊張が伝わらないようににんまりと笑いかけながら玄関に入れば、狐月さんはあたしの手を掴んで止めた。
時刻は九時十七分。ここから家まで徒歩三十分。狐月さんのバイクは修理中のため、徒歩しかない。
「何言ってるんですか、補導される時間じゃないんですから。それともご迷惑ですか?」
「…ううん、構わない」
狐月さんが折れたのでブーツを脱いで部屋に上がる。
「爽助。貴女に迷惑かけなかった?」
「はい?はい」
爽助さんを思い出して、別に話すことでもないと首を縦に振る。
色々余計なことを話したこともチクらないでやろう。
「あっ、そうだ。狐月さん」
あたしは自分の部屋で立ち尽くす狐月さんと向き合う。
首を傾けて更に下から見上げる。
「あたしのことはぞらぞらって呼んでください!ぞらでもいいですよ。あたし、普通に呼ばれるのって嫌なんです。狐月さんにだけ、ぞらって呼ぶことを許可しますから!呼んでください、狐月さん」
一歩、近寄れば間近になり、少し狐月さんは仰け反ったが、あたしは言おう言おうと思っていたことを言った。
一向に狐月さんは“貴女”か“舞中よぞら”と呼んでくるからあたしから呼び名を指定しないと。
普通じゃあ物足りないと思って、誰にも呼ばれていない呼び名を提案した。
「ぞらぞら?」
「ぞらぞらぁ」
「…ぞら?」
「ぞらです!」
確認で聞き返す狐月さんに笑顔で答える。
ニコニコと爪先で立ち、その距離を保ちながら。
「ぞら」
そう呼んでくれた狐月さん。
その距離がいけなかった。
黒く長い髪の間から真っ直ぐに見つめてくる瞳に囚われる。間近に聴いた落ち着く声が耳から浸透していく。
狐月さんの香り。
呼吸が聴こえる。
─────かくん。
「キャッ…!」
爪先で立っていたがバランスを崩し、狐月さんの方へと倒れる。
突然のことで、狐月さんも受け止めきれずに倒れた。それでもあたしのダメージを和らげようと抱き締める。
狐月さんの両腕に包まれた。
さっき一方的に抱き着いたのとは違う密着。
うわっ……。
バクバク。
心音が煩い程弾く。
頭の中に心臓があるみたい。
バクバク。
狐月さんはどうか知らないが。
あたしは。
あたしは。
狐月さんが至極好きみたいだ。
+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。
この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。