これは名著ですね!メディアに関心がある方は必読です。
ほぼ日刊イトイ新聞の歴史
・意見を求められるほど重要な人物なんて、そんなにたくさんはいない。ぼくがその重要な一員であったはずがない。いま、こいつを登場させていると「いまっぽく見えるな」という人ならいっぱいいるので、ある時期、その役割をぼくも担っていたというだけの話だ。
・僕は11月10日、49歳の誕生日をきっかけにして、東京・秋葉原の電気街へパソコンを買いに行った。クリーチャーズの若い衆に声をかけて指導をあおぎながら、購入したのはマッキントッシュの最新型パフォーマーというやつだった。
・古い職人的な考え方なのかもしれないけれど、「思いっきり、仕事がしたい」という欲望は、実力のある人ほど強く持っている。ぼく自身、いままでやってきた仕事のうちの相当量は、タダでもやります、という姿勢でやったものだったりする。
・タイトルに「ほぼ」を付けたのは、自分に対するエクスキューズだった。「日刊イトイ新聞」にして、毎日更新することが、自分たちの強迫観念にまでなってしまうのはいやだったからだ。自由さがなくなったら、ぼくにも読者にもつまらない。「ほぼ」といういいかげんな二文字のおかげで、ぼくらがその後もどれだけ自由でいられたかを思い出すと、この判断はほんとによかったと思う。
・『ほぼ日』のコンセプトの柱は、前にも書いたが「その人の『まかないめし』を提供してもらう」だった。
・「世間でもっと高く評価されてもいいのに、なぜか実力以下に見られているものを発掘する」。なんだか、株の買い方のコツみたいだが、もうひとつのコンセプトがこれだった。
・ぼくは、『ほぼ日』ではあくまでも自分たちがイニシアティブをとってつくっていくことが重要だと思っていた。のちに『ほぼ日』がテレビ等マスコミで大きく紹介されたのをきっかけに、「もっとこうするべきだ、ああするべきだ」というアドバイス・メールもたくさんきた。なかには少ないとはいえ、非難や中傷のメールもあった。『ほぼ日』は公器ではない。みんなの意見にひきずられていたら、いままでのメディアと同じように「お客さまという神様」の言いなりになって、身動きが取れなくなってしまう。
・「まず歌え」と、ぼくは自分に言う。その歌をお客さんに下手だと思われたら、「そうかぁ」と思えばいい。拍手が聞こえたら喜べばいい。「俺はお客様だぞ」と怒る人がいても仕方ない。怒る人は「自分の歌」を歌えば良いと思う。メールを出せる環境があるのだから、インターネットで「ほぼ日刊その人新聞」を大勢の読者に送れるのだ。本当に生意気だと思われるかもしれないが、「いやなら来るな」とぼくは思っていた。ホームページはいままでのメディアではタブーだったそのひとことがいえるからこそ、貴重なメディアなのだ。
・アクセス数はすでに通算では百万を超えようとしていたが、アクセス数に足をとられないようにしようというコンセプトは、当初からの編集方針だった。アクセス数の増加を自己目的化すると、どうしても「必要」なホームページになろうとするからだ。「必要」なものとは検索、ニュース、便利なリンク集、常連の掲示板、性欲、賞品などなどだが、いずれも資本でつくりだせる。こいつらしかできないと思えるものをつくるには「必要」の助けを借りないほうが練習になる。
・気をつけていることはあまりないが、あえて言えばこうなる。
一、誰が言っても同じことをできるだけ避ける
二、わからないことはわからないまま書く
三、あまりにもつまらんと思ったら、もうひとつ書く。・『ほぼ日』の経費は前述したように僕の「外仕事」の稼ぎでまかなってきた。問題は『ほぼ日』に割く時間が増えていくにしたがい、外仕事はますます減らさざるを得ないということだ。時間は有限だからそれは当然だ。その結果、稼ぎは細くなり、財政的に厳しくなっていく。実際、資金が枯渇した月もあった。
・「『ほぼ日』って、もう宗教じゃないの?」とからかうように言う人もいるのだけれど、そういうときのぼくの返事は決まっている。「宗教だよ。出入り自由の」
・ぼくはさらに、スタッフの募集をかねて、以前から温めていたある計画を実行に移すことにした。その計画とは5万円の授業料を徴収し、3週間働いてもらうスタッフを募集するというものだ。名付けて「ほぼ日式スタッフ募集計画」。『ほぼ日』を学校と見立て、仕事を授業の課題とすることで、自ら学んでもらおうというコンセプトだった。
・ぼくは創刊した当初から、「三日、三ヶ月、三年」と同じように、人数で「三万人」の読者というのをイメージしてやってきた。(中略)三万人の自信は、執筆者を口説くときや企業の人と話すときに大きい。「すいません、タダなんですけど、あなたにもインセンティブはあります」と言えるようにもなる。
・ぼくは基本的には、いばったりするのが大嫌いだ。いばられるのもイヤだ。できるかぎり平らな関係で、おたがいの役割を分け合ったり奪い合ったりするようなチームが理想だ。フラットなのに、マナーがあるというような関係がいいと思うのだが、そういう関係をつくっていくためには、きっと自分たちが何のために何をしたいのかという「動機がしっかりしていること」がいちばん大切になってくる。
・『ほぼ日』は自分たちの表現の場としてスタートしたぶん、「大切なのはアクセス数ではない」と照れすぎていたような気がする。視聴率や、売上の競争のように、大きな数だけを競争するのはおかしいぞ、と思っていたので、ぼくはアクセス数を増やすことを、冗談めかしてしか言ってこなかった。(中略)アクセス数について、もっと欲張ってみたいと、ぼくは考え始めている。大量生産品でないものを、確実に育てていく場は、大きな広場のほうがいい。大きな都市である東京には、とにかく無数の仕事がある、というようなことだ。
・いまは、というか、これからは、「幸福感」を選び合う時代なんだと思う。お金をたくさん持つことがしあわせだと思う人が、たくさん持つことをしあわせだと思わないという人を選んだら、ややこしいことになりそうだ。企業についても、政治家についても、どういうもの、どういうことを「幸福」だと考えているかをプレゼンテーションしてくれないと、選んでもらえなくなる。
なんとこれ、2001年の本なんですね…。今から12年前とは。メディアづくりについてのヒントがてんこもりです。
特に「人数で「三万人」の読者というのをイメージしてやってきた」というのは面白いです。うちのブログもこのくらいの規模をイメージしたいと思います。ツイッターが現在2.7万人、RSSが8,000人、フェイスブックが8,000人という感じなので、あと2〜3年で固定読者3万人の水準には達する?かもしれません。