漢字なんて書けなくていい—テクノロジーと「手書き」の死

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2013/01/05


面白いニュースを見つけたのでご紹介。


「手書き」の死

「最後貴方が紙とペンを持って字を書いたのはいつですか?」の質問にはっきりと答えられる方はどれ程いるだろうか? 英国のリポートによると成人英国人が最後にハンドライティングで文字を書いたのは平均6週間前という結果。

スマホの予測変換脳ヤバい!『漢字が書けなくなって来た』ユーザが今後飛躍的に増加する恐れ|| ^^ |秒刊SUNDAY

僕も手書きで文字を書くのって、クレジットカードの決済や郵便物の受け取りでサインを書くぐらいだったりします。年賀状も奥さんに書いてもらったので、僕の手はまったく動いておらず。ということで、恐らく漢字を書く能力も落ちていると思われます。もはや紙に書かないのでそれすらもよくわかりませんが…。


今後は手で文字を書くのが苦手な人、漢字を書けない人は増えていくのでしょう。かくいう僕もそのひとりになりそうです。

「最近の若者は漢字も書けないのか!」と思わずおじさんたちが嘆きそうな社会変化ですが、僕は別段問題はないと思います。

無論、手で書けるに越したことはないですが、デジタル端末で問題なく文字入力できれば、日常生活ではほとんど不便を被ることはありません。字が書けるかどうかで人間性が変わるわけでもないでしょう(おじさんたちは「手書きの身体性が人間性を育むんだ!」と言いそうですが、幼少期ならまだしも、大人においてはそんなことはないでしょう)。

文字を書くという行為の目的は、99%、「コミュニケーションを取るため」です。その目的を確実に遂行することができれば、ハンドライティングであろうが、スマホメールだろうが、大差はありません。「手書きの温かさ」とはいいますが、そんなものは、日常的に必要になるわけではないでしょう。よっぽどLINEのスタンプの方が温かみがあるかもしれませんしね。


脳科学者の池谷裕二さんと、作家の中村うさぎさんの対談本「脳はこんなに悩ましい」の中にこんな一節があったのでご紹介。

(池谷)この論文を読み終えたとき、私は「人は文字を学ぶことで記憶力が減退し忘れっぽくなる」というプラトンの言葉を思い出しました。確かに、そのとおりなんですよね。文字がない時代の人たちは、膨大な知識を、詩歌などに託して暗記していたわけです。

(池谷)文字版の聖書が作られたころ、きっと大人たちはこう言っていたと思うんですよ。「最近の若者は文字ばっかりに頼りおる」(笑)

(池谷)「ワープロを使うようになったせいで、漢字を覚えなくなった」「グーグルを使うようになったせいで、知識を身に付けなくなった」。これを「退化」と断言するのは時期尚早だと思います。


すでに現状そうなっていると思いますが、「手書き」はテクノロジーによって死を迎えつつあるのでしょう。日常生活では相変わらず手書きは使われるでしょうけれど、サインを書くとき、ちょっとしたメモを書くとき、ハガキを書くときなど、利用シーンは相当限られたものになっていくはずです。

日常生活から手書きが消えつつあることは必然の変化であって、あえてこれに抗おうとは思いません。100年後の人間は、もう文字なんて書かないかもしれませんしね。

だとするならば、教育のあり方なんかも変えていくべきなのでしょう。先に紹介した「脳はこんなに悩ましい」のなかで、池谷さんが「止めや跳ねや書き順を学ばせる書き取りテストだけじゃなくて、同音異義語を選ぶような実用的なテストに比重を置いたほうがよいと思う」という発言をしているのですが、ホントその通りですよね。


みなさんは「漢字が書けない人が増えている」ことについてどう思いますか?不可避の変化だとすれば、何をどう変えていくべきだと考えますか?ぜひコメント欄で教えてください。