タイトル | : Re: 誤植等に学ぶべきでは |
記事No | : 5401 |
投稿日 | : 2012/11/15(Thu) 14:57:50 |
投稿者 | : 忍 |
羽ばたき Ein Marchen 堀辰雄 >> ※副題「Ein M rchen」は、ファイル冒頭ではアクセント符号を略し、「Ein Marchen」としました。 >> ○aの上に点が二つあるのは、アクセント記号ではない。ウムラウトという。アクセントとウムラウトは意味が全く違う。変な間違いはしないのがよい。
総称するなら、ダイアクリティカルマークでしょうが、この表記方式を考案された方は、「アクセント分解」と名付けて、この形で普及に向けて動いておられました。名称を変更し、関連文書を書き換えてくれと求めることはせず、「アクセント分解」という名前を受け入れて、使わせてもらっています。 ○テキスト最後の注記には、「アクセント記号」とあります。「アクセント分解」とはかかれていません。したがって、ウムラウトと訂正するべきです。 >> 同じ堀のテキストで、図書カードの誤り >> メルヒェンという読みは間違い、内部検索でわかる。 >> メルヘン10件(うち一つはないのに数えられている、よって実質9件) >> メルヒェン3件(うち一つはないのに数えられ、もう一つは別の言葉、よって実質1件、それは今問題にしている堀のもの)。堀の時代(たとえば中原中也など)には「メルヘン」と読まれていたのであり、堀もそう読んだとみなすのが当然。
Marchenの発音を「メルヒェン」と書くのが間違いで、「メルヘン」が正しい等という言えないと思いますが。「メルヘン」の用例が多いということは、外来語の片仮名表記に、それを用いる人が多いということでしょう。 ○私はそういうことを言っていません。このドイツ語の読み方の正誤ではなく、堀辰雄はどう読んだとみなすのがもっとも適当かと言うことです。したがって青空の内部検索では堀と同じ時代のものらしいのばかりで、しかも全部「メルヘン」と読んでいるのですから、堀もそう読んだとみなすのがいちばんよいと言うことです。単に現代人も含めて用例が多いというのではありません。堀の時代にはどう読まれていたかと言うことです。勘違いしないで下さい。逆にききましょう。堀辰雄は「メルヒェン」と読んでいた証拠がありますか。まずあり得ないことです。今の感覚で読まないで下さい。あくまでも著者の時代性をよく考えて下さい。
>> 断腸亭日記巻之三大正八年歳次己未 >> 副題読み: 04 だんちょうていにっきまきのさんたいしょうはちねんさいじつちのとひつじ >> ○歳次己未は、さいじつちのとひつじ、ではなく、さいしきび、または、さいじきび、とよむのが普通。 >> これは漢文になれた人でないときづかないでしょうし、どっちでもいいですが、永井荷風が「きび」と読んでいたのはほぼ確実であり、今でもそのような文脈で出たばあい、そう読むのが常識だと言い添えておきます。 >> 「歳次己未」は「さいしきび」、または、「さいじきび」と読み、普通は「さいじつちのとひつじ」とは読まないとする典拠があれば、ご教示ください。 ○だから漢文の常識だというので、いまから用例をしめせと言われても、日本書紀の例ぐらいしか思いつきませんが。ただ確実に言えることは、古くなればなる程、漢文は勿論日本語でも、音読みと訓読みを混在させないと言うことです。「としはつちのとひつじにやどる」と読めば、すべて訓読みであり、「さいじきび」と読めば、全部音読みです。つまり漢文とかにおいて、湯桶読みやその逆はしないと言うことです。これが常識で、それにはずれるととたんに漢文らしくなくなります。ただしこれはふだんから漢文になれていないとわからないでしょうから、理解できないと言われればそれまでです。あお荷風の漢文力は一流です。
以上私の疑問に対しての富田氏のご返事はありません。全く理解しがたいご返答ですので再考を願えないでしょうか。 以下新しく見つけたもの。
作品名: 海豹と雲 作品名読み: かいひょうとくも 著者名: 北原 白秋 文中に「あざらし」とふりがなあり。
第二海豹と雲 作品名読み: だいにかいひょうとくも もちろんこれも「あざらし」と読むべきである。
小ざかな干物の味 作品名読み: こざかなのひもののあじ 著者名: 北大路 魯山人 「こざかなの」ではなく「こざかな」
島木 赤彦 作家名読み: しまぎ あかひこ ローマ字表記: Shimagi, Akahiko しまきあかひこ、が正しい。辞典類を見ればわかる。 島木健作が、しまきけんさく、となっているのと整合せず。
雁 田中貢太郎 そんなら、私が拾って比処へ持って来た。→比処をこことは読めない。此処である。別の本では「ここ」となっていたので漢字ではどうか未確認。 実方津(みのかたつ)の藩中に→別の本(国書刊行会)でもこうなっているので仕方がないが意味不明。入力者は調べるべきである。 恐らく、実方(じつかた)津(つ)の藩中に、と読むのだろう。そうでないと意味が通じない。
世の中へ 加能作次郎 ※「燈」と「灯」は、「輪燈」、「行燈」、「アーク燈」、「電燈」、「洋燈」、「提灯」、「灯の光」と使い分けているので底本通りとしました。 ○使い分けなどされていないから、混在とするべきである。 ※旧仮名遣いでは「あんぢよう」ですが、底本中「あんじよう」が5回、「あんぢよう」が1回使用されているので、底本通りとしました。 ○5対1なので、底本通りなどという論理はない。新旧仮名づかいの混在のようなので、底本通りとした、とするべきである。
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