|
|
|
2012年12月31日 | 都市のミステリ |
本日の公開作品に久生十蘭「魔都」を推薦する。久生十蘭の代表作であり、「夕陽新聞の記者、古市加十は大晦日に安南の皇帝と出会い、“魔都”東京に渦巻く皇帝を巡る陰謀に巻き込まれる」といった内容のミステリである(連載「新青年」、1937(昭和12)年10月〜1938(昭和13)年10月)。入力をしていて、思い出したのは海野十三「深夜の市長」であった(連載「新青年」、1936(昭和11)年2月〜6月)。「深夜の市長」は、「東京市(作中ではT市)に跳梁跋扈する怪人物、巻き起こる怪事件、そこに巻き込まれた主人公は、昼間とは異なった世界に変貌する深夜の街を目撃する」といった内容で、古市加十を彷彿とさせる人物がいる。もっとも、「深夜の市長」は海野十三らしいSF風味のミステリであり、「魔都」は純然たるミステリ(ピカレスクロマン寄り)である。また、「深夜の市長」が巻き込まれ型の主人公の目線で展開してゆくのに対し、「魔都」は、古市加十だけではなく、多くの人物の視点から語ることにより緊密な時間軸の中で物語が展開して行く。その密度は『24』を思わせる。巻き込まれ型主人公の迎えるフィナーレも大きく異なる。好みはひとそれぞれなので、読み比べてみるのも一興だろう。ということで、約八十年前の昭和九年十二月三十一日に始まるノンストップミステリをお楽しみください。(門) |
2012年12月27日 | データベースと公開サイトのUTF-8化に向けて |
これまで、EUC-JPだったデータベースと公開サイトを、UTF-8に切り替えようと思っている。 書誌情報のCSVは従来、「公開中 作家リスト:全て」と「作業中 作家リスト:全て」から、Shift_JISで3種類提供してきた。 明年1月末に予定している切り替え後は、これまでどおりの上記ページから、それぞれにUTF-8版を加え、都合6種類を並行して出力する。 Shift_JIS版は、同じリンク文字から、同じファイル名で提供し続ける。 ただし、UTF-8をShift_JISに変換してと、作り方が変わる。JIS X 0208にない文字は、基本的には数値文字参照で表現する。Unicodeをあてると表示フォントがなくて見えなくなるだろう一部は、当面、外字注記を残すので、そこだけはShift_JISでも外字注記のままとなる。 UTF-8をShift_JISに変換する際、利用したテーブルは、「―」をU+2015の「―」とし、「〜」をU+FF5Eの「~」とする。 この誤変換問題、CSVを利用する側にとって、どう対処するのが望ましいのか。 サンプルのShift_JIS版では、とりあえず、この数値文字参照のままにする。 「―」は「―」に、「~」は「〜」にして出すという形で良いのか、ご意見を聞かせてほしい。 下記リンク文字から、サンプルを引き落とせるようにしておく。 他にも正すべき点がないか、チェックしていただけるとありがたい。
皆さんのコメントは、明年1月20日まで、reception@aozora.gr.jpへのメールと、掲示板「こもれび」で待つ。 その後、必要な修正を加え、データベースと公開サイトの切り替えへと進めたい。 公開サイトは、一気に全体をUTF-8化するのではなく、新規に作成するものと更新がかかったものから、変えて行こうと考えている。(倫) |
2012年12月25日 | 「青空文庫ものがたり」を公開 |
野口英司、宮川典子「青空文庫ものがたり」を公開する。 『インターネット図書館 青空文庫』野口英司編著、2005年11月(はる書房)の一部。青空文庫が生まれ、育った経緯が綴られている。 多様な環境で、青空文庫のファイルが開かれるようになった。それに連れ、ソフトウエアの名前として認識する人、著作権切れファイルの総称ととらえる人が現れた。「青空文庫ってなに?」との問いも、しばしば目にするようになった。 この作品が、そうした誤解を正し、疑問にこたえてくれるのではないかと、期待している。 同書の奥付には、制作に携わった関係者、野口英司、宮川典子、八巻美恵、富田倫生の名が記されている。 公開に際して四人に求めたコメントを、紹介する。 『インターネット図書館 青空文庫』は2005年11月に刊行した。野口さんから、はる書房に企画が持ち込まれ、編集を担当するまで青空文庫のことはほとんど知らなかった。誰が何のために? それは私の疑問でもあったから、「青空文庫ものがたり」という章を設け、青空文庫の成り立ちを紹介することにした。 まず野口さんに聞いた話で構成を考え、青空文庫のホームページとネット検索で拾った関連記事をもとに叩き台の原稿を書いた。野口さんがその原稿を大幅に修正した。加筆したところにはお金を巡る問題もあった。もろもろの青空文庫運営にかかる労力に対してお金を払わないのか、読者からお金を取らないにしても企業が青空文庫のデータを利用するのもタダでいいのか等々。内部での議論、それと野口さんの見解が書かれていたかと記憶する。しかし、迷いはあったが、ほとんどカットした。その後、何度か原稿のキャッチボールをして入稿原稿ができた。 刊行後、知人から「青空文庫ものがたり」は“きれいごと”でまとめられていて物足りないという感想を貰った。たしかに青空文庫が誕生し、育てていこうという過程で、意見の相違から離れていった人もいた、と聞いている。それも書かなかった。1997年から当時で8年間、きっとさまざまなことがあった。 編集という作業では、時としてリライトを行なう。叩き台原稿を用意することもある。そんなとき、自分の名前を挙げることはない。「青空文庫ものがたり」は野口さんとの連名にした。青空文庫当事者ではない別の人、つまり私が介在することを示して、“実録もの”から遠ざけたかったのである。それが上手くいったかは分からない。ただ、当時は思いもしなかった青空文庫の「人物紹介」に私が載るという結果を招いた。 青空文庫の誕生と成長を思うとき、高い志、無私、高潔といった言葉が浮かぶ。「青空文庫ものがたり」に登場されなかった多くの方たちも、そんな言葉が似合うと思うのだ。今でさえ、夢ものがたりの中にいるような気持ちになってしまう。そんな私が、シリアスな面に言及するのは無理があるのだ。現在、青空文庫の創設メンバーたちに行なったロングインタビューを一冊にまとめる企画が進行中らしい。刊行したら、直ちに読みたい。新しい視点で青空文庫のことを考えられることだろう。 ところで、私の母方の祖父、江部鴨村(1884―1968)には著作がある。没後に刊行されたものは少ないが、なかに『華厳経 口語全訳』(1996)、『徒然草全講義 仏教者の視点から』(1997)がある。前者は1934年に刊行された本を国書刊行会が復刻したもの。上下巻の1冊を持って現れた担当者から「復刻したいので片割れをください」と頼まれ、喜んで家にあった本を提供したという。後者は未刊だったもの。出版社の事情、おそらく倒産で、初校から三校までのゲラと一部原稿で残っていたのを、私と私の友人で編集して公刊した。奥付のコピーライトには、著作権を承継した次女だけでなく3人の娘たちの名前を並べた。孫が出したというと美談めくが、制作費の全額は長女である母が出し、しっかり編集費を請求した。 著作権の保護期間を延長せよ、という論調のなかで、孫の世代まで権利を存続させようというのがあったように思うが、極私的にいえば、子どもたちだって眠っている著作を世に出して貰えれば、それで嬉しいのだ。読んでくれれば、お金は二の次、出したっていい。保護期間延長は巨額が動くビジネスにおいて利権を守るのに必要なこと。私が母からお金を貰ったように、生活とお金は切り離せはしないのだけど、クリエイティブ・コモンズをはじめ著作物の利用は開かれていくのがいい。青空文庫は何のために存在しているのか。それについてはちょっと分かった気がしている。(宮川) この「青空文庫ものがたり」は2005年に書いた。当時は、著作権の保護期間を70年へと延長しようとする議論が活発にされていたので、その延長がはたして正しい判断なのか確認するためにも、その時点までの青空文庫の歴史のようなものを書いたつもりだった。結局は70年への延長は見送られ、今まで通りに著者が亡くなって50年を経れば青空文庫で公開することが可能となった。そして、そこからまた大きく時代は動いて、保護期間が50年のまま維持されたこともあって、驚いたことに青空文庫への期待は2005年当時とは比べ物にならないくらいに大きくなってしまった。2013年には吉川英治や柳田國男が青空文庫へ加わるはずではないかとの期待がうねりのように押し寄せてくる。このような状況を考えれば、もうすでに過去を振り返ることよりも未来を考えることが大切なことは明白で、この「青空文庫ものがたり」の公開をきっかけとして、青空文庫のようなテキストアーカイビングの運動をどのような運営基盤で行うべきかを真剣に考える必要があるのではないかと思う。(ag) 組織としてはかなり柔軟な青空文庫だから、いろんな人が出入りする。その結果と言っていいと思うが、人間関係から文字ひとつについてまで、あらゆる類の問題が次から次へと起こり続ける。それらを解決することで青空文庫の方針が出来、前進もしてきた。「青空文庫ものがたり」を読めばそのことがよくわかると思う。 青空文庫をはじめようと相談したとき、私を含めてそこにいる全員が辺境の人だったことは強調しておきたい。辺境の人たちによる辺境の場としてのスタートだった。東京周辺にはたくさんの人が住んでいるから、たくさんの辺境もまた存在している。だからそのこと自体はめずらしいことではないだろう。辺境の場はインターネットを通じてたくさんの辺境の人たちを惹きつけてきたのだと思う。それぞれが自分の頭と体を使って、蔵書を一冊ずつ増やしてきた。そして金銭や権力を求めることなく、辺境のままでメインストリームに少しは影響を与えるようにまでなったのだ。青空文庫の物語はまだまだ続いていくだろう。そんな感慨にひとりふける冬の夜です。(八巻) 本日登録した「青空文庫ものがたり」には、いくつかユニークな点がある。 まず、主題。青空文庫自体をテーマとした作品は、これがはじめてだ。目立たないが、登録形式も、従来の枠を踏み外している。 青空文庫は、著作権の切れたものと切れていないもの、二種類を受け入れる想定で始めた。 日本では、作者の死後50年を経て著作権が切れれば、誰でも作品をテキスト化して、インターネットで公開できる。ならば、自分たちでファイルを作り、自分たちのサーバーに置こうと考えた。 一方、権利は切れていなくても、著作権者が同意するものもまた、公開できる。ただし、「インターネットに置いて良いか、悪いか」決められるのは、あくまで権利をもつ人。誰が公開すると決めたか、はっきり示す上では、ファイルはその人の場所に置いてもらい、青空文庫の図書カードから、リンクする形をとろうと考えた。 その原則を外れて、今回は、著作権の切れていない「青空文庫ものがたり」を、本体のサーバーに置いた。 他人が勝手に扱わないよう、著作権法が守ってくれる作品を、自ら公開する理由はなんだろう。自分の旗を立てて、次の仕事につなげるため。読んでほしいとの一心。作品を残したいとの思い。 色合いに異なりはあっても、その根には、生み出した作品を社会のどこかに根付かせておきたいとの願いがあると思う。 芥川が「後世」で吐露したのと同種の。 その思いは、自分でサーバーを維持できなくなった後も残る。誰かが、継続的、安定的に維持してくれそうなところに置いてもらえれば、安心できる。これまでにも、青空文庫の本体に置いてほしいとの申し入れは、何度かあった。その気持ちは、良くわかった。 タブレットやスマートフォン用に、青空文庫を読むためのソフトがいくつも書かれた。電子書籍端末が普及し始め、それぞれの専用ストアに、ファイルが取り込まれるようになった。 そうなって、新たな気がかりが生まれた。広くファイルを行き渡らせる流れに、著作権ありの作品が、うまくのれないケースがでてきた。 青空文庫を読むソフトは、著者別のリストを用意して、目指す作品をたやすく開けるようにしている。ところが、そのリストから、著作権ありのものがしばしば外される。専用ストアに取り込む際は、まず省かれる。 著作権侵害を恐れての、慎重な振る舞いだ。 けれど、著作権者の中には、青空文庫に置いたものを読んでほしいのはもちろん、開かれるチャンスが増やせるなら、どこにでも持って行ってほしいと望む人もいる。 青空文庫が注目される中で、置き去りにされかかったその願いを後押しするために、できることはないか考えた。 そこから生まれたのが、著作権ありを本体サーバーに置く、今回の試みだ。 実験の筋道をたてるために、条件を設けることにした。 著作権者にはまず、作品をどんな形で使えるか、なには許さないのかを、明確に示してもらう。 許す範囲を明示することで、利用を促そうとする試みには、歴史がある。クリエイティブ・コモンズは、その代表格だ。許すことと許さないことの組合せも、選べるようになっている。 「青空文庫ものがたり」で選ばれたのは、「誰が書いたかの情報を残し、商業利用と書き換えは許さない。ただし、この条件を守ればその他は自由」という「表示―非営利―改変禁止」だ。 こう示してあれば、権利を持たない青空文庫でも、自分たちのサーバーから安心して作品を配信できる。表示ソフトが、作品リストに組み込むことには、なんの問題もない。電子書籍ストアが自分たちのサーバーから発信することも、無料ならかまわない。 条件の二つ目は、いわゆる青空文庫形式にファイルを整えること。 青空文庫の基本ファイルは、テキスト版だ。ルビはどう表現するか、字下げは、使えない文字は、挿絵はどうするのかと、ルールを決めて作っている。 表示ソフトは、それを逆にたどって、ページを組み立てる。他の形式に変換するプログラムも、青空文庫ルールを、別のルールに置き換えている。 著作権ありの作品では、これまで、ファイル形式は問わなかった。だが、四方にたやすく流れることを願って本体におくなら、青空文庫形式が望ましい。 実験の意図を伝えると、著者の宮川さんと野口さんは、二つを受け入れてくれた。 青空文庫を語るはじめての作品は、かくして本体サーバーに置かれることになった。 この実験で、すぐに効果が期待できるのは、アクセスランキングへの登場くらいだろう。 これだけで、作品の社会への根付きが加速されるとは思わない。表示ソフト開発者、電子書籍ストア運営者を含む世間の皆さんに、試みの意図を繰り返し説明し、対応をお願いする必要がある。 条件を満たしていることの目印を、どこかに付けておくことにも、効果があるかもしれない。 当初は、著作権ありとなしの双方の登録を目指したが、今、著作権ありへの対応は、休止状態にある。作品を読み、登録するか否か相談し、求める人に結果を伝える作業を、担当してきた呼びかけ人グループがこなせなくなったためだ。 そうなって以降は、原著作権切れ作品の新規翻訳と、呼びかけ人自らが、特に「収録したい」と望んだものだけを、受け入れてきた。 自分たちの力量をはかると、著作権ありの門戸を、近々もう一度開くことは難しい。その意味では、実験は限られた範囲のものとなるが、登録済みの作品と新規翻訳に関して求めがあれば、本体収録の対象とさせてもらおうと考えている。 空に置いて、読み手を待つ。 その仕組みが、今の作品を社会に根付かせる手助けもできるのか。 手の及ぶ範囲で、確かめてみたい。(倫) |
2012年11月01日 | ブクログにリンクする |
インターネットに読書記録を残す、ブクログというサービスがある。 読んだ本を登録すると、画面上の自分の本棚に、カバーがならぶ。背表紙にして詰めて表示させたり、リストの形でもみることができる。 本を読んで思ったことは、書き残しておける。引用を、メモしておくことも可能。 本棚や、書きためたコメント、引用は、別の利用者のものもみられる。自分が読んだ本に、人はどんな感想をもったのか、聞けるわけだ。 これまでブクログは、紙の本だけを対象にしてきた。 それが先月、青空文庫にあるものも、登録できるようになった。扱いを確認すると、青空文庫の作品IDが利用されていた。 これなら、ブクログに登録された作品に、青空文庫から逆にリンクし返すことも容易だ。 本の感想を、集められないかという発想は、以前からあった。 ブログが流行り始めた頃、そこに書かれたコメントを、トラックバックという手法で図書カードに集めようかと考えた。「迷惑トラックバック」への対処が気になって実行しなかったが、みんなの感想を聞きたいという思いは残った。 ブクログと連係すれば、登録作品の静かな読書会を、常時、インターネットに開いておけると、眠っていた期待がよみがえった。 本日から、ブクログへのリンクを始める。 新着作品の図書カードにある、作品データの備考欄には、あらかじめブクログへのリンクを組み込んでおく。数日して、ブクログに作品が登録されると、リンクが機能し始める。 すでに公開された1万あまりの作品にもすべて、こんな形で、リンクを貼っていく。 ミスや事故に備えて、貼り込み作業は数回に分ける。本日は、IDの小さいものから2000作品に対して行うつもりだ。 変更箇所が、なにしろ多い。 貼り込みミス、リンクの誤りや、タグのこわれなど、あるかもしれない。 問題に気づかれたら、receptionメールアドレスなり、掲示板で指摘してもらえるとありがたい。 ブクログで開く、青空文庫作品の静かな読書会の主役は、作品を読む人だ。 加えて、ファイルを作った皆さんの思いも、ここで聞かせてもらえればと思う。 舞台は用意した。 読書にまつわるあれこれをインターネットに開くことで、果たしてなにが起こるのか。あるいは起こらないのか。 視線を遠くにすえ、期待をもって、後は見ていたい。(倫) |
2012年10月02日 | 石原莞爾「最終戦争論・戦争史大観」を分離 |
石原莞爾「最終戦争論・戦争史大観」を、「最終戦争論」と「戦争史大観」に分ける。従来のURLは「最終戦争論」が引き継ぎ、「戦争史大観」に新しいURLを与える。 前者は、1940(昭和15)年5月に行われた講演、後者は、1929(昭和4)年7月に行われたものの書き起こしが元。何度かの手直しを経て、後者は、1941(昭和16)年2月に、著者によって書き直されている。 二つは、過去にまとめて刊行されたことがあり、底本も合わせて一冊としている。これまでは、この構成をなぞってきたが、「作品単位での収録」という登録の基本方針にそって、今回、分離することとした。 差し替えたファイルでも、図版、表組みは、省略されている。必要なファイルは含めるという現在の方針にそって、この点も、あらためたい。(倫) |
2012年09月26日 | 「青空文庫のXHTML, TEXTの読み方」を更新 |
作品を、縦組みで、本のように読む工夫を、「青空文庫のXHTML, TEXTの読み方」にまとめている。 ここに「えあ草紙 青空図書館」を追記した。 「読みにくい」「目が滑る」「疲れる」と感じたら、試してほしい。(倫) |
2012年08月20日 | 日本に初めて紹介されたH・P・ラヴクラフトの作品 |
今日8/20はH・P・ラヴクラフトの生まれた日にあたる。没後75年のゆかりの日に作品が公開される事をファンとして嬉しく思う。 本日、西尾正「墓場」が公開される。 西尾は戦前から『新青年』『ぷろふいる』等に特異な文体の怪奇小説を発表していた探偵作家、一部に愛読者がいたという。全集というべき『西尾正探偵小説選』の帯文には”深遠を覗いた男たちの悲劇”とある。 その彼が終戦間もない昭和22年に発表した本作はいささか曰くがあり、明らかにこれはラヴクラフト「ランドルフ・カーターの陳述」を下敷きにした作品なのである。 かの江戸川乱歩「怪談入門」は翌23年、正規の翻訳はさらに数年先の事であったから、じつに本作こそ(イレギュラーな形ながら)ラヴクラフトの日本初紹介といえるだろう。 この作品について報告した評論家・東雅夫は著書『クトゥルー神話事典 第3版』(学研M文庫、2007年)で次のように位置づけている。 ――怪奇への狂熱ぶりにおいて相似た資質を有し、かたや『ウィアード・テイルズ』かたや『新青年』という怪奇小説のメッカとなった雑誌を舞台に、太平洋の此岸と彼岸でほぼ同時代に活躍した両作家の軌跡が、この翻案作品において交錯する次第は、なにやらん運命的なものをすら感じさせます―― 一ファンとして、両作家がこれからも息長く読まれ続ける事を願っている。(匿名) |
2012年07月20日 | マニュアル改訂 |
青空工作員マニュアルの、「4.校正」をあらためた。 変更点は、二箇所。 昨日案内があった、「修正履歴作成ツール」について触れ、底本に誤りがあった際に用いる、訂正注記の説明の誤字をあらためた。 このツールで作った履歴は、何をどう変えたのか、わかりやすい。作成も、楽だ。 活用を、強くおすすめしたい。 提供してくれた大野裕さん、ありがとう。(倫) |
2012年07月19日 | 校正履歴を作る |
修正履歴作成ツールを作りました。校正前のファイルと校正を施したファイルを比べ、その違いを色付きで表示します。出力されたページを保存すれば、校正した作品ファイルといっしょに送る修正履歴として使うことができます。 まあ、単なる差分ツールです。でも、このツールは基本的に文単位で差異を表示するので、青空文庫の修正履歴作成という目的には使いやすいだろうと思います。また、ウェブ上で動くので、手元に何の用意もいらないのも利点だと思います。これからいろいろと問題が出てくるかもしれませんが、とりあえず、『金色夜叉』のような大きなファイルでも動くことは確認しました。 青空文庫には校正をする人が足りていません。このツールで、少しでも校正作業の負担が減らせるといいのですが。 実は、ツールの骨格は、10年ほど前、私が入力や校正を熱心にやっていたころに作りました。その後、病気になってしまったのと、イラク戦争などで心の余裕がなくなってしまったのと、何とも不毛としか思えない論議をメーリングリストや掲示板で延々と続ける人がいるのを見たりしたことで、青空文庫からは次第に足が遠のいてしまっていました。 ウェブ版修正履歴作成ツールの公開を強く後押しし、私の工作員としての復帰を歓迎してくれた、小林繁雄さん、門田裕志さん、富田倫生さんにお礼を申し上げます。(大野裕) |
2012年07月03日 | 青空文庫オフ会のお知らせ |
「7月7日」を何度か、青空文庫の誕生日として紹介してきました。 1997年にまとめた、「青空文庫の提案」の日付が由来です。 この前後に、オフ会も催してきました。 今年は、集まりやすい土曜日が、7月7日にあたります。 もっぱらネットワーク越しにつちかってきた旧交を、互いの表情と声音を確かめながら、温めませんか。 今回は、二部制で考えてみました。 第一部は、情報交換と話し合いの場。 校正を担う人が少ないために、青空文庫は公開に至れない入力済みファイルをたくさん抱えています。 こうした現状に風穴をあけたいと、点検グループの門田裕志さんは、OCRを校正に利用する実験を重ね、精度の向上と作業時間の短縮を同時に達成できるとの感触をつかまれたと言います。(「校正をやりやすくする為に」) その門田さんに、「OCR校正入門 精度と効率の両立を目指して」をテーマに、作業の具体的な進め方や、期待できる効果について、お話しいただきます。 その他のテーマについても、時間の許す限り、取り上げて行きましょう。 参加希望に、話し合いたいテーマを書き添えていただければ。 そして第二部は、懇親会です。 第一部 貸会議室プラザ 八重洲北口、5階2号室。 http://meetingnavi.net/facility/simple.php?meeting_id=101 東京都中央区八重洲1-7-4 矢満登ビル5階 03-3274-7788 15:30 受付開始 15:45〜17:45 第二部 北の味紀行と地酒 北海道 東京駅八重洲店 http://www.hokkaido-aji.com/shop/shop249.html 東京都中央区八重洲2-7-12 ヒューリックビルB1〜2F 03-5255-3886 予約名「青空文庫」 18:30〜 ご参加いただける方は、info@aozora.gr.jpにメールしてください。当日の飛び入りも、歓迎します。 直前になりましたが、ご指摘を受けて、掲示板「こもれび」に記載していた内容を、転記します。(倫) |
2012年06月03日 | 片岡義男『物のかたちのバラッド』を公開 |
片岡義男『物のかたちのバラッド』を公開した。 初めて片岡さんの短編小説を編集した一冊として、個人的な思い出も多い。底本の奥付を見ると、発行は2005年5月28日だ。アメーバブックスの編集長だった山川健一さんが「アニキ」と呼ぶ片岡さんに小説の出版を持ちかけた。アメーバブックスが誕生して間もないころだったので、スタッフも不足していたのだろうか、片岡さんからその編集を担当するようにと言われた。今思うと、それがなぜ私だったのか、理由はよくわからない。ヒマそうにしていたのだろうか。 雑誌などにすでに発表されていた5編に加えて書き下ろしを3編。片岡さんからの原稿はフロッピーディスクに入って届いた。ブック・デザインを平野甲賀さんに頼み、本文のレイアウトはこれも本格的には初めて使うイン・デザインというソフトで自分でおこなった。 山川健一さんは会うたびに、小説のシリーズを作っていきたいと熱く語り、『物のかたちのバラッド』はその最初の一冊と位置づけられた。「アメーバストーリー」というシリーズ名ができて、ロゴを作ったことも思い出した。しかし、その後すぐにアメーバブックスは当時人気のあったブログを本にするという出版態勢へと完全にシフトしてしまい、アメーバストーリーシリーズは立ち消えた。そして会社そのものも一度改変され、その新生アメーバブックスも2012年3月末日で解散したことを知ったのはつい最近のことだ。 物としての本は長く残る、とはいっても、たとえば出版社のこのような事情に左右されて、なんとなく埋もれてしまう本も多いのだ。『物のかたちのバラッド』をそのような運命から救い出せてよかった。そうした時間の経緯をタイトルに重ねてみると、本という「物のかたちのバラッド」と捉えることができて楽しい。その物語とともに生きてきて、ここまでがこの一冊の編集者としての役割だったのだと、あらためて思う。(八巻) |
2012年04月14日 | 「注記一覧」の更新 |
「注記一覧」を更新した。 「注記一覧」にしたがってつくったテキスト版を、XHTML版に変換するプログラムも、今回の変更内容に対応させたものを、「組版案内」から引き落とせるようにした。ここで動かせるプログラムも、新しいものに差し替えてある。 私たちが提供しているテキスト版は、時に「青空文庫形式」と呼ばれる。 字下げや見出し、傍点、傍線の類いをテキスト版でどう書くか、使うと決めている文字コードにない字は、どう表現するかなど、テキスト化を進める中で、青空文庫が決めてきた約束事全体を指す言葉だ。 周りの人が言い出したこの名前に慣れて、私たちもそう呼ぶようになった。 この青空文庫形式のルール集としてまとめたのが、「注記一覧」だ。 作業に関わる人だけの閲覧を想定して、小規模にまとめていた文書を引き継ぎ、整理、拡充して、2010年4月1日に公開。同年6月以来の、これが、二度目のまとまった変更となる。 この間、そらもようで提案してコメントをもらい、採用した要素を盛り込んである。 具体的になにを加え、なにをあらためたかは、「修正履歴」の「2012.4.14」を参照してほしい。 青空文庫は今後、この方針でファイルをつくっていく。 過去に公開したものも、少しずつではあるが、これに合わせて修正する。 青空文庫形式に対応した表示ソフトをつくってくださる皆さんには、今回の追加分も含めて、注記ルールへの対応をお願いしたい。(倫) |
2012年03月12日 | aozorablogの再開 |
以前に、青空文庫に関わる人たちがどのような人びとなのか、その一端でもわかれば良いと思って「aozorablog」と言う名前のblogをやっていました。でも、いつの間にか自然消滅してしまっていて、それをほったらかしにして、なんとなくうやむやにしていたんですが、先日の青空文庫の集まりでなぜか富田さんがしつこく再開しろ、再開しろと詰め寄るのでもう一度やってみることにします。今さらblogでもないだろうと言う気もしますが、それでもblogは情報を提供するツールとしてはそれなりにすぐれていると思うので、またここで、うだうだ、やってみることにします。(AG) |
2012年03月07日 | 南部修太郎「夢」、国木田独歩「おとずれ」「小春」「鹿狩り」「まぼろし」「わかれ」、モーパッサン ギ・ド、国木田独歩訳「糸くず」の校正をご担当いただいている方にお願い |
南部修太郎「夢」、国木田独歩「おとずれ」「小春」「鹿狩り」「まぼろし」「わかれ」、モーパッサン ギ・ド、国木田独歩訳「糸くず」の校正をご担当いただいている方に申し上げます。 作業を引き継げないかとの打診を受けて、進捗状況とお気持ちの確認のためメールをお送りしましたが、お返事がありませんでした。 reception@aozora.gr.jp宛に、ご一報をお願いします。 本日から一ヶ月、ご連絡を待ちます。 一月を経て、連絡を取り合えない場合は、これらの校正を引き継いでいただこうと思います。 作業の継続が難しくなった際は、皆さん、どうぞお気軽に、reception@aozora.gr.jpまでご連絡ください。 メールアドレス変更の際は、reception@aozora.gr.jp宛にご一報をお願いします。(門) |
2012年03月06日 | 青空文庫データベースへのNDC番号の書き込み |
データベースに、NDC(日本十進分類法)の番号を書き込むことにした。 これで、作品の図書カードと「作家別作品一覧拡充版」CSVに、分類番号を表示できる。 青空文庫のトップページから、「分野別リスト」を開ける。 テーマ別の索引をつくろうとの、しだひろしさんの呼びかけを受け、Jukiさん、あすなろさんが加わって、公開された作品に、分類番号を振っていった。 その成果を受け取って、おかもとさんがまとめてくれた。リストの維持、管理に加えて、おかもとさんは、新規公開作品への番号の付与も、継続して担ってくれている。 青空文庫からは、おかもとさんのリストに、リンクする形をとってきた。 データベースには、もともと「分類」という項目が作ってあった。ただ、しださんの提案から生まれ、おかもとさんによって維持されてきた分類番号のデータは、そこに収めていなかった。 青空文庫書誌データの提供窓口のCSVは、広く活用されて、多様なファイル利用を支える基盤となっている。ここにも、「分類番号」の項目を立ててあった。 本体のデータベースが分類番号データをもてば、各作品の図書カードに表示でき、CSV経由での提供も可能になる。「えあ草紙・青空図書館」の佐藤和彦さんから、そうしてほしいと求められた。 開発にたずさわった皆さんに転記をお願いすると、快諾を得た。 今後も、分野別リストは、おかもとさんのものにリンクする。新規公開作品への番号の付与も、引き続きお願いし、青空文庫のデータベースには、それを写す。 番号は、3桁のみ。分野別リストには、NDCを拡張して、児童書という大枠が設けてあり、ここに分類するものの元データには、番号の先頭に「K」と付けてある。一つの作品に対して、複数の番号を与えることも行っている。 こうした分野別リストの形式のまま、青空文庫からデータを出すか、点検グループ内で議論した。 結論としては、まずはこの形で、表示、提供を始める。 図書カードの「作品データ」の「分類:」、CSVの「I列」とも、「NDC 911 914」、「NDC K913」といった形で表示する。 「K」のいらない方には、削除しての利用をお願いしたいが、こうした出し方が適当でない、使いにくいということであれば、reception宛にコメントしてほしい。 書き込みは、本日より、少しずつ進める。 CSVで提供している他のデータ同様、分類番号も、自由に利用、加工してほしい。(倫) |
2012年01月12日 | 青空文庫「e読書ラボ見学ツアー」開催のお知らせ |
青空文庫で作っているファイルは、これから、どんなふうに使われていくのでしょう? 読書の未来は、今後、どう開けていくんでしょうか? 2011年秋、本の街、神田神保町に、「電子書籍の読書体験の提供、および未来の読書環境の提案を行なう実験室」、e読書ラボが生まれました。 青空文庫では、2月4日(土曜日)、このe読書ラボをたずねるツアーを企画します。 点検グループのメンバーとして活躍されている門田裕志さんは、アメリカにお住まいです。 1月末から2月頭にかけて、一時帰国されることになった門田さんを囲むオフ会を企画したところ、e読書ラボにみんなでおしかけようという提案がありました。 e読書ラボ、一見、フレンドリーな施設なんですが、その裏にはちょいと強面の、国立情報学研究所が控えています。 企画と運営の中心におられる連想情報学研究開発センターの高野明彦さんにご相談したところ、まず、神保町からほどない国立情報学研究所で、同センターの取り組みについてお話しいただいた後、e読書ラボに移るという、二つの拠点を巡るツアー構想へとふくらみました。 高野さんが掲げる、「連想情報学」とはなにか。これまでのインターネット検索をどう評価し、なにを補おうとされるのか。そこで、なぜ電子読書環境か。青空文庫にも、目を向けてくれたのは、なぜなのか。 当日、ホストを努めてくださる高野さんから、どんなお話が聞けるのか、早くも胸がはずみます。 e読書ラボ見学の後には、近場で懇親会を開きます。 まずは楽しく、元気よく、そして、さまざまな課題や期待にもこたえながら青空文庫を進めるに、どんなことが考えられるか、久しぶりの門田さんを囲んで、アイデアを寄せ合いましょう。 参加資格は、問いません。 青空文庫の作業仲間の皆さん、この試みに興味をもっておられる方、ソフト開発者の皆さん。もちろん、高野さんの話を聞きたい方も歓迎です。 懇親会会場の予約の都合があるので、参加ご希望の方は、1月21日(土曜日)までに、reception@aozora.gr.jp宛、お名前を添えて、ご連絡ください。 いざ、本の街へ、本の未来を探しに! 青空文庫「e読書ラボ見学ツアー」: 2012年2月4日(土曜日)午後3時より、国立情報学研究所高野研究室訪問、その後、e読書ラボへ移動。 ツアー終了後、懇親会へ。 ご都合に合わせ、途中離脱、途中からの参加、懇親会のみへの参加、いずれでもかまいません。 集合場所と時間、懇親会の場所と開始時間などは、ご連絡いただいた方に、追ってお知らせします。(倫) 国立情報学研究所 東京都千代田区一ツ橋2-1-2 e読書ラボ 東京都千代田区神田神保町1-7-7「本と街の案内所」内 |
2012年01月01日 | 本を運ぶ者 |
青空文庫が始まったのは、1997年の夏だった。 前年には、書籍の電子化でなにができるのか、本にまとめるために考えていた。 年が明けて、最後の原稿となる「まえがき」に、こんなふうに書いた。 たとえば私が胸に描くのは、青空の本だ。その直後、野口英司さんから、インターネットに電子図書館をつくろうと誘われた。 以来、15年。その間に、こんなことがあった。 今日、青空文庫では、15人の作家の16作品を公開した。 青野季吉「百万人のそして唯一人の文学」。岩本素白「六日月」。宇野浩二「思ひ出すままに 「文藝春秋」と菊池と」。小川未明「赤いろうそくと人魚」「赤い蝋燭と人魚」。片山敏彦「ベートーヴェンの生涯 09 訳者解説」。桂三木助「麺くひ」。喜多村緑郎「癖」。高山毅「福沢諭吉 ペンは剣よりも強し」。知里真志保「えぞおばけ列伝」。津田左右吉「歴史とは何か」。外村繁「打出の小槌」。長与善郎「青銅の基督」。古川緑波「富士屋ホテル」。矢内原忠雄「帝大聖書研究会終講の辞」。柳宗悦「雑器の美」。 1月16日に他界した桂三木助(三代目)から、12月25日の矢内原忠雄まで、これらはいずれも1961年に没した人たちだ。 彼らの著作権は皆、死後50年を過ぎて迎える最初の元日の今日、切れた。 1月1日に、新たに著作権が切れた作品を公開し始めたのは、1999年の太宰治と菊池寛からだ。 この年から、この日をはっきり区切りとして意識し始めたのには、きっかけがあった。没年月日から50年経過で、著作権が切れるとの誤解に基づく、手痛い失敗だ。 2004年には、新規著作権切れの折口信夫(釈迢空)、斎藤茂吉、堀辰雄、2005年には相馬愛蔵、岸田国士、2006年には坂口安吾、下村湖人、豊島与志雄、下村千明、相馬黒光の作品を元日にならべた。 年が明けると誰の著作権が切れると意識して、事前にファイルの準備を始め、元日にぶつけはじめたのにも、きっかけがあった。 国境を越えた著作権保護の枠組みに、ベルヌ条約がある。 保護期間はそこでは、作者の死後50年までと決められている。ただし、原則をこえた、より長い設定を選ぶこともできる。 ドイツは、かねてから保護期間を、死後70年までとしてきた。統合にともなって、各国間の諸制度をならすための検討の過程で、EUは1993年、一律に死後70年までに伸ばしてそろえると決めた。インターネットの商用化が進み、一気に拡大し始めるのが1995年前後。それに先立ってくだされた、意思決定だった。 映画、音楽、娯楽産業に売り物を多く抱えるアメリカが、このEUの動きに乗じた。1998年の改正著作権法で、保護期間を作者の死後70年まで延長。加えてアメリカは、各国に延長の圧力をかけ始めた。 いわゆる年次改革要望書には、日本に対するアメリカ側の要求項目として、2002年以来、著作権の保護期間延長が、一貫して盛り込まれるようになった。 より長い著作権を世界中に求めて、商品寿命の長期化をはかろうとするアメリカの狙いは、明確だ。こうした外からの働きかけに加えて、日本の著作権者側からも、延長をのぞむ声が上がり始めていた。 著作権法の改正を担当する文化庁では、延長に向けて準備を進めつつあった。 青空文庫として、延長問題にどう向き合うべきか、考えた。 私たちが文庫に積み始めた作品は、著者の完全な独創によって、無から突然に生じたものではない。 人は誰も、ある文化圏に生まれ落ち、言葉と文字を学び、先人の積み上げた表現にくるまれて育つ。まずは真似から始まって、作ろうと志した者のうち、才能に恵まれ、努力を怠らなかった者はやがて、自らの表現をなす。ほめられることもあれば、けさなれもしよう。学びから始まって創造に至る、それらすべての営為は、そして賞賛から罵倒にわたる作品の受容のいっさいもまた、ある文化圏の中で生じるドラマである。 私たちは、過去から未来へと続く文化の大河に生まれ落ち、四方を満たす水に育まれてはじめて自らとなり、創造の神の祝福を受けた者は、泡一つを生み出してやがて消えて行く。 著作権制度はしばしば、権利の保護に焦点をあてて論じられる。だがこの仕組みは、個が全体に育まれ、やがて全体を富ます、相互依存、相互循環的な文化のあり方を十分に踏まえて、設計されている。 例えば、著作権法の目的は、第一条に次のように掲げられている。 この法律は、著作物並びに実演、レコード、放送及び有線放送に関し著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め、これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与することを目的とする。目指すところは、著作者の権利の保護のみではない。 その上位に、「文化の発展」というより高い目標が据えられている。それを実現する手段の一つとして、権利の保護は位置づけられている。と同時に、大目的である文化の発展のためには、表現が公正に利用されることへの配慮も必要であると謳われている。 一方の保護、そしてもう一方の利用。 文化の発展のためには、両方のバランスをとることが求められる。 だからこそ、著作権は作者の死後、一定の期間を過ぎれば切れるものとされている。作者が生きている間は、利用に関わる権利を集中して与え、作品で儲けることを可能にして、創作のエンジンが回り続けるよう支援する。死後も一定の期間は、作者を支えた人が権利を引き継げるようにする。ただし、「私」の権利はある時期で打ち切って、以降は「公」が広く利用できるものとして位置づけ直す。 母なる文化の大河に、作品を戻す。 その均衡点として、保護期間の死後50年は設定されてきた。 さらに私たちには、青空文庫の実践を通じて、社会の重要な基盤としてインターネットが組み込まれてから、著作権がある時点で切れることの意義は、格段に高まったとも感じていた。 紙の本を作るには、お金がかかる。配って、置いておくにも一々コストが積み上がる。権利が切れて、10%程度の著作権料を支払わなくてすむようになっても、それで本の値段が劇的に下がることはない。 一方電子ファイルなら、求められるあらゆるコストが、そもそも低い。ボランティアで入力、校正してくれる人がいるなら、それこそ無料公開の電子図書館も夢ではない。 ならば保護期間の延長には、反対するしかない。 私たちが異を唱えたところで、なにがしか効き目があるとは思えなかった。ただし、延長で社会の総体がなにを失うのかを形にして見せることは、青空文庫を使えばできる。年ごとに著作権切れの作家が生まれてくる。彼らの作品を事前に準備して、著作権切れの当日から公開しよう。1月1日は、「私」から「公」への切り替えの記念日でもあることを、アピールしていこう。そして、たとえば20年保護期間を延長すれば、以降の20年間は、公に移るものの一人としていない、暗黒の記念日が続くことを訴えよう。社会が自由に活用できる文化資源が、私の権利継続のために、20年分奪われるのだと語りかけよう。 そう考えて、年明けからの新規著作権切れ作家の公開に、意図的に取り組むことにした。 そして、2005年1月1日のそらもようで、青空文庫呼びかけ人は「著作権保護期間の70年延長に反対する」と宣言した。 インターネット上のアーカイブが、大きく花開き始めたその時に、可能性の芽をつむというのなら、そのことの愚かさを直感的に理解できる形で示し、声を嗄らして訴えながら、負けていこうと考えた。 2005年1月24日、文化庁の文化審議会著作権分科会は、今後の著作権法に関わる課題の一つとして、欧米での延長の動向を踏まえて、保護期間の70年延長を検討すると明らかにした。 2006年9月には、作家の三田誠広を議長とする「著作権問題を考える創作者団体協議会」が、70年への延長を求める要望書を文化庁に提出した。 同年11月、弁護士の福井健策とジャーナリストの津田大介が呼びかけ人となって、「著作権保護期間の延長問題を考えるフォーラム」を組織。影響のきわめて大きなこの問題に対しては、まず国民的議論を尽くそうと呼びかけた。 そして2007年1月1日、青空文庫は著作権保護期間の延長を行わないよう求める請願署名を開始した。 その後の論議に大きな影響を及ぼしたのは、福井、津田がリーダーシップをとったフォーラムだった。さまざまな論者を招いて連続してシンポジュームを開き、この問題への関心を掘り起こし、文化審議会に設けられた保護期間を中心テーマの一つとした小委員会(過去の著作物等の保護と利用に関する小委員会)の構成が、延長推進派に傾くことに強い歯止めをかけた。 2009年1月、同小委員会は、延長に関しては「意見集約には至っていない」とする報告案をまとめて、終了した。 延長の流れには、いったん歯止めがかかった。 もう一度、今日の青空文庫のトップページを開いてほしい。 元日一日限りの、「パブリック・ドメイン・デイ」を祝う、ロゴが掲げられている。 だが、2011年後半、保護期間延長問題には再び影がさした。 このロゴを、青空文庫は20年間、掲載できなくなる可能性が生じた。 2011年11月11日、野田佳彦首相は環太平洋経済連携協定(TPP)の交渉参加に向けて、関係国との協議に入ると表明した。 加盟国間での関税の原則撤廃を目指し、貿易上の障壁となりかねない制度をならし、サービスの自由化を目指すとするTPPは、社会の広範な領域に大きな影響を及ぼすと予想される。 このTPPでの交渉項目には、知的財産分野も含まれている。 2011年2月、TPPにおける米国政府の知財要求項目がリークされた。(February 2011 draft U.S. TPP INTELLECTUAL PROPERTY RIGHTS CHAPTER) そこには、著作権の保護期間を、作者存命中と死後70年を下回らない範囲に設定することが含まれていた。 現在日本では、親告罪とされている著作権侵害を非親告罪化し、著作権者からの訴えなしに刑事責任を問えるようにすること。著作権者は、真正品の並行輸入の禁止を求められるようにすること。法廷損害賠償制度の導入など、一つ一つが大きな影響を及ぼすと思われる項目が、そこには並んでいた。 関係省庁が連携してまとめた「TPP協定交渉の分野別状況」では、交渉対象となる分野は21に整理されている。「知的財産」はその一つ。さらに著作権保護期間の延長は、知財分野の交渉項目の一つに過ぎない。 前回、著作権保護期間の延長問題が焦点化した際は、のぞむ側とのぞまない側が、この一点をめぐって直接向き合い、意見を交わした。文化審議会でも、双方の立場からの主張がぶつかった。 だが今回は、TPPという大きな国際交渉の場で、延長を望む者、望まない者双方不在のまま、国民の監視の目の届かないところで、保護期間が決められる可能性が出てきた。 本日、青空文庫のリストに加わった15人に続く作家たちの準備も進められている。 2013年1月1日に向けた、吉川英治、中谷宇吉郎、室生犀星、柳田国男等。 先んじてのファイル作成に目安を設けるために、青空文庫では、2年以内に著作権の切れるものに限って登録している。今日からは、2014年1月1日に公開可能となる作品の受け付けを始めた。この年には、野村胡堂が著作権切れを迎える。野村の作家別リストには、登録手続きがつつがなく完了すれば、本日、213の「銭形平次捕物控」からの作品が並んでいるはずだ。 著作権保護期間は死後50年までで良い。その設定を生かして、インターネットの上にさまざまな公有作品のアーカイブを育てよう。 こうした声で社会を満たし、制度を維持できれば、元日の青空文庫には、パブリック・ドメイン・デイを祝うロゴを掲げ続けられる。新しい年のはじめごとに、新たに公有になった作家を迎え入れられるだろう。 TPPという大波の中で延長を押し切られれば、その後20年間は、新たに公有の列に加わる作家ゼロの、暗黒の元日が続く。 その後訪れるのは、永遠の20年分の待ちぼうけだ。 私たちは再び、本とインターネットの未来に関わる、大きな岐路に立たされようとしている。 15年前、インターネットの青空に本が運び上げられ、物理的な制約を逃れて、自由に作品に触れられるようになる夢を見た。 青空文庫はその夢を、ごく小規模にではあるが実現したと思う。 だが、その試みに関与し続けた15年で、青空の本のイメージは、私の中で大きく変わった。 インターネットと電子的な読書環境を組み合わせられる以上、青空に本が並ぶ新しい世界が必然的に開けるだろうと、かつては楽観的に受けとめていた。だが今、閉じたまぶたの裏に浮かぶのは、地上から頼りなく伸びた、揺れる細い梯子を一段ずつ踏みしめて、天に本を運ぼうとする人たちの姿だ。 本のページをスキャンする画像による電子化なら、成果物の数ははかが行く。それで、インターネット経由の参照が可能になるのだから、メリットも十分にある。だが、でき上がった作品ファイルを、コンピューターで多様に活用する可能性は、画像化では開けない。 一方、一字一字をテキストにしてやれば、視覚障害者は音声に変換して、作品を味わえる。表示時に、縦横や文字サイズを切り替えることも造作ない。検索性にも、優れる。 だが、一定の精度を備えたテキストを作るには、集中力を求める長い作業時間をかけざるを得ない。 電子化の王道であるテキスト作りは、担う者にとっては、労多くして作業成果の稼げない、悪戦だ。 2011年3月15日、東日本大震災の四日後に、青空文庫の収録作品数は1万に達した。 本の冊数ではない。ごくごく短い一篇も一と数えての数字だ。実態は、「1万」の語感よりははるかに痩せている。 だがそれでも、青空文庫の試みは、あるまとまりをなす成果を、15年かけて生み出した。 悪戦をあえて引き受ける志が、そこには確かにあったのだ。 その経緯は、私にはもう、歴史の必然とは見なせない。 その青空に、今再び著作権保護期間の延長と言う暗雲が広がりつつある。 遠く雷鳴が聞こえる。 暗くなった空に、揺れながらのびる梯子を、なお一歩一歩上り続ける人のシルエットも、私には見える。(倫) |
1997年のそらもよう 1998年のそらもよう 1999年のそらもよう 2000年のそらもよう 2001年のそらもよう 2002年のそらもよう 2003年のそらもよう 2004年のそらもよう 2005年のそらもよう 2006年のそらもよう 2007年のそらもよう 2008年のそらもよう 2009年のそらもよう 2010年のそらもよう 2011年のそらもよう トップページへ |