体験談



『みんなの書道合宿』終了後には、沢山のお礼のお手紙を頂きます。
その中には、1つの共通項があります。
それは、また合宿に参加したいと言う熱い想い。
学生以来、筆を持った事のない参加者の方が、合宿を通じいつの間にか
書がライフワークになります。

そういえば、講師の先生が
『スポーツは技術のピークが20代に来ますが、書道の場合、技術は
死ぬまで伸び続けます。つまり死ぬ直前がピークです』と仰っていました。
教えて頂いた書を通じて生涯自己を向上させていける書道合宿参加者は幸せ度100%です。

                               2010年10月吉日
                             書道合宿参加者・有志一同

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2012-01-26

第3期生・太田宜子さん

太田さんは「だんだん」という通信誌を発行されています。
その「だんだん」に書道合宿を特集していただきました。その記事の抜粋です。

書道には興味も関心も全くない私が、誘ってくださった小林正観さん友達のご夫妻に会いたいというただそれだけの理由で参加した2泊3日の「みんなのきっと上手くなる書道合宿(第3回)」が、4月16日(金)~18日(日)大阪港区の経営開発研修センターで開催された。講師は2009年版芸術家年鑑という分厚い本にも載る講師の先生。しかし書道は趣味で本業は経営コンサルタント。孫子を原書で読むという。主催者の白石さんのワゴン車で山のような半紙や墨、その他荷物とともに登場した御年30歳の講師の先生は紫のフリースに下はとトレパンというおよそ書家らしからぬ出で立ちでまずびっくり。これが驚きと感動の書道合宿の始まりだった。

 家の中にも3年と言う引きこもりの青年が1月の初回合宿後バイトの面接に行くという話から日本全国、はては海外からも第2回書道合宿のために駆けつけ、差し入れはひきもきらず、という数々のエピソードが生まれいるこの書道合宿第3回に初参加の私は興味津々で字を書きつつも、周りを観察するのであった。続く

 「山岡鉄舟曰く、書と剣と禅の極意は共通している。」と教えてくださった先生のおっしゃるには、横棒(一の字、これをたてにすると縦棒)が上手くなれば字全体の25%はかけたことになる。よってこの横棒をまずひたすら練習しようというもの。それも一枚に3本しか書いてはいけない。練習即芸術品を書くつもりで。筆使いも軸先先行というやり方でそんなに傾けていいの、というくらい筆を傾ける。筆も親指とひとさし指の二本で持ち、あとの3本は卵を持つ感じで(実際ゆでたまごを持ってやった)。お手本なし、「一枚かいたら持ってきて」「どんどん行こう!」とテンポよく進める先生に新鮮さと心地よい緊張感が漂う。みんなで豪華夕食後も即練習で、楽しみにしている茶話会はなかなか始まらない。泊まりが多いなか、茶話会にこころを残しつつ時間切れでひとり日帰り。それにしても充実した一日目だった。

 初めて参加、「みんなのきっと上手くなる書道合宿」その3 感動の2泊3日書道合宿最終日のハイライトは個展発表。先生が生徒ひとりづつの初日の一枚目と練習後の仕上げの一枚を比較公開、「このひとはお菓子ばっかよく食べてたねぇ。」「本当にだいじょうぶか心配だった。」「この方は茶話会での話が長くてねぇ。」「この人は最初、傍若無人な字を書いていたけど字がうまくなると謙虚になった」などなどエピソードを交えて講評、でもみんな、素晴らしい仕上がりで、なかには最初の自分の字がわからないひともいる。

 なるほど、「書道はM先生以外習うつもりはありません。」「合宿中に400枚書き、家に帰ってから2456枚書きました」「2年間引き篭りだった私が合宿から1カ月後、合宿を主催しています。」等の感想が続出するのも納得である。全員が感動した第3回書道合宿。

「書道合宿 M先生語録」
・芸術はゆとり。
・書道合宿はこころのゆとりの為にやるもの、練習は一日3枚でよい。
・プラスを積み重ねる練習をする。
・まず設計図を考える、逆算して考える。
・一枚に三本しか書かない。
・限られた場所に書くには角度をつける。
・紙いっぱいに書く人には美的センスは生まれない。
・書く字のみ見て書くのではなく全体をみながら書く。バランスを考える。
・ふちが書では一番大事、ふちイコール思いやり、字の配置は人間関係。
・その人自体を紙に閉じ込めるのが書道。
・伸ばすのではなく輝く。
・手本があると覚えない、どうしたら上手くなるか自分で考える。外に頼らない。書道をしていながら自己啓発の講座にきているかのような感じがした。合宿中、ほぼ徹夜で指導してくださった先生とスタッフのみなさん、本当にだんだん~!

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2012-01-26

第4期生・山口静枝さん


 平成22年7月17日から2泊3日の書道合宿があると、ある人からお知らせのお手紙をいただき、興味を持ちました。しかし、その2日目は東京へ仕事で出かけることが決まっていましたので初日の夕方までと3日目だけの参加になると気楽に考えていました。しかし、せっかく参加したのだからということで、2日目の夕方東京から直接合宿先の西宮に戻りました。そしたら、参加している皆さんの顔つきが前日と全く違っていて、気迫に満ちていました。何があったんだろうか??不思議でした。

 しかし、2日目の夜から参加して、いろんなことに合点しはじめました。なんと、深夜2時3時までも、みなさんが一生懸命に筆を運ばせているのです。しかも、「一」という文字だけ!それも、半紙に三本だけ。この事態を理解するにはかなりの時間と意識改革が必要でした。それにしても、みなさんの熱心さ以上に先生の丁寧で親切で熱意のあるご指導の暖かさに心を奪われました。これが、この書道合宿の第一印象でした。

 この西宮での3日間の合宿では、初日の数時間と2日目の数時間、そして最終日は講評などの時間もあったので、私自身はそれほど書道をしていたわけではありませんでした。それでも、講評の時に最初に書いた字と最後の字を比べて見せられると、たいへん恥ずかしい思いをするほどに変化を感じることができました。実は、私は小学生のころ(今から何十年も前ですが・・)長年お習字を習っていて、小学6年生のころは、確か2段くらいだったと記憶しています。また天王寺公園にある博物館の展覧会場に出展もしていたので、書道は好きなジャンルでした。

 しかし先生から教えていただいた筆の運び方は習ってこなかったような気がしますので、とても新鮮でした。しかし、なかなか身体では会得出来ていなかったようです。その証拠に、7月の合宿から1.5カ月後に再び筆をもつ機会を得た時、教えていただいたことのほとんどを忘れてしまっていました。しかし不思議な感覚ですが、もう一度教えていただきたいという思いを強く感じていました。

 今回、ありがたいことに、10月の洞川温泉での合宿に参加させていただくことができました。この合宿では、これまで先生から教えていただいた基本をようやく理解できるようになった気がします。そして、なにより書道をすることそのことが楽しくて、夢中になっている自分を発見しました。

 洞川での合宿から帰ってから、30分くらいしか時間をとれませんが、毎日書いています。「人」の字の右のはらいがどうも上手く書けなくて、納得できません。毎日書いているうちに、少しですが、こんな感じかな。という字が書けるようになってきました。何も考えず、自然に手が動くままに、肩の力を抜いて出来上がりをイメージしているうちに、それらしくなってきつつあるように思います。先生にまたご指導いただける機会を得ることができましたら、是非見ていただきたいと思います。それまで研鑽を重ねていきたいと存じます。

 先生のご指導には書の書き方という観点だけではない、もっと奥深い教えを感じます。仕事で忙しい毎日ですが、時間を忘れて一の字を書いていると、こころが洗われる感覚になります。このようなすばらしい出会い、そして楽しい生活のひとコマを与えていただきましたことに感謝するばかりです。ありがとうございます。また合宿があれば是非とも参加させていただきたいと願っております。

 また、念願のお墨と半紙を分けていただけますこと、まことにありがとうございます。一生懸命、楽しく、お稽古させていただきます。

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