産経新聞記者がガッツポーズした安倍新総裁誕生の瞬間(上杉 隆)
“再チャレンジ”する 資格はあったのか
確かに、今回の自民党総裁選に出馬した安倍・石破・石原・町村・林の五候補は全員世襲議員だ。前回の総選挙で世襲禁止の方針を決めたはずの政党がこれだ。
それだけではない。総裁選の投票過程を見ても、第一回目の投票でもっとも党員票を集めた無派閥の石破氏、もっとも議員票を集めた石原氏はそれぞれ勝つことはできなかった。
そこに野党としての勝負の姿勢は感じられない。「安倍総裁」の再来は自民党という政党の限界とも映る。本当に「経験」を活かしているのかすでに怪しい。
安倍氏もそうだが、政治家には再チャレンジが認められているようだ。だが、一般の国民にはそうした可能性はほとんどない。失敗や反省する余裕すらない。あの頃、会社を失い、社員を失った中小企業経営者の多くはいまもそのままだ。
『官邸崩壊』でも書いたが、安倍氏は一度、バッジを外して、自らをいったん「下野」させるべきだったのだ。そこからしか自身の再生はない。
「安倍新総裁が勝った瞬間、産経新聞の記者はガッツポーズをしてハイタッチしていた。まったく以前と変わらないんだなと思いました」
そう、実は安倍氏や自民党だけが悪いのではないのだ。お粗末なのは側近たちも同様だし、何と言ってもいまどき記者クラブシステムを復古させた当のメディア自身が一番ひどいのである。それは安倍氏に近いメディアも遠いメディアも無関係だ。
〈さらに、天声人語は、安倍氏の再登場を「なつメロ」と表現する。小学生でも考えつくような、陳腐な表現だ。読者に提供されるべきは、再登場の背景分析だろう。さらに、「ナショナリズムの風に、うまく乗った」という表現は失礼だ。「うまく」という言葉に、筆者の対象蔑視と低俗さが表れる〉
〈その後の文章も、感性に流され支離滅裂。「人心を逸らさぬ程度に」は、政治的プロセスを論じる表現としては不適切である。あげくの果てが、結語の「たまさかの上げ潮に浮かれず、責任を省みてほしい」。自分を何様だと思っているのか。何を安倍氏に期待しているのか、全く伝わってこない〉
茂木健一郎氏は自身のツイッターでこう書いて、「天声人語」を批判した。まったく同感だ。空疎な言葉を羅列する様は、自身が批判している政治家そのものだ。
この国の政治もメディアもなぜ責任を取ろうとしないのか。そして自らをなぜ直視しようとしないのか。
自著『官邸崩壊』を読み返しながら、あの6年前となんら変わらない永田町のシーンに筆者はほとほと嫌気してしまった。
谷垣総裁時代にフリーや海外メディアに開放された総裁記者会見も、事実上閉じてしまった。自民党は本当に大丈夫だろうか?
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