産経新聞記者がガッツポーズした安倍新総裁誕生の瞬間(上杉 隆)
自民党は時計の針を戻したのだろうか? 筆者が『官邸崩壊』を書いてから6年の月日が流れた。当時、戦後最年少の52歳で宰相に就任したのが安倍晋三氏だ。
その安倍氏が40年ぶりの決選投票の末に再び自民党総裁に選ばれた。今回は野党であるため直ちに首相の座に就くわけではない。だが、一年以内に必ず総選挙ののち、現実的に首相の座に近い最右翼となったことは確かだ。
果たして、あの突然の辞任劇から安倍氏は成長したのだろうか? そしてまた「お友だち内閣」とも呼ばれたあの側近たちは変わることはできたのだろうか?
〈次第・方法
(1)スチールの「頭撮り」を行う。
(2)司会の塩崎恭久報道局長が新総裁記者会見を行う旨挨拶する。
(3)冒頭、新総裁が挨拶をする。
(4)平河クラブ幹事社(代表者)が予め提出した質問項目に基づいて質問する。幹事社一社につき一問。代表質問の進行は平河クラブ幹事社(代表者)が行う。
(5)平河クラブ幹事社(代表者)の質問が終了後、予定の時間内で平河クラブ加盟社に限り質問を受ける。
(6)報道局長が会見終了の挨拶を行う
以上〉
フリーライターの島田健弘氏(自由報道協会理事)によれば、新総裁就任会見前、このような用紙が配布されたという。
まったく6年前よりもひどい。あの頃もひどかったが、少なくとも、その前の小泉政権で、世界でも類を見ない記者クラブ制度のこうした談合実態は、少しずつではあるが改善に向かい始めていたのだ。
政治とメディアの関係に 無理解だった「お友達内閣」
「なにやってんだか。まだそんなことやってんのか」
総裁選当日、この話を薬師寺克行元朝日新聞政治部長に伝えるとこう返ってきた。
周辺が安倍氏の評判を下げる。側近は自己保身のために都合の悪い事実を上げない。結果、安倍氏自身の信頼が失墜し、統治力を失っていく。
6年前の『官邸崩壊』で描いたあの悲劇がまた繰り返されようとしている。
1955年以降、いくつもの政権が生まれ消えていった。筆者が取材をしたのは小渕政権以降だが、政治とメディアの関係を最も理解していない政権の一つが安倍氏の時代だと言っていいだろう。
「お友だち内閣」はメディアとの関係でも同じだった。耳触りの良いことをいう記者を周辺にはべらせ、自らを批判する者は徹底的に避ける。結果、偏った、しかも都合のいい情報が繰り返しもたらされることになる。
「私はかつて、総裁・総理として、政権を担いました。その中で、挫折も含めて、様々なことを経験してまいりました。国民の皆さまにも、本当にご迷惑をおかけしました」
平河クラブの記者からの都合のいい質問に答える形で安倍総裁はこう語りはじめた。自らの政権運営の失敗を、単に自らの挫折と言い切ってしまう無責任さは相変わらずのようだ。
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