まもなく開催される第18回中国共産党大会で新しく総書記(国家主席)となるのが習近平国家副主席(59)である。習氏の登場により、中国はもっと反日的になって軍事大国の道をひた走りそうだ。
そのためには「次期皇帝」の習氏は、いかなる人物なのかを把握しておく必要がある。
習氏は革命元勲の1人、習仲勲元副首相の次男。父の失脚により陝西省の農場へ7年間も下放された。このときの精神的トラウマがあって他人との抗争を嫌い、凄惨な闘争に不向き、八方美人型の穏やかな性格を形成したとされる。逆に言えば独創性がない。
将棋で定石しか打てないタイプ。次の行動が読みやすい政治家。だからこそ、経済繁栄と安定期の中国では権貴階級の特権を可能な限り保護するだろうという期待の下に「維持会長」というニックネームがついた。
習氏は革命世代や●(=登におおざと)小平世代が体験した、血で血を洗う内ゲバ、殺戮(さつりく)とはおよそ無縁の世代のチャンピオンということになる。習氏は文革後期に頭角を現し、下放先の農業生産大隊で党書記を勤めた。1976年に清華大学工学部に入学を許可され、79年に卒業すると国務院弁公庁で幹部の秘書を経験した。
この関係から軍に顔を売ったので軍歴があるかのような印象がある。福建省で出世コースにのって厦門(アモイ)副市長、福州市書記を経て、2000年に福建省省長と異例のスピードで上を向いてばかりの人生となった。
17年に及んだ福建省時代は台湾企業の誘致に熱心だった。
49歳で浙江省書記、4年後に上海書記に突如抜擢(ばってき)され、07年にいきなり政治局常務委員へと2階級特進。これは江沢民元国家主席の強い引きによるもので、12年党大会で胡錦涛国家主席の後釜の座を保証されるかたちとなった。フィクサーは江氏の右腕で、太子党の元締めでもある曾慶紅元国家副主席が長老と幹部の根回しをした。
08年に国家副主席、10年10月には党と国家軍事委員会副主席になった。そのうえで訪日し、天皇陛下と謁見し、訪米してオバマ大統領と会見する流れとなる。
しかし、胡氏ら「団派(=共産主義青年団出身者)」が、次期総書記に李克強副首相をと狙っていたため、習氏が彼らからよく思われているはずもない。また、太子党の同志らからも、あまりに出世が早いことを嫉妬されていて、彼らの協力がないと先行きは波瀾万丈となるだろう。
■宮崎正弘(みやざき・まさひろ) 評論家。1946年、金沢市生まれ。早大中退。「日本学生新聞」編集長、貿易会社社長を経て、論壇へ。国際政治、経済の舞台裏を独自の情報で解析する評論やルポルタージュに定評があり、同時に中国ウォッチャーの第一人者として健筆を振るう。著書に「中国権力闘争 共産党三大派閥のいま」(文芸社)、石平氏との共著に「中国社会の崩壊が始まった!」(ワック)など。