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【スポーツ】

日体大 30年ぶり総合V 予選会から史上2校目

2013年1月4日 紙面から

総合優勝を果たし、選手らに胴上げされる日体大アンカーの谷永雄一=東京・大手町で(中西祥子撮影)

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◇第89回箱根駅伝復路

 ▽3日▽箱根・芦ノ湖〜東京・大手町の5区間109・9キロ▽出場19校および関東学連選抜▽スタート時の気象 くもり、気温0・9度、湿度55%、西の風4・8メートル

 30年の雌伏を経て、名門が完全復活を遂げた。5区を務めた服部翔大(3年)=埼玉栄=の快走で前日の往路を制した日体大が、復路では一度も首位を譲ることなく11時間13分26秒で圧勝。1983年の第59回大会以来30年ぶり10度目の総合優勝を果たした。予選会からの総合優勝は97年の神奈川大以来、史上2校目。服部は最優秀選手に贈られる金栗杯も手にした。連覇を目指した東洋大は11時間18分20秒で2位、復路優勝の駒大が11時間19分23秒で3位に入り、10位中央学院大までの10校が次回大会のシード権を獲得した。 

 大手町へ帰ってきたアンカーの谷永が、伝統の白いユニホームの胸にある「日本体育大学」を何度もたたきながら、栄光のゴールを駆け抜けた。「日体大は強いんだ、というのを見てもらいたかった」。数々の屈辱を吹き飛ばす歓喜の輪。別府健至監督(46)、3年生主将の服部らが次々と宙を舞った。

 リードを守りきった4年生。だが、入学前から苦難の連続だった。4年前の3月、陸上部の跳躍選手が合宿所内で大麻や偽札を所持する不祥事が発覚。連帯責任で箱根駅伝のシード権を剥奪され、関東インカレは2部降格という厳罰を科された。「雰囲気が荒れたというより悲しかった」と8区の高柳。顔も知らない先輩のせいで、洋々だったはずの前途をいきなり打ち砕かれた。

 そしてちょうど1年前の大手町、今度は自らがどん底に落ちた。大学史上初の繰り上げスタートに加え、過去最低の19位。打ちひしがれているところへ、別府監督は「次期主将は4年生には任せない」と通達した。

 はい上がるためには、プライドをかなぐり捨てるしかなかった。大麻事件から得た教訓は「1人の過ちが、いろいろな人に迷惑をかける」(高柳)。4年生から主将を出せなかったことは自分たちの弱さとして受け入れた。特別強化委員長に就任した兵庫・西脇工前監督の渡辺公二氏の「走るだけが練習じゃない」という厳しい指導もあって、私生活から一新した。消灯時間を過ぎてもゲームに興じていた生活習慣を改め、練習前は全員でグラウンドの掃除。「窮屈だったけど、結果が出るに連れて苦にならなくなり、最後は楽しめた」と谷永は振り返る。

 その成果は強風が吹き荒れた往路、終始単独走だった復路の両方で、誰ひとり崩れなかった安定感として結実した。別府監督は「本当に1年間でこんなにも変わるのか」と教え子の急成長に驚きを隠せなかった。

 「またこのチームで頑張って、来年も総合優勝したい。新しい日体大をつくりたい」と、立役者の服部は高らかに宣言した。地に落ちて生まれ変わった名門が、第2の黄金期の扉に手を掛けた。 (川村庸介)

 ▼日体大陸上競技部 1926(昭和元)年に創部。箱根駅伝は49年に初出場して以来、65年連続65回目の出場となる。往路・復路優勝とも10回で、総合優勝も10回(歴代5位)。たすきは白地に青。現在の長距離部員は67人。主なOBは91年世界陸上(東京)マラソン金メダルの谷口浩美、92年バルセロナ五輪銀、96年アトランタ五輪銅の有森裕子、2000年シドニー五輪マラソン代表の川嶋伸次ら。

 

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