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はじめまして、ひょい太です。この春からこのサイトを担当させて頂く新人です!尊敬する寅さんのように日本全国を渡り歩き、その地域の魅力を力一杯伝えることを誓います!不慣れな点も多々ありますがみなさんよろしくお願いします。 ひょいとFDA.com 案内人 ひょい太

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家康、天下統一のパワースポット 家康、生涯の軌跡を巡れば、天下人たる所以が見えてくる。さぁ、名古屋・静岡へ。いざ、リーダー哲学を学ぶ旅!

家康パワースポットマップ

岡崎城

天下統一、始まりの地。

家康が生まれた「岡崎城」は、現在「岡崎公園」として人々の憩いの場となっている。公園内には今も残る「家康産湯の井戸」。当時の「北曲輪門」が額田郡の民家に、「北門(二の門)」は「宿縁寺」(西尾市)に、「念沸堂赤門」が「謁播(あつわ)神社」(岡崎市)に、それぞれ移築され現存している。この家康始まりの地に、今もビジネスマンの多くが訪れているとか。

DATA

岡崎城
住所:愛知県岡崎市康生町561
電話:0564-22-2122
公式サイトはこちら

地図
岡崎城

「神君出生の城」として尊ばれた岡崎城。代々家格の高い大名が城主となり受け継がれてきた。城下に東海道が整備されると、街道の中でも有数の宿場町として栄え、多くの旅人たちでにぎわったという。

東照公産湯の井戸

岡崎公園内には家康が誕生したときに産湯の水を汲んだと言い伝えられる「東照公産湯の井戸」がある。また、家康を包んでいた“えな”(胞衣)を埋めた「東照公えな塚」など生誕時のパワーを感じるスポットも。

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駿府城

家康が「ふるさと」と呼んだ、癒しのお城。

今川の人質時代や大御所時代、そして最期の時など、人生の大きな局面をこの城で過ごした。今は「駿府公園」となり、「東御門」「巽櫓(たつみやぐら)」が復元され、園内には家康像や「家康公お手植のミカン」などがあり、その木の大きさが、その年月を物語る。家康が「故郷のようなものだ」と語った「駿府城」には、戦からはなれて心休める、癒しの空気が今も流れている。

DATA

駿府公園
住所:静岡県静岡市葵区駿府公園1
電話:054-221-1433(静岡市公園整備科)
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地図
駿府城 東御門

二の丸の主な出入り口の一つ・東御門。主に重臣たちの通用門として利用されていたとか。慶長年間に築かれた建物は、寛永12年(1635年)に天守閣、本丸御殿、巽櫓などとともに焼失。当時の姿へと復元したものだ。

お手植えミカン

紀州徳川家から献上された鉢植えのミカンを家康自ら移植したといわれているのが「お手植えミカン」。今も毎年12月中旬に収穫され、市民に振舞われている。小粒で、ほんのりとすっぱい昔懐かしいミカンだそうな。

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臨済寺

幼少家康が学んだお寺。家康哲学の原点がここに。

今川の人質として、太原崇孚の教育を受けた寺の一つ。太原崇孚は寺の経営者として腕をふるい、勅許を受けて駿河の勅願寺へと寺格を昇格させたほか、今川義元の政治・軍事・外交の軍師としても活躍した。今も当時の姿を残す同寺を訪ねると、国の重要文化財に指定されている本堂や山門を自由に拝観することができる。

DATA

臨済寺
住所:静岡県静岡市葵区大岩町7-1
電話:054-245-2740
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地図
臨済寺 仁王門

仁王門には徳川慶喜公筆の「大龍山」の扁額。修行寺のため、普段建物内へは入ることはできず、春と秋の特別公開には多くの人々が足を運ぶ。池泉回遊式庭園は国の指定名園で、春にはツツジが咲き誇る。

臨済寺 大方丈(本堂)

「大方丈(本堂)」は国の重要文化財。家康が人質時代に教育を受けた「竹千代君手摺之間」が今も残されている。「虎」と記した家康直筆の掛け軸や徳川慶喜公の写真帳なども特別公開時に見ることができる。

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大樹寺

兵どもが夢の跡・・・。歴代将軍の夢を感じる。

家康にとって大きな転機をもたらした寺、松平家の菩提寺。初代親氏をはじめ、八代広忠までの廟所が二代将軍・秀忠により再建された。家康の遺命により、歴代将軍の位牌は同寺に納められており、それぞれの将軍の等身大のサイズで造られた位牌が並ぶ様は圧巻。また、大河ドラマでおなじみの「江」と「秀忠」の位牌も仲むつまじく並んでいる。

DATA

大樹寺
住所:愛知県岡崎市鴨田町広元5-1
電話:0564-21-3917
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地図
大樹寺 山門

寛永18年(1641年)に三代将軍・家光によって建立されたという山門。国の重要文化財である後奈良天皇宸筆「大樹寺」の勅額は見どころの一つ。中から山門越しに岡崎城の天守閣が見えるように造られているのがニクイ。

大樹寺 位牌堂

二代将軍・秀忠とその妻・江(ごう)の位牌が並んで鎮座するのは大樹寺のみ。位牌堂には「徳川歴代等身大位牌」がずらりと並び、将軍家を守り受け継いできた徳川家の威光に満ちている。

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浜松城

家康、若き日の野望に満ちた「出世城」!

1570年、駿府に攻め込んできた武田信玄の侵攻に備え、家康は三方ヶ原台地に浜松城を築城。29~45歳までの17年間をこの城で過ごした。姉川・三方ヶ原・長篠・小牧長久手などの幾多の戦いを迎えた浜松時代を経て、天下統一を果たしたことから“出世城”と呼ばれる縁起の地。歴代城主には幕府の要職に登用された者も多く、“出世城パワー”のおかげかも?!

DATA

浜松城
住所:静岡県浜松市中区元城町100-2
電話:053-453-3872
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地図
浜松城

家康の築いた浜松城は「梯郭式」と呼ばれる形式で、西北に天守曲輪(くるわ)、東に本丸と二の丸、東南に三の丸と、ほぼ一直線に並んでいたらしい。地形や自然を生かして防御に備えたとは家康らしい。

家康公鎧掛松

かの三方ヶ原の合戦から浜松城にようやく戻ってきた家康が、松の木陰で休んだときに鎧を脱いで掛けたという「家康公鎧掛松」が浜松市役所の隅に佇んでいる。現在は三代目で、初代は城内の堀のそばにあったとか。

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三方ヶ原の戦い

かの有名な「奇襲戦術」が生まれた場所へ。

1572年、武田信玄と徳川・織田連合軍が浜松市郊外の三方ヶ原台地で激戦を繰り広げ、家康の生涯で最大の敗戦となった。家康は家臣に諭されて、命からがら浜松城に逃げ帰り、恐怖のあまり脱糞したとまで伝えられている。合戦の最中、家康は犀ヶ崖で夜営していた武田軍に奇襲攻撃を仕掛け、崖に白い布を架けて橋と見せかけ、武田軍を崖下に転落させたという。現在、犀ヶ崖には資料館が整備され、巨大な家康手植えのクスノキが時の流れを偲ばせる。

DATA

犀ヶ崖資料館
住所:静岡県浜松市中区鹿谷町25-10
電話:053-472-8383
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地図
犀ヶ崖

浜松城の北側約1キロメートルにある古戦場。現在の「犀ヶ崖」は、うっそうと茂る木々の間から、武田軍が転がり落ちたという渓谷の底を垣間見ることができる。人生最大のピンチに陥った家康の底力を感じさせる。

犀ヶ崖資料館

激戦だった三方ケ原の戦いによる死者の霊を弔う宗円堂というお堂を犀ヶ崖資料館として整備。この戦いを郷土の文化遺産として後世へ残していくために資料などを展示。ビデオなどで分かりやすい解説もある。

三方ヶ原古戦場 石碑

三方原墓園の隅に立つ「三方ケ原古戦場」の石碑。家康にとって人生最大の敗北といわれ、一説によると逃げるときに恐怖のあまり脱糞したとまで伝えられている。今は静かな墓地となり、激戦の面影は感じられない。

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名古屋城

家康の集大成ひとつであり、天下統一のシンボルに。

尾張を東海道防衛の要と考えた家康は、「清州城」に変わり拠点となる「名古屋城」を築城することを決意。後に家康が溺愛していたといわれる九男・徳川義直が初代尾張藩主となり、家康の遺命を守り続けた。現在、2018年の完成を目指して本丸御殿の復元工事が進められており、義直の居城として、あるいは上洛する将軍の宿舎として利用された往年の姿を見る日も近い。

DATA

名古屋城総合事務所
住所:愛知県名古屋市中区本丸1-1
電話:052-231-1700
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地図
名古屋城

名古屋城のシンボルといえば金鯱(しゃち)。「鯱は水を呼ぶ」という伝説があり、火除けのために一対の鯱を載せたといわれている。鯱に使用した金は慶長小判で17,975両分(金量約270キログラム)と伝えられている。

名古屋城 東南隅櫓

国の重要文化財「東南隅櫓」は、二層の屋根と三階層づくりの櫓で規模や構造は「西南隅櫓」と同じ。創建当時の姿を見ることができる貴重な建物で、鬼瓦などをよく見ると葵紋など徳川の威光を見ることができる。

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久能山東照宮

家康が、自らの最後として選んだ場所へ。

最期の時を迎えた家康は、「亡骸を久能山へ埋葬するように」と遺命を残した。西には朝廷や豊臣系の大名が虎視眈々と狙っている。死してなお、西方に睨みを利かせるために、家康はこの地を選んだとか。社殿は国宝指定を受け、二代将軍・秀忠の思いをそのままに今も鎮座している。家康が眠る神廟は西向きに建てられ、平和な世を見守っている。

DATA

久能山東照宮
住所:静岡県静岡市駿河区根古屋390
電話:054-237-2438
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地図
久能山東照宮 社殿

家康の没後すぐに二代将軍・秀忠の命で造営され、大工棟梁・中井正清らの手により1年7カ月という短期間で社殿が完成。本殿と拝殿を石の間で接続した「権現造」の社殿には、当時最高の建築美を表している。

久能山東照宮 廟所参道

家康が眠る「神廟(びょう)」へ続く「廟所参道」。深い木立の中に家康に仕えた武将たちが奉納した石灯籠が並ぶ。階段を上ると、そこは神廟。近づいていくうちに少しずつ空気が変わっていくような神聖な場所だ。

久能山東照宮 神廟

家康の遺骸が埋葬された場所に佇む「神廟」。当時は小さな祠(ほこら)が造られたが、三代将軍・家光によって現在の石塔に建て替えられている。厳かな空気の中で神廟の前に立つと、自然と頭を垂れるだろう。

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