■定家のライバルが影の主役か
第99首「人もをし 人もうらめし あぢきなく 世を思ふ故に もの思ふ身は」(後鳥羽院、人をいとおしくも、また恨めしくも思う。思うにまかせず、苦々しくこの世を思うがゆえに、あれこれと思い煩うこの私は)
百人一首を特集した「ユリイカ」1月臨時増刊号(青土社)で五味文彦・放送大教授(東大名誉教授)は後鳥羽上皇の影響力の大きさを指摘する。承久の変で鎌倉幕府に敗れたためこれまでの歴史的評価は芳しくない。しかし「和歌を通じて日本の文化的統合を狙った意欲的な上皇」と五味教授は高く評価する。
後鳥羽院は「王としての和歌も民衆の気持ちになりきっての歌も詠めた」(五味教授)という万能タイプ。約20歳年上の定家はエリート意識の強い芸術至上主義者。どちらも文学史に残る名人同士だけに両者の関係は師弟愛から友情、確執から修復不能な対立までに及んだ。後鳥羽院が新古今のほかに「時代不同歌合」と百人の歌人を選んだアンソロジーを編さんしたことが、定家のライバル意識を刺激し、百人一首の制作を促したと五味教授はみる。
百人一首はほかにもナゾが多い。親子入選が18組、祖父母と孫が9組、兄弟1組、親子孫1組が選ばれている血縁関係の多さもその1つだ。秋の季節の歌が春の3倍近く多い理由もまだはっきりとは分からない。後鳥羽院、順徳院といった諡名が定められたのは定家没後のことだ。この正月、1首ごとナゾを解き明かしていくのも面白いかもしれない。
(電子整理部 松本治人)
嵐山光三郎、百人一首、清少納言、河野幸夫、五味文彦、アンソロジー、ミステリー、新古今和歌集
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