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老い耄れしんすけ日記

2012-12-31

続々 悪いお年を

05:50

昨年「続 悪いお年を」を書いた時に思っていたことは、来年の初頭は「続々 悪いお年を」を書き、再来年初頭は「続々々 悪いお年を」と書き、この状態がさらに10年は続くだろうと思っていた。不幸なことにこの予測はほぼ当たっていたと言わざるを得ない。どこを見てもスマホや携帯ばかりに没頭する無気力低能児ばかりを観測していたからだ。
その思いが、下記の言葉につながっていた。

先日、『ローマ世界の終焉』を読んだが、終焉期の無気力なローマ人の姿が、スマートフォンを眺めている馬鹿どもと重ね合わさってならなかった。

まさしく、今は日本の終焉期という時代なのであろう。

消滅してくれることを期待していた自民党が、超右翼政党袈裟を着て復活し、それに群がるように「維新」や「みんな」という極悪右翼も活気づいている。もう、日本には狂気しか残っていないと言っても過言ではない。これら姿は日本壊滅のために懸命に努力する亡者を連想させる。
誰しもが、悪と意識しながらも原発再稼働に反対することさえ躊躇するようになってきた。日本を不幸のどん底に落とすことが明らかなTPPに反対する運動も尻すぼみになっている。
景気良い言葉を放ち、一時的な活性を煽る根無し草にばかり多くが群がっている。その道が未来の不幸を招くことを幽かに嗅ぎながらも、「今を何とか」という空気が姑息な集団を歓迎する。
今の日本に必要なのは改革でなく革命なのだが、だれも革命を望まない。自分たちの子孫がどうなるかということは、思考のなから消えてしまったのだろう。

このような時代の趨勢というものは、歴史の場がなせる業であり、どのような努力を払っても抗えるものではない。
西ローマ帝国が滅亡していく時代にもユリアヌスという偉人が現れたが、彼も歴史の趨勢には抗えなかった。ユリアヌスはキリスト教という悪を排撃するために戦ったが、時代の趨勢に流されながら戦場に消えていった。

清朝末期にも、光緒帝(愛新覚羅載湉 アイチンギョロツアイテン)という優れた人物が現れ、列強の侵略で荒廃した中国を康有為などとともに変法で改革しようとしたが失敗に終わった。
徳川慶喜勝海舟にも同様のことが言える。

このように書いたからと言って、日本革命の希望を捨てたわけではない。再び訪れた「冬の時代」という現実に真激に向き合って生きていかねばならない。
日中戦争大恐慌到来は、大いなる確率を持って展望可能になってしまった。だが悲観してはならない。これが歴史の場というものなのである。どのような時代にも人間は諦めてはならずニヒリストに成ることは許されない。

悪い年に成ることが確実な2013年も、前向きに生きて行かねばならない。

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