誰もが一度は遊んでいるであろう正月の定番「百人一首」。飛鳥時代末から鎌倉初期までの約600年間のうち、小野小町ら和歌の達人100人の歌を選んだベスト版だ。恋の歌が多いことでも有名で少女マンガのテーマにもなり、最近は若い世代のファンも増えてきた。第1首の天智天皇から始まり第100首の順徳院で終わるこのアンソロジーは鎌倉初期の大歌人・藤原定家(1162~1241)が優れた歌を選(よ)りすぐって作ったとされているが本当にそうなのか? 日本文学史の研究者らが指摘する5つのミステリーを追ってみた。
■なぜこの人が入選?
第1首「秋の田の かりほの庵の とまをあらみ わが衣手は 露にぬれつつ」(天智天皇、秋の田に間に合わせた作った小屋は苫『とま』が荒いので私の袖は露に濡れ続けている)
「百人一首は決して誰もが納得する秀歌選ではない。一流歌人としては首を傾げる人たちの作品も少なくない」と言い切るのは吉海直人・同志社女子大教授。例えばトップに登場する天智天皇だ。「大化の改新」を断行し、その系統が平安朝につながっていく。吉海教授は小倉百人一首ミュージアム「時雨殿」(京都市)の館長も兼ねる。「天智天皇はそれ以前の勅撰集(ちょくせんしゅう、天皇や上皇の命で編集した歌集)には全部あわせても10首も入っていない」という。一方、一流の藤原定家や父の俊成、紀貫之らは数多く入集している。
もともと第1首は農民が稲刈り時期の労働のつらさを詠んだもののようだ。それを作者が天智天皇ということにしてしまうと、大衆の生活の苦しみを思いやる帝(みかど)の慈悲深い歌に一変する。「第2首の作者である持統天皇の和歌は少なく、歌人とさえ呼べるのかどうか」(吉海教授)
百人一首には8人の歴代天皇が入り入選率はほかの歌集に比べ高い。藤原道長と確執があった三条天皇、保元の乱の敗者の崇徳院らも当選組だ。
嵐山光三郎、百人一首、清少納言、河野幸夫、五味文彦、アンソロジー、ミステリー、新古今和歌集
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