「思っていたほど頭がよくなかった」は賢い人が必ず出会う絶望
今年、ネット村で最も話題になったブログ記事は「僕は自分が思っていたほど頭が良くなかった」という翻訳記事だったそうです。
僕は、この記事に出てくる教師は「絶望の誤魔化しかた」を教えただけのように思いました。
彼がアドバイスしたのは反吐が出るような自己承認を延命するやり方です。
ぶくぶくと肥大する自己承認
彼が持っていた自己承認は
すごく一般的だ
先ほど紹介した記事の主人公たるアメリカの高校生は、男の子なら誰もが持つ自己承認に支えられて生きていたように思います。
「自分の頭の良さ」についての不思議な信仰です。確かに 「自分は誰よりも賢い」「俺は史上最高の天才だ」と信じ込めるほど愚かな人は、さすがに少ないです。
ですが、「この中では一番賢い」のように、対象を限定することができれば、特定の文脈で自分の賢さを信じることができるようになります。
この記事の主人公であるアメリカの高校生も、そうして独特な自己承認の形を成立させたのでしょう。
自己承認には
根拠が積み重なって出来上がる
この形の自己承認には、根拠が必要です。
「俺は普通より賢い人だ」と考えられ得る根拠です。
例えば、上の図のように「テストで1番を取る」といった事実や、「運動会で子供のように騒がない自分はきっと大人っぽいと認められるだろう」のような妄想です。
しかしこの自己承認には、あくまで自分の中で完結した承認です。誰か他者との関係性を伴った承認ではありません。
この図を見てもらえれば分かるように、【「ある特定の人々」に「あること」を果たせば認められるだろう】という妄想が元になっています。
本当に認められるかはさておき、きっと認められるはずだ、という妄想が、自己承認を支えるのです。そして、この形の承認は永遠に充足することがありません。
永遠に終わらないナルシズム
自己承認を維持するための
爆発的な努力
承認を得るために、人は爆発的な努力を行うようになります。「~して認めさせたい」と思ったとき、「~ができなかったら死ぬ」と思うようになります。
すると、メチャクチャに働けます。
僕の周囲に居る、どこかズバ抜けたスーパー大学生らは、みなそうした大きな努力をしてきていました。
どこか、たかが外れたような努力です。
自己承認はまるで麻薬のようだ
こうして、挑戦を続け、あらゆることに成功し続けた人は、どうなるのでしょうか?
傍から見れば、次から次へと夢を達成し続ける、エネルギッシュな人です。しかし、このとき「夢の達成」は麻薬のように働いています。
つまり、どれだけ夢を達成しても、ホッとするだけで、大きな喜びがなく、次の夢を探すためにそわそわしてしまうのです。
夢を果たせなければ、今まで自分を支えていた自己承認が崩壊してしまうのです。
人はその崩壊に恐怖すら感じるようになります。
夢を達成すればするほど疎外感を感じる矛盾がここで生まれます。
破綻が起こるとき
麻薬が切れれば、
そこは悪夢だ
そして現実には、そんな成功を続けられるほど簡単ではありません。
どこかで挫折を経験します。
どれだけ偉大な人でも老います。
どこかで自分がトップでなくなる瞬間が起こるのです。
そのとき、自分を支えていたものが失われたような感覚に陥ります。不安と恥ずかしさに苛まれるようになります。
このアメリカの高校生の場合
この高校生の場合、「総代になれなかったこと」が一つの夢からの目覚めのきっかけでした。
そうして、これまでの自分を支えてきた自己承認が崩壊し、絶望しているのです。
自己承認が破綻する絶望を
人は誤魔化して生きている
優しいアドバイスをするこの先生は
本当に絶望を乗り越えたのだろうか?
先ほどの記事のアドバイスから一節を抜き出してみましょう。
いままでに経験したなによりも難しい問題に遭遇し、助けを求める方法も問題と格闘する方法も知らないために燃え尽きてしまうのです。うまくやる学生はそういう困難にぶつかったとき、自分の力不足と馬鹿さ加減に滅入る気持ちと闘い、山のふもとで小さな歩みを始めます。彼らは、プライドに傷がつくことは、山頂からの景色を眺めるためであれば取るに足らないということを知っているのです。
僕はこの先生すら「自己承認のラットレース」から脱出はしていないように思います。
人を見下すことで
上が居ることを自己合理化できる
この教師はプライドに傷がついたとき、自分の上を認める素直さは持っていました。ところが、同時に自分の下を見下すことも忘れていません。
より「高度の高い」山の上で見下ろす景色があるのならば、自己承認を満たすことができると解釈したのでしょう。
失敗の合理化
ちなみに僕も、こうして絶望を誤魔化して生きてきました。特に有効に作用したのは、「複線化のメソッド」えす。
僕は承認されるための【何か】を手に入れるときに、計画を複線化するようにしました。
例えば僕の場合だと、大学受験を行った時に2つの補助線を引いていました。
一応「東大を受けて高専辞めるぜ!」と宣言して受験勉強を開始しつつ、万が一落ちた場合には編入試験で再チャレンジできるようにしておくこと。センター試験後に慶應SFCを受けるようにしていたこと。
これならば、失敗しても失敗は計画内に収まるので、プライドが強く傷つくことはありません。
これは徹底した自己防衛の手段です。
現代人が持つ病
イケてるぜ幻想
僕らが生きる時代には「普通より頭が良い人」であふれているようです。「俺はイケてるぜ!」という幻想に現代人はみな取り憑かれているのでしょうか?
賢さだけでなく、才能だったり、立場だったり、態度だったり、あらゆることに「イケてる感」が潜み、自己承認の温床となっています。
その「イケてる感」は離れたコミュニティから見ればどこか滑稽で、それは「中2病」「高2病」「大2病」などと言われ笑われているわけです。
僕たちはこの現実を
どうやって乗り越えれば良いのだろう?
きっと、この絶望を真の意味で乗り越えるには、「頭が良いことの普通さ」に気付き、「誇大自己」を修正することから始めなければなりません。
この続きは、以前「意識高い系学生」に関する記事に書きましたので、参考にして頂ければと思います。
誤魔化しを続けると、本当の創造性は失われます。焦燥感に駆られた「素晴らしく見えること」は「本当に素晴らしいこと」にはなり得ません。
ならば、僕たちはきっと、学生のうちに目を覚ますことができるようにならなきゃいけないですね。
1行35~40字ぐらいにレイアウトが変わったら読む / “「思っていたほど頭がよくなかった」は賢い人が必ず出会う絶望” http://t.co/aPppzXDt
世の中の8割の人の共感を呼ぶであろうタイトルのせいか、やたらRTされているらしいこのブログ記事だけど、要点は「肥大した自己承認欲求や自己愛的万能感の無限地獄から解放されるために」という感じ☞「思っていたほど頭がよくなかった」… http://t.co/zTOxC1Ng
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