読書録 1999年6月後半(敬称略)

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  • 6月30日 ビル・トッテンのページに「あなたの電話は聞かれているかもしれない」。【オーストラリアは、地球規模の電子監視システムに加わっていることを初めて公に認めた国となった。このシステムは、自国および他国からの、国民や企業の個人および商用の国際通信を傍受するものである。5月23日に放映されたチャンネル9のテレビ番組でこれを公表したのは、キャンベラの防衛信号局の局長であるマーティン・ブラディだった。UKUSAと呼ばれる、これまで認められていなかったスパイ組織の存在をブラディが公に認め…「防衛信号局(DSD)はUKUSAとの連携の下で、海外の信号諜報組織と協力している」と述べた。……米国の国家安全保障局(NSA)およびカナダ、英国、ニュージーランドの安全保障組織と共に、DSDは高度に自動化された巨大な追跡ステーション網を管理している。この追跡ステーションは、商用の人工衛星通信を不正に傍受し、衛星が送信するファクス、テレックス、電子メール、電話、コンピュータのデータメッセージなどあらゆる通信を調べている。5ヵ国の信号諜報機関がUKUSA協定を結んでいる。彼らは1947年、または1948年に調印された秘密協定によってUKUSA加盟国になった。約定の詳細は明らかにされていないが、UKUSA協定は加盟国の政府間で、設備やスタッフ、手法、作業、製品を共有する。……インターネットの傍受や海底ケーブルの溝のモニターからも情報が収集されエシュロン・システムに送られる。1971年以降、米国は特別に改装した核潜水艦を使って、世界中の深海海底ケーブルに盗聴用の溝を取り付けている。……】全文必読!

  • 6月29日 MSNジャーナルに田中宇「世界中で広がる貧富の格差」。世界経済は、一昨年以来の国際金融危機を克服しつつあるといわれるが、危機が一段落して見えてきたのは、大金持ちがますます金持ちになっている一方、貧乏人がますます貧しくなっているという現実だった。アメリカ流の社会システムが世界中に広がった以上、当然のことともいえるのだが、あまりに赤裸々な結果である。【アメリカの投資銀行であるメリルリンチ社などが、最近発表したレポート「World Wealth Report」によると、100万ドル(1億円強)以上の資産を持っている人は、世界に600万人(人類の0.1%)いるが、彼らの資産は昨年1年間で平均12%増えた。つまり、世界各地で金融危機が続いている間にも、大金持ちの人々は、ますます金持ちになっていた、というのだった。一方、国連が昨年9月に発表した報告書「Human Develpoment Report」によると、世界人口の6分の1にあたる10億人以上の人々が、貧困ライン以下の貧しい生活をしている。そして、世界全体でのモノの消費量は全体として増えているものの、人類のうち豊かな20%(12億人)が、全世界の消費の86%を独占している反面、最も貧しい20%の人々は、わずか1.3%しか消費していない、としている。国連はまた、6月23日に発表した別の報告書の中で、「世界経済は立ち直りつつあるものの、多くの人々の収入や生活水準は下落を続けている」と警告している。】と事実を示しながら、田中は【アメリカ流のやり方を世界に広げた人々の作戦が上手だったのは、「金持ちは庶民の敵だ」という人々の考え方を「頑張れば私も金持ちになれる」という夢にすりかえて、貧富格差につながりやすい経済の「自由化」を、世界中で進めることに成功した点だ。そんな夢が世界の人々にばら撒かれ出したのは、ベルリンの壁が崩壊してからなのだろうが、あれから10年たち、富むのはもともと金持ちだった人々だけだ、ということが分かってきた。】と指摘している。

  • 6月28日 JAGATのページに「電算写植の開発思想に迫れ」。【組版が乱れているという話は,「最近の若者は...」と似ていて,…街の若者にいちいち小言を言って回っても仕方がないように,組版についても重箱の隅の話をいくらしても埒があかないだろう。…小さい技の積み上げで組版が成り立っているのではない。だからもっと大きな視点から組版は考えないと,重箱の隅に終始する】という論者は【組版というものが位置付けられるべき大きな枠組みというのは2種類あると考えられる。第1は「見てくれ」であり,…第2の大きな枠組みは,「読みやすさ」…】という立場から【具体的には文字文化/活字文化を反映した組版スタイルの見本がどこかにあるわけではなく,組版システムを作る側が文字文化/活字文化をどれだけ自ら吸収し血肉化しているか,というところにいきつく。また「見てくれ」と「読みやすさ」は別物ではなく,両者の関係を考えてバランスをとるとか,読みやすさなら,正書法>ハウスルール>標準作業のようなタテの関係の中のバランスをとることが,組版システムとしてのまとまりになる。このような体系化をしないで,文字の並べ方をいじりまわしているだけでは,出来上がった紙面はよくなる面があっても,一方悪くなる面もでてしまう。】と指摘し、【今のDTPの組版のお手本として,電算写植システムを引き合いに出すことが多くなった。電算写植は十分に長い期間をかけて開発されたので,前述の意味でも比較的体系化されている面もある。だから,電算写植のスペックを真似するだけではなく,なぜそのようなスペックが導き出されたのかについて,電算写植の開発者の頭の中を追体験してみる必要があるだろう。】と結んでいる。

  • 6月27日 沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックのページに井上澄夫『地方分権一括法案」は、「周辺事態法」とリンクした「普通に戦争ができる国家づくり」の一環である』。【私が目的とするところは、「普通に戦争ができる国家づくり」が急速に進んでいることを見据え、中央省庁改革法案と地方分権一括法案は、戦争国家の行政面での骨格づくりであることを、法案の分析によって実証すること】という問題意識から井上は地方分権一括法案に検討を加えている。【今回の「地方分権推進」にあたっては、地方自治の強化・発展は、まったく考慮されず、「3割自治」(中央集権的な行財政制度によって、地方自治の自主性、自立性が著しく阻害されている状態。租税総額における国税と地方税の割合が、前者60%台、後者30%台で、自治体の歳入総額における地方税の比率も30%台であること)の現状も、まったく変えられない。それは、「行政改革」としての今回の「地方分権」が、もっぱら巨額の財政赤字を抱える国の都合によってなされることを、如実に示している。……今回の「地方分権推進」を貫く原理は、…換言すれば、「軍事・(治安)・外交は国の専権事項」という、国の身勝手な論理の法制化であり、手も金もかかる福祉は、自治体の財政がどう窮迫していようと、そっち(自治体)でやれ、ということである。……地方分権一括法案は、閣僚の権限を極度に強化し、国会審議を必要としない関連省庁ごとの政令による規制の網を自治体にかぶせる。この中央集権と政令政治(支配)の強化は、自治体の自主性・自立性を奪うことが狙いである。地方分権一括法案は、周辺事態法と一体であり、いわば自治体の抵抗への予防的規制の法制化である。】と指摘し、【すでに「軍事・外交は国の専権事項」なる合唱がなされているが、地方自治法の改悪は、そういう主張の法制化である。治安対策を含む国家安全保障と外交について、一般「国民」と自治体の関与をいっさい許さず、〈政治・外交の手段としての戦争〉を意のままに行なえる国家に転換するための行政再編、上からの国家改造である。……政府は、中央省庁改革関連法案と地方分権一括法案を、今国会の会期内に成立させようとしているが、二つのその動きは連動している。いずれも肥大した国家行政機構のリストラ化をめざしているのである。既得権益にしがみつく官僚の抵抗によって、当初の目標を達成しえない面があるのは事実であるが、目標自体に変更はないと私は思う。日本の国家財政はすでに破綻していて、リストラ化は不可避だからである。…この国家のリストラ化=贅肉落としは、明らかに周辺事態法と連動している。またすでに用意されているだろう諸有事立法ともセットになっていると見るべきだろう。〈強力で効率的な小さな政府〉こそ「普通に戦争のできる国家」を実現できるからである。】と結んでいる。

  • 6月25日 6月24日午後6時30分から東京・日比谷野外音楽堂で「許すな盗聴法(組織的犯罪対策法案)! 6.24大集会」(主催・同集会実行委員会、よびかけ文)が開かれ、8000人をこえる労働者、市民が参加した。熱気あふれる会場の写真は「ネットワーク反監視プロジェクト」に。主催者あいさつに続いて来賓・政党代表として民主、共産、社民、国民会議、二院クからあいさつ。その骨子は「国怪フォックス通信 9906/24」に。連帯のあいさつとして、労働組合組織から全労協、全労連からあいさつ、連合からメッセージ、つづいて日弁連からあいさつがあった。集会はさいごに「私たちの社会のありようを根底から変えてしまう危険性のある、この憲法違反の盗聴法案を必ず廃案に追い込むため、目的を同じくするすべての政党・労働組合や各界の団体、市民と協力してたたかう」との集会アピールを採択、国会コース(衆参両院請願行動ふくむ)と銀座コースの二手にわかれてデモ行進を行ない、「憲法違反の盗聴法を許さないぞ!」とのシュプレヒコールが首都をゆるがした。

  • 6月24日 『週刊SPA!』1999年6月30日号の連載「罰あたりパラダイス」で福田和也は【現代社会の見えない悪、という事を考える上では、ファシズムについての考察が欠かせないだろう。ファシズムには、表面的で見えやすい、過激な民族主義や、人種差別、暴力沙汰という側面とは別に、社会学的な政治という本質がある。/つまりは、あらゆる共同体からの紐帯を欠いた個を、もう一度社会的に凝集する、束ねる(ファッショの語源の一つファスチアーレは束ねるという意味の動詞である)ための技術を駆使した政治だ。その技術は、排外的民族主義にとどまらず、ナチズムが広範囲に推進した国民参加のスペクタクルや各種のイベント、自動車の普及や高速道路の敷設などによる速度感覚の昂進、福祉や余暇の充実、エコロジーの推進など枚挙に暇がない。/現代社会は、人種差別と制服姿の党員の行進を除けば、ファシズムがはじめた社会の技術的統御という発明を、さらに高度に発展させたものだと云うことが出来るだろう。そしておそらく、人種差別と同じか、いやむしろシステム的統御の技術の方が、邪悪なのであり、オウムにしろ、酒鬼薔薇事件にしろ、不可視の社会的テクノロジーの蔓延と密接な関係をもっている……】

  • 6月23日 JCJのページで「フィクションを超えるルポを 」が、5月28日に亡くなった故斎藤茂男をとりあげている。【「言いたいことと、取材したこととはなかなか一致しない。だから、言いたいことを伝えるのは、やっぱりフィクションかな、って仲間と話すんだけど…」。三十数年も前、阪神・甲子園駅の階段を下りながらシゲさんにこう問い掛けたことがあった。「そうか…。だが、フィクションで言えることならノンフィクションでも言えるはずだろ?」−シゲさんはこう答えた。…バックスキンの靴でスタスタとやって来ると肩越しに「どうだい?」。答えて原稿を差し出したら大変。前後を入れ替え、質問が始まる。「これについて聞いたか? どんな部屋だった? 何があったか? ネクタイは?」−。斎藤茂男さんのデスクワークのしつこさは「厳しい」といっても尋常ではなかった。原稿はみごとばらばらにされ、また再構築された。/あくまでデータを積み重ね、徹底した認識の中で改めて表現に入る。その手法が優れた多くのルポを生んだ。病気は深刻だったが、最後まで現役だったシゲさんは、自分の病気についても医者に細かく聞き質し、問い詰め、メモし、呆然とする家族を困惑させた、という。】

  • 6月22日 『週刊現代』1999年7月3日号に「JAL国内便に米軍の『武器・弾薬』!―沖縄→関西空港便で発覚」。1998年1月6日の那覇空港発関西空港行きのJAL国内線894便に総重量126ポンド(約57kg)の「弾薬・小火器」が運び込まれようとしたが、「機長の判断で問題の荷物を降ろし、894便は24分遅れで飛び立った」という。「日本航空機長組合の山口副委員長」は【現在の会社側の見解では、いくらでも軍用品を運べることになっている。とんでもないことですよ。それに民間機の場合、機長の権限で積み荷を降ろすことができますが!"%,%$%I%i%$%s4XO"K!$,@.N)$7$?$$$^!"N95R5!$N5!D9$,!"JF73$K@Q$_2Y$r5qH]$9$k8"8B$rC%$o$l$F$7$^$&$3$H$b$"$j$&$k!#$@$+$i!"$$$^$G$b2qD$rB3$1$F$$$k$s$G$9![$H8l$j!"!VEl5~9q:]Bg3X65O@2H$NA0EDE/CK;a!W$O!ZJF73$,JALに武器・弾薬を積もうとしたのは、ガイドラインをはじめとする日米の軍事に関する協力体制を、既成事実化したかったんじゃないでしょうか。なぜなら、これまで沖縄の海兵隊部隊の実弾演習では、米国籍の航空会社の飛行機を使って、弾薬、兵員を輸送してきた。本来、日本の民間機など使う必要もないのに、それも定期便に弾薬を載せるなど、非常識な話ですよ】と証言している。

  • 6月21日 ▼『aala』17号(1999年6月20日発行)に太田昌国「《チョー右派言論を読む》傍観か空爆か。少女の涙と大統領の周到な配慮―二者択一論と二元論の狭間に陥らないために」。ユーゴスラビア・コソボ戦争について太田は重要な指摘をしている。【……今回の事態の深刻さのひとつが以下の点にあることは、自明のことのように思える。すなわち、空爆の先頭に立つのが、いわゆる「六八年世代」、つまり関わり方に個人差はあれベトナム反戦運動の経験をもち、現在は社会民主主義派を代表する人物だという点である。NATO事務局長で、最近EU共通外交上級代表に内定したハビエル・ソラナはスペイン社会労働党員だが、「理想的な価値を厳しい現実に適用することの難しさ」を語って、自らが指揮した空爆を正当化する言動を繰り返している。首相時に「理想的な価値」を放棄し自衛隊合憲論と日米安保容認論という「現実論」を展開して、今回の周辺事態法成立の道を掃き清めた村山富市が聞いたら、「友あり、遠方より来る」と随喜の涙を流すだろう。/ソラナらが落ち込んだのは、「ファシズムを傍観するのか」それとも「人権を守るために空爆するのか」という二者択一論だった。他の道はないのか……NATOのなかでそれは真っ当な論議の対象とはならず、空爆の批判者には「ミロシェビッチを容認するのか」とのヒステリックで情緒的な反応が浴びせられた。/傍観か空爆か。少女の涙と大統領の周到な配慮。他の選択を許さぬ二者択一論や、根拠なき二元論の狭間に、私たちは自らを追い込んではならぬ。】▼だめ連ホームページ「盗聴法案ぜったい反対だあっ!!冗談じゃないぜまったく(ちゃんと怒ろう)」。【おいおい、ひどいぜ!盗聴法案】と題して【社会をもっとユルくしていかなければいけないこの時代に、それに逆行して締め付けていこうという動きが活発化しています。なかでも盗聴法案はとんでもない。たとえクニのお仕事をしてる人であろうと、メールや電話など私信を勝手に覗かれるのは同じホモ・サピエンスとしていかがなものか。ちょっと失礼すぎるんじゃないだろうか。知らないところで誰かが連絡とりあってるのがそんなに不安なのか〜!】として、許すな盗聴法(組織犯罪対策法案)!6.24大集会への参加を呼びかけている。

  • 6月20日 『プレイボーイ』1999年6月29日号が特集「オレたちが〈盗聴法〉に反対!する理由」。栗本慎一郎【…そもそも警察は現実に盗聴を行なっているといわれている。それなのに「盗聴を合法化してほしい」と言うのは、今まで経理操作(裏ガネ作り)などで捻出してきた盗聴の費用を正面から予算要求する必要性を感じたからだろう。昨今、警察の情報公開は不可避となっている。/私は衆議院本会議の「盗聴法」の採決で「反対」の意思表示として退場した。ほかに田中真紀子さん(自民党)も同様の行動をとった。もっとも、自民党衆議院議員で「盗聴法」に反対していたのは我々ふたりだけではない。約30人はハッキリ「反対」だったと思う。ただ、自民党幹部、法務省、警察庁との関係で「反対」を表明できなかっただけだ。…参議院の委員会室や本会議場を占拠して「盗聴法」の審議に入らせないぐらいの覚悟は欲しい。そういう物理的な抵抗をしてもおつりがくるほど、「盗聴法」は日本の将来に禍根を残す悪法だ。…田中(真紀子)さんが小渕内閣を「パックン内閣」と命名している。霞が関の役人から放り込まれる法案をなんでもパックンパックンと丸飲みしてしまうからだ。「盗聴法」も法務省や警察庁の役人が放り込んだもの。この“毒まんじゅう”を食えば、どんな社会になるのか、若い世代は真剣に考えてもらいたい。】

  • 6月19日 盗聴法案の本質は予防検束であり検閲である。憲法違反の盗聴法を許してはならない。盗聴に使われる装置の端末には、これまで新規架設時のテストや相手が話し中のときの故障調査に使われてきたNTT施設内の専用回線だけでなく、数年前から公衆回線経由でアクセスし、テストすることもできるようになったノートパソコン型のポータブル試験端末(PTT)で可能(asahi.comの記事 http://www.asahi.com/paper/special/bouju/monitor10.html 、保坂展人“「盗聴法」衆議院本会議強行採決・杉浦法務委員長解任決議賛成討論”ほか)。6月17日ロフトプラスワン「永田町の裏話」レポート―宮崎学ページの読者からのメールに紹介―によると、【…現在回線チェックサービスに113番がわりあてられていますがそのセンターは全国一個所だけで、技術的にはこのセンターを使って携帯でもなんでも盗聴できるそうです。/たとえばしかるべき装置を車に備えてある人物を尾行している最中にその人物(たとえば宮崎組長)が携帯をかけた瞬間に113に電話して宮崎組長の携帯の番号を押すと会話をクリアに盗聴できるような仕掛けになるようです。/さらに法律には立会人は装置の管理者と書いていますからその車内に積んである盗聴装置に技術者で十分とのこと。】その他、ネットワーク反監視プロジェクト「インターネットでの盗聴の形態と方法について」が明解、必読。

  • 6月18日 毎日インタラクティブニュース http://www.mainichi.co.jp/news/selection/archive/199906/17/0618m135-400.html が通信傍受法案:尾崎憲一ベッコアメ社長が「盗聴法」反対と伝えている。17日、社民党が国会内で開いた「盗聴法案についての緊急勉強会」で【…1996年1月にわいせつなホームページを開設したユーザーの事件に関連したとして、プロバイダー業者では日本で初めて警察の強制捜査を受けた。/尾崎社長は「その後2週間に1度は関連先として捜索を受けた。けん銃や麻薬取引のホームページを開いたユーザーの関連での捜索もあった」と話す。昨年はわいせつホームページの事件をめぐり、容疑者関連のもの以外に「アダルト向けホームページを開いている全ユーザー名簿」とある捜索令状で名簿が押収されたが、東京地裁に準抗告し押収は無効になったという。/こうした経験から尾崎社長は「既にかなり踏み込んだ捜査がプロバイダー業者に行われている。通信事業者としてユーザーを守るという責務を捜査員は理解していない」と述べた。】

  • 6月17日 ▼JCJのページに「斎藤茂男さんの仕事とジャーナリズムを語る会」のお知らせ。【5月28日死去された斎藤茂男さんをしのんで、斎藤さんの仕事とジャーナリズムを語る会」を下記のように開きますのでお知らせします。/とき:1999年7月4日(日)午後3時から(開場2時半)/ところ:日本青年館・大ホール(東京都新宿区霞岳町15 TEL3401-0101/会費:2000円/この会は、原寿雄、筑紫哲也、鳥越俊太郎、樋口恵子、岩切信ほか友人のジャーナリストが呼び掛ける形で、当日は、斎藤さんの仕事を映像と友人たちの話で紹介し、今後のジャーナリズムを考える糧とします。/なお葬儀ではありませんので、祭壇の設営、献花などもいたしませんが、参加者の皆様に記帳と一言を書いていただく準備をしております。お香典その他はお受けできませんので、予めご了承ください。/〒101-0046東京都千代田区猿楽町1-4-8松村ビル日本ジャーナリスト会議(JCJ)気付「斎藤茂男さんの仕事とジャーナリズムを語る会」事務局(電話:03-3291-6475、FAX03-3291-6478)】▼6月16日(水)午後6時30分から東京・竹橋の毎日ホールで「第31回ジャーナリズムを語る会緊急シンポジウム―『盗聴』法案にレッドカードを!」が開かれ、新聞労働者をはじめ労働者、市民、約100人が参加した。主催は毎日新聞労働組合(司会は同労組・古賀攻委員長)。集会では佐高信氏(評論家)は公明党の変節を批判し、日隈一雄氏(東京共同法律事務所)は盗聴法は憲法違反だと訴え、池田荘児氏(JCA-NET)はメールからサーバーまで監視下に置く盗聴法案の危険性を具体的に報告した。続いて、取材報告として朝日新聞・石橋英昭、毎日新聞・丸山雅也の両氏から盗聴!0FLdBj$KBh0l@~$Gu$NJs9p$r$&$1!"8E2l;a$N;J2q$G!"2q>l$N;22Cl$+$i$OH?BP1?F0$N$J$+$G$N!HA1NI$J;TL1$,$^$-$3$^$l$k!I$H$$$& ▼Language/Powerのページに近藤佐保子「アメリカの『文化的帝国主義』に対する考察」。【私の基本的立場は、アメリカの文化的帝国主義の存在を認め、それに対し批判的である、という点でルイス氏の立場に共鳴するものですが、その結論においては意見を異にします。すなわち、自動翻訳の技術が十分でない現在において、文化的帝国主義の抑制の有効な手段は英語教育である、という結論は疑問であると考えます。】とする近藤は次のように書く。【まず、異文化コミュニケーションの言語的基盤を英語にする必然性はなく、それどころか、場合によっては、それが多くの回避できるはずの弊害を伴う…たとえば、日韓・韓日の刑法学の論文を翻訳する場合、これを一度英語を介して行う場合と、直接翻訳する場合とを比較してみましょう。日本語と韓国語は文法が酷似していて、語順は全く同じと言ってよいほど、…学問領域で用いられるような抽象的な漢字の熟語になればなるほど、共通のものが多くなり、そこには概念上のずれさえ存在しないのです。それは、日本でできあがった翻訳語の漢字熟語ないし外来の文化そのものが、韓国・中国などに逆輸入された(「哲学」や「権利」という単語がそうであるように)ことに大きく依存していますし、特に日韓の場合は植民地時代という不幸な歴史によるところも大きいのでしょう。加えて、刑法に関していうと日・独・韓は、条文それ自体が翻訳かと見まごうほど酷似していますし、そこで展開される解釈論も「類似品」なのです。これは、日韓両国がドイツの刑法および刑法学を基本的に継受したことによるもので、同じ先進諸国の中でもフランス法や英米法は全く違った刑法システムをもっています。……直接的に必要がなければ、異質な言語、異質な文化を一律の基準として介することは避けるべきなのです。重要なのは、言語には否定できない構造上の距離の遠近がある、という当然の事実と、文化領域ごとに独特の距離があって、それが言語の構造上の距離を場合によってさらに広げたり狭めたりする、ということです。上の例で言えば、刑法学において日独は言語構造の距離より文化的距離は近くにあり、おそらく日中では漢字を用いながらも、法システムの差異から学問上の距離が遠くにある、ということになるでしょう。…上述のような状況を踏まえるとき、その言語教育が英語に偏重することは不必要なばかりか、危険……文化と言語は非常に密接な関係にあり、それは単なる中性的な表現のツールに還元できるものではないのです。…私は、96年から97年にかけて韓国に留学しました。そこで見たものは、期待とは裏腹に、経済的・文化的にすっかりアメリカナイズした若者の街・ソウルでした。…一度失われた文化的・思想的伝統は、「文化の発展」の名の下に二度と正当化されることはない…「発展」には恐ろしい代償が伴うのです。いま、アメリカの文化的帝国主義を野放しにすることは、これまでに培われてきた多民族の多言語による様々な文化を力の原理で退色させ、抹消してしまうことに繋がるでしょう。】とし、【さまざまな国家とその文化が、そのアイデンティティを確固として保ちながら、平等な国際的コミュニケーションを図っていこうとするならば、今の英語偏重の文化が反省され、文化的先進国も途上国も、平等な異文化を尊重し合うことに対して、今一度しっかりとした自覚をもつことが必要だと思われるのです。】とむすんでいる。