聞こえなくなりました
この秋たった一人でエベレストに挑んだ…彼は自分で自分を撮影しながら世界の山々に登るちょっと変わった登山家。
これまで彼は世界7大陸の最高峰7サミットのうち6つのサミットを次々と制覇。
更にその様子をインターネットで全世界に配信してきた。
動画で伝えられる極限の世界。
弱音を吐きながらも頂を目指す姿は登山を知らなかった人たちにもたくさんの勇気を与えてきた。
そんな彼を苦しめる最大の壁が世界最高峰エベレスト。
ここ3年連続で登頂に失敗。
「あいつは登山家じゃない下山家だ」。
見知らぬ人から激しく非難された。
(叫び声)更に重くのしかかるばく大な遠征費用。
それでも彼は自らスポンサーを募り今年も遠征を実現させた。
そして迎えたエベレストへのアタック。
そこには命懸けのドラマがあった。
登山家栗城史多。
4度目のエベレスト挑戦の記録。
標高5,300mにある登山の拠点ベースキャンプ。
彼は今年もこの場所に戻ってきた。
ここ数年彼の挑戦を支えている仲間たち。
天気予報など登山に必要な情報を無線で知らせ彼をサポートする。
はい本日分の天気予報を読み上げたいと思います。
彼が毎回挑戦している秋のエベレストは気候的に厳しく登山者がほとんどいない。
山と1対1で向き合えるこの時期に登るのが彼のこだわり。
いよいよ出発。
今年もたった一人撮影しながらの登山が始まる。
標高8,848mの山頂までの道のり。
彼は今回難易度の高い西陵のルートに挑む。
ベースキャンプから山頂までの間に4つのキャンプを設置。
標高が上がるほど酸素は薄く体力が奪われるためいかに時間をかけずに登るかが成功の鍵となる。
最初の難関はキャンプ1までの間に広がるアイスフォール。
氷河が崩れて出来たアイスフォールは穴ぼこだらけの氷の迷路。
多くの登山家の命を奪ってきた危険な場所。
現れたのは巨大な氷河の裂け目クレバス。
いつ崩れるか分からない氷の塊の中を彼は進んでいく。
(栗城)わ〜!危ない!やばい!来た来た来た!雪崩!秋のエベレストは雪が多く雪崩が起きやすい季節。
来た〜!今…なだれた。
ふ〜!あ〜!アイスフォールを突破するとそこにはウェスタンクウムと呼ばれる広大な雪の谷間が広がる。
誰もいない雪原を彼は1人で切り開いていく。
途中雪解け水を飲んで一休み。
こうして2日かけ彼は順調に標高6,400mのキャンプ2にたどりついた。
ところが…。
(強い風の音)キャンプ2には強風が吹き荒れていた。
彼を待ち受けていたのはジェットストリームと呼ばれるヒマラヤ特有の嵐。
台風並みの風が斜面にぶつかって雪を巻き上げ山頂付近の体感温度は氷点下50度を下回る。
キャンプ2にとどまり風が収まるのを待つ事3日間。
しかし状況はよくならず彼は一旦ベースキャンプに戻って体を休める事に決めた。
何か天気いいから行こうかなって何回も思っちゃうんですけど…。
すごい雪煙がとぐろを巻いてるんで…。
見た目は晴れてていいなって思うんだけど見えない何かがいますね。
今ですね僕はですね標高5,300mのエベレストベースキャンプにおります。
天候が回復するのを待つ彼。
この日は楽しそうにインターネットで生中継。
「今ポーランド隊が…」。
動画を配信しツイッターや生中継で登山を共有する。
それがほかの登山家にはない彼のこだわり。
ちょっぴり変わった登山家の彼。
中学は野球部高校は空手部。
登山とは全く無縁の生活を送っていた。
高校を卒業すると彼は憧れていた東京へ。
何となくフリーターになった。
でも彼には都会が合わなかった。
家に閉じ籠もりもんもんと過ごす毎日が続いた。
何だろうな。
ホントに目的のない人生だったっていう事ですよね。
自分がアルバイトしてお金をためてても何のためお金をためてるのかも分かんないし…。
何のために朝起きて出かけてってとかですね何のためにやってるのかなみたいな…。
自分は何のために生きてるのかなというふうに思いました。
フ〜!そんな彼に生きがいをくれたのが知り合いを通じて始めた登山だった。
苦しい道のりの先にある登頂の喜びを彼は知った。
くすぶっていた自分でも頂にたどりつける。
それを誰かに知ってほしくて彼は自分の登山を撮り続けた。
動画の配信を始めると彼にはたくさんのメッセージが送られてきた。
「頑張り続ける姿を見ていつも背中を押されています」。
「私も諦めずに前へ歩いていきます」。
彼の挑戦は今を生きる人たちに勇気を与えていった。
こういう感じで開いた途端にこの「ハアハア」という息が聞こえてきたんですね。
2年前から彼の動画を見始めた阿部由紀さん。
(阿部)彼がこういうふうな…冒険して雪山で泣いて苦しがってそういうものをあからさまに見せてくれる。
だから正直私の中では栗城君はすっごい格好悪いんです。
格好悪いんですけどすごく魅力的です。
2年前の3月11日阿部さんの暮らす宮城県石巻市は巨大な津波に襲われた。
阿部さんは夫と経営していたお店が浸水。
がれきの片づけに明け暮れた。
これから先どう生きていったらいいのか。
そんな経験の中でも阿部さんは彼の動画を見ていた。
この時阿部さんの目をくぎづけにしたのは彼がヒマラヤ遠征で夜中に氷壁から滑落したという映像。
命は助かったが今後の挑戦が危ぶまれた。
ところがなんとその僅か2週間後彼はまたエベレストに挑むとネットで宣言した。
彼の挑戦が私の力になってるのかな?こういうふうに挑戦し続ける。
それってプレッシャーっていうのを彼は前向きなものに変える力があるんだろうなって。
それに気付かされましたねこの時。
諦めず挑み続け多くの人に勇気を与えてきた彼。
ベースキャンプでひたすら天気の回復を待っていた。
29日は23m26m25m…。
4度目の挑戦となる秋のエベレスト。
彼は登頂に懸けていた。
彼が初めてエベレストに挑んだのは2009年の秋。
しかし彼は登頂に失敗。
それから3年間毎年挑んでは失敗を重ねてきた。
「あいつは登る気がない」「目立ちたいだけだ」。
彼は周囲から激しく非難され下山家と罵られた。
そんな彼は今回の遠征前自分のブログにこう記した。
「心と身体の限界」。
それでも彼は挑む事にした。
生きがいを失いたくなかった。
「今度こそ登頂してみせる」。
彼はそう心に決めた。
遠征開始から45日目。
彼は1週間後に僅かに風が弱まるという予報を聞いて出発を決めた。
このタイミングを逃すと気温が更に下がり登頂は難しくなる。
これが今年最後のアタック。
序盤の悪天候は承知の上で出発した彼。
しかし今回最大の敵である風は予想以上だった。
(強い風の音)それでも暴風の中難関のアイスフォールを越えてキャンプ2まで1日で到達した彼。
しかし体に異変が起きていた。
指が腫れて曲がらない。
彼は指の不安を抱えながら風が収まるのをテントで待つ。
そして4日後。
僅かに風が収まった隙をついて彼はキャンプ3への氷壁に取りついた。
キャンプ3までは滑落の危険のある高さ800mの氷壁を登り切らなければならない。
既に標高は7,000mを超え酸素は地上の1/3近く。
ここから先はただそこにいるだけで体力が奪われていく世界。
彼は9時間かけてこの絶壁を登り切った。
なんとか無事キャンプ3に到着した彼。
薄い酸素と氷点下20度を下回る寒さが彼の体をむしばんでいく。
(せきこみ)うわ〜…。
(強い風の音)しかも天候の予測がずれて暴風のジェットストリームが収まらない。
10月13日山頂付近の風30m。
10月14日山頂付近の風29m。
彼はキャンプ3でひたすら待ち続けた。
冬が近づいてくる。
そして彼は決断した。
明日山頂付近の風が僅かに弱まるという予報。
彼はその情報に懸けた。
今彼がいるのは標高7,200mのキャンプ3。
まずは残りの絶壁を登り切って西稜へ。
キャンプ4で休息を取ったあとホーンバインクーロワールと呼ばれる絶壁をよじ登り山頂に向かう。
彼が稜線に向けて登り始めた。
重い荷物を背負いながらなんとか稜線にたどりついた彼。
そこには今までとは全く違う景色が広がっていた。
(無線)「えっと稜線に出て…」。
こうして彼はキャンプ3からキャンプ4へ。
エベレストの山頂が近づいてきた。
標高7,500mはそこにいるだけで死が近づいてくるデスゾーン。
休憩後彼は山頂までの1,348mを一気に登り切り一刻も早く下山しなければならない。
ジャ〜ン!でも彼には勝算があった。
この時彼は体調がよかった。
彼は自分の体にこれまでにない手応えを感じていた。
(無線・広瀬)「はいお願いします」。
以上。
「はい更新しておきます」。
彼は山頂への1,348mの道のりを登り始めた。
登り始めて4時間。
彼からベースキャンプに無線が入った。
はい了解しました。
更新しておきます。
日が昇ってきた。
既にアタック開始から10時間。
彼は今どこまで登ったんだろう。
更に1時間がたった。
この時彼は力を振り絞って自分のカメラを回していた。
カメラには凍える寒さの中で強風に吹かれ真っ白になった彼の姿が映っていた。
この時山頂付近は台風並みの強風が吹き荒れ体感温度は氷点下40度を下回っていた。
想像を絶する悪天候。
彼からついに苦渋の無線が届いた。
中継キャンプにいる人間はとれております。
「梅崎さんは?」。
(無線・梅崎)「カルパタールもとれてます」。
「こちらも全員とれてます」。
キャンプ4を出発してから12時間。
彼は下山を決めた。
こちら中継キャンプ広瀬です。
何よりも隊長の安全が第一なので…。
こちらはみんな了解してます。
しかしここから彼の本当の闘いが始まった。
下山開始から5時間。
超望遠レンズが必死に下山を急ぐ彼の姿を捉えた。
歩みが遅い。
はいこちら門谷です。
どうぞ。
彼が雪の上に座り込み動かない。
その時彼からベースキャンプに無線が入った。
手が動かないと言う彼。
寒さと酸素不足で痛めていた指が限界を超えていた。
シェルパ今から行きますが…。
ベースキャンプの仲間はすぐに救助が必要だと判断。
合流するまでかなり時間がかかります。
仲間のシェルパたちを彼のもとへ向かわせる事を決めた。
しかし彼がいる標高までは距離があり過ぎる。
もう手も動かなくなって体も動かなくなってきてるとの事。
ホントに大変だと思います。
けれど栗城君の自発的な動き自分の足で一歩でも標高を下げる事が最終的に栗城君の命を救う事になります。
一歩でも多く下がって下さい。
自分の力で標高を下げて下さい。
シェルパたちも今頑張ってます。
よろしくお願いします。
日没まで残り3時間。
それまでに合流できなければ救助に向かう仲間は日が昇るまで動けなくなる。
彼が最後の力を振り絞って歩きだした。
しかし彼は仲間と合流する事はできなかった。
彼がなんとかたどりつけたのは標高7,500mのキャンプ4。
そして救助に向かう仲間がいたのはキャンプ2。
標高差にして1,000m以上も離れていた。
日が完全に暮れ寒さが襲ってきた。
彼は今暖房も酸素もない標高7,500mのテントの中に1人でいる。
指が動かない彼は水を飲む事すらできない。
彼は希望を失いかけていた。
本当に厳しい環境にいると思います。
自分の気持ちの整理もつかないだろうし明日への希望っていうのもなかなか見いだせないかもしれないです。
だけれども栗城君一人の命を救うために本当に多くの人間が動いてます。
本当に多くの人間が必死に栗城君の無事を願ってます。
栗城君が今できる事は1晩とにかく1晩頑張って生き抜いてそしてまた元気な顔を見せてくれる事だけです。
とにかく1晩生きて下さい。
いいですね?「ただ生きていてほしい」。
彼から勇気をもらってきた全国の人々からメッセージが送られ続けていた。
夜が明けた。
彼との最後の無線交信から7時間が過ぎていた。
門谷よりC4栗城君感度ありますでしょうか?感度ありますでしょうか?おはようございます。
1晩よく頑張りましたね。
下山開始から実に52時間。
彼は生きて帰ってきた。
日本に帰国した彼。
入院し指の治療を受けていた。
今回彼は重度の凍傷で両手の指9本の自由を失った。
点滴の痛みで疲れ切った中彼は今回の挑戦をこう書き記した。
「目の前に山頂に続く一本の道がある。
だが強風の中突き進めば帰ってこられなくなるのは分かっており僕は生きる事を選んだ。
4年間の苦しみとさまざまな思いそしてたくさんの人の応援。
夢を共有し今までになかったエベレストの頂。
僕にとってこの頂は全てであった。
両手の指がないという事は今までの登山ができないというのは確実です。
しかし脳裏にエベレストが見えるという事はまた向かうという事です。
人はただ生きるだけではなく夢があり希望がありそれがあるから僕は生きているんです。
だから僕は今後どのような形になるか分かりませんがまた皆さんと一緒に登りそして生きていきたいと思います」。
2012/12/23(日) 17:15〜18:00
NHK総合1・神戸
ノーリミット 終わらない挑戦[字]
自らの登山をネット配信しながら登る栗城史多27歳。すでに世界7大陸の最高峰「7サミット」のうち6大陸を制覇し、残るは世界最高峰の「エベレスト」。その挑戦を追う。
詳細情報
番組内容
自らの登山を撮影し、インターネット配信しながら登る、異色のソロアルピニスト・栗城史多27歳。すでに世界7大陸の最高峰「7サミット」のうち6大陸のサミットを制覇し、残るは世界最高峰の「エベレスト」。しかし、エベレストの壁は高く、栗城は2009年以来3年連続失敗。「下山家」とまでやゆされる。そんな逆境の中、今年も自ら資金を集め、アタックを決意する栗城。4度目となる挑戦を極上の映像でドキュメントする。
出演者
【出演】登山家…栗城史多,【語り】KIKI
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz
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