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清瀬 航輝 のブログです

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みなさん明けましておめでとうございます。清瀬です。
 
これが2013年、新年最初に書く記事となります(この記事自体は、先にフェイスブックで更新しました)。
 
私は昨年6月22日より、官邸前、そして霞ヶ関各所と、毎週金曜の撮影活動を続けてきました。その他にも、いくつもの現場映像を撮影し、それらをYouTubeを通じて公開し、ブログやツイッター、フェイスブックなどで紹介をし続けてきました。
 
また撮影活動以外にも、それらソーシャルメディアを駆使し、本業とは別に、個人的な活動として、脱原発の活動を続けてきました。今月21日にも、「ふくしま集団疎開裁判」の関連で、仙台まで撮影に行きます。その「ふくしま集団疎開裁判」や、「福島原発告訴団」への参加も含め、様々なアプローチを重ねてきましたが、そこへの想いは「原発は日本を失わせる」という言葉に集約されます。
 
もちろん、原発は「命の問題」であり、「人類の叡智に背を向けること」であり、それはすなわち、この社会のありよう、そして私たちの心のありようを問うています。また私も言い続けてきましたが、先日も紹介しました、武田邦彦さんの解説映像でも明らかなように、原発は紛れもなく核武装装置です。右翼勢力が原発推進である理由は、まさにそこにあります。
 
明らかに地震の活動期に入った日本が、このまま危険な原発を運転し続けた場合、シビア・アクシデント、過酷事故が更に起こります。個人的には、あと2回は起こらなければ、日本人は原発を止めないのだろうと私は考えています。しかし、座して次の事故を待つ姿勢をとるか否か、実は先の衆院選後、それが私の最も悩んだ問題でした。
 
このことについても、武田さんは選挙直後のブログ記事とブログ音声で、「私たちの闘いは結果として報われない方向にある」といった趣旨のことを述べています。つまり、被曝回避の啓発を続ければ、結果として被曝が回避されますが、健康被害が出なければ、被曝回避の行為そのものが無意味化されるからです。
 
つまり、私たちが脱原発を訴えた時、それが実っても、私たちは基本的に報われません。ただ「騒いでいた人」として世間から言われるだけです。原発が廃炉となり、結果として過酷事故が防げたとしても、「原発が稼働していたとしても、過酷事故が起きていたということは言えない」と言われることになります。逆に脱原発の訴えが実らず、再稼働が続いて過酷事故が起きれば、それそのものが、当然乍ら私たちとっては報われない結果となります。
 
この「どちらにせよ報われないこと」を、私たちはしています。とりわけ衆院選の結果により、私は昨日の大晦日、そしてつい先ほどまで気落ちした想いを引きずっていました。昨日も、ある人と何時間と話していました。
 
「このままでは次の参院選で自民党を中心とする右派勢力が圧勝する。そうなれば20126年の選挙までの3年間は、再稼働はおろか、改憲、国防軍、徴兵制、秘密保全法と続き、ナショナリズムの高揚を以って、中国との軍事対立にさえ進む」
 
今の右翼勢力が2016年まで政権を握った場合、どうなるかについて、私は最も危惧しています。それは歴史が証明していると思います。すなわち昭和11年の2.26事件から、わずか5年後には真珠湾攻撃により日米開戦となっています。世の中というのは、時代の空気も人心も何も、或る日突然、ガラッと変わるものなのです。それが社会であり、大衆であり、政治、そして国家です。それについては、大晦日にツイッターとブログで紹介しました、「 カラーで見る日本の戦争 」 の映像を、どうぞご覧下さい。今の世情と見事に重なります。
 
今、私は「子供は守らなければいけない」と、強く感じています。2011年から「こどもをまもる」という活動を、主にツイッターを通じて続けてきました。2011年は被災地へのボランティア活動に、また2012年は脱原発活動に明け暮れた一年でしたが、今年2013年の私の活動テーマは、この「子供を守る」という一語になると思っています。
 
目の前の先には、望み薄しと思われる現実ばかりが見えています。だからこそ「子供だけは何としても守らなければ」と危機感を強く感じていますが、それだけでは未来は変わりません。同時に「脱原発」の活動も、やはり同時に続けるべきだと、ようやく今朝になって考えを改めました。
 
一時は「もう脱原発の活動は、やっても無駄であり、転じて子供を守る活動に専念しよう」と考えましたが、年明け前後の昨日と今日で、そのふたつを共にしてゆくことを、新年にあたり決めました。「子供を守ること」と「脱原発」は、活動としては同じであり、不可分であるという考えで、2012年までの経験の総括として、結論に達しました。
 
このことを肝に銘じ、決して悲嘆することなく、今後も脱原発の活動を通じて、未来ある子供たちを守る、そうした大人の姿勢を続けていきます。
 
ここまで書いて、武田邦彦さんの、あのブログ記事を思い出しました。私も音読をし、昨年には歌にもなった「子らよ」です。
 
「私たちは報われなくとも、しかし最後は報われます。それは、私たち大人が子供を守ろうとしたことに対して、子供が抱く感謝の気持ち。」
 
そして私の座右の銘。「ありのまま、あるがまま、心のままに」を最後に添えます。人は心のままに生きればいい。それが報われようと、報われなかろうと、すべてはみな、心のままに行えばいい。そこに誠実な良心さえあれば、あとは運命に魂の行方を委ねたいと想う。結果など要らない。たとえ壮絶な最後を迎えることになったとしても、心のままにさえ生きていれば、結果として、死もまた受け入れられることになる。自らの死も。そして、大切な人の死でさえも。誠実でありさえするならば。
 
 
2013年 元日・正午 / 清瀬
 
 
 
子らよ・・・ / 武田 邦彦・NOBU
 

 
 
「 子らよ・・・ 」 について / 清瀬 航輝 [ 2012.03.01 ]
 

 
 
選挙と原発 / 武田 邦彦 [ 2012.12.17 ]
 

 
 
【 音読 】 福島地方検察庁への意見陳述書 [ 2012.10.30 ] 清瀬 航輝