2012-12-31 10:02:24
posted by givo-project
ニーコロの朝
テーマ:靖子の部屋入院に付き添う夜、昨晩は私がつきました。
そして朝。
暑い位の空調設定の病棟を抜けて、朝ごはんに外に出ると今度はぐっと寒い。
この落差加減が、
私をある時点へと引き戻す。
UTAのはじめての入院、私の初めての付き添い入院。
あそこから、今立つここまでちっとは「親」になったかな?
UTAひとりだった「子」はTAKE、そしてHALと3人になり、
嬉しくなる気持ちも、成長の仕方・見え方も、心配することも皆オリジナル。
それぞれに目線を合わせて付き合いたいとは、こちらは思いであって。
どうなんかな。
当人には。傍目には、そして哲父には。・・・私自身には。
良かったのかな、出来てたのかな。それでいいのかな。
いや、いらんか。
そんな採点。
同時にまた、こどもでいっぱいいっぱいな自分に「ふふっ」、笑っちゃう。
親かー。
親なんかー、私は。
自分にとっての親、まず父親は優しくなんかはなく、いつも大体厳しい。
そして誰よりも母にぞっこんである。その母にもしょっちゅう厳しいという、
少しどころでなく中々難しい人。
33年のうち、
10代は父とはとにかく怖いもの、であった。
20代は仕事も一緒にしていた頃もあり、なにかと口喧嘩相手となった。
でも父の背負うものも見えて、厳しいのも頷けた。
それから結婚したり子どもを産んだりと私自身の人生が動き、
改めて父を見ると、難しさの奥には
人間らしい不器用さを感じれるようになった30代。
末子のHALの沐浴は父と私が担当で。
些細なことまで心配する父の姿に、
「あれあれあなたは大雑把だったでしょう?」
そして可愛がるときの、およそこれまでの記憶にない程の笑顔。
いや、違う。
うーんと、私がちっこい頃には見ていた。
父の背に背負子でのっけられぐんぐんとスピードを上げスキーした冬も
バックミラー度外視で車一杯に荷をのせて、
赤いファミリアの天窓から手を、時に顔を出して向かった夏山キャンプも。
確実に向けられていた笑顔だ。
そうしたぼやける輪郭をなぞっていたら。
涙がでた。
でてしまった。
「子が私を親にてくれた」とこれまで思えた節は数知れずだが、
今日という自分の誕生日に親に想いがいくことで、
「この親がいて私は親になれた」と思い知ったのだ。
生きて今日を祝ってくれた母、
5月に死んでしまった父。
私を創ってくれて、どうもありがとう。
今日はとても、寂しいよ。
でも、だから明日からまた元気だよ。