琴反地の浜(ごたんぢのはま)は、直島の南部にある遠浅で白砂の浜。 波も穏やかで、夏になると海水浴客で賑わいます。五反地の浜・琴弾地の浜(ごたんぢのはま・ことたんぢのはま)とも呼ばれます。
この歌には秘密がある?!
案内をお願いしたのは、直島町観光ボランティアガイドの会の堺谷敏子さんです。
堺谷さんは生まれも育ちも直島。島の魅力を少しでも多くの人に伝えたいと4年前からガイドを務めています。
特別に“崇徳上皇ガイド”をお願いし、最初に琴反地の浜を訪ねました。
堺谷さん、ここにはどんなエピソードがあるのですか?
「崇徳上皇が、この浜で寂しさを紛らわせようと貝を拾っていたそうです。その時、どこからともなく琴の音が聞こえてきました。 上皇を慕って京から追いかけて来た姫が、御心を慰めようと琴を弾いていたのです。地名の由来にもなりました。」
近くの歌碑には、上皇が詠んだとされる歌が書かれていました。
都で待つ(松)人たちのことを思って、この浜で貝を拾ったのでしょうか…。
この歌の秘密を指摘するのは、香川大学教授で歴史に詳しい田中健二先生です。
「上皇が生まれるはるか昔に詠われた藤原定頼の歌に、そのカギがあります。」
(藤原定頼の死去1045年、上皇の生誕1119年)
松山の まつのうらかぜふきよせば ひろひてしのべ こひわすれがひ
「後拾遺和歌集」
讃岐へ赴く人(源光成)に贈った 藤原定頼
松山(香川県坂出市の地名か?)から吹き寄せる松風に都で待っている人のことを思い出してしまったら
恋の苦しさを忘れるという忘れ貝を拾ってなつかしく思いなさい
「よく似ているでしょう!上皇の歌は定頼の歌の『本歌取り』をしたのだと思います。オリジナルの歌に着想を得て、自分の思いを込めると言う高度な技法です。定頼の歌がこれから香川に向かう人に贈る歌なのに対し、上皇の歌は、香川に配流された現実の歌のようです。」
定頼の歌に思いを寄せて、今の自分を詠う。歌人としても名高い上皇ならではの作品なのでしょう。
部下にも慕われ
かつてこの辺りは入浜式の塩田が広がっていました。
今は住宅地になっています。
また製造法は変わりましたが、天然の海水から作るミネラル豊富な天日塩は近年再び脚光を浴び、島のブランド商品として販売されています。
琴反地の浜から車でおよそ10分、島の北東部にやってきました。
町民専用バスの停留所の地名は「納言様」。なごんさまと読みます。
堺谷さん、ここも崇徳上皇に関わりがあって名付けられたそうですね。
「地元はみんな『なごんさん』『なごんさん』と言うてますね。上皇を慕って大納言・中納言・小納言と呼ばれる立場の人たちが京から来られたんですね。その船がたどり着いた所が、この場所です。古くは浜でした。大・中・小を取って短くなって今の地名になりました。」
崇徳上皇は女性だけではなく、部下にとっても良き主だったのでしょう。
女の戦い
次は直島の北端から1キロ余り沖合の「京の上臈(きょうのじょうろう)島」です。
堺谷さん、変わった名前の島ですね?
「崇徳上皇に仕えていた京都の身分の高い女性(上臈)と島の女性が、上皇をめぐってとても仲が悪くなりました。その様子は見るに堪えんかったんで、2人とも無人島に送られました。
それでもお互い身を引くこともなく、向かい合えば罵りあっていたそうです。そして掴み合い、終いには口を開けて石になって死んでしまいました。この伝説から京の女性の名をそのまま島の名前にしたそうです。」
豊かな海
波無(はぶ)の浦。
上皇の祈りで波が静かに治まったのでこの名がついたとされています。
美しく豊かな海として知られ、この日も大勢の釣り人が釣果を競っていました。
「島に滞在している間は幸せに過ごして欲しかった…。」という願いもあるのかもしれません。
島に残る崇徳上皇のお話は、大勢の人たちから愛されていたことを語るものがほとんどでした。
次回も上皇ゆかりの地を直島に訪ねます。