世直し、前衛芸術、競馬、坐禅、音楽など、なんでもあり

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しき雑談。
 

微笑禅の会ネット会報平成24年12月号

2012年12月31日 23時49分24秒 | 
大晦日の夜、世間の人は紅白歌合戦などテレビを見ながら団欒の時間帯だろうが、どうにか12月中に会報を出す時間が取れた。

昨年はゴタゴタ続きだったので、今年は全く新しい知り合いたちと手を結ぶように意識的に努力した。下心や野心のある連中とは一切手を切ったので気持ちがスッキリしている。
 来年もこの方針で続けたい。

何回か寝禅の方法について書いてきた。
 あれは危篤前後の本当に重病状態のとき、目も開くことが出来ず体も動かせないほどの緊急事態の一種の蘇生術で、軟酥の法もそうだが、あまり一般向きではない。こういうときには思い切って全てを放下し、死ね運命ならば死ね、と自然にゆだねるほうが楽なときもある。
 起き上がれる状態であれば坐禅や歩行禅のほうが遥かに効果的で、軟酥の法も単なるイメージトレーニングではなく、目から足先まで5秒ほど緊張させては力を抜いていくという方法がある。

次いで、見性体験について。
 生まれた限りは一度は体験したいと思うし、その具体的な方法は「見性体験記」やDVDを見れば分かるように活字と映像で残してある。
 しかし、これも考え方が少し変わってきた。それはDVDのほうで語っているように、常日頃の心がけ、強く明るく気高く美しく、という生活を続けることのほうが大切で、あまり見性体験に拘らないほうがいい、と思うようになってきた。このことも「体験記」には書いてあるが、見性体験は普段の心がけが壊れていると天狗の生悟りになって逆に災いする場合も多いからだ。

私は最初の坐禅が気持ちよかったから熱中し、あれこれ工夫したに過ぎない。その途上 玄侑宗久師や居士禅の指導者たちから様々な助言を受け、それを素直に聞き入れていたらあるときドカンと悟りが向こうのほうからやってきた。東山寺http://www17.plala.or.jp/tozanji/の故・川上雪担老師からも生前に点検を受けた。
 私の場合は6回見性を繰り返したが、家族の問題、最も親しかった会員や友人の大病など見ていると、これでいいのかと疑問に思うことがある。

カラクリは簡単なことで、今の日本の権力の中枢にカルト宗教がドンと居座っているのだから、私が「いつ死んでもいい」という心境で行動を取っていると会員や友人たちにまで害が及ぶ。
 これは微笑禅の会だけに関わることではなく、現在も応援し情報を交換している愛国者たちも同様で、私が大病をしている間にほとんどが提訴されて負けたり逮捕されて、内部分裂が起こっている。

かといって何もかも穏便に、事なかれ主義でやっているといつまでたっても世直しが出来ない。あの世で幸せになりましょう、というのは禅の教えにはない。

年末に心より願うのは、見性体験あるなしに関わらず、正義感のある人間が次々と現れ「桃李もの言わざれども下自ら蹊を成す」の状態になって家族、近隣、友人たちの間で慕われる存在になって欲しい、という一言である。




ジャンル:
コラム
キーワード
事なかれ主義 カルト宗教 イメージトレーニング 紅白歌合戦
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