ペルー93日め(脱日本1564日め) ・・・6.Septiembre de 2011 (Martes)


イスラエルで史上最大デモ、45万人超が生活費引き下げなど要求  ロイター 9月5日 [テルアビブ 3日 ロイター]

 イスラエル各地で3日、生活費の引き下げなど社会改革を求めるデモが行われ、主催者らによると、同国で史上最大となる45万人以上が参加した。
 7月に続き行われた今回のデモには、学生だけでなく、イスラエル各地で中産階級が参加した。「アラブの春」にも触発された一連のデモでは、ソーシャルメディアが大きな役割を果たしている。デモ指導者の1人は集会で「われわれの新しいイスラエルは、政府に真の変革を求める」と語った。
 一連のデモを受け、ネタニヤフ政権は、経済政策を協議する委員会を設立したほか、住宅問題や消費者市場改革に取り組むと発表した。ただ、ネタニヤフ首相は、減税のほか無料教育や住宅予算の拡大など、デモ参加者が主張するすべての要求に満足な対応はできないとしている。
 評論家らは、今回のデモによって、これまで安全保障や外交問題が主だったイスラエルの政治課題として経済問題が浮上したと指摘している。

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 7月、イスラエル国内で同国の歴史上、諸物価の価格に抗議する初めてのデモが行われたことは、この国にとっては異例中の異例のことであって、イスラエル政府の鋼鉄の統制が緩みつつあるのか、増加する一方の国内パレスチナ人に対抗して、ユダヤ人口を増加させるために東欧ロシアから移民させた純ユダヤ系とは言いがたい人々の存在(すなわち経済的難民でもあり、紛争に直面する入植地住宅への先鋒でもある)が、引き起こした国内階級闘争へと繋がるのか、その後の推移を見守りたいと思っていたが、如何せん情報が少なく、どうにも判断がつかないでいた。。。

 今回のニュースでも、詳細が次々と明らかとなるという様子とは程遠いけれど、"各地で中産階級が参加した"、"われわれの新しいイスラエルは、政府に真の変革を求める"などという話を聞くと、どうかこの運動がイスラエルの真の民主化に繋がり、パレスチナとの対話への重要な一歩となることを、柄にもなく切に願いたくなる。

 今回のblogはわたしにしては極めて珍しく、わたし自身の"希望"を語ることになるだろう。パレスチナ=イスラエルに関する唯一の、たった一條の希望の光として、このニュースが、このデモが、将来、パレスチナの歴史を語るときに、重要な局面であったと記されるようになることを夢みて、平素は絶望に憑かれ、決して希望など夢に見ないわたしが、今回だけはその微かな希望に縋るような気持ちでblogを書いていることを白状しておく。。。

 どうかイスラエルの人々が、このデモを不屈のものとして、自分たちの意見と権利を主張することを学ぶきっかけとなりますように。。。
 そしてどうか、イスラエル政府が対応を誤り、デモに参加した民衆に対して弾圧や制裁を加えますように。。。

 できれば人々の参加したデモが暴動へと発展することを祈りたいくらいだ。。。

 ほとんど語られることがないが、イスラエルは決して、民主主義国家などではない。確かに議会制民主主義の選挙形態は整えているけれど、かの国では政治的タブーが横行し、兵役拒否=軍法会議(懲役刑)という対パレスチナ政策に関しては一切の自由はない。高度な政治的自由が欠けているという状況はCuba社会と何ら変わりがない。。。
 そもそもイスラエルは社会主義を目指して建国された国家であって、民主主義とは程遠く、国家統制型のきわめて歪な資本主義経済であるに過ぎない。イスラエルの国民は、事実上占領区以外では、紛争・テロニュース以外のパレスチナの人々の状況について知る術もなければ、驚いたことにほとんど関心もなく、すべての情報はマスキングされ、どちらかと言えば、人々は"占領地での戦争"は自分たちの日常とは別世界のことのように考えている節がなくもない。議論されることもなく、少なくとも人々の日常にパレスチナの影はないという異常な状況をイスラエル政府が創りだしてきた。第四次中東戦争からすでに38年。。。若者たちにとって(いや、中高年にとってすら)対パレスチナ問題は占領地勤務の兵役・予備役に関る問題でしかない。兵役義務さえ果たせば、パレスチナのことなんぞすっかり忘れて、後はバックパッカーで世界中を旅し、或いはビデオゲームやディスコ、最新のファッションやモバイル携帯、レストランでの食事やデートに夢中になることができる。パレスチナなど、ただの対テロ犯罪闘争くらいにしか考えない無関心な人々を育ててきた。

 大昔にも書いたことがあるが、わたしは反イスラエル主義者ではあるけれど、決して反ユダヤ主義者ではない。世界中に散らばる多くのユダヤ的知性を有した人々に対する敬意を反イスラエル主義と一緒にするつもりはない。
 だが国籍的なイスラエル人にどうしてそういう目覚しいユダヤ的知性を秘めた人が出現しないのだろうと訝ったことがある。わたしなりの結論で言えば、それはかの国に知性の自由がないからだと考えている。情報や認識そのものが歪められ、洗脳され、知性の自由を奪われた彼らの中から世界的な頭脳・知性を持った人物が出現しないのは故なきことではないようにも思える。
 だが勿論、イスラエル国内にも、軍法会議、懲役、非国民との謗りや差別を物ともせず、兵役拒否をした人々も僅かとは言え存在するのも確かだ。だがこれまでは、すべての情報が統制され、国民の中にもタブー意識が根強く、国家に対する忠誠はイスラエル国家の存亡に関る最高義務とされ、国家に対して異議を申し立てることは想像だにされて来なかったと言っていい。

 評論家たちが何を言おうと、今回のデモを単に"経済問題の浮上"に終わらせてはならない。いや、終わらせて堪るものかっ!!

 最初の一歩はパレスチナとは無関係なところから始めればいい。それが経済的問題であれ、人々が社会(国家)に対する異議申し立ての権利を有していることに気づけばいい。イスラエル国内にも必ず、パレスチナ問題に対して心を痛める人々はいるはずだ。だがこれまではそれを公に表明することも、議論することもできなかったけれど、これをきっかけに、単に"反戦"や"個人の自由"という観点からだけでも、パレスチナ問題が人々の意識の遡上に載るようになることを願っている。一旦タブーが解かれれば、さまざまな価値観のあり方が問われ、情報が錯綜し、人々はそれについて考え始めるはずだ。最初は少数派の人々が巻き起こすしかない議論が、やがてイスラエル国内を揺るがすことになればいい。米国や国際社会に任せておいても60年に渡って、何一つ成果がないどころか、売国奴たちPLOによって取引材料とされ、状況は悪くなる一方だ。
 変化は思わぬところから訪れる(外部からではなく、内部から)。。。イスラエルの人々がタブーと洗脳から解かれる日が来れば、本当の意味でパレスチナの人々との対話の道が開けてもおかしくはない。
 勿論、それは簡単なことではない。場合によってはまだ十数年先になるかも知れない。だが往々にして変化は急激に訪れるものだ。
まずはこのデモの拡大と、これがのちに他のデモへと続くことを期待したい。
積み重なるデモと権利の拡充が、人々に更なる要求を探させるだろう。
いつかそれは必ずパレスチナ問題へとリンクせずにはおかない。
その日を信じて、このデモがイスラエルの人々の呪縛を解く歴史的に重要な局面となることを、わたしは本気で切に願う。

 もう終わりにしなければならない。。。
それにはイスラエルの一般の人々の"自らの自由と権利についての意識改革"が不可欠であったことをわたしもまた見逃していた。。。
パレスチナの人々の運動はもう考えられる限り試された。武力闘争も、非武力闘争もすでに試された。譲歩も和解の対話も、もうたくさんだ。。。国際社会の無能さはすでに60年に渡って証明されてきた。或いは国際社会には解決する意志などこれっぽっちもないことも証明されてきた。もう一切の可能性はないように思えた。

 だがたったひとつ未だ試されたことのない道があった。。。
それがイスラエル国民そのものの意識改革だ。パレスチナ問題についてではない。彼ら自身の"自由と権利"、"社会や国家に対抗する個人の権利"のことだ。それは同じように外部からではなく、イスラエル国民自身、内部から齎される他ない。
残されたたったひとつの一條の希望だ。もはやそれ以外にはどんな手も残されていない。
時間は掛かるだろう。だがさらに60年ということはない。


 リーダーが出てくることだ。犠牲を顧みず、パレスチナ問題を国家の問題ではなく、自分自身の"私的な権利と自由の課題"として語れるリーダーの登場を待つしかない。フロイトを、アインシュタインを、マルクス、カフカ、P・レーヴィ、C・レーヴィ、グールドやアシモフ、クリック、T・マン、ハイネなど様々な分野で偉能の人々を生み出してきたユダヤ的知性がそれを可能にするだろう。
 その実、可能性は決して高くはない。だが可能性がなくはない。それが希望だ。。。


 わたしの唯一のこの世界に対する希望だ。たったひとつ、唯一の夢だ。。。

 

 


だがどうしてこんなにもわたしは無能なのだ。。。

 

 

どうして糞の役にも立たないのか。。。

 

 

余計に己れが呪わしくなる。。。