糸井重里さんの「インターネット的」で触れられていたので読んでみた一冊。うーん、これは面白い!10年以上前の本ですが、世の中を考えるヒントにあふれています。
安心社会から信頼社会へ
・逆説的に聞こえるかもしれませんが、これまでの日本社会は信頼をあまり必要としない社会でした。少なくともアメリカを代表とする欧米社会に比べ、他人を信頼すべきかどうかを考える必要性が小さな社会だったといえるでしょう。(中略)これまでの日本社会では、関係の安定性がその中で暮らす人々に「安心」を提供しており、わざわざ相手が信頼できる人間かどうかを考慮する必要が小さかったのです。
・一般にお役所仕事は非効率の典型とされています。しかしこの例からもわかるように、お役所仕事の非効率さが、無数の煩雑な規則によって強制されている点も見逃すべきではありません。そして同時に理解しなくてはならないのは、お役所仕事を非効率的にしているこれらの規則が、究極的には役人に対する国民の不信から生まれたものだという点です。国民は、役人に対する不信のつけを、巨大な無駄を生み出すことで支払っているのです。
・日本の集団主義文化は個々の日本人の心の内部に存在するというよりは、むしろ日本社会の「構造」のなかに存在しているのだという立場をとっています。(中略)人々が集団の利益に反するように行動するのを妨げるような社会のしくみ、とくに相互監視と相互規制のしくみが存在しているからだという観点です。
・集団主義社会では、集団の内部にとどまっている限り安心して暮らすことができます。しかしそのような安心を生み出す集団主義的な行動原理は、実は、集団の枠を超えて人々を広く結びつけるのに必要な一般的信頼を育成するための土壌を破壊してしまう可能性があります。この点が、信頼の解き放ち理論を使った分析を進めることで筆者が一番主張したかったことです。
・社会的不確実性が大きいと特定の相手との間でコミットメント関係が形成されやすくなるという結果は、筆者たちが行った実験でも繰り返し確認されています。したがって、社会的不確実性が大きくなると特定の相手とのコミットメント関係の形成が促進されるという関係は、かなり一般的に成立する関係だと考えてよいでしょう。
・これらの結果は、社会的環境の中に不確実性が存在するだけで、人々はコミットメント関係の外部にいる「部外者」を信頼できなくなること、そして、特定の相手との間にコミットメント関係を形成している程度が強い人ほど「部外者」に対する不信が強くなることを示しています。
・教育年数が11年から12年になると「たいていの人は信頼できる」と答える人の割合が二割から四割程度に急に跳ね上がっています。(中略)教育年数が11年と12年との間で「たいていの人は信頼できる」という回答が急に跳ね上がると言うことは、高校を卒業した人たちと高校を中退した人たちとの間に、一般的信頼の程度に大きな差があることを意味します。ここでもし、ガースキたちが主張するように、高信頼者は単純な枠組みで世の中を見ているという節がただしいとすれば、高校を中退した人たちの方が、無事に高校を卒業した人たちよりも複雑な思考のできる人たちだということになってしまいます。
・一般の常識では「人を見たら泥棒と思え」と信じているような低信頼者のほうが、人間は一般に信頼できるものだと考えている高信頼者よりも、まわりの人間が信頼できなさそうだという情報に対して敏感に反応すると思われていますが、この実験の結果は、この常識とはまったく反対の関係をしめしています。
・高信頼者は社会的な楽観主義者であって、そのため他人とのつきあいを積極的に追求すると考えることができます。そのためその中で他人の人間性を理解するための社会的知性が身に付いていきます。これに対して低信頼者は社会的な悲観主義者であって、そのため他人、とくによく知らない他人とのつきあいを避けることになり、結果として他人の人間性を理解するための社会的知性を身に付ける機会を逃してしまいます。
・人類の進化の歴史の99%を占めていた、農業と文明が生まれる以前の時代と現代を比べて一番違う点は、生活の様々な面での不確実性がきわめて大きかったことです。たとえば食べ物が確実に得られるかどうかという点だけをとっても、現代と農業以前の狩猟採集時代とではまったく違っています。(中略)そういった環境では、たとえば感情的な反応をすることは、感情を抑えて理性的に反応するよりも適応に有利な場面が多かったと考えられます。
・先に紹介したいくつかの「おろかな」あるいは「非合理的な」心の性質の多くは、戸田が「今ここ原理」と呼ぶ原理を共有しています。不確実性の程度がきわめて高かった野生の環境では、明日得られるかもしれない食料よりも、今手にしている食料の方がずっと重要だったと考えられます。われわれがついサンク・コストにこだわってしまうのも、「授かり効果」の罠からぬけだせないのも、手にしている食料を確保しておくことが何よりも重要だった野生の環境への適応が生み出した心の性質である可能性が考えられます。
・常識的に考えると、集団内の人間関係や誰が自分に対して好意を持っているかを正確に認知している人は、いわゆる「よくできた人」で、他人に対して高い共感性を示し、対人関係に不安を感じることなく積極的に対処し、その結果、他人との間に親密な関係を築いている人のように思われます。しかし実験の結果は、この常識とまったく反対の関係を示しています。すなわち、関係性の判断を正確に行っている人たちは、他人に対する強化婦負が低く、対人関係に不安を感じており、対人関係に積極的に対処できず、孤独感を感じている人たちだという結果です。集団の中での対人関係を正確に理解する人たちは、いつもびくびくしながらまわりの人たちの顔色をうかがっている人たちでした。
・現代の日本社会が直面する根本的な変化のひとつは、コミットメント関係、とくにやくざ型コミットメント関係の形成による安心の維持が、機会費用の急速な上昇によって「高く付きすぎる」ようになったために生じた変化といえるでしょう。
・人々の行動を固定した関係内部に固定すれば、社会的不確実性はその関係の内部では低下します。しかしそのためには巨大なコストを支払う必要があります。たとえば離婚を禁止すれば夫婦関係は安定するでしょう。同じ住所に30年以上居住したあとでなければ移住できないことにすれば、近隣関係における「隣りは何する人ぞ」といった不確実性を減らすことができるでしょう。しかしそのような関係の固定化がもたらすコストは明白であり、したがって、案系の固定化による社会的不確実性問題解決は現代社会ではほぼ不可能だと考えたほうがよいでしょう。
社会学の実験データを出しながら、パタパタと常識を覆してくれる一冊です。うーん、これはエキサイティング。ちょっと固めの文章ですが、中身は楽しく読めるはずです。