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世界の人々は気づかなかったが、「ベルリンの壁の崩壊」を仕掛けたのは米国

2012-12-31 07:09:00配信 コメント : 0
タグ: 孫崎享  推薦図書 

   

PHP『日本の「情報と外交」』の第四章「まず大国(米国)の優先順位を知れ、地域がこれにどう当てはまる?」から。

(戦後の世界史の中で最も大きい事件の一つがベルリンの壁の崩壊である。この実現にはしられざる裏面史がある)

 「ベルリンの壁の崩壊」は次の流れをとった。

一九八九年一一月一〇日東ドイツ政府の決定をうけて、東西ドイツ間の門が開放され、自由に交流が出来るようになった。夜になると東ドイツ市民はハンマーなどを持ち出し、壁の撤去作業を開始した。ベルリンの壁崩壊から一年も経たない一九九〇年一〇月三日東西ドイツは正式に統一されることになった。

 これ位重要な事件であるが、外務省のどこを探しても、ベルリンの壁の崩壊を予測したものはない。それどころか、当時日本の在東独大使館報告は「東独政府は基本的に安定。大きな変化はない」としている。

 当時在東独大使館などがベルリンの壁の崩壊を予測できなくても無理はない。スタートはハンガリーで起きている。

 一九九二年の段階で、私がハンガリーの貢献をほぼ正確に知ったのは偶然である。当時私は我が国の研究機関、総合研究開発機構の国際交流部長であった。そこに何故かオール・ハンガリー国防次官が訪れ、私が「ベルリンの壁の崩壊」に関心を持っていることを知ると、帰国後、手紙を送ってきた。

 「ベルリンの壁の崩壊」の崩壊にはハンガリーの政府、野党、宗教グループなどが貢献したと思います。特に ネーメト首相、ホルン外相、ポシュガイ無任所大臣の役割が多きい。

  最初の行動は一九八九年夏、ハンガリーの町ショブロンで、ポシュガイ等 が計画した“汎欧州ピクニック”です。このピクニックでは“もし、東欧特に東ドイツの人民がハンガリー国境を越えて西側に行くなら、ハンガリーとしてはこれを阻止しない」と発表、二〇〇キロ以上にわたって、ハンガリーの国境が開放されました。これで大量の東ドイツ人がハンガリーに集まって来ました。八月には数万人の東ドイツ人がハンガリーに終結しました。

  東ドイツ政府はこれに対して、従来と同じように、市民を強制的に自国に連行するという手段で解決を図ろうとしました。しかし、ハンガリー政府はこの手段に合意しませんでした。

  この段階で東ドイツ政府はハンガリーに強い抗議をしています。

  かつこの時期、東ドイツの秘密警察が、政治亡命を求めて西ドイツ大使館に逃げた東ドイツ人を拉致し、事態は深刻化します。

  八月二五日、ハンガリーの首相ネーメトは、西ドイツに飛び、超極秘で、コール首相、ゲンシャー外相と会談します。ここで“ハンガリーにいる東ドイツ人は東ドイツに返さない”ことが決定されます。これをうけてハンガリーの閣議は“東ドイツ人のために国境を開放する”ことを秘密決定します。

  東ドイツはホルン外相の自国訪問を要求、ホルンは八月三一日訪問し、ハンガリー政府の決定と、この問題は交渉の余地がないことを通告します。翌日、東ドイツの新聞は“帝国主義とのハンガリーの陰謀”と激しく非難します。ソ連には国境開放の日に正式通報します」

 オール・ハンガリー国防次官の手紙をもらった時には、私はハンガリーの独自の動きや西ドイツや一部のNGOの動きと位置づけていた。この段階で、米国の積極的関与については何の情報も持っていなかった。しかし、後日、この動きの真の仕掛け人はブッシュ大統領(父)、ベーカー国務長官であることを知る。

米国のNational Security Archives は一九九七年一〇月、ブッシュ大統領(父)とベーカー元国務長官とインタビューをしている。このインタビューをもとに構成すると次のようになる。「」内はベーカーの発言。

 米国は「ソ連が依然として米国を破壊することができる唯一の国であり、この関係を正しくする」必要性を認識していた。同時に「ゴルバチョフ大統領とシェワルナゼ外相は“自分達はソ連帝国を維持するために武力を使わない、それは本当である”と言っていました」。「一九八九年五月に我々はロシア指導者と面と向かって会談し、自分はシェワルナゼ外相と会談しました」。「自分は大統領に今行動に出るべきだと進言し、大統領と私はソ連の意図をテストする必要があるという結論になりました」。「一九八九年の五月中旬にテストを開始しました」「ロシア側の主張するペレストロイカ(情報の公開、議会の民主化、市場原理の取り入れ、米国との協調を柱とする再建)が本物であるかを確かめる必要があった。もし帝国を維持するのに軍事力を使わないという明確な証拠があれば、彼らとビジネス出来ることが明らかになる。」

 ハンガリー政府は一九九七年五月二日からハンガリー・オーストリア間国境の有刺鉄線を排除し始める。ただし、この時点では国境を自然にまかせ人工的

なものを排除するだけと低姿勢な姿勢を示している。

 そして、ブッシュ大統領(父)とベーカー元国務長官は一九八九年七月一一日から一三日ハンガリーを訪問し、ここでハンガリー首相から国境から切り取られた有刺鉄線を受け取る。ブッシュ大統領は「自分は簡単に泣く。あの時も泣いた。有刺鉄線の一部をもらい、冷戦終結の象徴をもらって涙した」。「冷戦終結の象徴」といっている。ブッシュ大統領は有刺鉄線の除去が冷戦終結につながることを認識している。ブッシュ大統領の涙は第三者の涙ではない。この日自分の手で冷戦終結の端緒を成し遂げたことで涙した。

 この一連の動きは何を示しているか。

 第一にベルリンの壁崩壊に至る動きは、ベルリンではなくハンガリー、別の地域の動きに大きく左右されていること、

第二に米国がハンガリーでの動きを支援したのは、ゴルバチョフが今後どう動くかをテストする一環として行われたものであること、

第三にハンガリーが動けたのは米国の支援を確信したからであるが、米国自体の動きは全く見えなかったこと。

 第三の点は外から見えないだけに特に重要である。一九六一年一一月二八日CIA新本部落成式でケネディ大統領は「成功は人に告げられることなく、失敗はそれを告げざる人なし」と述べたが、CIA長官でもあったブッシュ大統領は「成功は人に告げられることなし」のモラルを持っていた人物である。

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元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラーとなり、ツイッターのフォロワーも5万人を突破しました。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、ツイッターにさらに情報を加え、最低でも週1回発行します。月額105円。【発行周期】不定期。高い頻度で発行します。
著者
孫崎享
プロフィール
孫崎享(元外務省・国際情報局長)元外務官僚で、駐ウズベキスタン大使、国際情報局長、駐イラン大使を経て2009年まで防衛大学校教授。7月に発売された『戦後史の正体』は9月時点で8刷20万部の売れ行きとなった。ほかに『日本の国境問題-尖閣・竹島・北方領土』(ちくま新書)などがある。ツイッターのフォロワーは5万人を超えた。
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