- BLOGOS編集部のひとこと
- 宮崎学さんの新作「橋下徹現象と部落差別」年末年始に読みたい一冊です。
橋下徹現象と部落差別
宮崎 学 小林 健治
テレビが伝えない“被差別部落問題”の真実 3/4
2012年12月30日 07:30
差別に対する自粛傾向が一番の問題
佐々野:ここまでは、被差別部落問題の歴史について伺ってきたんですけど、ここからは、現在の問題について考えていきたいと思います。今現在、一体どんな差別が残っているのか?いまだに職業や住まいにも残っているのか?メディアでも差別表現があるのか?そういったお話も伺っていきたいんですが。
須田:被差別部落問題というのは、タブー化しているんですよ。これを扱うとめんどうくさいことになるから、全く触れないでおこうと。逆に言えば、これはある種の差別だと思いますよね。そういったことが現実に、新聞であるとか、テレビの世界では行われているといっていいんだろうと。
ですから、今回「週刊朝日問題」が起こった時に、他のメディアが取り上げなかったですけど、そういった意識というのがある。あるいは同業批判になるところがあったかもしれないけど、急速にこの問題が騒がれなくなったのも、マスコミがタブー扱いしているという背景があると思いますね。
宮崎:橋下さんという人物が、今回の問題の時に、ものすごい字数のツイートをしたんですよ。僕は思うんですけども、彼は一人解放同盟をやったんです。それも派手にやったわけです。
だから、今回の朝日新聞は、橋下さんの反撃に負けたということだろうと思います。あの反撃の中身を考えると、橋下さんがこれまでやっていた大阪府や大阪市の行政、彼が同和問題に関してやってきたこととは、矛盾することをツイートしているんです。そういう点での批判ができない週刊朝日なり、ネット上の意見というのは、ほとんど力を失っちゃっている。その中で、橋下さんの一人勝ちになったという話なんじゃないですか。
佐々野:今は本当に色々なメディアが発達して、誰でも発信できる時代になっていますけれども。メディアが扱うとしても、「同和」とかそういう言葉自体をどうしていくのかというところも考えなければいけませんね。
大谷:BLOGOSもネットのメディアですから、今は情報発信が個人で出来るわけですよね。特に掲示板のような匿名性の高いところでは、あえてやっているのか、知識がないからやっているのかわからないんですけど。差別的なカキコミが、これから増えてくると思うんですよね。
その時に、言葉の問題、表現の問題っていうのは、橋下さんの話とは別に考えていかなきゃいけないことだとは思うんですけども。メディアがタブー視する中で、我々はどう向き合って表現していけばいいのかっていうところが難しいと思うんですよね。
宮崎:僕はなにもへつらったり、逃げたりすることはない。ありがままに表現すればいいと思うんですね。ただある種の目的意識を持って、事実を曲げてしまってはいけない。今回の週刊朝日の記事の最大の問題は、この問題が起こったから、今後、差別問題、被差別部落問題については黙っていましょうという自粛傾向になっていくと思うんですね。むしろそれが僕は一番怖い。
表現の自由ということでいえば、表現の自由に対しては、自分が責任を持つわけです。表現した人間は、反論があれば表現でまた反論を受ける。それに対して、再反論していく。こういう形でものごとは進化していくわけですけども、反論されるのが怖いから辞めときましょうということになっているのが今の傾向。これは大きな間違いで、やっぱり解放同盟に批判的であれば、堂々と批判的なことを言えばいいんです。
反論してきたら、また反論すればいい。それだけの覚悟を持ってやらないとダメなので、なんの責任もないよと。言いっぱなしで終わりだよというようなことと、これはあとで問題が起こったから、もうやめときましょうという腰の引けたような姿勢。こういうことが重なってくると、表現する側の質の問題に関わってきますからね。そういうことは避けたほうがいいと思いますね。
国家のタブーは今も存在している
須田:話が少し変わりますけど、同和利権的なものがあって、それはタブーになっていたわけですよ。例えば、税の問題を1つとってみても、同和系の企業だと、全く税務対象にならなかったとかいうこともありました。
そんな中で、最近ニュースになった“ハンナン畜産事件”といのがありましたよね。あの一件を見てみると、メディアはきちんとその事件を報道したわけだから、そういった意味でいえば、タブー視しなくてもいいのかなという考えもあるんですよね。10年前、20年前だったらこれが出来ただろうかと考えると、時代の移り変わりを感じざるを得ないなという気がしますよね。
宮崎:ハンナン畜産の問題が解明されて、ハンナンの責任者が有罪判決を受けることになるわけですけども。実は裁判の中で、1つ隠されたことがあると言われているわけですよね。それは、ハンナン畜産と農水省の関係。
ハンナン畜産部門は同和タブーで今まで書けなかったけど、これが(事件がきっかけで)書けるようになった。でも農水省の関与の問題に関しては書けないんですよ。結局、国家という部分に関しては、タブーは今でも存在しているんですよ。ハンナン畜産事件に関しても、ハンナンという民間業者が悪いことをしたかもしれない。民間の業者に関しては、どこまでも暴くところまでいける。
しかし、その先にある“なぜ、ハンナン畜産がああいうことをやったのか?その時に農水省が関係していたのか?”裁判の中で少し出かけたことがあるんですよ。しかし、それを封じ込めていったのがマスメディアですからね。
国家権力そのものが出てきた時に、メディアっていうのは腰が引けるんですよ。それは“同和”がでてきたら腰が引けるより、もっと激しい腰の引き方になるわけですよ。
須田:むしろ、国家権力は同和問題を温存し、利用してきた側面があるんじゃないですか?
宮崎:2002年までの間、同和対策法が存在していた頃の状況をいいますと、各省庁に同和対策室っていうのができるわけですよ。同和対策室長を経験するのが、その省庁の事務次官への早道なんです。そういう、もたれあいの構造っていうのがあったんですよ。
しかしながら、そこで生き残ったのが官僚なんですよ。解放同盟側っていうのは、2002年で権利が切れますから、それ以降はかつてのような力を持ち得なくなったわけです。しかしながら、たくさんの人が逮捕されたり、利権だどうだという風に批判を受けるといった傷を受けたわけです。それを一番うまくテコにして使ったのが役人です。
佐々野:橋下さんのお話に少し戻りますけども、先ほど宮崎さんのお話の中でも橋下さんが一人で解放運動をやっていたような感じだとおっしゃっていましたけども、その橋下さんが同和切りとも言えるような方針を打ち出しています。
部落解放運動の拠点となった歴史を持つ市内10ヶ所の施設を、平成26年度には全廃する方針を打ち出しているんですが、これが先ほど宮崎さんがおっしゃった矛盾というところですかね?
宮崎:もちろん矛盾ではあるんですが、僕は橋下さんがなぜそれをあえてやったのかというところを考えなきゃいけないと。つまり、今回の朝日新聞のような批判が先々で出てくる可能性があると、彼は考えたんでしょうね。
その前に、同和切りということをやっておけば、自分のアリバイになる。そういうような、かなりねじれた精神の構造というのは、見受けられるなと思いますね。
あわせて読みたい記事
話題の記事をみる - livedoor トップページ
意見
2012年06月18日 ガイドラインを変更しました。
▼ 意見フォームへ