- BLOGOS編集部のひとこと
- 宮崎学さんの新作「橋下徹現象と部落差別」年末年始に読みたい一冊です。
橋下徹現象と部落差別
宮崎 学 小林 健治
テレビが伝えない“被差別部落問題”の真実 2/4
2012年12月30日 07:30
一番辛いのは“無視の差別”
佐々野:記事の中身について、宮崎さんはどこが問題だったと思いますか?
宮崎:橋下さんは公人ですよね。公人を批判する場合は、その人がやっている中身を批判すべきであって、その中身に関して、ムリヤリ出自と結びつけてしまおうというところが、一番大きな問題だったんだろうと。
「橋下さんがこういうことをやるのは、彼がこういうところで生まれたからそうなんだ」とするのは、ある種、わかりやすいかもしれないけど、そんなこと絶対ないわけですよ。橋下さんには、橋下さんの考えがあってやっていることであって、出自の問題と彼がやっている中身の問題との関連性を明らかにしていない。
普通はまず、関連性を明らかにした上で、記事が成立するものだと思うんですが、当然出自に関しては、取材する側の人間は全部取材するんですよ。どのような政治家であって、どこで生まれて、その人の先祖はどうだったかって取材するんですが、その取材した中身に関して、今回の「週刊朝日」の記事のように、直線的に結びつけていってしまった。ここに、ジャーナリストとしての魂が飛んじゃったところがありますよね。
須田:「同和地区出身だから、こういう政治家になったんだ。こういう報道をしているんだ」あるいは「父親がヤクザだから、こういう政治活動をしているんだ」というのであればね、そこを結びつける部分をきちんと検証して、具体的に根拠を示すことが、良心的なジャーナリズムの在り方なんですよ。しかし、週刊朝日の記事っていうのは、そこの作業を全くしてないじゃないですか。
宮崎:ただ、佐野眞一さんにしても、僕は評価する側の人間なんですね。一定の評価を僕はしていますよ。彼が、今回の週刊朝日の記事に関して、謝罪をしている部分もあるんですけれども、僕は、もう少しつっこんだ謝罪が欲しかった。
どういうことかというと、週刊誌や月刊誌を作る場合、名前を出す物書きがいるわけですね。今回は佐野さんだったわけですけど。実際に原稿のチェックをする時に、見出しとか中見出しっていうのは、意外と見ないんですよ。「そこはもう編集部に任せといてください」と。その見出しとか中見出しが車内広告になって、宣伝されるわけなんですけど、そこは裏固めの言葉が並ぶわけですよね。そこに作家なり、取材しているジャーナリストの意思が働くと困るという編集部の考えがあって。
でも、必ず見出しや中見出しが原因で問題が起こるんですよ。意図とは全然違う裏固めの言葉が並びますからね。だから、佐野さんも、その辺のところをちゃんと検証して欲しかったなと。検証が不十分なところがあるんじゃないですかと。
佐々野:これだけ大きく騒がれたにも関わらず、「謝罪しました」「はい分かりました」で、話題として無くなってしまった印象があるんですけど。
宮崎:だから、被差別部落問題というのは、間違った表現なんですけど、タブー視されているところがありましてね。こういう問題が起こったら、無かったことにしようという意識がどうしても働いてしまう。それについて“なぜ、そういう問題が起こったのか”という風にやっていくのが、本来の表現者なり、出版社の考え方なんだろうけども、今回は収束の形だけを求めていって、中身が全然無くなっちゃっいましたよね。
大谷:今回の記事も、橋下さんの行動については、毎日のように記者会見も含めて、各テレビも、新聞も雑誌も取り上げているんですけど、今回の週刊朝日の件に関しては、あまり事の顛末みたいなところも含めて、取り上げられていなかったなという印象がありますよね。
須田:週刊朝日問題で、同和地区出身者の方であるとか、運動に関わっている人達に、意見と感想を聞いてみたんですよ。そうすると、今一番悩ましいのは“無視の差別”だというわけです。
心の中には差別意識があるにも関わらず、表面的には無いことを繕って、なくなったんだということをやられるのが一番堪えると。だから、こういった問題が出てきたとするならば、きちんと議論をして、何が問題で、それをどう解決すればいいのかということを、オープンの場でやって欲しいというのは、色んなところから聞こえてきましたね。
大谷:今回、これで問題になって、無かったことになっているというのは、やはり今も(差別)問題が存在しているからこそなんですよね。
身分・職業・居住の差別があった
佐々野:「同和地区」という言葉、今回の問題でかなり大きく取り上げられましたけど、この同和地区というのは、被差別部落の環境改善と差別解消を目的として行われた“同和対策事業”の対象地域のことになります。この“同和対策事業特別措置法”について、今回初めて聞いたという方もいらっしゃるんじゃないかなと思うんですけれども。この同対法(※同和対策事業特別措置法)に費やされたお金が利権化した“同和利権”が問題なんじゃないかと指摘する声もあります。宮崎さんはこの同和利権について、どのような感想をお持ちでしょうか?
宮崎:まず「同和」という名前がどこから出てきたのかということなんですけど、時代がありまして、1965年からスタートしている話なんですよ。この年に同和対策審議会答申というものが、政府に対して行われるわけですね。それに基づく、同和対策事業が、同和地区で行われるようになった。だから、同和地区というのは、指定したわけで、それから“同和地区”という言葉が生まれたんです。この答申に基づく法案が作られて、これが2002年まで続きました。
その間に、同和地区がどうだったかというと、基本的なインフラ、就職、結婚といったことで、差別は存在していました。身分・職業・居住が三位一体になっている差別がそこにあったわけです。それを改善するのが政府の責任だということ。あるいは、地方自治体の責任だということで、この法案ができてから、一斉に手をつけていくわけですね。だから、そこには非常にたくさん金が流れ込むことになります。当然、劣悪なところをレベルアップさせようと思うわけだから、そこにたくさんの金が注ぎ込まれることになるわけです。
佐々野:33年間で、国は約15兆円を注ぎ込んだということなんですよね。
宮崎:それぐらいかかったかもしれないし、地方自治体も含めると、それ以上かもしれない。僕はこういう風に考えているわけです。現に三位一体の差別というようなものが社会に存在したわけですから、差別をしたら、その対価を払わないといけない。その対価がこの数字になっちゃったんじゃないかと。多分、同和利権というのは、インフラ関係の整備を中心とする仕事を言われているんだろうと思うだけど、それは過剰な物もあったんだと思います。しかしながら、二十数年間の流れの中で、かなりの部分が改善されたことも確かなんです。
だから、三位一体の差別のうち、居住に関わる差別が緩和してきたことは確かなことであって、そこに当然仕事が発注されたりするわけです。ましてや、就職している人が少ない地域でもありましたから、そこに住む人達の雇用を保証したり、場合によっては、かつて失業者対策事業があったように、失業者を防ぐために、地方自治体が職員として雇ったりしたことがありました。
それは、社会がある面で、今まで差別してきたことの対価として、当然支払わなければならなかったものだと思います。しかしながら、問題なのは、そこに利権的な構造が付きまとってきたということ。利権構造であるから、やられたこと全てが間違いだったのかということにはならないと思います。むしろ、同和対策事業が行われることによって、被差別部落の客観的な状況が改善しちゃうことも事実なわけですよね。
須田:例えば、居住1つとっても、細いドブが下水になっていてきちんと整備されていない。あるいは、トイレも水洗ではないし、家も六畳一間、八畳一間に家族が5人~8人住んでいる。そういう劣悪な住環境をなんとか改善していかなくてはならない。
そして、職業差別も含んでいるんです。例えば、就職するにあたって履歴書を書きますよね。その中に、“本籍地”というものがあるんですよ。今は都道府県程度でいいんですが、かつては番地まで書かなければいけなかった。その人がどこに本籍を置いて、それは同和地区なのか、被差別部落なのか?こういうことを企業がチェックして、もしそうなら、採用をしないということを公然と行ってきた歴史がある。
ですから、職業がない、仕事ができない、したがって無職である。そういったところをどう改善していかなければいけないのか。宮崎さんが言われたように、差別をしてきて、その結果、マイナスのところにいるわけだから、それをゼロあるいはプラスにするためには、お金をかけるというのは当然だったという歴史的経緯があるんですね。
佐々野:この同対法は部落の方たちにとって、メリットもあったわけですよね?
宮崎:実際に、同対法で同和地区と指定されたところは、結果として、被差別部落のレッテルが貼られやすくなりますよね。だから、物理的な意味における差別の緩和には、かなり寄与したんだろうけど、意識の中における差別の改善という点においては、かなりマイナスの面もあった。
大谷:それによって、社会的にも情報が出てしまったため、差別がなくなるどころか…という部分があったということですか?
宮崎:しかしながら、それほど日本の歴史の中で、被差別部落という所は、悲惨な目にあっていたところなんですよ。だから、少々のことを言われようが、仕事をすることの必要性のために、この同和対策事業に救いを見出したというのも確かだと思うんですね。それほど劣悪な状況にあったことは確かです。
目に見える差別、見えない差別
佐々野:今と昔の部落利権に、変化はあるんですか?
宮崎:何を捉えて“部落利権”と言っているのかわからないところがあるんですが、同和対策事業が行われていたのは2002年までなんです。だから、2002年までの間は、結構お金が流れ込んでいた。その時には、志の低い連中が仕事だけを取るために、“えせ同和行為”というのをやったりするわけですけど、それが主ではないんです。
同和対策事業というのは、同和地区全体のレベルアップのために寄与したんです。もちろん、中には悪いやつもいますが、そういうことで言うと、被差別部落には思わぬ金が流れ込んだわけ。今まで差別されてきたと。ところが法律が通ったと。
もちろん、部落解放同盟を中心とする反差別運動が存在したことは確かなんですが、部落の改善がドンドン進んでいった。そのために、金がかかったんです。同和対策事業が無ければ、僕は今も被差別部落の状況はものすごく劣悪な状態のまま続いていると思いますよ。
佐々野:例えば、今はどんな差別が残っているんですか?
宮崎:一番分かりやすいのは、「週刊朝日問題」が起こるような差別があるわけです。週刊朝日問題というのは、部落差別が無かったら起こらないんです。
須田:もっといえば、週刊朝日はそれまでも色々書いてきていますよね。“知りたい、読みたい”という読者の覗き見趣味みたいなものがあるわけじゃないですか。その覗き見趣味がどこから出てきているかというと、差別意識ですよ。差別意識に答えるために、こういう記事が存在しているわけだから。そういった意味で言うと、差別はなくなっていないということですよね。
宮崎:身分、職業、居住という三位一体の差別というのは、かなり和らいだと思います。しかし、ツイッターで書き込まれている被差別部落の問題に関しては、厳しい表現があるわけですよ。僕は人間の意識の中における被差別部落問題というのは、全然解消してないと。物理的な環境の改善は行われたけども、本質的な意識の改善は行われなかったという風に考えています。
大谷:例えば、ハンセン病差別のような問題があります。小泉政権の時に対策がなされたとか、北海道の“アイヌ差別”みたいなものがあったというのは、教育でも習ったことがあると思うんですけども、今回の部落問題みたいな形では、伝えることの難しさと、伝えることで、また差別が出てきてしまう。これは非常に難しいと思うんですけども、そのあたりについては?
宮崎:人間の意識を変えるという行為は非常に難しいんですよ。まして、日本の被差別部落問題というのは、インビジュアルなんです。目に見える差別は意外と少ない。だから、アメリカの人種差別みたいなのは、肌の色に基づくビジュアルの差別になる。
一方、インビジュアルの差別というのは、言葉を通じて繋がっていくわけですよ。言葉というのは、人間の発するものですから、人間の意識によるものなんですね。
そういう点では、差別の質というのを色々見て行かないといけない。それから東アジアにおける差別問題というのは、日本の被差別部落、朝鮮・韓国の部落問題、中国における同じような問題。その他、色々な構造があるんですね。その中で、被差別部落民の出自はどこなんだという疑問が出てくる。そういう点では、一番日本人的なのが、被差別部落民だと思います。
被差別部落民の歴史を辿って行くとわかるのは、奈良・平安時代から始まっているんです。それが、明治維新を経て、近代になることによって、差別も変化をしていきますよね。元をたどっていけば、奈良・平安時代から始まっていますから、そういう点では、日本にずっと根深くある差別の種類だと思いますね。
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