たくさんの人の記憶に刻まれる回になりそうですね?
そうですね…。清盛や西行たちと崇徳院の世界観が、対比して描かれています。「2つの物語」が同時に進行していく回です。松山君たちのお芝居も興味深いですし、そのお芝居と対極の自分の芝居がどんな化学反応を起こしているのか楽しみでした。
木丸殿のクオリティーの高さに驚きました!!
そうなんですよ。普通だとセットは、役者がいない場所で監督や美術部の皆さんが作っていくものなんですが、今回は僕が香川で地元の方たちから聞いた様々な情報を取り入れて下さって…。見事に木丸殿を再現してくれました。役者の声を聞いて頂ける現場なんて、テレビではそうそうないですよ。こういうことが出来る環境が本当に有難かったです。想いを受けてくれているというか、参加しているという気持が強くなります。
最期のシーンですが崇徳上皇は立ったまま息を引き取るんですね。台本にそんな風に書かれていなかったので驚きました。
これまで崇徳院は怒りのあまり倒れるシーンをやっていたので、もう同じ表現をしたくなかったですし、“ぱたっ”と崩御するというのは、なんかちょっと表現としてつまらないと思ったんです。それより新しい崇徳院の崩御のあり方…このドラマでは憤死に近い崩御の仕方が選ばれていたので、壮絶な最期を迎えることになった崇徳院を、他のどの役よりも安らかに大往生、崩御…させたいと強く思いました。監督に「立ちながら生きているのか死んでいるのか分からない状態で目を閉じるのはどう思いますか?」って訪ねたら、「それはいいと思う」というふうにおっしゃってくれて。木丸殿の柱と一体になるというか、木丸殿とひとつになって最期の瞬間を迎えられたらな…と。
崇徳院を演じてみて、その最期が近づくにつれて崇徳院が怨霊になって後々の世にまでたたったということは、絶対にないと感じるようになりました。ですから間違えて欲しくないのですが、この回で僕が演じたのは、極端な怒りや悲しみだけになってしまった「生き霊」としての崇徳院なんです。そうなった時はきっと容姿もおかしくなるだろうし、もしかしたら体や思考、心も壊れていってしまうかもしれない…それを極端な位ビジュアルに表現したんです。
僕の演技を香川の皆さんが見た時、どう思われるのか興味深いです。
崇徳上皇をひとりの「人」として演じ切った末の答えですね。想っていらっしゃることは伝わったのではないでしょうか。
今回演じたことで、新しい崇徳院像が生まれるとしたら嬉しいですね。 今回の大河ドラマは演出やお芝居に物凄くチャレンジをさせてくれる場所だったので、そこで演じさせてもらえる者にとっては大変幸せでした。大河だから「こうじゃなきゃいけない」という定義はないですし、今までも様々な世界観の大河ドラマはいっぱいありましたから。いろんな大河があってもいいと思います。これだけのキャストが会して、こんなとんがった物語を紡いでいけるというのはとても嬉しい事でした。
この回で登場・神人(崇徳上皇の身の回りの世話をした地元民)松﨑賢吾さんにもお話をうかがいました。
NHK初登場が大河ドラマだそうですね?
このお話を頂いた時びっくりしました。良い意味の「青天の霹靂」です。
讃岐弁(このドラマでは都でもいわゆる「京都弁」を使用していないので、あえてコテコテの讃岐弁ではないのですが…)は練習しましたか?
讃岐弁の抑揚が全く分からなくて、イメージでいかない方がいいなと思って先生に指導して頂きました。収録の4日前にセリフを吹き込んだテープをもらって繰り返し聞いていました。出身が福岡なので、なんとなくイントネーションのコツさえ掴めば…と思ったんですが、地元の方たちが見ていたらどう感じられるのか…。
兄貴が香川の丸亀に仕事で赴任していたので、2年ほど前に香川には行きました。縁があるんですよ(笑)