【 どん底から歓喜の時へ:伊藤みどりのラスト・チャレンジ 】
森末慎二の「勇気ある安全策」と、鈴木大地の「土壇場での冒険策」。しかし驚くなかれ、この「安全策」と「冒険策」の両方を、同じ大会で実行したアスリートがいる。しかもその選手は、最初は安全策で行ってまさかの失敗をし、一時はどん底まで陥りながら、最後の最後で最高の歓喜の時を自ら引き寄せたのである。
その人とは、1992年のアルベールビル冬季オリンピックで、フィギュアスケート女子で日本初のメダル(銀メダル)に輝いた、「ジャンプの女王」伊藤みどりである。
伊藤は子供のころから「天才ジャンパー」と呼ばれていた。すでに小学校高学年でトリプルジャンプを跳ぶことができたが、本人いわく「ジャンプに関していえば、ものすごい天才だったと自分でも思います。(中略)自然に、練習もしないまま、跳べたんです」。
こうして得意のジャンプを磨き上げた伊藤は1988年、18歳で初めてオリンピックに出場する(カルガリー大会)。当時はまだ規定演技があり、規定の苦手な伊藤は10位と出遅れるが、ショートプログラム(SP)で4位と健闘して総合8位に順位を上げ、得意のフリー(FS)を迎える。
(このSPで伊藤が決めた2ループ−3ループのコンビネーションジャンプには、TV解説の五十嵐文男氏が「これは男子でも跳べる選手は少ないですね」と驚嘆した)
このFSで伊藤は、5種類・7回のトリプルジャンプをすべて成功させ(その中には、当時の女子選手としては驚異的な3トウループ−3トウループのコンビネーションが含まれていた)、興奮した観衆は演技が終わる前から立ち上がり、満場のスタンディングオベーションで彼女の演技を讃えた。伊藤はこのFSで3位となり、総合5位に入賞した。
(この時のFSの得点は、技術点で9人のジャッジのうち7人が5.9(6.0が満点)をつけるというものすごいものだった)
伊藤は、それまで「美しさ・芸術性」が重視されたフィギュアスケートを「競技」に変えたと言われているが、振り返ってみればその端緒となったのが、カルガリーでのこの演技だったといえるだろう。
この1年後、パリで行われた世界選手権で、ついに伊藤は日本女子初の世界女王の座に就く。実は大会前、2年後の1991年の世界選手権より規定演技が廃止されることが決定していた。このため、伊藤が優勝するのはこの時からだろうと言われていた。
しかし伊藤は苦手の規定で6位につけ、オリジナルプログラム(OP)では貫禄の1位で総合3位まで順位を上げた。当時の採点はOP・FSとも順位点方式であり(SPの順位×0.5+FSの順位=最終順位点。同点であればFSの順位が上の選手が上位)、伊藤がFSで1位になれば逆転優勝である。
さて、迎えたFS。伊藤は演技の冒頭で、得意の3ルッツをきれいに決める。そして次が正念場だった。国際大会で初めて挑む3アクセルである。伊藤はすでにカルガリー五輪より前にこれを成功させていたが、その後足の故障を起こし、試合での3アクセルを封印していた。万全のコンディションで迎えたこの大会は、世界初の3アクセル成功に挑むには絶好の舞台だった。
長い助走から反転して前を向き、伊藤の小柄な体が高く跳ね上がった。目にも止まらぬ横回転のあと、後ろ向きに着氷。ややバランスを崩したものの、見事成功! 女子選手が世界選手権で初めて3アクセルを決めた歴史的瞬間だった。
伊藤はその後もトリプルジャンプをすべてノーミスで決める。6種類のトリプルジャンプをすべて決めたのも世界初だった。弱点といわれたスローパートも優雅に演じ、伊藤は完璧な内容で演技を終えた。
その得点は驚異的だった。9人のジャッジのうち5人が、技術点でフルマークの6.0をつけたのだ。他の4人もすべて5.9。芸術点も5.8から5.9の高得点を得て、FSは文句なしの1位。ついに日本の天才ジャンパーが、初めて世界の頂点に立ったのである。
その後の世界選手権では、規定での出遅れやコンディション不良などのため優勝はならなかったが、アルベールビル五輪の前哨戦であるレリック杯では、最大のライバルと目されたクリスティ・ヤマグチ(アメリカ)を逆転して優勝を飾り、伊藤は誰もが認める金メダル最有力候補になった。
しかし「大本命」と見られたことが、伊藤にプレッシャーを与える。現地入りしてからしばらくは練習の調子はよかったが、本番が近づくにつれて調子にかげりが見えてきたのである。特に最大の武器となる3アクセルの成功率が、日を追って悪くなった。そしてOP当日の練習では、3アクセル−2トウループのコンビネーションは一度も成功しなかった。
伊藤は山田満知子コーチと相談し、OPでのコンビネーションを3アクセルから3ルッツに変えることに決めた。ルッツは伊藤が得意としているジャンプの一つであり、試合本番でもほとんど失敗したことがなかった。優勝するためには、OPでのジャンプのミスは許されない。これは今の調子を鑑みれば賢明な選択だった。
しかしジャンプのグレードを下げねばならないほど調子を落としていたことは、伊藤にさらに重圧を与えた。OP本番、安全策だったはずの3ルッツで、伊藤はまさかの転倒。その後は無難に収めたものの、予想外の4位に沈んだ。トップは最大のライバルのクリスティ・ヤマグチ。この時点で、伊藤の自力での逆転優勝はなくなってしまったのである(伊藤がFSで1位でもヤマグチが2位なら、伊藤の順位点は4×0.5+1=3、ヤマグチは1×0.5+2=2.5)。
そして迎えたFS。気持ちを切り替えて臨んだつもりだったが、やはり後遺症が残っていた。冒頭の3ルッツ−3トウループのコンビネーションが、ルッツがダブルになってしまう。OPでのルッツの失敗がまだ尾を引いていたのか。さらに続く3アクセルは、回転不足で転倒してしまう。
「このままでは終われない。」伊藤は演技しながら思った。「特に3アクセルは、オリンピックで跳ぶのはこれが最後のチャンスかもしれない。また失敗するかもしれないけど、跳ばないで後悔するよりは、跳んで後悔した方がいい。跳ぼう!」
伊藤は演技の終盤に、再び3アクセルを跳ぶことを決意する。疲れが出る終盤に、難易度の高いジャンプを跳ぶのはかなりリスクが大きい(現行の採点法でも、終盤のジャンプには1.1倍の加点がされる)が、もうそんなことは言っていられなかった。
3トウ・3トウのコンビネーション、レイバックスピン、3ループ、キャメルスピンをきれいに決めた伊藤は、いよいよ3アクセルへの助走に入る。後ろ向きの助走、反転して前を向き、左足エッジで踏み切り。伊藤の最大の武器である、高く跳ね上がるジャンプだ。肉眼ではとらえられない横回転を3度描き、後ろ向きに着氷!オリンピックで初めて女子選手が3アクセルを決めた、歴史的瞬間である。しかも着氷も、パリでの世界選手権で初めて決めた時をはるかに上回る、きれいで完璧な着氷だった。
これでようやく吹っ切れた伊藤は、表情に笑顔が浮かび始める。その後のジャンプやスピンも流れるように決め、そしてフィニッシュ。会場は大歓声に包まれた。穏やかな笑みを浮かべながら観衆の歓声に応える伊藤。FSはヤマグチに次いで2位、総合でも2位に浮上した。ついに伊藤は、念願のオリンピックでのメダルを手にしたのである。
(ABCの実況では、解説者が「3分10秒を過ぎての3アクセルの成功は信じられない。すばらしくガッツのある演技だ」と絶賛した)
伊藤はこのアルベールビルでの演技を振り返って、「最低最悪。人生で一番出来の悪い試合をしてしまった。自己採点でいえば30点くらい。よく銀メダルが取れたなあという感じがします。」と語っている。
「人生で最低最悪」の状況から伊藤を引き上げたのは、FSの最後での3アクセルの成功だった。そしてこれを呼んだのは、「これがオリンピックで3アクセルを跳ぶラストチャンスだ。失敗してもいい。跳ぼう!」という伊藤の強い意志、意欲だった。
安全策でまさかの失敗を犯し、一時はどん底に陥りながらもそこから立ち上がり、最後の最後で最高の歓喜を自ら呼び込む。伊藤みどりという稀代の天才アスリートが土壇場で見せたこの気力・精神力には、ただ脱帽するのみである。
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