井浦新さんインタビュー

崇徳上皇が逃げるシーンは、山で収録されたんですか?

セットでした。普段は物凄いスケールで作られている鳥羽田中殿(離宮、崇徳上皇ら皇族の住まい)のセットがなくなって土が敷かれ、ススキや木・小川が広いスタジオの中で作られていました。 崇徳上皇は保元の乱の前後から、だんだん建物の外へ出はじめたのでセットが変わってきてとても新鮮でした。

本当の山かと思ってしまうセットですね。そこを裸足で歩いていましたが、高貴な立場の上皇が裸足で歩くようなことがあったのでしょうか?

時代考証や当時の風俗、所作の先生たちの理解が深く、その時のシーンの内容や状況で、演技のある部分はその人(演者)の心に委ねてくれるんです。 このシーンは「保元の乱」に敗北し、追いつめられた上皇が数人の兵士や教長と一緒に逃げるんですが、「逃げきれないだろうと本人は思っている」と僕は思いました。 遠くまで行けないことが分かっていたので、履物をはかないで歩いたんです。

もちろん決まりごととしての伝統や所作もあるのですが、(歴史上の人物を)追体験して演じる演者が感じた気持ちや心の動きというものに委ねてくれます。 他のシーンでも必ず所作指導の先生が芝居を見ていてくれているので、このぐらいやってみてもいいかって一度演じてみます。 そこでまた先生と演技を詰めて、もっと土に汚れてみてもいいのか、ひざまずいてもいいのかを確認します。 そして「それぐらいの気持になるのであれば、気持ちのままにやっていいんですよ」っていうふうにおっしゃって下さることがたくさんあります。 後白河が帝となった時も、上皇が受けた衝撃を地面をはいずりまわることで表現しましたが、今回も裸足で上皇が土の上を歩くということはどういうことなのか? 言葉やセリフでは説明しきれない心の描写を動きで感じ取ってもらえるのかな?と思いました。

その後仁和寺で出家をします。どんな思いだったんでしょうね?

自分が犯してしまったことを悔い改めて償いたい…いや、償いたいでしょうか?悔い改めるまでにはまだ至りません。 「保元の乱」に負けてすぐに悔い改めるなんて、都合が良すぎますから。それはこの後配流されてからの事になるんでしょうけど…。

生き延びたいという思いはあったのでしょうか?

出家をするということは、『世を捨てる』ということです。 今まで崇徳院がとことんこだわり続けた権力・自分が政の中心となって動かしていくということを自分から切ってしまったことになります。 そこまでしておいて、命をながらえたいという思いがあったかどうか、分からないです。僕は演じていてあまり感じませんでした。



このシーンでは、照明さんが作ってくれた光がものすごく綺麗で、窓の格子から朝の光が差し込んできて…明るくて軟らかで、その光の中に吸い込まれていきそうな感じでした。でもそんな綺麗な光が崇徳院には見えているのか。何か物凄く綺麗な光だからこそ崇徳院の心との対比がありました。自分の中では凄くいろんなものがこの空間の中で物語っているな、と思いながら空間の中にいました。



次週から、「保元の乱」に関わり敗北した人それぞれに処罰が下されます。 崇徳上皇がどう描かれるのか気になりますが、その前に!!6/3、待ち望んでいた井浦新さんが崇徳上皇の配流地・香川県坂出市にいらっしゃいました。 その「NHK公開セミナー大河ドラマ『平清盛』」の様子をご報告したいと思いますのでお楽しみに。

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