井浦さんは歴史がとてもお好きですが、保元の乱で共に戦うことになったキャラクターの中にも興味のある人物はいましたか?
源為朝です。崇徳上皇と同じ位、興味があって個人的に史跡めぐりもしました。撮影現場で目の前に為朝(橋本さとし)がいて、思わずニコニコしてしまいました(笑顔)。「かっこいい~!」とか思ってしまって。
まるで少年がヒーローにあったときのような感じですね?
撮影現場も相当楽しくて、心の中で「為朝がいるよ~!」と思いながら、子どもみたいになってしまいました。 「為朝かっこいいですよね?」と橋本さんに話しかけると、橋本さんもよくご存じで、「確かに面白い話をたくさん持っているひとですよね」とおっしゃっていました。 為朝が保元の乱の後配流された大島での話や、為朝が住んでいたとされる家の跡を訪ねた時の話とかで、2人で盛り上がりました。
その保元の乱では、後白河天皇と争い敗れてしまいますね…。
脚本家の方は流石だな、面白いなと思ったのは、「鳥羽院の遺言」(5月13日放送)の回です。 この回は、兄弟の決裂を分かりやすくするために、後白河が帝になる儀式を行っている時崇徳院が史実にはない歌を贈ったというふうに描かれています。
この歌の頭を取ると「あ・な・に・く・し」という言葉になります。 「普通に聞くとおめでとう。本当はとても憎い」という意味が込められた歌なんです。 それを贈ったという風にしたんです。
でも、実際はどうだったんでしょうか。 ここでも思ったのですが、後白河に対して全く悪意が生まれなかったんです、とても不思議なんですが…。
崇徳と後白河が摂関家と武士たちに象徴として祭り上げられ戦わされたとしたら、2人はいがみあって戦ったのか?と。 鳥羽院に対しての恨み辛みは持っていたとしても、後白河に対してどこまで憎しみがあったんでしょうか。 自分の息子が帝になれなかった位で、直接憎しみが後白河に行くのかな?と思ってしまったんです。もしそうだとしたら、本当に悲しい兄弟の戦いだったんでしょうね。
源為朝役の橋本さとしさんに一問一答!
為朝について、どんなことを調べられましたか?
数々の伝説を残していますが、切腹という行為を日本で初めてした武将という説。何もかも規格外の男であると思います。
どんな役作りをして挑まれましたか?
とにかくすべてがでかい男なので、芝居も声もでかく、誰もが近づけないくらいの恐怖を感じさせるよう意識しました。