前回、鳥羽法皇の死に目に会えなかった崇徳上皇が号泣する所に、藤原頼長(山本耕史)が現れる所で終わりました。
はい、物語は次の段階に大きく動き出します。その時に頼長(山本耕史)が出て来るんです。 (保元の乱は)頼長に引っ張られて崇徳院が乗っていったように見えますが、実際のところ、頼長と崇徳院は結託したんだと思います。 頼長は崇徳院のある種の才能を買っていたと思います。何かそう感じるんです。
後白河が即位し信西がブレーンになり、平家と源氏の主力も向こう(後白河側)について行った時に、はみ出してしまった者、浮いてしまった者たちが出て来る訳じゃないですか? その浮いてしまった人たちを集め、繋げる事が出来ないか。頼長も崇徳院も自分たち2人が結託すれば、彼らが一丸となって、力を握れると考えたと思います。
でも、反・後白河で実際に動いたのは、摂関家と源氏だと思います。結局、崇徳院は象徴でしかなかったんだろうな…と。 知らない所でいろんなことが巻き起こって、何もできないうちに「保元の乱」に一気に向かって行ってしまったんじゃないかと思います。
そうした状況でおきた「保元の乱」はどんな戦いだったのでしょうか?
冷静に見ても悲しい戦いです。王家・源氏・平家がそれぞれ2つに分かれ、親兄弟・親戚も関係なく戦ったのですから。 こんな戦いがあったのかな?と思ってしまう程、あり得ない状況に気持ちを動かされながら芝居しました。
きっと時代が大きく変わっていく「事件」だったんだろうなと思います。 だからこそ武士も摂関家もがむしゃらになっていて、このタイミングで自分たちが力を得ないといけないんだという凄い情熱がたぎっていたのでしょう。 この戦いでは夜襲が行われますが、夜に攻め入るのは、当時考えられない戦術でした。 親兄弟であろうが関係なく、自分たちの世を作っていくために全力を尽くしたのだろうと思います。