弟・雅仁親王が、崇徳院が院政を行うために近衛天皇が早く退位すればいいと思っているでしょう?と言い放つ場面があります。この時の兄弟の関係をどう感じましたか?
崇徳から見れば、雅仁は権力というものに全く興味がなくて「面白おかしく生きている」んですよ。それを羨ましく思っています。逆に雅仁は、いつまでも権力争いにしがみついて鳥羽院から虐げられている兄を、気の毒に思っていると思います。
ふたりは生き方が違っているところもありますが、奔放で自分の子に対して愛情があったかどうか測れない母(待賢門院)を持っていたという共通の悲しみがあったのではないでしょうか。
一緒の空間にずっと暮らしていた雅仁とは、囲碁をしたり歌を詠みあったりして普通に過ごしていたのではないかと思うんです。いがみあっている関係ではない気がします。お芝居で追体験させてもらうと、仲が悪くなる要素が見えなかったんです。崇徳が雅仁から受けるマイナス要素というのはあんまりないです。雅仁も、面倒くさい兄貴だな…とは思うんでしょうが、恨みつらみみたいなものは生まれないと思います。
そこで崇徳上皇が一言「もはや歌ではない」と感想を述べますが、台本を読んだ印象だと笑いを誘う感じのセリフに思えたのですが…?
このセリフは難しかったです。この一言を突き放した言い方にするのか、それともその感性に嫉妬しての一言にするのか。
形式・様式も全く関係なく詠んだ(清盛の)歌に怒りを表わしてもいい一言だったんですが、実際セリフを稽古していく中で、自分の気持ち・感性を信じたいな…と思いました。清盛がこの歌を披露した時、崇徳に生まれた気持ちは『この発想はできない』という清盛への羨ましさだったんです。以前、清盛に言われた「おもしろく生きる」という生き方への憧れや、自分にはできていない嫉妬や焦りというものも含めて、この一言が出て来るんじゃないかと感じました。
自分の気持ちと吐いた言葉がうらはらで違うというか、そういう意味で言った一言です。