同胞組合ブログ

クリスチャンの人事コンサルタントの日記。 現在は自営業。 このブログでは親サイト「同胞組合」(日本で唯一のキリスト集会・プリマスブレザレン研究サイト)の補完を行っている。

第4話 最低限知っておくべきことその2…の前の小休止(当時の時代背景)

「神学」が語られなかった第3の理由が自国の論争を宣教の地である日本に持ち込みなくなかったことにあります。
 この「自国の論争」とはなんなのでしょうか?それこそがこれから主題として最も紙面を割いて説明する必要がある「最低限知っておくべきこと」です。またこの論争の火種となった「誤った教え」から、集会を守り、弁明の用意をし、影響を受けないようにしなければなりません。
 もっとも「誤った教え」の正体が掴めないと避けようもありません。避けるために最低限どういうものなのかということだけを知っておく必要があります。この教えの怖いところは知らない間に影響を受けてしまうということです。(詳しい理由は後述します)
 宣教師たちが最も神経を尖らせていたこの「誤った教え」のことを「自由主義神学」といいます。
 この自由主義神学について述べる前に、文字ばかりが続いているので今回は映像を交えて小休止をしようと思います。
 今回は自由主義神学が台頭した19世紀末から20世紀初頭の欧州の情勢を端的に表されているフラッシュ(動画)をインターネット上で見つけましたのでそれを皆さんにご紹介します。「カナル・グランデ」←クリック

 この時代背景が分かっているとなぜ、この誤った教えが出てきたのか、どうして大きな影響力が出たのかがより深く理解でき、この自由主義神学の対処の仕方も分かりやすくなります。
 次回は日本のキリスト集会が注意すべき「自由主義神学」についてです。

第3話 最低限知っておくべきことその1

 昨日は語られないワケをお伝えしましたが戦後60年がたち、日本の集会の数も200を数え、そこに集う兄弟姉妹も数千人となり、私たちの集会を起こし伝道してくださった宣教師が本国に帰ったり、信仰の先輩がすでに天に召される中で状況に変化が起きてきています。
昨日のべた第一の理由は異教の地では教理の小異をよりも伝道という大同を優先させる考えでかつては正しかったと言えます。しかし、巷をにぎわせている「摂理」などのカルト問題が深刻化している現在も同じ状況と言えるでしょうか?正しい聖書的根拠にもとづいて説明できなかれば、伝道もままなりません。また、開拓伝道という「攻め」が重要視するのは大切ですが現在では、宣教師が去った後の既存の集会を営んでいくという「守り」がかつてと比べて重要になってきたのではないでしょうか。皆さんの集会はどうでしょうか?かつては神学の有益な点、有害な点をそれぞれ知った上で声高に語るべきでないと判断し、必要に応じて部分的に学んでくださった宣教師や諸兄弟がいたが、今は忠実に前例を踏襲はしているのですが、過去の経験から場当たり的に対処しているだけで、聖書的根拠があいまいであったり、前例のないことに直面すると判断に迷ってしまうという事象はないでしょうか。「食べてよいもの」と「食べてはいけないもの」を区別するためにも正しい教理を学ぶ必要性が高まっているのではないでしょうか。
 第二の理由は末期がん患者に告知をしないことににています。知ってしまったがために幻滅してしまうこともあるからです。たしかに、集会の歴史の中に隠しておきたい汚点があるのも事実です。しかし、「集会」を絶対視したために集会につまづいて信仰から離れるという逆の結果も私は見てきました。
 集会を営んでいく上で、また、信仰生活を歩んでいく上でいささか逆説的ではありますが、悲しい過去、暗い歴史からも学んでいく必要があると思います。『氷点』をはじめとしてキリスト集会でも比較的読まれているクリスチャン作家の三浦綾子さんは信仰をもってから一度も教会を離れたり、教会につまずいたことはなかったそうです。三浦さん曰く「最初から人には絶望していましたから」とのことですが、ある程度の信仰生活を歩まれた兄弟姉妹なら大きくうなずかれれるのではないでしょうか。
また、影の部分に目を向けないでいると自らの集会が最も優れているという錯覚を起こしてしまいます。キリスト集会にいれば他の教派の欠点や悪口を聞いたことはないでしょうか、
「あの人は教派だから」
「これは教派だから」
「そこの教派の教会は○○らしいですよ」
自分が集う集会の方法に確信を持つことは良いことです。しかし、このキリスト集会の影の部分、改めなければならない部分には目を閉じ、よその教会のそれも同じキリストの救いを受けた兄弟に対して侮蔑的にいうのは神様は喜ばれるでしょうか、私は別に他の教派の方を持つつもりもありません。このキリスト集会に集わされ、導かれたことを感謝し、自らの集会がもっとも神様に忠実に歩もうとしている教会のひとつであると信じています。愛しています。神様に愛されています。
 ではなおのことでだと思います。将来キリスト者が天国に迎えられるとき、キリスト集会に集うキリスト者と他の教派に集うキリスト者で区別されるのでしょうか、仮に100歩譲ってその教派・教会に誤りがあったとしても、その教会が健全な教会に導かれるようにとりなしの祈りをすることは許されても私たちにその教会を虐げる何の権利があるのでしょうか。
 少々語気が強くなってしまいましたが、私はキリスト集会に集う他の教派への侮蔑的な発言、自らのキリスト集会はそのような教派でないという歪んだ優越感を見聞する度に心の平安が乱されてしまいます。
 

第2話 語られなかった神学

日本のキリスト集会で、この諸集会の歴史や聖書が語っている教理を体系的に学ぶことをしないのには実は理由があります。当時の宣教師たちの間でもある互いにあまり語らないように「協定」していたところもあるようです。私も何でも暴露すべきであるとは考えませんし上記の考え方にアーメンと答える者の一人です。事実集会にとって益にならないのであれば語られてないことも必要だと私も思います。全ての信徒が全てのことを知る必要がないとも思います。しかし、兄弟姉妹にはここで読むことをやめないで頂きたいと思います。このブログで伝えようとしている主題は「宣教師たちが語らなかった益でないこと」ではなく、「語らないことが益であると判断したワケ」であるからです。なぜ語られ無かったのかとその現在においてもそうなのかということを知っておかなければ先に述べた東南アジアから来た宣教師のような悲しい事象がおきてしまいます。もし、このページを読んでいらっしゃるキリスト集会に集う兄弟がいらっしゃるのであればどうかそのワケだけは知っておいて下さい。その結果学ぶ必要があると感じたら祈った上で学び、そうでないと感じたら具体的な内容については学ばなければよいのです、このホームページの存在を忘れていただけたらと思います。いずれにせよ、この時点で判断するのは早いかと存じます。
 事実、戦後欧米から私たちに福音を伝えて下さった宣教師は、実に集会の歴史にも聖書の教理(敢えてここでは誤解を避けるために「神学」とは呼びません)にも明るい方が多かったのです。ただ、今語ることはあまり益にならないと考え、全く、もしくは部分的しか語らなかったのです。理由はいくつか挙げられます。
 第1に欧米は「キリスト教国」でしたから、いわゆる「キリスト教」、他の教会とこの「キリスト集会」との違いを明確にしストレートな福音を伝える必要がありました。しかし、日本は神道や仏教の国です。異教の地ではキリスト教の細かな違いよりもまず聖書の教え自体に触れた事が無い者がほとんどでしたから、教理の正確さよりも伝道によって福音を広く伝えることを優先しようとしたことが背景にあります。
 第2に、このキリスト集会の流れも人の集まりである以上完璧ではありません。他の教派が妥協しなかった点を鋭く伝え人々に聖書の真理を伝えた部分もありますが、分裂がおきたりキリストのからだを傷つけてしまった部分もありました。宣教師たちは信じてまもない純粋な信仰を持っている日本の兄弟姉妹にキリスト集会の暗い部分を語り、集会に失望させるのは益で無いと判断したのでしょう。
 第3に、自国の論争を新しい宣教の地に巻き込みたくなかったのだと思われます。他のキリスト教会の考え方に影響されてキリスト集会が変質することを恐れ教理をきっちり学んでおくことよりも、いわゆる教理が歪められて神学者、ミッション系の大学、キリスト教の本が後述する自由主義神学に毒されてしまったために多くの宣教師はそのような考えを学ぶのではなくて全てを避けるように教えました
 以上の3つの理由から「神学」は語られませんでした。当時においては順当な答えで当然だと思います。
 しかし、現在においても上記の3つの理由は当てはまるでしょうか?
私は必ずしも当てはまるようには思います。次回は当てはまらない理由について著しますが、皆さんもそう感じるのであればそえは何かしら体系的に「教理」「歴史」「神学」というものをまなばなければならないことになります。そうでなければこれまでどおり「神学」というものを全て避けていくべきでしょう。

第1話 ホームページ作成の経緯

マキキ教会(ハワイ)日系人教会。固定概念があると奇異に映る好例まず、最初にこのホームページの管理人である私がこのホームぺージを作成するに至った理由についてお話しましょう。私が大学生のときにある東南アジアのキリスト集会からこられた私が敬愛する宣教師の一人が東日本のある集会で礼拝への参加を断られたことがこのホームページのそもそものきっかけでした。
 別にその宣教師がカルトであった訳でもありませんし、その日本のキリスト集会が特別おかしかった訳でもないのですが、
1、その日本の集会を立ち上げた宣教師が本国に帰ってから長い歳月が立っていた
2、現在の責任者も今まで出会ったことのないものに対する恐怖(その集会は今まで外部から訪ねてきた宣教師を迎えたことがなかった)
3、純粋に集会を守って行こうという良心
から上記のような判断をされたのだと思います。
 しかし、無知からくる冷徹さであってその集会には「責任がない」と言うにはあまりにひどいことだと感じました。事実その宣教師も非常に傷ついていました。私もそれを聞いてショックを受けましたし、その集会に代わって彼女にお詫びしたことを思い出します。
 ここではその宣教師が集会出席を断られた詳細な理由は語りませんが、歴史や教理をきっちりと学んでいれば起こらなかった誤解と偏見でした。私はたまたま教理や集会の歴史について他のキリスト集会にいる兄弟姉妹よりも知っている立場に置かれていました、知らないうちにキリストのからだをばらばらにしてしまうことに恐ろしさを痛感しました。今もその東日本の集会はこのことでキリストの体を傷つけたという自覚はないでしょうし、おそらく同じような判断をしうるであろう日本のキリスト集会をほかにもたくさんあることは容易に想像できました。
 このホームページを作ろうと思い立った一番のきっかけは知る能力と知る機会を神様から与えられていながらそれを知ろうとせず、兄弟姉妹を傷つけたり、キリストの働きを結果的に阻む事象を少しでも減らしたいとの願いによります。場合によっては無知は罪であると教えられました。そして、これ以上、聖書的な「聖別」の概念による拒絶でなく、無知や偏見、個人的な経験や思い込みからくる偏狭な拒絶にってキリストの体をばらばらにする姿をみたくないとおもい、「先に知った者」としてキリスト集会に集う兄弟姉妹に理解を深めていただきくための働きの召しをうけこのHPを作成しはじめました。

第0話 メインコーナースタート3

このブログの親サイトである同胞組合というホームページが公開されて2年半、ついにメインコーナーである同胞組合論を公開します。本来このコーナーをメインにする予定だったのですが、管理人の多忙を理由に遅れに遅れてしまいました。遅くなって申し訳ございません。(誰も待っていなかった?)
親サイトである「同胞組合」は「同胞派(このコーナーに限ってはキリスト集会という)」の理解を深めていくための端緒として作成しました。しかしながら、このメインコーナーの作成が遅れたがためにサイト全体として、客観的事実の羅列やキリスト集会以外のキリスト教会で持ちいる用語をキリスト集会に当てはめて解説しましので、かえってキリスト集会に集う方にとっては理解し難い内容も一部であったと反省しています。
このブログではいわゆる「キリスト教界用語」の使用を極力避けて日本の諸集会に集う兄弟姉妹が理解されるのをを第一義としていきます。場合によってはそのために私見を交え、学識的な正しさを一部省略して、これからの日本の諸集会が知っておくべ「キリストのからだ」について論じて参ります。
書き溜めたものを少しづつ編集してこのブログで公開し、親サイトで最終的にまとめることができればと思います。

サッカーとナショナリズムと日本キリスト教界

日本のキリスト教界というのはおおむね左傾化しています。
いろいろ理由はありますが、戦時中に国家神道に弾圧されたことによります。

ですから、日の丸君が代が嫌いな人も多いです。
しかし、そんなこという人間がワールドカップになると、
ニッポン!ニッポン!と叫んで応援している。
青いユニホームを来て・・・

そのユニホームにかかれてた三本足の鳥
日本サッカーのシンボルマーク
神道で最も有名な偶像のひとつ
「ヤタガラス」です。

政治問題化したことだけ反対して
全体的に矛盾するようなことはやめていただきたいと思っています。

日の丸を嫌うクリスチャンで信仰から拒んでいる
人間を私は僅か知りません。
自分の考えを持たず、周りに合わせているいる人か
政治的に左傾化しているから日の丸を嫌い、
自分の政治的主張のために信仰を利用している人が多いのです。

全国一律

福岡のファミマに行ったら豚マンにポン酢をつけてくれた。高級な塩豚マンだからかなと思ったけれど、大阪のファミマで同じ豚マンを買ったらやっぱりからしだった。全国一律だと思っていたらこんな所に違いがあった。

心の病

昨日私は心療内科に行きました。実は私は注意欠陥障害の疑いがあると以前別の医師に言われていて、そのセカンドオピニオンとして受診しにきたのですが、受診したクリニックはカウセリングルームを設けていて、スゴイたくさんの患者で溢れかえっていました。
現代社会はほんとに病んだひとが多いんだと感じると同時に病める人、悩める人を助ける力を今の教会が失っていると感じました。

仰天

1237e9e2.JPG新年明けましておめでとうございます
久しぶりに空を見ました。そらは美しい被造物の一つですが、高層ビルに切り取られ真上を見ないとみれません。
コンクリートジャングルで神様をみやげて歩むのは難しいです
σ(^◇^;)。。。

県都駅ビルシリーズ徳島駅

ce9b84d2.JPG徳島駅の駅ビルは大きいです。阿波の国の顔に恥じない建物です。四国=田舎という私のイメージが少し変わりました。
大阪から高速バスで出張して徳島にやって来たのですが明石海峡大橋の長さと比べ鳴門大橋の短さに驚きました。前から思っていたのですが気候、地勢を考えても淡路は徳島県にした方がいいようなきがします。
もともと淡路(あわじ)の語源は阿波(あわ=今の徳島県)に行く「路」に由来し、近世までは徳島藩に属していました。徳島藩は明治維新の時に幕府側に着いたために淡路を兵庫県に割譲させられたとききます。
淡路島は過疎対策として自治体を一つにする「淡路一市」運動を展開していますが、国政、県政で影響力を発揮し、観光客を呼び込むには淡路一市より「徳島編入」だと私は思うのですが、島民はなんで言わないんでしょうかね。部外者の私が言っても仕方ありませんが
(´о`)
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