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> No.43771[元記事へ]
今だけ固定HNを外します。さんへのお返事です。
> ぜひ、法華講の皆さんに教えていただきたいのですが・・・
> 今、日蓮正宗末寺では日常的に礼拝室を開放しているのですか?
>
> 私がかつて出入りしていた寺院は、時代的背景もありますが基本的に出入りも自由でした。
> 早朝から夜まで、各自それぞれの思いで自由な唱題がおこなわれていました。
>
> 朝夕に住職が導師として登場し、居合わせた人たちも一緒に勤行することもありましたし、
> ほんと「気まま」に寺院に行って、ほんの僅かであったり、長時間であったり、
> その気軽さが、「自分ひとり」という魔に負けない大きな支えになったりもしました。
> あらかじめ時間などいろいろ決められた、学会のいわゆる「唱題会」と違い、
> 今思えば、いつ行っても思いのままに唱題ができる空間の存在は、大変貴重でした。
>
> 自宅ではなかなかできなくても、そこへ行けば誰かがいる・・・
> 知っていようと知らない人であろうと、
> 「ああ、あの人たちも何かの思いがあって来ているんだ」
> そういった空気が、また勇気となって湧き出てきたものです。
>
> 学会でもそういった空間は、あるにはあるのですが全国規模では無く、
> かと言って、各地元会館に「唱題させてもらえませんか」と急に押しかけても、受付に困惑されるだけが現実です。
> やはり、わがままな言い分かもしれませんが、「気まま」に行けるところの良さが、かつての寺院(私の通っていた所だけかもしれませんが)には都合よかったものです。
>
> ただ、誤解されると困るのですが、
> このことは、あくまで創価学会が間違っているとか、そういった論を展開する趣旨ではありません。
> 何も今の学会が唱題をけっして軽視していませんし、その気になれば何処だって唱題もできます。
> そういう方向の話ではなく・・・です。
> ともあれ、
> そのように、今でも寺院では
> 私が知るかつてのそんな自由な空間が存在しているのですか?
>
> お教えください。
今も寺院は、昔のあなたが知っている、いつ行っても思いのままに唱題ができる自由な空間ですよ。
知っていようと知らない人であろうと、寺院におじゃまして御本尊さまに自由に唱題ができます。
今は、折伏の気運で、がんばって唱題している人が多いと思います。
ホームページを開設している寺院もあります。
私の所属している寺院ではありませんが、「日蓮正宗 正林寺掲示板平成二十三年 実践行動の年」
と検索して、覗いて見てみてください。
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