001 笠地蔵
(2012/12/27(木) 10:54:55 ID:eWlYpKKT7Y)
002 名無しさん (2012/12/27(木) 13:03:09 ID:aJcvuLyS8M) 
じゃあ、聞きますが、
気持ちの良い快適な人生と姿と物語を享受している人たちのなかで、
一人でも、その理由を知っている人が、いるのですか?
003 笠地蔵
(2012/12/27(木) 13:07:11 ID:eWlYpKKT7Y) 
それだけの条件を満たしている人間なら、誰でも知ってるだろう。
そんな現代人を、俺は今のところ見聞きしたこともないが。
004 笠地蔵
(2012/12/27(木) 13:30:15 ID:eWlYpKKT7Y) 

「罪悪はありのままに辛苦である」
それに気づいてしまったからこそ、リーマンショックも起きて、
現代世界が終了する素地も固まってしまったんじゃないか。
「気持ちの良い快適な人生と姿と物語を享受している」
からして偽りだったからこそ、もう終わるしかないんじゃないか。
007 笠地蔵
(2012/12/27(木) 13:52:55 ID:eWlYpKKT7Y) 

こうなった。
内面の苦しみを、隠しきろうにも隠しきれない。
008 笠地蔵
(2012/12/27(木) 15:29:18 ID:eWlYpKKT7Y) 

旧共産圏でも、大して変わりゃしない。
白人は先天的に劣化が早いってのはガセで、長年の日本での
庶民暮らしで若さを保っている中年の白人女性なども多少はいる。
(芸能界の荒波に揉まれたりしてるとそうもいかないが)
心身共なる不養生による早々とした外見の劣化を「成長の証拠」
などとして扱ってすらいるが、それが成長だってんなら、
長年の運動不足生活で10歳以上見た目年齢が老け込んじまって
いるようなデブニートだって、成長したことになるだろうに。
009 笠 (2012/12/27(木) 17:59:01 ID:RwRqFLHBTI:au) 
世界の春は、おまえらの冬か
010 大爆笑スローベンドア
(2012/12/27(木) 19:00:18 ID:8qA37qjozg) 
>その理由が分かるか?
あー答えがわかんないな。難しいな。
いやいや、その輪郭までは捉えられるんだけど
いざ言葉にしようとすると
そこで思考が止まってしまうんだ!!
まるで、汝その名をみだりに・・・だな。
名状しがたいもの(The Unspeakable One)かも。
自分なんかには、畏れおおくも、口にできない。
キーボードで、タイピングする事さえ出来ないんだ。
011 笠地蔵
(2012/12/27(木) 19:11:52 ID:eWlYpKKT7Y) 

植草に奨められた「講孟箚記」を、図書館で借りて早々と読み始めた。
俺にとっては、原文読下しだけでも、ラノベより読みやすい。
一部、アメリカのことを「墨(亜墨利加)」と読んだりと、
古典儒学の素養があるからといって理解できるわけでもない
当時独特の言い回しがあったりするので、多少は訳注も参考に
したりするが、基本、原文だけでもほとんどの内容が理解できる。
相当に、威勢のいい論弁だ。獄中に繋がれたからといって少しも
しょげているような様子は見られない。そのあたり、安静な態度姿勢
を守る坊主とも違うし、それなりの気品を保とうとする神官とも違う。
松陰は江戸っ子ではないけれども、今のパブリックイメージで
考えられているような江戸っ子にも通用するような快活さだといえる。
(江戸社会は儒学を主な統治理念としていたのだから、当然ではある)
>>10 キーワードは「威勢のよさ」だ。
吉田松陰でも江戸っ子でもどちらでもいいが、仁義道徳を重んじられる
人間にこそ特有の威勢のよさこそを倣えばいい。それができたなら、
喉元でつかえたままでいるような言葉までもが吐き出せるだろう。
012 笠地蔵
(2012/12/27(木) 19:39:51 ID:eWlYpKKT7Y) 
すでに、松陰の落ち度を発見した。
「講孟箚記」巻の一・第五章。「孟子」梁恵王章句上・五の
「仁政を民に施す。梃を以て秦楚の堅甲利兵を撻たしむべし。疑うこと勿れ」
という言葉を引いて、これを吉田流の兵学に即して分析し直している。ここがおかしい。
松陰は文武両道ならぬ「文武癒着」をここでやらかしてしまっていて、孟子の言葉を参考にしながら
戦いに臨もうとしていることが、すでに「書は親しきをも絶つ(司馬法)」という純正な兵法に違反してしまっている。
仁政によって重武装の敵に勝つ、それは実際できることだが、敵と戦っている瞬間にまで仁政を為すというのではない。
長期に渡る仁政の積み立てによって国力を増大させ、暴政で潜在的な国力を疲弊させてしまっている軍事大国などに勝つ、
というのが孟子の言わんとしていたところのはずで、決して仁政を戦時中の武器などにまでするつもりはなかったはずである。
だからこそ杖(梃)のような弱小な武器でこそ、秦楚のごとき軍事大国を討ち取れるなどということをも言ったはずなのだ。
松陰は結局、「春秋戦国時代の諸侯が孟子の言葉を実践することはできなかっただろう」と戦局分析によって結論付けながら、
自らの考案した仁政戦法によってこそ、当時の日本が列強に対抗すべきだとも訴えている。これもおかしい。仁政を施して
軍事大国に勝つという孟子の言葉自体には可能性はあっても、松陰流の仁政戦法で日本が欧米列強に勝てたような可能性はない。
――まだ読み始めたばかりだから断言はできないが、吉田松陰は儒学振興の存続を訴えたからではなく、
儒学と兵法のヘタな癒着に基づく仁政戦法の実践などを訴えたからこそ、獄刑に処されたのではないかと思う。
反幕である長州藩お抱えの儒者であったことからも、徳川日本が260年の長きにわたって
日本国民を十全な徳化の対象としてきたことに対する見落としがあったのではないかとも思う。
013 笠土蔵 (2012/12/27(木) 19:44:01 ID:judpHp5V/s) 
はやく埋めて新スレ逝こうよ。^^
014 笠地蔵
(2012/12/27(木) 20:03:54 ID:eWlYpKKT7Y) 

「日本最後の儒者」吉田松陰の過失によって、かえって明らかになったことがある。
明治維新以降の日本で、確かに松陰の訴えるような「儒学の頑なな実践継続」などを
講ずるべきではなかった。しかし、「目指すべき理想」としての儒学ぐらいは存続すべきだった。
明治天皇の望まれていた「儒学を正規教育の根幹に」という考えは、やはりある程度は達せられるべきだった。
にもかかわらず初代文部大臣の森有礼(プロテスタント)なぞが、儒学も仏教も正規教育からは完全に
廃絶して洋学を教育の根本に据え、辛うじて未成年に対する徳育教育などが存続される程度のザマに
まで教育制度を改悪してしまったものだから、「儒学なんて絶対に永久に実践が不可能なもの」という
程もの思い込みを帯びた儒学アレルギーが、日本国民に深く植え付けられることとなってしまったのだった。
吉田松陰が斬首に処されたことににも、それなりの必然性があったらしい。しかし、
だからといって、正規教育の現場から儒学を放逐し去った森有礼らの所業も、決して正しいものではない。
いずれも「極度の儒学主義」と「極度の儒学否定」という極論に陥ってしまっているから、正しくはない。
特に、儒学の教条に基づく君父の尊位を損なってしまったことにより、人々の天皇陛下に対する崇敬までをも
不自然で危ういものとさせてしまって森有礼の所業は、「逆命害君」と断じて間違いのないものとなっている。
015 笠地蔵
(2012/12/27(木) 20:29:57 ID:eWlYpKKT7Y) 
「講孟箚記」巻の一・第五章。「孟子」梁恵王章句上・七の
「恒産無くして恒心有る者は、惟れ士のみ能くすることを為す」
という言葉についての解釈。これも個人的には納得のいかないところがある。
「士分たるもの、たとえ牢人しようとも士人としての志しを欠いてはならぬ」と松陰はいう。
それは確かだ。しかし、牢人や獄中人にまで落ちぶれてまで、まだ仁政を志し続けろともいう。
そりゃあ身の程知らずというもので、為政はあくまで君子階級としての立場から試みねばならない。
最終的な志しが仁政であること、それは申し分のないことだが、そのための手段までもが
必ず仁政でなければならないというのでは、融通がきかなすぎる。兵術でも道術でも、山篭りでも
土建屋稼業でもニートでもいいから、目的のための手段にもう少し融通を利かすべきだといえる。
それはやはり、中世以降では世界最高の仁政家ともなっている徳川家康こそが嗜んでもいたこと。
戦国時代や江戸初期に至るまでの、目的のための手段の選ばなさには枚挙に暇がなかったが、
いざ泰平の世が確立されるや、私財を全て幕府の金蔵に収めての仁政の礎をも築いた。
結局松陰は、江戸徳川に対する敵視や侮りがあり過ぎたのだ。そのせいで徳川のよかった部分までをも
見落として、いい所までをも反面教師としたせいで、自分のほうが見誤りなどの過失を犯してしまったのだ。
(こういうことは、現代の世人にもよくあることだ。無職ニートを忌み嫌ってのやりたい放題とかな)
016 高田のパパ◆TAK/cQxlW6
(2012/12/27(木) 20:35:52 ID:judpHp5V/s) 
ジャンクガレッジ
018 笠地蔵
(2012/12/27(木) 20:45:44 ID:eWlYpKKT7Y) 

俺の「講孟箚記」の感想文も、
多少はこのスレの質問のヒントになっているはずだ。
なぜ日本は、今のようになってしまったのか。
そうなってしまったせいで、非業の運命に見舞われ
ざるを得なくなったのはなぜか、そのヒントに。
絶対不可避な運命だったのか。
不必要な自業自得の落ち度はなかったか。
西洋史学では禁忌とされている「たら」「れば」も
多用して考えてみれば、その答えも出せるだろう。
020 植草無実@20-__-なぜ私が消されて笠地蔵が
(2012/12/27(木) 22:31:41 ID:blzr/UkRfU) 
壮大すぎてとても同じ土俵にたてないYO。
同じ1年間に、仁政で軍事費を貯められて、屈伸で国民の心をつかめる
儒学、兵学の両方からお互いを見ても矛盾がなくて、
同じ期間に両方を行える。そこに魅力を感じないでもない。
>「書は親しきをも絶つ(司馬法)」
知らなかった
021 笠地蔵
(2012/12/27(木) 22:35:45 ID:eWlYpKKT7Y) 

どうも吉田松陰は「顕教の儒者」だったようだ。
儒者である以上は、儒学を本是とするのが当たり前だが、
松陰の場合、本当に儒学一辺倒で、仏教や道家などの観点からも
儒学を客観視するような「密教的余裕」を全く持ち合わせていないんだ。
だから、松陰の言葉はやたらと全体主義的だったり、挺身的でしかなかったりする。
それがかの有名な「大和魂」という言葉で、明治から戦前にかけての日本人の
精神的な支柱ともなっていたようだけれども、そのせいでかえって戦後の日本人から、
「儒者的である」ということに対する恐怖感を抱かれることともなってしまったのだった。
(松陰自身が激情の果てに斬首に処されたことも、やはり儒者に対する敬遠の原因となっている)
警察閥や戦前の軍閥を牛耳っていた薩摩人も、勧善懲悪を好みはしたものの、その理解は浅い。
仏教の唯識思想などに基づいて、善悪の分別やそれに基づく勧善懲悪・断悪修善の価値を
体系的に計り知るなんてことは思いもよらないわけで、それは薩摩と同じ「日本の片隅」である
長州の儒者だった吉田松陰にとってもおなじことだったらしい。両藩は、犬猿の仲だったにしろ。
022 笠地蔵
(2012/12/27(木) 22:47:07 ID:eWlYpKKT7Y) 
>>20 旧日本軍の「戦いながらの仁政」が、東南アジアや台湾などの発展や、
それに基づく欧米諸国からの独立などにも貢献したわけで、
決してそれが完全に厳禁されるべきことではないわけだが。
しかし、当時の日本は「大日本帝国」として領地拡大の覇道にも及んでいたわけで、
決して松陰のいう仁政戦法を企てていたわけではない。それで結局、
糧食が尽きたのと、「破滅兵器」核爆弾のアメリカによる使用で日本は敗れたわけだが、
じゃあ日本が徹底的な王道によって外界への進出を拒み通していたとすれば、
今度は東アジア諸国が発展や独立を遂げることもできなかったわけで、
松陰の主張に従った場合の弊害すらもが即時に思いつかれるわけだ。
松陰の仁政論法に従うぐらいなら、大日本帝国としてそれなりの覇権獲得に
臨んだほうがマシではなかったか。代わりに、儒学を廃絶し尽くした史実どおりではなく、
理想としての儒学教育ぐらいは温存したままで世界に打って出るようにすべきではなかったか。
023 笠地蔵
(2012/12/27(木) 23:12:34 ID:eWlYpKKT7Y) 

「講孟箚記」巻の一・第五章。
松陰は当時の中国(清)が医療施設や養護施設を全くといっていいほど持たないために
底辺層の窮死者を爆発的に増大させてしまっていたことを咎め、「もはや中国に過去の威風なし」
と断じている。一方、当時の日本や、唐代頃の中国では医療保護が充実していたことを称えてもいる。
つったって、今の日本ほど、昔の日本や唐代の中国の医療施設が充実していたわけでもない。
「昔は医療技術が遅れていたから早死にする人も多かった」なんてのは現代の常套句ともなっているが、
幕末の日本でも、当時の中国などと比べれば医療施設も相当に充実していたわけ。中国でならさっさと
殺し去られていたハンセン病患者なども生かされていたからこそ、隔離や去勢などの措置を受けていたわけ。
清代の中国並みに医療が貧困なのも、過ぎたるはなお及ばざるが如し。今の日本みたいに、人口動態
や年齢別所得格差を奇形化させてしまうほどにも医療が過剰なのも、過ぎたるはなお及ばざるが如し。
諸国にとって適正であるような医療が、万国において実施されてこそ、真の仁政の実現というものだろうに。
024 笠地蔵
(2012/12/27(木) 23:33:51 ID:eWlYpKKT7Y) 
植草、「講孟箚記」巻の一・第六章を読んでどう思った?
025 植草無実@20-__-なぜ私が消されて笠地蔵が
(2012/12/27(木) 23:40:48 ID:blzr/UkRfU) 
兵学と儒学を両立させるそれがある種の理想でした。私のw
でも融通もフットワークもないですね。
技術的には楠流兵学に写本されている正忍記の正心、中野学校の誠から
想像しますが、誠が一点でもある作戦の方が非難も受けない。そのような効果もある。
関東軍の謀略のようなやりすぎの一歩手前にする効果がある。
国家方針としてはどうなんですかね。おっしゃるとおり、
>理想としての儒学
くらいがいいのかもしれませんね。わかりませんw
026 笠地蔵
(2012/12/27(木) 23:54:24 ID:eWlYpKKT7Y) 
あのな、松陰はヘタクソだ。
三流とまではいかずとも、二流の儒者だ。
対等な関係である「友同士」を、上下関係であるべき「天と人」に比肩させ、
仁政を敷かなければならない国君と、法律処理者である士師(裁判官)をも等分に扱っている。
儒学と兵学の両立以前に、良質な儒学を学ばなければならない。
その点、松陰はさして参考にすべきともいえない。儒者としてこそヘタすぎる。
だからこそ自前で儒学と兵学の両立を考えたのかもしれないが、
ヘタクソな儒学と兵学を両立させるぐらいなら、まだ兵学専門であったほうがいい。
江戸時代の儒者に学びたいというのなら、せめてでも佐藤一斎あたりを参考にしてくれ。
自ら儒学に自信があればこそ、儒兵の合体などを試みた形跡は見られないが。
027 高田のパパ◆TAK/cQxlW6
(2012/12/28(金) 00:00:49 ID:dyQwmKUqKE) 
笠地蔵には私の足になってもらうつもりです。キッパリ。^^
029 笠地蔵
(2012/12/28(金) 00:48:44 ID:2bbT9/aVvU) 
幕末にまだ粋がってた儒者の代表が、吉田松陰ってだけだろう?
数多の賢明な儒者は、仕方なく素直に廃業してったんだろう?
その程度の儒者がお抱えだった長州藩とか、どうだろうな?
030 (2012/12/28(金) 01:11:36 ID:JsKQImtgTc) 
削除(by投稿者)
031 植草無実@20-__-なぜ私が消されて笠地蔵が
(2012/12/28(金) 01:15:30 ID:JsKQImtgTc) 
佐藤一斎読み返してみます。
儒教と兵学に関しては山鹿素行も書いてます。
http://www.soc.hit-u.ac.jp/research/archives/doctor/?choice=summary&thesisID=179 第二章 文武論時代における素行学の特質 ―その一 開始期―
当該期の素行が目指す実学は、文(儒学)と武(兵学)の融合から始まった。
当該期の兵学と儒学の関係は、全体と個人にある。治国には兵学的な謀略に力点を置き、
個人的な修身には儒学的な倫理観を用いる。両者の関わり方は、三つの文武観に現れる。
則ち、「陰陽兵源」は、陰陽説・太極図説と結び付けることによって、
兵学に儒学的な道徳観と人間観を持ち込み、文内武外の文武観を根拠づけた。
「草創」「守成」の区分は、武は「草創」に有効で文は「守成」に
不可欠だというもう一つの多変的な文武観を支える。更に、「道法兼備」は、
文体武用の主張を支援した。
032 植草無実@20-__-なぜ私が消されて笠地蔵が
(2012/12/28(金) 01:18:00 ID:JsKQImtgTc) 
訂正:儒教→儒学
033 笠地蔵
(2012/12/28(金) 01:27:13 ID:2bbT9/aVvU) 
文体武用は間違いじゃねえや。
日本流にいえば「公体武用」だ。
両者は合体すべきものではなく、両立すべきものだ。
034 高田のパパ◆TAK/cQxlW6
(2012/12/28(金) 01:28:13 ID:dyQwmKUqKE) 
植草無学。^^
035 植草無実@20-__-なぜ私が消されて笠地蔵が
(2012/12/28(金) 01:43:12 ID:JsKQImtgTc) 
036 高田のパパ◆TAK/cQxlW6
(2012/12/28(金) 01:57:30 ID:dyQwmKUqKE) 
はにゃ〜ん^^
037 笠地蔵
(2012/12/28(金) 02:06:22 ID:2bbT9/aVvU) 

これも儒者の末裔。
俺は「日本一」の儒者の末裔。
038 植草無実@20-__-なぜ私が消されて笠地蔵が
(2012/12/28(金) 02:21:44 ID:JsKQImtgTc) 
正当な儒者、憧れますわ。
039 笠地蔵
(2012/12/28(金) 02:28:00 ID:2bbT9/aVvU) 
今の世の中では、何の自慢にもならないけどな。
040 笠地蔵
(2012/12/28(金) 09:39:07 ID:2bbT9/aVvU) 
041 笠地蔵
(2012/12/28(金) 10:42:27 ID:2bbT9/aVvU) 
欧米人はもちろんのこと、今の日本人だって、
吉田松陰流の「大和魂」の復権なんかを目指す必要はない。
大日本帝国の硬直的な全体主義、挺身主義の原因になったのは、
第一には平田篤胤の学説に由来する国家神道のぶち上げだが、
松陰が唱えた「大和魂」の享受もまた含まれるわけだ。
そんなものは、江戸時代までの日本にこそなかった。
少なくとも、広く一般に通用するような代物ではなかった。
水戸光圀の隠遁行脚や松尾芭蕉の地域散策などにも代表される、
個人的な文化振興というものが江戸期にこそ盛んでもあった。
明治以降の日本でこそ軟派扱いされたような、元禄文化などの
こじゃれた風俗も多々あった。だからこそ、封建制という
部分だけはキッチリと堅持できてもいたのだった。
戦前日本や共産国などら特有だった硬直的な全体主義と、
封建制の両立などを想像したなら、それこそお先真っ暗な未来
しか見えないに違いない。たとえ封建制を復興するのであっても、
それと共に大和魂だ国家神道だを蘇生させるべきではないといえる。
042 名無しさん (2012/12/28(金) 11:08:18 ID:zeVEeXRitI:DoCoMo) 
笠地蔵みたいに引きこもりをこじらして、ネ○ウヨになる奴って多いんだろうな
明和ってそんな奴らの巣窟だもん
043 笠地蔵
(2012/12/28(金) 11:12:28 ID:2bbT9/aVvU) 
賄賂で懐柔して来る者を見れば、自分の今後の生活を損なう者と思え。
賄賂で懐柔された者を見れば、自分の利益を横取りした者と思え。
「天下国家の公益のため」だとか、末端の兵士にまでは期待しない。
目先の利益ばかりに惑わされない、賢明な個人主義ですらあればよし。
044 笠地蔵
(2012/12/28(金) 11:40:35 ID:2bbT9/aVvU) 
[YouTubeで再生]

ナーマポー ナーマポー
たっぷりー ナーマポー
ナーマポー ナマーポーたっぷり
ナーマポーの 三億人
045 笠地蔵
(2012/12/28(金) 11:46:41 ID:2bbT9/aVvU) 
大和魂だ仁政戦法だといった、松陰の「自論」は大したことない。
でも、
>>23で挙げたような松陰の「知識」は重宝に値するものだ。
ちょうど、性悪論などの自論はおかしくても
博覧強記さでは孔孟にも勝る荀子などと同じ。
松陰本人の自論ではなく、その知識に興味があればこそ、
「講孟箚記」も通読はしてみる。落ち度のある儒者でもあったことが
確からしいので、あまりやたらと取り上げたりはもうするまい。
046 笠地蔵
(2012/12/28(金) 12:16:54 ID:2bbT9/aVvU) 

理想としての儒学教育と、大日本帝国としての覇権獲得を両立させたなら、
日本軍による外界の統治支配も、もっと「下手シタテ」なものであり得ただろうに。
自分たちが王道に背く覇道を邁進していることへの恥を知っただろう。
さすれば、中朝に「日帝侵略」の言いがかりを付けられるような隙も与えなかっただろう。
覇道の邁進にかけてこそ思い上がる奇形的な極右主義なども生じさせなかっただろう。
財閥グループが日本国自体の勝敗如何に関わらず最高権力であり続けるようなザマも防げただろう。
日本人もまた、自分たちからあえて、今のような運命をわざわざ呼び込んでしまったのだ。
047 笠地蔵
(2012/12/28(金) 12:29:50 ID:2bbT9/aVvU) 

欧米だけでなく、日本の財界もまた、世界的な覇権によってこそ肥え太っている。
地球の裏側に至るまで、日本ブランドの機械や車船や電化製品で溢れ返っている。
(近ごろは韓国ブランドも多いが、実態は日本企業の委託生産である)
欧米と違って武器を輸出しないから無害であるかようにも思われかねないが、
日本製品によってこそ生活面から命を繋ぎ、紛争に邁進したりしている人間も多いのである。
理想上だけでも、覇道を王道の下に置いたなら、経済的な覇権もまたそれなりの恥とされたはずだ。
恥であるなりに正当防衛目的でやるというのなら、それなりの節度も保てたはずで、
日本国全体を財界の言いなりにさせてしまうようなこともまた防げたはずだ。
そうはしなかったからこそ、いま日本人までもが、大いなる反省を強いられることとなってしまったのだ。
048 笠地蔵
(2012/12/28(金) 12:53:48 ID:2bbT9/aVvU) 

理想としての儒学の振興すらをも廃絶してしまったからこそ、
日本人までもが大いに恥を知らねばならなくなってしまった。
儒学を保全したからといって、帝国主義を一切拒み通せたなどと
いうこともないにしても、予め恥を知るぐらいのことはできたはず。
天子(明治帝)のご意向に背いてまで、洋○や聖○○仰ばかりを
ごり押ししたことの天罰が、いま下ろうとしているのだ。
049 笠地蔵
(2012/12/28(金) 12:57:05 ID:2bbT9/aVvU) 
ほとんど俺自身が答えを提出しちまってるようなもんだけどさー。
おまえらが答えねーと意味ねーぞ。
俺の考えなんて、単なる個人的な思い込みかもしれないんだからなー。
050 名無しさん (2012/12/28(金) 14:04:04 ID:zeVEeXRitI:DoCoMo) 
解っているなら黙ってろよ
051 笠地蔵
(2012/12/28(金) 14:10:32 ID:2bbT9/aVvU) 
やっぱダメだわー。松陰。
いくらなんでも自論が粗末過ぎる。
「日本は蝦夷から琉球まで長大な国土を持つ国だから、
アメリカやロシアも大とするに足らず。イギリスやフランスなんて小さい小さい」とか。
(「講孟箚記」巻の一・第八場・十一章)
自国の民度や識字率の高さで対抗するのならまだしも、国土の大きさで
日本がアメリカやロシアにも負けないとか、とんだ夜郎自大なもんだ。
アメリカ派遣から帰国した福沢諭吉あたりが読み聞きしてたなら、鼻で笑ってただろうな。
松陰は、日本国民に「儒者の限界」を見くびらせる道化役として、
わざと歴史的な重要視をされてるんじゃないか? と思えるぐらいだ。
しかし、その門下から数多の権力者が輩出されたともいうのだから、閉口もんだ。
052 越前海月
(2012/12/28(金) 16:06:27 ID:x37W4aTtns) 
だから、吉田松陰は大塩平八郎・西郷隆盛と並ぶ陽明学徒なんだって
笠地蔵に理解できないのは当たり前の話だ
053 笠 (2012/12/28(金) 16:35:06 ID:U23WNSJcDI:au) 
やっぱ陽明学だよなー
だめだなー、陽明学は
ただの体育会系やし
054 越前海月
(2012/12/28(金) 17:52:48 ID:x37W4aTtns) 
日本の海岸線が長大なのは確かだし、守るべき海洋も世界屈指であることは事実だ
海岸に砲台を並べて良しとする幕府に対して、海軍の必要性を説いた勝海舟も松蔭の思想を受け継いでいる
地政的に見ても、竹島・尖閣問題に鑑みて、現代にも通ずる先見的な軍事観だよ
アヘン戦争によって列強の軍事力を知った幕府は及び腰になって不利な条約を結んだが
実は、ペリーは伊能忠敬の地図の精密精確なることを知って戦意を喪失していたという
やがて時代は攘夷論の発展系としての開国論へと突き進む
松蔭の密航計画が成功していれば、福沢よりもはるかに明治の改革に貢献していただろう
055 笠地蔵
(2012/12/28(金) 19:24:17 ID:2bbT9/aVvU) 
松陰は「日本の地形が地政学的に有利」と言っているのではなく、
列島としての長大さを以ってして「日本も大国さ加減で
アメリカやロシアに勝るとも劣らない」と言ってるんだ。
そりゃあ実際、事実誤認だったから、物量戦では日本もアメリカに負けた。
大日本帝国が松陰の遺訓をも参考にしてのアメリカなどとの戦いに
臨んだのだとしたら、明らかに敗戦の責任が松陰にもあったのだといえる。
056 笠地蔵
(2012/12/28(金) 19:43:49 ID:2bbT9/aVvU) 
057 越前海月
(2012/12/28(金) 20:07:31 ID:x37W4aTtns) 
地政学的に有利などと書いた覚えはないのだが、有利といえば言えないこともない
海洋に囲まれている以上、日本に対する攻撃は海軍力に頼るより無い
列強が遠路はるばる押し寄せても、日本近海で補給もできずに立ち往生するだろう
大国ロシアのバルチック艦隊でさえ、日本海軍によって粉砕されたようにね
もっとも日米戦争についてまで松蔭を持ち出す奇形児は笠地蔵くらいだがね
松蔭に敗戦の責任があると思いたければ思えばいいさ
明治と昭和とでは歴史認識も違えば国体も違うとだけ言っておけば十分だ
058 笠地蔵
(2012/12/28(金) 21:56:38 ID:2bbT9/aVvU) 
大体が、松陰は儒者のくせして好戦的すぎるんだ。
その色眼鏡で「孟子」すらをも解釈してるから、???ってことになっちまってる。
「講孟箚記」巻の一・第八場・十三章。
滕の文公が孟子に「小国でありながら斉楚のような大国にはさまれているわが国はどうやったら
侵略を防ぐことができるだろうか」と問うたら、孟子はまず「自分の知る所ではありません」と
答えた。それから「どうしてもというのなら」という前置きを加えた上で、篭城の準備を奨めている。
これに対して松陰は「孟子は文公の煮え切らなさに呆れて『自分の知るところではない』と答えたのだ」
などと勝手に解釈し、当時ペリーからの外圧に優柔不断な態度を取っていた幕府に比肩させている。
違うっての。孟子は自分が儒者だから、防衛にまつわるような質問をして来た文公に、
「自分は専門外」という意味を込めて「私の知る所ではありません」と答えただけだっての。
同様に、孔子もまた戦陣にまつわる質問を衛の霊公にされて、「知りません」と答えている。衛霊公第十五・一
しかも、孟子のように「どうしてもというのなら」という返答すらせず、その翌日には衛を退去すらしている。
それ程にも文事専門であるのが本来の儒者のあり方なのであり、儒者がほぼ必ず兵術家も兼ねている日本のほうが
特殊なだけ。その日本の事情に即して中国の儒者の腹のうちまでをも勘ぐっている松陰のあり方は、不実という他ない。
兵事が専門ではない儒者なりに、「自分が軍を任されるならなら」という質問には孔子も答えている。述而第七・一〇
曰く、「慎重でよく思慮を働かせるものとやりたいね。暴虎馮河を好むような危うい人間とは真っ平御免だね」と。
むしろ滕の文公や幕末の徳川のような慎重さを期する者たちとの共闘を望み、松陰みたいな剣呑屋との共闘は拒むと。
孟子は孔子よりも血気盛んなところがあるにしろ、決してこのような孔子の考えを蔑ろにすることもなかったろうに。
059 笠地蔵
(2012/12/28(金) 22:20:51 ID:2bbT9/aVvU) 
それで、もう致命的という他ない暴言がまた出た。
「講孟箚記」巻の二・第十場・二章。
「孟施舎のごとき、何ものをも恐れぬ勇気を養って浩然の気を得よ。それを実現できた
人間が国に一人でもいれば、国中の戦意が盛んとなって弱国も強国と化すであろう」云々。
永遠に無理だから。
ただ恐れ知らずの勇気を養ったからといって、浩然の気が得られるわけでもない。
(勇を好みてを学好まざればその弊や愚。陽貨第十七・八)
戦いに勝つために得ようなどとすれば、浩然の気はかえって自分から逃げて行く。
述而第七・一〇の孔子の言葉通り、よく事を恐れて思慮を深くするのでなければ、
戦いなど為すべきでないというのが儒家の見解で、それに背くなら、同様に儒家の理念
である浩然の気もまた、自分たちから遠のいていってしまうに違いないのである。
戦いにかけて慎重で思慮深くあろうとしたなら、たとえば輜重輸卒を軽んじたりもしては
ならないはずなのに、戦前の日本軍たるや、そんなものは軍の内に入らないぐらいの扱いとした。
軍旅では輜重を担当するぐらいに穏健であるのが理想だとは、老子も述べていることだし、
漢帝国高祖の劉邦も輜重を重んじ、楚間戦争で兵站全般を担当した蕭何を、一度も戦線に
出たことがなかったにもかかわらず、楚漢戦争第一の功労者として表彰してもいたわけで、
むしろ影ながらに軍を支えるようなものこそが、浩然の気をも湛えられるような穏健な兵事を
司ることで戦局を好転させられる可能性があることが、幕末の時点でも察せたはずなのである。
にもかかわらず「浩然の気の持ち主こそが国民の戦意を鼓舞する」などと訴えた松陰本人
からして、浩然の気など一度も味わったことなどなかったのではないかとも思われるのである。
060 植草無実@20-__-なぜ私が消されて笠地蔵が
(2012/12/28(金) 22:22:34 ID:JsKQImtgTc) 
本屋学問の俺の意見だ。読みたければよめばいい。
儒学と兵学をしっかり分けつつも、
合体させるようなことが山鹿流、少なくとも素行が学んだ北条流には合った。
素行の若い頃にも兵法神武雄備集のような文武の両立より少し超えたところが
(兵学を儒学的な治国の一分野にするような考えから)見えなくも無い。
北条氏長も出典が見つからないが、兵学の城の守りを論ずる時に儒学的な徳の城壁を
説いた。また、一般に学者が兵”法”を儒学的に解釈したりした。
その流れて松陰が説いても松陰だけの責任ではない。
その流れて松陰が説いても松陰だけの責任ではない。
(大事なことなので2回いいました)
同時に江戸の他の学者が、兵学と儒学をきっぱりわけるべきとの説も唱えている。
儒学なんて要らないという人もいる。
俺は素行こそ正統だと思い込んだのでそれを完全無視していた。
(反省しているwww)
061 越前海月
(2012/12/28(金) 22:28:36 ID:x37W4aTtns) 
>斉が魯を攻撃しようとした時、孔子は祖国を守る為に、弟子の子貢へ諸国を遊説させた
>孔子の意向を受けた子貢は、まず斉へ行って、魯と戦争するよりも呉と戦争する方が得だと説いた。
>次に越へ行って、范蠡へ、呉を滅ぼす為には呉と斉を戦争させるべきだと説いた。
>最期に呉へ行って、呉王夫差へ、斉と戦争して覇者となるよう、彼の虚栄心をくすぐった。
>そして子貢と密かに同盟を結んだ越は、呉へ使者を出して、斉と戦争するように説いた。
>こうして、斉と呉は戦争した。
>斉は、この戦争で敗北して魯と戦争するどころではなくなった。
軍事の基本は外交だよ
日露の戦役でも、日本は英国に助力を仰いで、ロシア艦隊への補給をストップさせた
孔子を軍事的素人扱いしているのは後世の腐れ儒者だけだ
062 笠地蔵
(2012/12/28(金) 22:34:29 ID:2bbT9/aVvU) 

もうあまり語らないでいようと思ってたけど、
あまりにもひどすぎるぜ、吉田松陰は、儒者として。
そのせいでどうしてもツッコミを入れざるを得ない。
小さな落ち度は他にいくらでも見つかってるんだが、
その内でも大きなものだけを取り上げただけで、これだ。
陽明学も本国中国では純粋な文事専門で、
明の文官があまりにも主知主義的過ぎることに対する
アンチテーゼとして提唱されたもののはずなのに、
それを日本で武事にすら適用してしまったものだから、
脳みそ筋肉を助長するようなザマになってしまったんだ。
陽明学は日本人向きじゃない。
生来からの実践主義である日本人にとっては、
知識第一の朱子学ぐらいがちょうどいい。
063 植草無実@20-__-なぜ私が消されて笠地蔵が
(2012/12/28(金) 22:37:26 ID:JsKQImtgTc) 
松陰の儒学的な部分はおそらく笠地蔵の言うとおりなのだろう。
俺は儒者の緻密さも知らないし、正統な儒者の笠地蔵の境地も知らない。
しかし
>>38のよう憧れている。知らなくて残念だよ。
しかし儒者に戦争になったら我の関する所ではないという
ところがもしあるなら無責任であまり好きでは無い。
俺のおろかな自己満足も99%くらいあると思うけど。
064 越前海月
(2012/12/28(金) 23:07:06 ID:x37W4aTtns) 
陽明は武人だぜ
だから大塩平八郎や西郷隆盛のような本当の武士が鑑としたのさ
三島由紀夫もそうなんだが、もう武士の時代では無くなっていた
人を突き動かす思想というものは、諸刃の剣でもあるからね
笠地蔵のように儒者を気取って孔子の言葉を弄ぶだけの人間には何の危険もないがね
065 笠地蔵
(2012/12/28(金) 23:14:58 ID:2bbT9/aVvU) 
松陰も、全く間違ったことばかりを言ってるわけではなくて、
それなりのことも多少は言っている。たとえば、
「講孟箚記」巻の二・第十二場・首章。
「忠孝を主として文武を修めるのでなければ、かえって害になるのみ」と。
これは確かにその通りだ。しかし一方で、
巻の二・第十一場・第三章。
「商人ですら覇道に即す場合と王道に即す場合がある。
富裕な上に人気取りのための寄付とかしてるようなら覇道、
貧乏でも近親への寄付などを心がけていれば王道」などともいう。
商売人の仕事が忠孝を主とすることなんてあり得ない。
何事も、お客様が第一の名目下での、私利私益が第一。
それが商売人という職分なのに、貧困な中にでも寄付を心がけていれば
君子階級ですらなかなか達することのできない王道をも達せられるという。
忠孝を主としたなら、商売人だからといってそんな無理をする必要もない。
今のアメリカ人ですら、入念な生活保護下での禁治産生活ぐらいで、
十分に無害で有益な王道を達せられることだろうに。
片や忠孝に関してそれなりのことを言っておきながら、
それが民間の職分に関する見解にまでは十分に反映されていなかったりする。
吉田松陰は、学者としては「多くを学びすぎて収拾が付かなくなる(礼記・学記第十八)」という
過ちを犯してしまっていた部類の人間のようで、それは、「儒学と洋学を日に半々ずつ学んでいた」
という佐久間象山の奨めによる勉強法の無理から来たしてしまったことのようでもある。
066 笠地蔵
(2012/12/28(金) 23:24:51 ID:2bbT9/aVvU) 
>>63 現代人としては、人並み以上に儒学を学んだほうであるらしい人間としてあえて言わせてもらう。
仁徳の通用しない乱世には、儒学の実践は捨てろ。
あくまで「理想としての儒学」のみを内に秘めておけ。
儒学の実践を捨て去った上での行いが、「いつかはまた儒学を実践し始められる」程度の節度を
保てるようにすればいいだけ。もはや儒学再興への参画も覚束ないほどもの罪障を、自らが帯びないようにする。
それが、「文武癒着」とまではいかない範囲での「文武両道」となり、乱世における最善後策ともなる。
叔孫通みたいな、儒学の再頒布を実現できた儒者こそは、そうしてもいる。
067 越前海月
(2012/12/28(金) 23:37:19 ID:x37W4aTtns) 
笠地蔵好みの古義学派・伊藤仁斎は、材木商の出だろ
「人と己とを合して之を一とす」と、人間関係の構築の基礎を「愛」に置いた
生憎と、笠地蔵の孺子人生には無縁のようだが
068 越前海月
(2012/12/28(金) 23:46:22 ID:x37W4aTtns) 
>仁徳の通用しない乱世には、儒学の実践は捨てろ。
なるほど、孔子様はそんなことを仰られたのか
さてさて、大変な儒学もあったものだ
069 笠地蔵
(2012/12/28(金) 23:46:57 ID:2bbT9/aVvU) 
>>61 孔子は軍事を「大局」からよく熟知している。だからこそ、
外交を得意とする陪臣(目付含む)などが主権を握るような乱世は
三代(長くて90年程度)と持たないとも言っている。季氏第十六・二
思慮深く恐れ慎むものこそは共に戦うに値すると儒者の立場から言っているのも、
「そうであるものこそは最終勝利者足り得る」という確信があり、勝利後に
共に治世を築き上げていける可能性があると見たからにちがいないのである。
>>64 軍人が知識嫌いを動機にでっち上げたエセ儒学。
脳みそ筋肉学としては真っ当な出自だな。
>>67 おまえの孫に「佐伊一仁」とでも名づけとけ。
性はサイ、名はカズヒトで、一からやり直させとけ。
070 植草無実@20-__-なぜ私が消されて笠地蔵が
(2012/12/28(金) 23:50:27 ID:JsKQImtgTc) 
文武癒着の弊害を知りました。ありがとう。
兵法神武雄備集(兵法奥義・陰陽兵源)
古今兵を論ずるの士は、殺略戦陣を専らとす。故に兵法は一技のなかに陥る。
天下の間は士農工商に出てず。士は農工商を司り、士の至れる者は帝王公候なり。
士の業を兵法と曰ふ。若し兵法をもって、正心修身・治国・平天下の道を
尽くさずんば則ち兵法は用ふるに足らず。古人曰く、内文徳を修め、
外武備を正すと。今能く兵源に到るの士は、則ち一心無事にして、而る後万般の
用ふる所明白なり。是れ聖賢用ふる所の兵法、至極の要論なり。夫子曰く、
己れに克ち礼に復すれば、則ち天下仁に帰すと。
兵法神武雄備集(兵法奥義・道法兼備之事)
道は一心の用ふる所、心理の工夫、万物の根源なり。此の道を修めざれば、
則ち万物の本を知らず、故に其の用ふる所自由ならざるなり。法は作法なり。
本あれば則ち法あり。其の法を勤めずして、其の極に至らんと欲するは者は
成らざるなり。たとえば猶ほ芸術を習ふがごとし。而して伝其の妙を得るものは
道なり。術其の練を得るものは法なり。道法兼備せざれば、則ち事斉はず。
或は世間に居て山林に居るが如く、或は山林に居て専ら名利に繋がる。
皆道は純なれども法は備はらず、法は純なれども道は修らざるの為す所なり。
兵を和し仁を好みて下四支の如きものは、道の成るなり。然れども用、法に
合わざれば、衆寡の用皆背く。是れ法の成らざるなり。道と云い法と云う、
偏廃すべけんや。言行・内外・知行の用、一に皆道法兼備の工夫なり。
ただ道能く修まれば、則ち法其の中に在り。道は本にして法は末なり。
すべからく本末一致の工夫あるべきなり。
071 越前海月
(2012/12/29(土) 00:16:44 ID:TEFXDORTaM) 
>>69 >外交を得意とする陪臣(目付含む)などが主権を握るような乱世は
>三代(長くて90年程度)と持たないとも言っている
「礼楽・征伐」をいつから「外交」と訳すようになったのかね?
単に陪臣が政治・軍事を掌握すれば国が滅ぶと言ってるだけだろ
かつて日本の軍部が統帥権をタテに天皇陛下をないがしろにして、軍事独裁をしたようにね
笠地蔵も、勝手に「外交を得意とする」などと自分に都合の良い解釈をする癖を改めたらどうかね
見苦しいにも程がある
072 笠地蔵
(2012/12/29(土) 00:28:30 ID:gR6o8f8N/M) 

陪臣は、外交みたいな主君自身の忌み嫌う仕事を得意とするからこそ、陪臣たり得る。
それは、日本版の陪臣である目付の血を引いている俺自身の感覚からも察せられること。
自力外交の余地を絶たれたせいで、
どうして雅子は適応障害を患ってしまったんだろうな?
073 越前海月
(2012/12/29(土) 00:39:53 ID:TEFXDORTaM) 
乱世にあっては、小国の君主は自ら会議に赴き外交を行った
重要でない外交だけは陪臣に任せた
それは現代の政治でも同じでね、安倍が外相任せにせずに米国を訪問するのも大事だからだよ
それから、オマエが誰の血を引いているかなんてここでは関係のない話だ
顔を洗って出直しておいで
074 植草無実@20-__-なぜ私が消されて笠地蔵が
(2012/12/29(土) 00:42:58 ID:jVTKV.n7k2) 
松陰が舟に乗り込んだ件
武教本論・謀知
謀知の道は、予め謀り常に知り、見聞を広くし、視観察を以つて内外を索むるときは、
則ち隠るる所なし。謀は内謀を密にするなり。知は外見聞して知るなり。
内外謀知するときは、則ち戦はずして勝敗明らかなり。凡そ主将の道智法、
士卒兵衆の用、糧財器物の量、天地の得、能く謀りて知れば則ち惑わず。
夫れ謀は必ず上智の人を用ふ。知は必ず遠近候の三候あり(後略)
075 笠地蔵
(2012/12/29(土) 00:43:15 ID:gR6o8f8N/M) 
植草も兵学が専門なら、まず武経七書の熟読あたりからやり込んどけよ。
その上で「秘伝」が書かれているような兵書を頼むのでないと、
「型を知って型を破る」という奥義の体得にも結び付きやしねえ。
基本を知って、そこからそれなりに飛び出す。それが兵法の体用でもあるよ。
宮本武蔵とか奇形レベルの腕力だったから型無しでもいけたわけで、
不特定多数の兵士を多用する軍事にそれが流用できるなどと思うべきでない。
076 植草無実@20-__-なぜ私が消されて笠地蔵が
(2012/12/29(土) 00:47:55 ID:jVTKV.n7k2) 
さきほどの兵法奥義の山鹿素行の前書き
兵法神武雄備集(兵法奥義・兵法奥義自序)
夫れ兵の用は皇帝に起りて、其の伝は風后に始まる。本邦の始祖は、神武皇帝の東征より、
吉備真備にいたり、八陣九地の法を伝ふ。其の用たるや、実に国の大事と為す。
然れども兵の源流を知らざれば、或は勇を好み衆をたのみ、或は争論利口にして、
邪路に入るの端なり。今世兵を談ずるの士、技術の説を成し、権謀の略を仮る。
故に挙げて之を凶器不祥に陥るなり。噫、磋歎すべし。予竊に古人の意を取りて、
兵源論並に察機・結要等の書、凡そ五編を著はす。兵の用を務めて其の本を知らざる
ときは、則ち奇巧になずみ利欲を好む。兵の源を索めて其の流を知らざるときは、
則ち虚遠に馳せて下学を忘れ、並に微妙至善の要を知るべからず。故に説を作して
後の君子を待つ。
077 笠地蔵
(2012/12/29(土) 00:53:09 ID:gR6o8f8N/M) 
>>73 今の天皇陛下ほど、外交(×外遊)を陪臣(首相含む)に任せきっている主君も他にあるめえ。
首相を主君と見間違えるほど、ご老人も耄碌を来たせられたか?
>>54地政的に見ても、竹島・尖閣問題に鑑みて、現代にも通ずる先見的な軍事観だよ
>>57地政学的に有利などと書いた覚えはないのだが
ものを書くたびに自己破綻するほど狼狽されているようなら、ちと安静になされ。
078 植草無実@20-__-なぜ私が消されて笠地蔵が
(2012/12/29(土) 00:55:56 ID:jVTKV.n7k2) 
079 植草無実@20-__-なぜ私が消されて笠地蔵が
(2012/12/29(土) 01:04:33 ID:jVTKV.n7k2) 
兵法神武雄備集(兵法奥義)は山鹿素行著の陣形も書いてある兵書です
080 植草無実@20-__-なぜ私が消されて笠地蔵が
(2012/12/29(土) 01:07:50 ID:jVTKV.n7k2) 
>>74松陰も素行著の武教本論を読んだと思いますが、なぜ自分が行ったのか。
自前の諜報組織を作れなかったんでしょうか。
082 (2012/12/29(土) 01:43:02 ID:Gips2izFIU:au) 
削除(by投稿者)
083 (2012/12/29(土) 01:52:43 ID:jVTKV.n7k2) 
削除(by投稿者)
084 笠 (2012/12/29(土) 08:25:47 ID:Gips2izFIU:au) 
松陰「自分は柳下恵に似ている所があるので、伯夷を参考にしてバランスを取っている。
自分が伯夷っぽいなと思う人間は、柳下恵を参考にすればよろし」
いやいや、孔子を参考にすればいいから。
清廉過剰の伯夷でも清濁併せ呑み過剰の柳下恵でもなく、
適度な清濁併せ呑みの体現者としての孔子が最善例として提示されてるんだから、
目指すならそこを目指せばいい。自分が現状、伯夷や柳下恵のようでしかいられないのだとしても。
松陰には、理想と現実の区別が乏し過ぎる。
086 ララァ
(2012/12/29(土) 11:12:18 ID:8A6o43OTx.) 
毎度の儒学の曲解を吐露しては、遥かにきちんと学んでる越前海月に指摘されまくってギッタギタにされるという毎度の流れだな(ワラ
しかし半可通丸出しで陰謀めいたのにとにかく食いつきたいだけの植草は、
笠地蔵の妄想に、笠地蔵さんって凄い出なんだ!カッケー!カッケーと目をキラキラという、目も当てられない構図www
087 笠 (2012/12/29(土) 11:34:23 ID:Gips2izFIU:au) 
越前クラゲは相当なトシと見た。孫がいるかいないかぐらいの。
いま、一斉に物忘れや注意不足が深刻化しつつある、団塊前後の連中。
そんな奴らばっかだから、俺なんかの頭の回転にも付いて来られないんだろう?
ララァはそこそこ若いっぽいが、残念ながら
思考の歯車が不正な方向へと高速回転してしまっているようだ。
植草はその間ぐらいの気がする。
思考の回転力なんかでララァとかに対抗する必要はないから、
思考の歯車を正常に回転させることだけは心がけろよ。
088 笠地蔵
(2012/12/29(土) 12:02:11 ID:gR6o8f8N/M) 

思考の歯車が不正な方向に高速回転してしまっている状態(いわゆる躁状態)の人間は、一度
自殺衝動を伴うほどの重度の鬱を通過してからでないと、思考の回転を正常に戻すことができない。
ちょうど、歯車構造全体の動きを止めてからでないと、回転を逆にできないようなもの。
思考の回転が不正である人間こそは躁状態ともなる一方、正常である人間は躁とはならない。
ちょうど、核分裂はダラダラと臨界しっぱなし、放射能垂れ流しっぱなしである一方で、
核融合は点火条件に満たなければ早急に反応を停止してしまうのみであるようなもの。
089 ララァ
(2012/12/29(土) 13:31:35 ID:8A6o43OTx.) 
傘地蔵さんは、今は躁なんですか?欝なんですか?(ワラ
前もMHORに医学は知識無いんだから知ったかはやめとけ、と注意されてただろw
090 笠地蔵
(2012/12/29(土) 13:37:42 ID:gR6o8f8N/M) 
正常な方向に回転している思考こそは、「適度な抵抗」が伴っているんだ。
世のため人のためになることこそを目指すような限定性の抵抗があるからこそ、
思考の回転が無制限に高速化しての躁状態などにもならない。
不正な方向に思考が回転している人間こそは、思考にそんな抵抗が伴ってもいない。
だからこそ無制限に思考の回転が高速化して躁状態となり、「こんなに頭の回転が速い
ボクって凄い!ムヒョッヒョッヒョ」という風に自意識過剰の思い上がりを募らせていってもしまうんだ。
091 ララァ
(2012/12/29(土) 13:51:07 ID:8A6o43OTx.) 
>90
>ボクって凄い!ムヒョッヒョッヒョ」という風に自意識過剰の思い上がりを募らせていってもしまうんだ。
鏡って見たことある?(ワラ
092 笠地蔵
(2012/12/29(土) 13:58:52 ID:gR6o8f8N/M) 
躁状態となるほどにも頭の回転が高速化し過ぎていること自体、
ろくでもないようなことばかりを考えている証拠だといえる。
少なくとも、「世のため人のため」のような良質な抵抗が伴って
いるわけでもない、化け物流の思考であることが間違いない。
化け物だからこそ自己陶酔に浸れもするが、化け物は化け物だ。
むしろ人でなしの品性でしかないことを恥じるべきですらある。
世のため人のためになるようなことのみを限定して考えようとする
人並み以上の人、即ち君子こそは、そんな陶酔に浸っている余裕もないのである。
093 (2012/12/29(土) 15:45:50 ID:Uw1SMGN50U) 
削除(by投稿者)
094 笠地蔵
(2012/12/29(土) 16:28:42 ID:gR6o8f8N/M) 
095 笠 (2012/12/30(日) 07:33:32 ID:svDWqZ9mYk:au) 
薩摩人や土佐人と同じく、長州人もまた
所詮は郷原(世間知らずの偽善者)でござった。
096 地 (2012/12/30(日) 07:57:35 ID:svDWqZ9mYk:au) 
軍・政・財の三極において、薩長土が明治以降のイニシアティブを掌握するに至った。
そうなれたのは、自分たちが日本でも屈指の世間知らずであり、知らず知らずの内に
外圧に懐柔されながら日本のトップとしても振る舞うという、余程の愚か者
でもない限りは恥ずかしくてできないようなことをやってのけたからだ。
097 蔵 (2012/12/30(日) 08:03:23 ID:svDWqZ9mYk:au) 

要は、道化の操り人形となったわけだが、
例えそうであってでも日本のトップに躍り出たいという程ものコンプレックスを、
日本の片隅にくすぶっていた郷原たちは募らせていたわけだ。
098 地 (2012/12/30(日) 08:09:24 ID:svDWqZ9mYk:au) 
「ペットは飼い主に似る」
「被支配者は支配者に似る」
というセオリー通り、おまえらを含む今の日本人もまた、
日本の片隅の郷原を源流とする今の日本のトップに似て、
極度のコンプレックスの塊と化してしまっている。
敗戦によってそのコンプレックスが植え付けられたかのように思われがちだが、
日本人としての威厳が損なわれ始めたとっかかりは、それよりもまだ以前にこそある。
099 笠 (2012/12/30(日) 08:19:39 ID:svDWqZ9mYk:au) 
僻地の郷原といえども、日本人は日本人であり、
そのような不良債権の如き日本人の鬱憤を晴らさせてやることもまた
「さてしもあるべきことならねばとて」だったのかも知れないが。
ただ、少数派の田舎者としての正しい鬱憤の晴らし方は、
あくまで宮本武蔵のような一騎当千の功業を挙げることであって、
世間知らずな少数派同士で群れて、醜悪な利権の吹き溜まりを形成することなどではなかった。
あたかも家康公の手の内でもてあそばれるようにして、
数多の郷原たちもまた、大社会に不正な手段でうって出て、
言い訳のしようもない大きな過ちを犯してしまったのだった。
100 名無しさん (2012/12/30(日) 09:14:39 ID:zPIYldk8k.:DoCoMo) 
何を書いても流れて消えるだけのスレというものに人生を浪費する笠地蔵
101 101 (Over 100 Thread) 
あれ、100超えちゃったみたい…書き込めないや…
∧∧ ∧,,∧
(;゚Д゚) ミ゚Д゚,,彡 おkk
ノ つ▼〔| ̄ ̄] ▽⊂ ミ 新スレいこうぜ
〜(,,⊃〔 ̄||====]〜〜[]⊂,⊂,,,;;ミ@